第92話 懺悔するなら今のうちです。

 廃墟の都市レーベンベルグ。


 近くを流れるクレード川から引かれた堀は今も顕在で、水は底が見えそうなくらいに透き通っています。


 一方で、入り口を守る鉄の門はびっしりと錆びだらけ、今にも蝶番が外れ、倒れてしまいそうです。


 街に一歩足を踏み入れると、妙にひんやりとした空気が肌を撫でてきました。


「うう……」


 後ろを歩くセシルがぞくりと震えたのがわかりました。まだお昼を過ぎて間もない時間だというのに、もう怖がっているみたいです。


「とりあえず、目指すのはセシルのお母さんが住んでいたというお屋敷ですかね」


 【青の聖女】セシリアは元々いいところのお嬢様。両親とも剣の神様ゾーディアに仕える聖職者だったらしいです。そのお屋敷は教会のすぐそばに建っていて、おそらく【魔の大地】から帰還したバゼルもそこでしばらく過ごしたのでは――というのが私たちの推測でした。


 それにしても静謐な雰囲気ただよう街です。聞こえるのはただ水の流れる音だけ。石畳を踏む自分の足音はやたらと大きく感じられ、なんだか無作法をしでかしているような気分にさせられます。


 そしてここは、廃墟と呼ぶにはあまりにも景観が綺麗でした。


 もちろん、何十年も放置されていたわけですから、苔や錆、あるいは漆喰の汚れといった経年の劣化は至るところに出ています。元はきちんと管理されていたでしょう街路樹は好きに枝を伸ばし、花や雑草も生え放題。


 それでも、美しく感じさせるなにかが、人を惹きつけるなにかが、レーゲンベルグにはありました。退廃的というのか、斜陽の美というのか……。


 昨夜、ローゼリアが語った怪談で、建築好きの魔術師がこの街に来たがったの、共感できちゃいます。幽霊なんか怖くない私は、ぞっとするどころか、ワクワクし始めていました。


「で、お屋敷はどっちなんですか?」

「……多分、あっち」

「セシル、ちゃんとまわりを見て答えてください。その方向に向かうと入口に戻りますけど」


 本来、案内役になるべきセシルは一番後ろを歩いています。しかも、ローゼリアの背中にくっついて、前なんか全く見ていません。


「し、仕方がないだろう! 顔を上げたら目の前に幽霊がいたらどうするんだ!」

「大丈夫です。幽霊もそんなに暇じゃないですから」

「でも、久しぶりの訪問者にテンションが上がっているかもしれない!」

「だとしたら、幽霊が出てくるのは私達がもっと奥まで進み、街から簡単には出られなくなった後でしょうね」

「ひぃぃぃぃ……」


 あ、意に反しておどかしてしまいました。まあ、彼女を当てにするのはやめたほうがよさそうですね。


『お屋敷は知らんが、教会なら向こうやでー』

『ゾーディアの気配を感じるわ』


 ハンマーに憑りついてる鈍器の神様が、右方向を指差して言います。


 剣の女神ゾーディアは、邪神ドルトスとは対極に位置する神様です。神々戦争においても、邪神に抵抗する勢力をまとめ上げ、指揮したのはゾーディア様だと言われています。


 一方で、ゾーディア様はドルトスの奥さんだった、という説を唱える神学者もいます。全く違うふたりだからこそ惹かれ合い、恋に落ちたのだと。


 でもそれってどうなんですかね。司るものが逆ってことは、性格も全然合わないってことでしょ?


 それこそ、私とセシルが仲良くなるようなものじゃないですか。……ありえません。


 まあでも、とりあえず訊いてみてもいいかもです。すぐそばにいる鈍器の神様は、元々はドルトスの一部だったはずですから。パッと見、アホっぽい表情をしたクマでしかないですけど。


「ねえ、神様。ドルトスとゾーディア様って、夫婦だったんですか?」


『うーん、それは教えられんな』

『子供には早すぎるわ』


 もったいつけますね。でも、まあ教えてくれないならそれでいいですよ。


 ゾーディア信者だったら気になって仕方がないところかもしれませんが、私はそうじゃないですし。むしろゾーディア様にぶつけたい恨み言は、ひとつやふたつじゃ終わりません。


 学園時代、私が何度、ゾーディア様に願ったと思います? 退学になったのだって、ゾーディア様が私に剣の才能をかけらも与えてくれなかったからじゃないですか。


 私にとってゾーディア様は邪神に等しい存在ですよ……!


