謀略の彼方に

安江俊明

第1話

赤間幸雄はニューヨーク・オフィスでの仕事を終えると、すぐにはマンションに戻らず、街に出た。最近付き合い始めたジェニーを誘い、ブロードウェイでミュージカルを観たり、メトロポリタン美術館や近代美術館に足を運んだりした。

ジェニーはシカゴを離れ、ニューヨークでの生活を楽しんでいるようだった。昼間はスーパーのレジで働き、夜は好きなジャズを聞きにジャズ・スポットに出掛けているらしい。

「今度一緒にブルー・ノートに行きましょうよ。週末にすてきなバンドが来るの。モダン・ジャズがたっぷり聞けるわよ」

 ジェニーが電話口ではしゃいでいた。

「いいね」

「週末の都合はどう?」

「いいよ。じゃ土曜日にしよう」

 タイムズ・スクウェアの雑踏の中で赤間は携帯電話を切った。これで土曜日の予定が決まったぞ。手帳を取り出し、早速予定を書き込んだ。

十月も半ばに入り、夜になると次第に冷え込みが厳しくなっていた。ハローウィンの休暇が近付いていた。新聞広告にはホリデイの旅行プランが満載されている。ジェニーと何処か旅に出るのも悪くないな。そう思いながらカフェに入った。

カフェはミュージカルを待つ客で満席に近かった。ようやく席を見つけてコーヒーを注文し、バッグから新聞を取り出し広げた。その日はオフィスで事務的な処理が多く、満足に新聞も読めなかった。旅行プランの広告に眼を通し、ニューヨークのローカル記事の紙面を開いた時だった。ある見出しが眼に飛び込んで来た。

《日本人、遺体で発見。ロングビーチ沖。警察、殺人で捜査》

 日本人が殺された?

 赤間は早速記事を読み進んだ。


十六日未明、ニューヨーク州ロングアイランドのロングビーチ沖約一・五マイルの海上で日本人の漂流死体が発見された。所持品のIDカードなどによると、死亡したのは日本人会事務局員、北村光一さん(四十八歳)。死後約一日で、後頭部に弾痕があり、至近距離から拳銃で撃たれたのが死亡の直接的な原因と見られているが、北村さんの体には拷問されたと見られる跡が無数に残っているため、警察では慎重に死亡原因を調べている。日本人会水原会長によると、北村さんは一九七二年からマンハッタンにある日本人会事務局員として勤務していた。

 

北村君だ! 一体誰に殺されたんだろう。

赤間は大阪の本部オフィスに国際電話をかけて北村光一が殺害されたことを報告し、至急関連情報を集めるように指示した。赤間は「赤間機関」とも呼ばれる国際情報機関の代表を務めている。北村は表向き、日本人会の事務局員だが、裏では赤間傘下のグループ会社のスタッフとして働いており、赤間機関に対する挑戦ともとれる殺人事件と赤間には思えたのである。

 急いで新聞をたたみ、チップと料金をテーブルに置いて席を立った。人波をかき分けながら通りに出て、イェロー・キャブを拾い、日本人会館に向かった。

 会館の前でタクシーを降りると、会館の入り口から中の照明が煌々と前の暗い舗道に洩れ出していた。

 赤間はガードマンに事情を話し、中に入って行った。以前パーティが開かれた会場に入ると、仮の祭壇が設けられ、北村の遺影が飾られていた。遺影のそばの椅子には、会長の水原が憔悴し切った表情でうな垂れて座っていた。赤間は焼香し、正面から北村の遺影を見た。微笑んだ少し若い頃の写真のようだった。遺影に手を合わせ、水原の方を振り返った。

「水原さん」

 水原は、顔を上げたが、すぐにはわからなかった。

「九月の例会に寄せていただいた赤間です」

「ああ、あの時の。お友達をお探しでしたね。その後何かわかりましたか」

 水原はようやく思い出した。

「それがあの後一週間ほどして出会いました。その節は色々とありがとうございました」

 赤間が頭を下げた。

「そんなことより、北村さんは大変なことでしたね。先程やっと新聞で知り、そのまま駆けつけて来たんです」

 水原は会釈し、礼を言った。

「実は、北村君は先月十日から無断欠勤していました。その後も全く連絡がないので、日本人会として警察に捜索願を出していたんです。長年勤めてくれた北村君がこんな形で亡くなるなんて、今でも信じられません」

「そうなんですか。全く知りませんでした。北村君は実はわたしが代表を務めている会社にも関係していましたので、他人事とは思えず、寄せてもらいました」

「そうなんですか。そういうことは今初めて伺いました」

 赤間は水原の隣に腰を降ろした。

「北村さんのご家族は?」

「明日早々ご両親がニューヨークに来られます。北村君の遺体は完全に検死が終わっていないとかで、まだしばらくは警察預かりになるようですが、最終的にはご両親の手で日本に運ばれることになります」

