第87話 私達の完全勝利です。

「お父……様?」


 ローゼリアに支えられたセシルが、呆気にとられています。やっぱり彼女は、自分の父親が邪神側だなんて考えてもみなかったようです。


「俺っちだって、セシリアちんを失ったアンタの悲しみは嫌というほど知ってる。でも、恨むべきは邪神だろ? なのになんでアンタが、あっち側についてんだよ……!」


 苛立つスラッドさんに対し、理事長は澄ました顔で言います。


「なんで、だと? そんなものは決まっている。我が妻セシリア――そして本当の娘をよみがえらせるためだ」


 えっ、と私は声を出し、セシルを見てしまいました。


「本当の、娘……?」


 彼女もまた初耳だったらしく、動揺を露わにします。


「ああ、そうだ。貴様のような使えない偽物ではない、な」


「そ、そんな……。ボクが偽物? 嘘ですよね?」


 痛々しく顔を歪ませたセシルから、スラッドさんが目を背けました。どうやら付き合いの長い彼は知っていたみたいです。セシルが理事長の、本当の娘ではないと。


「ふん、まだ気づいていなかったのか。いや、気づかないフリをしていたのか。どちらにしろ、愚かにもほどがある」


「ボ、ボクは本物だ。本物に決まりきってる! だってボクは、お父様のために必死に――」


「ふん、オレに認められたいだけの無能が。貴様がダウトごとスラッドを殺せていれば、このような状況には陥っていない!」


 うわー、自分のミスをめちゃくちゃ棚に上げた発言です。そもそもあなたがダウトを使ってマリアンちゃんを殺害しようとしなければ、こんな状況にはなってないのに。


 でも、冷静さを失ったセシルに指摘をする余裕なんかありません。


「お父様……! つ、次こそは失敗しません。だから捨てないでください! お父様に捨てられたら、ボクは、ボクは……!」


「知るか。多少は使えるかと思って手元に置いてはみたが……、貴様にもう用はない」


「おっさん、アンタどこまで――」


 その非道っぷりに腹を立て、スラッドさんがつかみかかろうとします。が、ダウトに寄生されていた影響でしょうか。足が言うことをきかないようで、満足に立ち上がることもできません。


「う……、ふぐぐ、ふぐわぁああああー!」


 セシルのあげた叫び声は、聞く者の胸を締め付けるほど悲哀に満ちていました。


 なんだか、過去の自分――退学を言い渡されたときの自分を見ているようです。


 ふん、いい気味です。これで自分がどんなヒドいことをしてきたのか理解できたんじゃないですか――なんて、私が思うとでも?


 私はスッキリするどころか、全くもってムカムカしていました。


 確かにセシルは性根が腐った女です。自分本意で視野が狭く、想像力が欠如しまくってます。


 でも……、そんな風にしてしまったのは誰ですか。彼女が他人を思いやれなかったのは、父親のことばかり想っていたからではないのですか?


 それなのに、ある意味では純粋すぎるセシルの心を、この男は踏みにじったのです!


「――鈍器スキル【ぶちかまし】!」


 相手は剣を持っていない、完全なる丸腰でしたが、そんなの関係ありません。


 私は大ハンマーを振りかぶり、ジャンプ! 理事長をめり込ませるつもりでブン殴ります!


 ですが――手応え、なし。ハンマーはスカッと空を切り、そのまま床を叩きました。


 紙一重でかわされたのかと思いましたが、違います。


 理事長は、今もなお私の前に立っています。ただ、その姿はうっすらと透けており、ハンマーは実体のない足と重なりあっているのです。


「これは幻覚、魔法……?」


 いつのまにか理事長は、この場から立ち去っていたのです。いえ、もしかしたら最初から理事長は魔法によって生み出された幻だったのかもしれません。


 なるほど、だからダウトへの攻撃もセシルにやらせたわけですか。実体がなきゃ、自慢の剣技も放てませんからね。


 まったく、自らの保身を最優先に考えているあたり、軸がしっかりしています。悪い意味で。


「……ハンナ・ファルセット。貴様とはいつか決着をつける。せいぜいそれまで、ノミはノミらしく無様に跳び跳ねているがいい」


 そう言い残すと、突っ伏して泣き崩れているセシルにはまるで目もくれず、理事長の姿は跡形もなく消え去りました。


 元々理事長は敵だと思ってましたけど、今まで間接的な嫌がらせだったのが、これからは直で命を狙われることになりそうです。

 