 なんて思いながら歩いていたら、池の真ん中に佇む、青い屋根の教会が見えてきました。


 長年放置されていたにもかかわらず、白い漆喰の壁には汚れがまるでなく、荘厳な雰囲気を漂わせています。窓には剣のモチーフを象ったステンドグラス。そちらも毎日誰かが綺麗に拭いているかのようにピカピカでした。


 いやー、この教会だけでも、来てよかったと思わせるだけのものがありますよ。セシルはやっぱり怖がって、なにも見てやしないですけどね……!


 目的にしていたお屋敷は、おそらく教会の奥に建つ家でしょう。


「ちょっと先に、教会のほうを見ていきませんか? 理事長――じゃなかった、バゼル・ソルトラークは教会も訪れていた可能性が高いですし」

「そだね。アタシはどっちでもいいよー」

「決まりですね」

「ハンナ、なんでテンションあがってるの?」

「あ、アガッテナイデスヨ?」


 教会の建設にも関わったことがある私です。ぶっちゃけどんな造りになっているのか、興味が無いと言ったら嘘です。


 浮足立つのを我慢しつつ、教会の扉を開きます。


「おお、なかもすごいですね」


 礼拝の間。青いカーペットを進んだ正面には司祭様が経典を読むための台があり、左右には信者が座る長椅子が並んでいます。


 圧巻なのは天井の高さ。邪魔にならない最小限の柱で、建物を支えられるよう計算されていて、広々とした印象があります。


 ステンドグラスから降り注ぐ太陽光も、いい味を出してます。誰目線だよとツッコまれそうですが、なかなかやるじゃないですか。


 ただ残念なのは、おそらく以前は飾られていたと思われるタペストリーやオブジェが、ひとつも残ってないことですね。


 広間の最奥には、これ見よがしに三つの台座があるんですが、その上にはなにも載せられていません。


「ふーん。なんかちょっとさびしいね。三種の神器も置かれてないし」

「三種の神器?」

「知らない? 神鏡、神玉、そして神剣。ゾーディア様が使ったとされる三つの道具が、教会には必ず置かれてるんだ。もちろんレプリカだけどね☆」

「へー……」


 言われてみれば、見たことがあるような、ないような……。


 自分で建てる前まで、あんまり教会に興味なかったのがバレバレですね。


「――レプリカじゃないよ」

「え?」


 未だにビビりまくってるセシルがふいに口を開いたので、私は聞き返しました。


「ここ、レーゲンベルグの教会にあったのは、ゾーディア様が使っていた本物――真の三種の神器だったと言われてる」

「へー、そうなんですね!」

「……諸説アリ」

「なんだ」


 その一言で信憑性が一気に失われました。私は知ってます。諸説アリがついたときに本当だった試しはないんですよ!


 とはいえ、三種の神器ですか。剣に、玉に、鏡?


 鏡といえば、ローゼリアの話のなかにも出てきましたね。鏡を持った少女の幽霊。のぞきのむと、自分の死に顔が映り込むんでしたっけ?


 そんなものが実在するなら、聖なる鏡ではなく呪われた鏡でしょうが。


「ヤダヤダ、ヤッバーい! 懺悔室があるよ! 懺悔室!」


 ローゼリアが発見したのは、壁際に設置された、人ひとりがぴったり入れるくらいの個室です。ふたつの部屋が並んでいて、どちらも入り口にはカーテンがかけられるようになっています。


 あー、これは知ってます。ゾーディア様のとこに限らず、教会には大体あるんですよ。


 司祭様が信者の罪を聞き、その行いを許す場所。決まった時間に司祭様が上座の部屋に入り、あとから下座の部屋に信者が入ります。そして罪を告白し、信者が先に出ていく。部屋同士を繋ぐ窓はありますが、そちらにも格子がはめられていて、相手の顔は見えないようになっています。