「北村さんの実家はどちらですか?」

「京都です」

「そうですか。いや、わたしも実は京都なんです」

「そうでしたか」

「北村さん、ご結婚は?」

「彼は独身でした。申しわけありませんが、殺人事件ということでマスコミが大勢押しかけて対応に追われ、ひどく疲れました。今日はお引取り願えませんでしょうか」

「失礼しました。それでは」

 赤間は席を立った。


マンションに戻り、寝巻きに着替えて電気を消し、ベッドに仰向けに寝転んだ。北村のことが頭を離れなかった。大阪にある赤間機関の本部からニューヨーク・オフィスの立ち上げのためやって来て、まだ二ヶ月なのに、次々に身の回りで大事件が起こり、人との出会いが続いている。

WTC・ワールドトレードセンターに続くGターミナル爆破テロ。恋人リサ・マイルドとの出会い。大学紛争で当時の恋人を奪った活動家・国吉英雄との奇妙な再会。赤間はサイド・テーブルに手を伸ばし、スポットライトを点けた。壁に掛かっているポートレートが暗い部屋に浮かび上がった。

「リサ。お前が一緒ならどんなにいいだろうな」

 赤間はポートレートを見つめながらリサの遺影に微笑んだ。


赤間がリサと知り合ったのは、ニューヨークに来てから間もなくのことだった。初めて住むことになる大都会の隅々を見てやろうと、まず手始めに市内観光のバスに乗った。エンパイア・ステートビル、自由の女神像、タイムズ・スクウェア、フルトン・マーケット、チャイナ・タウン、リトル・イタリーなど御上りさん観光とも言われるコースを見て回った。その時立ち寄ったのがWTCだった。余りにも目まぐるしく歩き回ったので少々疲労感を覚えていた赤間は、最上階近くにあるレストランに足を運んだ。モダンな感じのする広いレストランの窓際にあるテーブルにひとり座り、階下の展望を楽しんでいると、ウェイトレスが注文をとりにやって来た。それがリサだった。

「何にしますか」

 美しいネイティブの英語だった。

 赤間は、栗毛を頭の後ろで束ね、ライト・ブルーの制服を着こなしペンを握って注文を待つリサの誠実そうなブルーの瞳、愛らしい口元を一遍に気に入ってしまった。

「何にしようかな」と、思わず日本語が出た。

 すると、リサの口から日本語が返って来た。

「あなたはニホンジン?」

「驚いた。あなたは日本語を喋るんですね」

「ええ、わたし日本に住んでいたことがあるんです」

「そうなんですか! 赤間幸雄と言います。よろしく」

 赤間は立ち上がり、ぺこりとお辞儀をした。

「わたしはリサ。リサ・マイルドです」

「リサか。いいお名前ですね」

「ありがとう。あのう、ご注文は?」

「ああ、ごめん。ソーリー。えっと、コーヒーをひとつ」

「わかりました」

 そう言うと、リサは微笑んで立ち去った。

 一目惚れっていうやつかな。赤間はひとりで微笑んだ。コーヒーが運ばれて来た。

「リサ、お願いがあります。今お会いしたばかりで大変失礼なのですが、これも何かのご縁です。もしあなたにフィアンセや旦那さんが居なければ、という条件付きですが、一度日本の話なんかを聞きたいのでお食事にお誘いしたいのですが・・・・・・」

 リサは一瞬面食らったようだったが、微笑みながら了解した。

「これが今泊まっているホテルです。お暇な時に電話いただけますか。待っています」

 リサはメモを受け取った。

 

 ホテルに戻り、赤間は部屋で熱いシャワーを浴びた。裸身を流れ落ちる熱湯のほとばしりで、その日一日の疲れが吹っ飛んでいくような感じがしていた。ガウンを着て、部屋の椅子に腰掛けて煙草を吸っていると、リサの顔が浮かんだ。赤間は自分の大胆さに苦笑した。

 何と図々しい。初対面でガイジンの女にデートを申し込むなんて、今までの俺には考えられないことだ。自分の気持ちを思ったとおりに率直に表現するというアメリカ、いやニューヨークの為せるわざなのだろうか。それにしても・・・・・・。

 いささか後悔もした。付き合うことにでもなれば、面倒くさいことも出てくるだろう。独り身の気楽さもなくなるかも知れない。しかし、その種を蒔いたのはこの俺だ。

 ええい、ままよ。どうせ当分日本に帰るあても無い。このニューヨークで日本とは違う自分を探してみよう。

 そう思い切ると、後悔は何処かに消え去った。

部屋の窓の閉め切ったカーテンの隙間から街のネオンの灯りが差し込んでいた。突然、パトカーの甲高いサイレンが聞こえ、急発進して走り去る車の騒音が響いた。

 もう少し静かなホテルに越そうかな。

 赤間は窓の分厚いカーテンにもたれ掛りながら、パトカーの走り去った通りを眺めていた。

     

リサからの電話はなかなか架かって来なかった。赤間は半ば諦めの境地だった。

見知らぬ男の誘いに簡単に応じるほどニューヨークの女はバカじゃなかろう。大都会で暮らす女は抜け目がないはずだ。微笑をふりまいて、メモを受け取りはしたが、それは社交辞令だったのだろう。

 そう思うと、急に馬鹿ばかしさに襲われた。俺はやはり間抜けなお人好しなんだな。

 