 まあ、望むところではあるんですけどね。正々堂々とした勝負なら、いつでも受けて立ちますよ。


 あとは……、いたたまれないくらい落ち込んだセシルが少し心配ではありますが、別に友達でもなんでもない私にできることなんて、なにもありません。


「セシルー、元気出してよ。セシルにはアタシがいるじゃん? ね?」


 ローゼリアがぴたりとひっついて健気に慰めていますし、親友を自称する彼女に任せるのが妥当でしょう。なぜか彼女の表情が妙に嬉しそうなのが、気になるっちゃなりますが……。


「わっ、な、なんだ?」


 兵士さんのひとりがびっくり声を出したのでそちらへ目をやると、空間がぐにゃりと歪み、ミラさんとマリアンちゃんが現れます。


 転移の魔法。でも、エッグタルトへ一緒に飛んだはずのエリオン王子は見当たりません。


「あれ、もうこっち、終わってる?」


 小首を傾げたミラさんに、私は答えます。


「ええ、スラッドさんにはダウトがとりついていたんですが、無事退治は完了しました。それで……、エリオン王子は?」


 訊ねなくても、もう大方の予想はついていました。


「エリオン……、エリオンは……」


 なぜなら、マリアンちゃんの頬が真っ赤に腫れているからです。今もずっと、涙が流れ続けていて、ろくに話すこともできなくなっています。


「ミラさん。エリオン王子はやっぱり……」

「うん、なおった」

「そうですか……。でも、マリアンちゃんを身を呈して守ったんです。王子は理事長の傀儡なんかじゃなかった。王族としての誇りを最期まで持ち続け…………ん?」


 あれ?


 なんだかボタンの掛け違いが起こったような気が。私はさっきミラさんが言った内容を、頭のなかで反芻します。


「……なおった?」


 改めて訊ねると、ミラさんは無表情でこくりと頷きます。


「ばっちりなおしてきた。今はエッグタルトでぐっすり」


「うう……、ぐす、ぐすっ」

「じゃ、じゃあマリアンちゃんは、なんでこんなに泣きはらしてるんですか?」

「……嬉し泣き?」


 ま、紛らわしい!絶対死んだと思ったじゃないですか!


「ど、どうやって治したんだ? 【ブリムストーン】の毒には、薬も魔法も効かないはず……!」


 ミラさんの答えに衝撃を受けたのは、スラッドさんも同じです。


「うん、ミラの解毒薬も、マリアンちゃんの解毒魔法も効かなかった」

「だ、だよなあ!」

「だから魔法を無効化している成分を薬で中和した。そのあとマリアンちゃんの魔法でなおした」


 おお。なんだかさらりと言ってくれちゃいましたが、その発想にこの短時間で至って実行するの、はちゃめちゃにすごくないですか?


 要は薬も魔法も効かないから、そのふたつを組み合わせて治したってことですよね?


 調合の腕だけでも充分すぎるくらいなのに、そんなアイデアまで生み出せるなんて。


「ミラさんってほんと、天才のなかの天才!」

「……それほどでもある」


 ミラさんが少し屈んで頭を下げたので、意図を察して頭をよしよしと撫でてあげました。いやー、共同経営者として、実に誇らしいです!


「マジかー。俺っち自慢の魔槍が、一夜に2度も破られるなんて思わなかったぜ……」


 スラッドさんは仰向きに倒れましたが、その表情には安堵の笑みが浮かんでいます。


「彼女達の力により、魔人は倒され、エリオン王子は一命を取り留めた! 我らの完全勝利だ!」


 王様が叫ぶと、大広間は喜びの歓声と拍手に包まれました。


 こうして王国の危機は、ひとまず退けられたのでした。

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