 司祭様は告白者が誰だったのかはわからないわけですね。だからこそ、信者も安心して己の罪をさらけだせるのです。


 ローゼリアはビクビクしているセシルを長椅子に座らせると、司祭様の部屋に入り、ニヤニヤとした顔をこちらに向けます。


「迷える信徒ハンナよ。アタシがあなたの罪を聞いてあげましょう。遠慮はいりませんよ?」

「なんであなたが懺悔を聞くほうなんですか……。逆でしょ逆」


 なんでテンションあがってるのかと思えば、どうやらこれがやりたかったみたいです。そりゃ、街中の教会じゃ絶対にできないことですし。


 しかし、いくらごっこでもローゼリアが司祭役って無理があるでしょ。どんな邪教だよって話です。


「あなたが懺悔するつもりなら聞いてあげなくもないです」


 私をバカにしてたこととか、イジメてたこととか?


 この機会に、本気で反省している姿を見せてくれるなら――まあ、私だって態度を改めなくもないです。


「ま、ハンナが司祭役でもいいや。でも、なにを懺悔しようかな……。うーん、かわいく生まれすぎてごめんなさい?」

「そう思うなら死んだらいいのでは?」

「あはは! 司祭様が絶対に言わないセリフじゃんそれ! ハンナもノってきた?」


 ああ、私のバカバカ。期待しただけ無駄でした。この女に反省を促すなんて、神様でも無理なんですよ!


 やれやれと思いながらも、律儀に司祭側の部屋に入ってあげる私。


「――司祭様。私の罪を聞いていただけますか」


 信者側の部屋からそんな言葉が聞こえます。めんどくさ。ローゼリア、わざわざ演技で声音を変えてますよ。


「はいはい、なんですか」


「それが――領主様の命令で川に毒を投げ入れたのは、実は私なのです」

「ローゼリア、そのネタはさすがに不謹慎ですよ。何十年も前の話とはいえ、実際にたくさんの方が亡くなってるんですから」


 いや、こうやって懺悔室を使ってること自体、不謹慎なのはわかってますし、こんなことに付き合ってる時点で言う資格ないんですけど。


 とか思ってたら。


「……ハンナ、さっきから誰と喋ってるの?」

「へ?」


 あくまでごっこなので、カーテンはかけていません。横を見ると、そこにはまだローゼリアが立っていました。


「え? ローゼリア、信者側の部屋にいたんですよね?」

「いや、今から入るトコだけど?」


 ……嘘でしょう?


「ひィやあああああ!!」


 長椅子に腰掛けていたセシルが絶叫。これには幽霊なんて信じていない私もビクッと震えました。


「な、なな、なんですか一体!」

「ざ、懺悔室に誰かいるうううー!」


 顔を思いっきりそらしながら、ガクガクと縮こまるセシル。


 けれどローゼリアは信者側のカーテンを開け閉めして、怪訝な表情を浮かべます。


「……誰もいないケド?」


 怖い怖い怖い。


 え、じゃあなんですか? 今、私は幽霊と喋ってたってことですか?


「ビックリです。私って、実は霊感あったんですね……」


 バカにしないでもらいたいのですが、私は恐怖すると同時に、喜びを感じていたのでした。


 ローゼリアには見えも聞こえもしていない幽霊。その声を、私は確かに聞いたのです!


 これは、鈍器以外の才能を発見したと言っても過言ではないのでは?


「プププ。私を鈍感扱いしてくれましたけど、ローゼリアが一番霊感ないじゃないですか」

「ナニソレ。ムカつくんだケド! あっ、ほらアタシにも見えた! そこそこ!」

「そんなムキになって見えるフリしなくていいのに……」

「違うって! ほら、セシルの隣に座ってるじゃん!」


 懺悔室を出ると、確かにローゼリアの指差す先にはぼんやりとした白い靄。それは明らかに人の形をしていて、セシルと同じ長椅子に腰掛けています。


 なんだ、本当に見えてるんですか……残念。


「ボ、ボクの隣に……? ぎぃやあああああああああ!!」


 もはや絶叫生産機と化したセシルの声が、教会中に響き渡りました。


 こっちの醜態は、もっと残念極まりないですね……。

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