赤間は契約したばかりのオフィスに通い始めた。マンハッタンの中心街・ミッドタウンに聳え立つ摩天楼の五十階にある。

窓から隣の高層ビルを眺めていると、世界一の大都会マンハッタンがその広がりを見せている。

 ある夜階下のピアノ・バーで酒を飲み、ホテルに戻るとレセプションで呼び止められた。メッセージがあるという。受け取ってメモを見ると、リサからだった。

 明日の夜七時に、ホテルに伺います。もし都合が悪ければ、以下の携帯電話に連絡下さい。メモには電話番号が書いてあった。

 やはり、覚えてくれていたんだ。赤間は心のもやもやが一気に吹っ飛んだような気がした。

 何処で食事しようかな。このホテルのレストランが無難だが、もうひとつムードがない。か、と言ってまだ色々といいレストランは知らないし。そわそわし始めた自分が可笑しかった。

 レセプションに行き、周辺のレストランを尋ねてみた。担当者は嫌な顔もせず、ボール・ペンで地図にマークを入れながら幾つかのレストランとその特色を説明してくれた。


 翌日の夜、約束通りリサはホテルにやって来た。ベージュのワンピースにブラウンのハンドバッグを右腕に掛け、首には十字架のぶら下がったシルバーのネックレスが輝いていた。豊かな胸の谷間が眩しい。最初に出会った時よりも、ずっと大人びた感じがする。

「やあ、お久しぶり。本当に来てくれたんだね。嬉しいよ」

 赤間はリサの微笑を胸一杯受け止めていた。

「この近くにいいレストランがあるんだ。そこで食事をしよう」

「まあ、嬉しいわ」

 二人は夜の街へと繰り出していった。

 選んだのは落ち着いた感じのするフランス料理店だった。案内された、奥まったテーブルの壁にはスポットライトを浴びたニースあたりの漁港の風景を描いた絵画が掛かり、テーブルには可憐な花を飾った花瓶とキャンドルが置かれていた。二人が席に着くと、ウェイターがキャンドルを灯した。

「ほんと、すてきなレストランね」

 リサがあたりを見渡しながら言った。

「実は俺もここに来るのは初めてなんだ。ホテルで紹介してくれたところだよ。気に入ってくれてよかった」

 ウェイターが注文を取りに来た。二人はまずワインを注文し、コース料理を頼んだ。運ばれて来たワイン・ボトルにOKを出してから、赤間が切り出した。

「リサはニューヨークの人?」

「ええ、生まれも育ちもブルックリンよ」

「そうか、生粋のニューヨーカーなんだ」

「ユキオの出身は日本の何処なの」

「京都だ。生まれも育ちも」

「キョートはわたしも日本にいる頃は何度か行った。Ancient capital of Japan(日本の旧都)よね。お寺とか神社が多い歴史を感じさせるところね。わたし好きよ」

「日本に居た頃は何処に住んでいたの?」

「カナザワ」

「へえ、金沢か。北陸のキョートだ。どうして金沢に住んだの?」

「亡くなった父が昔金沢の金箔の世界に憧れて一年ほど金箔の先生について修行をしたの。その頃はわたしもまだ中学生だったから、母親と弟の一家四人で日本に行ったの」

「そうだったのか。それで日本語がしゃべれるんだね」

「でも今から二十年ほど前のことだし、それから使う機会も殆どないから、大分忘れちゃった」

 ワイングラスを持ったまま、リサが微笑んだ。頬がほんのりと赤くなっていた。

「お父さんは何故金箔の世界に?」

「父はその頃五番街でアート・コレクションの店を開いていたの。ある日カナザワの金箔師が訪ねて来たのよ。年配のおじさんだった。父の店に金箔の作品を置かせてくれないか、という話だった。父はその人が持参した作品を見て、金箔の魅力に取り付かれた。早速その人と商談に入り、店に置くことになった。ニッポンの金箔は新しもの好きのニューヨーカーの間で評判になり、雑誌にも取り上げられて父の店も有名になった。そのうちに父は自分も金箔作りを勉強したいと思い始め、おじさんに頼んで金箔工芸の研修にカナザワに行くことになったわけ」

「そうだったのか。でも、金箔はぼくも詳しく知らないけど、一人前になるにはとても難しいはずだ。お父さんはどうされたの」

「初めは半年で本当の基礎だけを学ぶつもりだったけど、父は実際の工程を学ぶうちに興味が増して、結局一年も居ることになった。店の方は叔父に任せてね」

「それで君も一年金沢で過ごすことになったわけか」

「そう。その間にキョートにも出掛けたわ。一家で金箔を張り巡らした金閣寺を訪ねたり、茶道の美術館で金箔を施された茶碗を見たりした。わたしもすっかり金箔のとりこになったの」

リサはそう言って微笑んだ。

「一度お父さんの店に連れて行ってくれないか?」

「いえ、父はもう亡くなって、店も人手に渡ったの」

「そうか。それは残念だな」

「わたしの身元調べはこのくらいにして、次はあなたの番よ。日本にいる頃商社に勤めていたと言ったじゃない。どんな仕事をしていたの?」

「そら色々やったさ。生き馬の眼を抜くニッポンの商社マンだったからな」

「例えば?」

「東南アジアのフルーツの買い付けでしょっちゅうタイやインドネシアに行った。扱った商品はフルーツに限らずごまんとある。マイクロ・エレクトロニクス関係の商談でニューヨークにも何度か来たよ」

「マイクロ・エレクトロニクス?」

「君には余りわからないコンピュータ関連の話さ。アフリカで産出するブルー・ダイアモンドって知っているかな?」

「いいえ。何なの、それ」

「ブルー・ダイアモンドのあるタイプはマイクロ・エレクトロニクスに応用できる重要な半導体としての性格を持っているんだ。半導体は、低温では電流を殆ど流さないが、高温になるにつれて電気の伝導率が増していく。その原理を応用してブルー・ダイアモンドを使い、様々なマイクロ・エレクトロニクスへの応用範囲を広げて最新鋭のコンピュータなどを開発しようというものだった。しかし、それに利用できるブルー・ダイアモンドは稀で、なかなか鉱脈が見つからない。でも、それを見つけて権利を取れば、スーパー・コンピュータ開発の最前線で勝利できる。どのコンピュータ・メーカーもそのノウハウを喉から手が出るほど欲しがっていた。だから、それを提供すれば莫大な利益が転がり込む。もう商社を離れたから言うけど、ある時ブルー・ダイアを探せという極秘指令が出て、アフリカに乗り込んだこともあった」

「見つかったの、そのダイアは?」

「まあ、その辺は想像に任せよう」

「商社を辞める時、仕事関係で知り得た情報はどうするの?」

「それはものによる。手元に持っているのもあるし、商社に置いてきたものもある。何故?」

「極秘指令なんて言葉を聞くと、まるでスパイみたいで、すごく興味が湧いたから」

 リサはウェイターに注がれたワインを口にした。

「でもこれからは光の時代だ。マイクロ・エレクトロニクスにしても光のスピードには適わない。レーザー光線などが電気や電子の世界、それに石油などを飛び越えて、エネルギーのトップに踊り出る時代が来る。その時代には光ファイバーや半導体の役目を果たすダイアモンドの加工技術など全く新しいテクノロジーが必要になる」

 いつの間にか赤間の大学時代の話になった。

「当時は世界的なベトナム反戦のうねりが押し寄せて、日本でも反戦や反帝国主義のスローガンを掲げた学生運動が起こった。運動は次第にエスカレートし標的は大学自体に向けられた。過激派の活動家連中がキャンパスにバリケードを築き、建物を封鎖して立てこもった。彼らは大学解体を叫び、大学当局の要請で封鎖を解こうとする機動隊と衝突した」

「キドータイ?」

「ライアット・ポリス。騒乱を鎮圧するための警察部隊のことだよ。投石物から顔を守る透明のガードがついたヘルメットを被り、制服の上にプロテクターを身にまとって、ジュラルミンの楯を持っていた。過激派学生は機動隊を国家権力の手先と呼んで、事ある毎に睨み合い、火炎瓶や石を投げつけた」

リサはワインを口中で味わいながら話を聞いていた。

「俺は過激派学生の運動に反対だった。大学は学問をするところだ。その場を破壊するのは許せない。授業を再開することを主張したが、ナンセンスの一言で片付けられた。多勢に無勢、随分くやしい思いをしたよ」

「ユキオの主張はその人たちと違ったかも知れないけれど、自分の意見をはっきり伝えたんだから、それでいいじゃない。それをとやかく言う権利は他の人にないわよ」

「俺にナンセンスという言葉を浴びせ掛けた同期生がいた。国吉英雄と言うんだが、今奴のことを思い出した」

リサの瞳が一瞬赤間の視線から逸れた。

 二人はレストランからホテルに場所を変えた。ホテルの部屋で水割りを作り、寛ぎながら、リサは国吉の話を蒸し返した。

「クニヨシ・ヒデオはどんな人だったの?」

 冷ややかな表情で、リサが尋ねた。

「同じ文学部だったけど、過激派の国吉とノンポリの俺は思想的に激しく対立していた。個人的にも許せないことがあったが、何処か気になる奴だったんだ。いつの間にか大学をフェイド・アウトして、海外に出たという噂を聞いた。アジ演説では世界同時革命を目指す同志と連帯するというのがあいつの口癖だった」

「クニヨシはニューヨークにいるの?」

「わからない。何しろ卒業から三十年近く経っているからね」

「じゃ、それから一度も会っていないのね。もし、万一クニヨシとマンハッタンで出会うことがあれば、紹介してよ」

「それは構わないけど、あまり会いたくない」

「個人的に許せない、って言ったけど、それはどういうことなの。訊いていい?」

「余り喋りたくないんだよ。昔の女の話だから」

「だったらいいわ」

 リサはウィスキーをぐっと飲み干し、潤んだ表情を向けた。そして、赤間の体に腕を回し耳のあたりを唇でまさぐり始めた。

 赤間はリサを軽く押し留め、服を脱いだ。リサもTシャツとジーンズを脱いで、もう一度赤間の体に抱きついた。二人はお互いの匂いを嗅ぐように唇を重ね合った。もつれ合いながら、赤間は、リサが国吉の名前を聞いた瞬間に見せた眼の表情の変化が気になっていた。

二人はホテルから人影のまばらな舗道に出た。

「それじゃ、わたしここらで失礼するわ。ここから歩いて数分のところにアパートがあるの」

「家の前まで送っていこうか」

「大丈夫よ。今日は楽しかった。ごちそうさま。それじゃね」

 リサは赤間と握手し、振り返りながら立ち去って行った。

 マンハッタンで一人暮らししているのだろうか。

 赤間はきびすを返した。

 暗い舗道で背後から近付く足音を感じていた。リサは足を速めた。すると、背後の足音も速まった。暗がりで突然後ろから羽交い絞めにされ、口を手で押さえ込まれた。声が出せない。リサはもがきながら、歯で相手の指に思い切り噛み付いた。男の悲鳴が夜の闇に響き渡った。男はハンドバッグをもぎ取り、リサを押し倒して逃げようとした。突然男のうめき声が響き渡った。倒れて起き上がろうとするリサの眼の前で白人の若い男が気絶して倒れていた。男のそばに別の男が短い警棒のようなものを持って立っていた。

「ユキオ!」

リサが赤間の顔を見つめた。

「何か胸騒ぎがしたのさ。だから、君の後をつけてきたら、こいつが君に襲い掛かるのを見たんだ」

「その棒は護身用なの?」

 リサが赤間の手元を見つめた。

「うん、ニューヨークはとても危険なところと聞いていたので、用心のため持ち歩いているんだ」

「ありがとう、助かったわ。あの男が拳銃を持ってなくて本当によかった」

 二人は顔を見合わせて微笑んだ。

「さあ、家の前まで送ろう」

 赤間はハンドバッグを拾い上げ、リサの肩を抱いて歩こうとした。

「わたしは本当に大丈夫。じゃあ、失礼するわ」

 リサは手を振りながら逃げるように舗道を駆けて行った。

 まだ付き合いの浅い男に自分のアパートの所在を知られたくないのだろう。

 赤間はそう思いながら、ホテルに戻って行った。

      

 赤間はその後もリサと会った。その日は、ようやく手ごろなマンションを見つけ、契約をした日だった。ホテルから荷物をまとめて転がり込んだマンションは、国連ビルに程近いセカンド・アベニューから少し西に入ったところにあった。ようやくホテル暮らしから解放されて、ベッドに横たわりまどろんだ時、寝間着のポケットの中で携帯電話が震えた。ベッドから起き上がり、携帯を取り出し電話に出ると、リサの元気そうな声が聞こえた。

「今何処?」

 赤間は眼を擦りながら、白髪の目立つようになった頭を掻き上げた。

「マンションだよ。さっき越したばかりだ」

「そう。良かったわね。あのホテルは宿泊料が高いから。ところで、今夜はどう? 何処かで食事しない?」

「いいよ。何処に行こうか」

「ソーホーにいいイタリアン・レストランがあるの。パスタが最高」

「君に任せるよ」

「わたしもうすぐ仕事が終わるから七時にそのレストランで会いましょう。ウェスト・ブロードウェイとスプリング・ストリートの交差点をすぐ南に入ったリストランテ・モレッティよ。じゃあね」

「ちょっと待ってくれ。もう一度ストリートと店の名前を・・・・・・」

 リサはもう一度ゆっくりと通りの名前と店名を言うと電話を切った。

そのリサと国吉の関係に赤間は関心を持っていた。それは大学時代国吉に恋人を奪われ、またニューヨークでもリサという恋人を国吉に取られるのではないかという強迫観念から発していたのかも知れなかった。

赤間は初めて日本人会を訪れ、パーティに参加した時のことを脳裏に浮かべていた。

国吉についての情報が掴めないだろうかというのが、シュンタローが日本人会を訪れたきっかけである。 

会場にはイブニングドレスで着飾った女性会員の姿があった。スーツ姿の年配者もいる。赤間は見知らぬ日本人を遠まわしに眺めていた。

会長が型どおりの挨拶をした後、皆で乾杯し幾つかの丸テーブルに別れ、用意された日本食をつまんだ。

マンハッタンに来てから、赤間の人間関係は、ニューヨーク・オフィスでの接客とプライベートでのジェニーとリサとの付き合いに限られていた。

か、と言って、新たな人間と知り合いになるのも煩わしい。そう思いながら、赤間は握り寿司をつまんでは、手酌でビールを飲んでいた。

「初めてお越しですね。会長の水原です」

 会長が話しかけて来た。見知らぬ会員に一応の愛想をふりまいておこうということだろう。赤間は咄嗟に思い切って国吉のことを訊いてみた。

「国吉英雄さんですか。ううん、その方は会員ですかな?」

「いや、それもわかりません」

「おい、北村君」

 会長が少し離れたところで立ち話をしている中年男に声を掛けた。北村と呼ばれた男は、赤間よりも少し若い感じに見えた。会長が耳元で囁くと、北村はちらりと赤間の顔を見てから、急いで会場を出て行った。

「ひょっとして記録があるかと思い、今事務局の者に調べに行かせましたので、少々お待ちください。赤間さんでしたかな、ニューヨークに来られてどれ位になりますか」

「まだ半月ほどです」 

 しばらくすると、北村がカードを持って戻り、会長に手渡した。会長は眼鏡を取り出しそのカードに眼を通した。

「おっしゃる国吉さんは、ここの会員だったことがありますね。ふむふむ、記入項目には抜けたところが随分ある。これでは余り役立ちませんな」

 赤間は水原からカードを受け取り、記載事項を見た。

 確かに名前は国吉英雄だ。住所はマンハッタンとしか書かれていない。電話番号の欄は抜けている。職業欄にも記載がない。しかし、備考欄に小さな文字で「一九七三年A大学文学部卒」とある。国吉は、大学は卒業していないが、A大文学部は俺と同じだ。文学部同期で国吉姓はあいつだけだ。間違いない。国吉はニューヨークに居たんだ。

「申請の日付がありませんが、これはいつ頃作成されたものかわかりませんか」

「ファイルの整理棚の年代からしますと、一九七三年頃に入会申請されたかと思います」

 北村が答えた。水原は隣のテーブルに居場所を移し談笑していた。

 あいつは俺が卒業する前の年に海外に出たはずだから、一九七二年か。すると、とにかく日本を離れて一年たった頃ニューヨークに居たことは間違いない。まだニューヨークにいるのだろうか。

「勿論今は会員じゃないわけですよね。退会届は出しているのでしょうか」

「いえ、それはわかりません。何しろ、住所など連絡先がきちんと書かれていませんので、当方としても確認のしようがありませんし。年会費の振込みがなければ、退会と見なしますしね」

「こちらでは今までのパーティ出席者の名前は保存されていますか」

「実際に出席いただいた方のご芳名のリストはありますが・・・・・・」

「申しわけありませんが、それを見せていただくことは?」

「構いませんが、何しろ会は創立が古いものですから少々分厚い資料になっていますので、部屋に来ていただけますか」

 赤間は北村の後について事務室まで足を運んだ。

「赤間さんは国吉さんのお友達ですか?」

 北村が訊いた。

「大学の同期生です。北村さんは、日本人会は長いんですか?」

「ええ、もう二十九年居ります。大概の日本人なら知っていますが、国吉という人は知らないなあ」

赤間は一九七二年頃からのパーティ出席者のリストを隅々までチェックしていった。

「あった!」

 国吉の名前が一九七三年五月十五日に開かれたパーティ出席者リストに載っていた。念のためその後のパーティも全て調べてみたが、そのパーティだけだった。

北村の紹介でその日の出席者に手当たり次第国吉のことを尋ねてみたが、誰一人国吉を知る者はいなかった。

 国吉の動静についてそれ以上日本人会では情報がなかった。だが俺の勘では、リサは国吉を何らかの形で知っているような気がする。

 赤間はソーホーの雑踏の中を歩いている自分に戻った。

ソーホーを歩いたことはあったが、いざと言うと場所がはっきりわからない。メモ書きをもとにマンハッタンの地図でその交差点を探してみた。大まかな地図なのでよくわからない。赤間は以前ソーホーで買った地区のガイド・マップを思い出し、バッグから取り出した。今度はすぐにわかった。地図を見ているとジャパニーズ・レストランもある。  

しばらく寿司バーにも行っていないので、会う場所を変えたい気もしたが、今夜はリサご推薦の店にしよう。

 マンションを出掛ける前、受付の年配の肥ったガードマンに予備のドア・キーを渡して来たのを思い出した。電話工事があると聞いていたのだった。

マンションを出て角を曲がろうとした時、通りの向かいに電話会社の軽トラックが停まったのを覚えている。サングラスをかけた男が二人降り立ちアパートに入って行った。

 電話工事はうまく行ったのだろうか。

 事実はこうだった。男の一人が入り口に座っているガードマンに声を掛けた。

「B号室の電話工事に来たんだ。今日入居があった部屋だ」

 ガードマンは二人の人相風体をじろりと見た。

「あいよ」

 ガードマンはデスクの引出しから赤間から預かったばかりのキーを男に放り投げた。そしてデスクの上に両足を乗せ、でっぷりとした腹を撫でながら制服の胸ポケットから煙草を取り出し、火をつけた。

 男らは赤間の部屋に向った。部屋に入ると二人は顔を見合わせて頷き、持って来たリモコン操作のカメラ・モニターを箱から取り出した。そして、モニターを外からは見えないように隠してセットし、携帯で外部と連絡を取った。

「テストOKか? よし。完了だ」

 もう一人の男は電話機を取り付け、盗聴器を細工した後、赤間の荷物やクローゼットを開け、何かを探していた。

「おい、それらしいものは見つからんぞ」

「よし、とりあえず引き揚げよう」

 男らは急いで部屋を出て行った。

 軽トラックの後部座席には手足を縛られ、猿轡(さるぐつわ)をされた電話会社の技術者がぐったりとして転がっていた。軽トラックは急発進し猛スピードで通りを走り抜けて行った。

 約一時間後、軽トラックは大西洋を望むロングアイランドの絶壁近くで停まった。辺りに人気はなかった。男らは薬を飲まされて気絶したままの技術者の手足それに口からロープと猿轡をはずした。そして技術者を助手席に座らせ、ひとりの男がハンドルを握り、車を絶壁に向けて発進させた。男は絶壁の手前で開け放していたドアから地上に飛び降りた。加速度のついた軽トラックは、周りの低木をなぎ倒しながら技術者もろとも絶壁から海に転落して行った。男らは近くの道路で二人を待ち受けていた黒塗りのフォードに乗り込んだ。

      

  モレッティはすぐに見つかった。店の前にあるテーブル席にはカップルらしい男女がビールを飲みながら語り合う姿があった。まだ約束の時間には早かったので、赤間は付近を歩いてみた。

 ギャラリーが軒を連ねている。世界に向けて最先端の芸術を発進するニューヨークの拠点だ。

ある日本人作家は、ニューヨークのシンボル、ビッグ・アップルを踏まえて、アップルの半分は最高の芳醇さを誇り、あとの半分は腐り切っていると表現した。このあたりは芳醇な香りを放っている地域に入るのだろう。通りを歩くアーティスト風の若者は、最新のアートを生み出すソーホーの空気を胸一杯吸い込もうとしているような気がした。赤間もその空気を呼吸してみたい気分にかられた。

 俺もいい歳になった。彼ら若者からすれば、ニッポンの団塊世代の端くれはどんな風に見えるのだろう。何処となくしょんぼりとした初老の姿に映るのだろうか。

 しかし、俺はまだ負けない。住まいも確保できたし、リサとも付き合い始めた。仕事も何とか軌道に乗りそうな見通しも出来かけている。もう一花も二花も咲かせてやろう。赤間は腕を思いっきり伸ばして、深呼吸した。

「何してるの」

 声の方を振り返ると、Tシャツにジーンズを穿いたリサの姿があった。赤間は微笑を返した。

「この街で君に出会えた幸福を噛みしめているのさ」

 日本では思いつきそうもないセリフが口をついて出た。

「まあ、すてきな言葉をありがとう」

 リサは赤間の腕に自分の腕を絡ませて、レストランに足を向けた。

 二人は店の中庭にあるテーブル席に腰を掛けた。案内したウェイターが小脇に抱えていたメニューをそれぞれに手渡し、注文を待った。

「白ワインをグラスで頂戴」

 リサが言った。

「俺もそれだ」

「それとリングウィニ・パスタを二人盛りお願いね」

 ウェイターはすぐに調理場への連絡に走った。

「どう? 新しい住まいは」

「うん、こじんまりとはしているが、なかなか気に入ったよ。一人暮らしには申し分ない。買い物にも便利だし、安全面も良さそうだから」

「それは良かったわ。わたしにもいつか見せてね」

「ああ、大歓迎さ」

 赤間は「今夜でも来る?」と言いかけて、とっさに言葉を飲み込んだ。

「レストランはどうだい? 忙しい?」

「昼間は忙しかったわ。日本人観光客の団体の予約が入ったの。旅行社の扱う団体予約がよく入るのよ。何しろニューヨーク最高のビルでしょ。第二タワー屋上の展望台からマンハッタンを眺望して、第一タワーでうちのランチを食べるというのがコースになっている場合があるのよ。今日は、その日だったから」

「もうどれ位勤めているの?」

「二年ほどになるかな。前は六番街にあるハンバーガーショップで働いていたの。ジャンク・フードのハンバーガーじゃないわよ。飛び切りおいしい本物のハンバーガーよ。マンハッタンでは一番伝統のあるお店のひとつで、そこの従業員は地元の古株が多くって、ニューヨーカー・アクセントの英語を話すの」

「へえ、一度行きたいな」

「わたしが休みの日に案内するわ」

「君と知り合えて色んなところに行ける。ニューヨークのビギナーにとってはあり難いことだ」

「折角こちらで暮らしているんだもの。充分本物を楽しまなくっちゃ」

 そう言って、リサはパスタを口にしながら微笑んだ。

「このパスタすごくおいしいね」

「マンハッタンでも最高のパスタの店だもの。ワインもおいしいし」

 リサはグラス・ワインのお代わりを注文した。顔がほんのりと赤みを帯びていた。


 食事を終えて店を出た頃、あたりはすっかり夜の帳が降りていた。

「何処かに行かない? もっとお酒が飲みたい気分だわ」

 リサが体に腕を回して来た。豊かな胸の感触と香水の甘酸っぱい香りがした。赤間はどぎまぎした。リサは静かに眼を閉じて、唇を求めた。果たして俺はリサの何人目の男なのだろうか。そう思いながら、リサと唇を重ねた。ワインの香りが鼻をついた。


 気が付くと、リサと抱合いながら越して来たばかりのマンションの前に立っていた。ソーホーで拾ったイェロー・キャブの運転の荒さで、酔いが余計に回った感じがしていた。 

 リサは肩に顔を持たせかけて、アパートの入り口の方を眺めていた。

「ここが新しい住まいなの?」

「そうだ。どうする? 中を見てみるか?」

 リサは黙って頷いた。

「俺の部屋にはまだ酒がないんだ。セカンド・アベニューに出て買ってこようか」

「いいわよ、お酒なんか。早く中に入りましょうよ」

 リサが腕を引っ張った。赤間に気付いたガードマンは軽く会釈をしたが、その眼は直ぐにリサの方に注がれた。

「お友達ですか」

 ガードマンが眉を少々しかめながら尋ねた。

「イエス!」

 赤間はわざと陽気に言った。リサはガードマンを無視して、赤間を急がせた。

「電話工事は来たかね?」

「へえ」

 ガードマンがキー返した。

 部屋に入ると、リサは床に倒れ込んだ。

「おいおい、大丈夫かい?」

 赤間は灯りをつけてから、リサの肩に手を掛けた。

「大丈夫」

 リサは起き上がり、がらんとした部屋の壁にもたれ掛った。

「水を飲むといい」

 赤間はキッチンに走った。コップに水を汲んで渡そうとすると、リサは眼を閉じていた。Tシャツから直の胸の膨らみが眼に飛び込んで来た。

 リサはそのまま眠り込んでしまった。赤間も肩に腕を回したままで、いつの間にか眠っていた。

 どれ位時間が経っただろう。赤間が眼を覚ますと、バスルームでシャワーの音がしていた。時計を見ると、午前二時を回っていた。シャワーの音が止まり、ドアが開く音がした。 

バスタオルを体に巻いたリサが出て来た。

「ごめんなさい。バスタオルを借りたわよ。あなたもシャワーを浴びたら」

 リサは後ろ向けになって、バスタオルを体からはずし、濡れた栗色の髪を拭き始めた。しなやかな後ろ姿の裸体が露になっていた。赤間はゴクリと唾を飲み込んだ。身近で若い女の裸体を見たのは何ヶ月ぶりであろうか。

前回の相手は商売女だった。日本を発つ前、地方の温泉に出掛けた。その時温泉旅館の部屋に女を呼んだ。目前のリサの肢体とは似ても似つかぬ、関取のような女だった。上に乗られたら、押し潰されるのではないかと思った。

「何をしているの。シャワーには入らないの?」 

リサが振り返って、こちらを見ていた。バスタオルで胸を押さえているが、下腹部から髪の毛より数段黒い茂みが覗いていた。

「よし、俺も入ろう」

 リサの眼を背後に感じながら、衣服を脱いだ。そのまま後ろを振り向かずに、バスルームに入った。栗毛と茂みの毛が数本、排水溝に流れ込まずに床にくっついたままになっていた。

 湯の温度を下げて、全身にボディ・シャンプーを塗りたくり、頭から一気に冷水シャワーを浴びた。泡が勢い良く排水溝に流れ込んで行った。

タオルを前に当てて部屋に戻ると、リサはバスタオルを放り投げ、全裸で近付いて来た。赤間は思わずタオルを落とした。

「あら、なかなか立派なシンボルじゃない?」

 リサが抱きついて来た。二人は部屋の床に横たわり、激しく求め合った。

 その背後で密かにカメラ・モニターが作動していた。アパート近くのモニター・ルームでは男が二人、画面を食い入るように見つめていた。

「こんな生のセックスを覗けるとは役得だな。これから毎晩楽しみだ」

 二人は緩みっぱなしの顔を見合わせた。

 

赤間はリサとの合体を終えて、裸のまま背後からリサの胸に手を回していた。

「少し疑問に思っていることがあるんだ」

 赤間が切り出した。リサは心地よい気分を邪魔された表情を浮かべた。

「何なの? こんな時に」

「君は国吉を知っているんじゃないか?」

 短い沈黙があった。

「何よそれ、どういう意味なの?」

「こないだ日本人会に行って来た。北村さんという事務局員の人に手伝ってもらって調べたら、国吉は確かにニューヨークに居た記録が残っている。今から二十八年も前にね」

「わたしが七歳の頃の話だわ。そんな人知っているわけはないでしょ。そのキタムラとかいう人は、日本人会は長いの?」

「もう三十年近いベテランだ。日本人や日本の情報に詳しい」

「その人でもクニヨシのことは知らないの?」

「知らないそうだ。話は戻るが、こないだ俺が国吉の名前を出した時、君の目の表情がほんの一瞬だったけど変化したのに気付いた。顔色は全く変らなかったが、何かに驚いたような印象だった。それを俺に気取られてしまったと思った君は、直ぐに平静を装ったような感じがした」

 リサの顔に当惑の表情が走った。

「一体何が言いたいのよ。もしそうだとしたら、どうだと言うのよ」

「国吉には昔女性で酷い目にあったことがある。もし彼の事を知っているなら、正直に君との関係を話して欲しいんだ」

「わたしとの関係? どういうことかしら。私がクニヨシの恋人だったとでも言いたいわけ?」

「俺はこれからも君と付き合いたい。だから秘密は嫌だ。相手が国吉なら尚更のことだ」

「詰問されているみたいで、非常に不愉快だわ。わたし帰る!」

 リサが立ち上がり、服を着始めた。

「待てよ!」

 赤間は引き止めようと、リサの腕を後ろから引っ張った。リサはそれを振り解いて、服装を整え、部屋を出て行った。

 怒らせてしまったな。赤間は少々言い過ぎたことを悔いた。でも、リサが国吉について何かを隠そうとしているような様子が気がかりだった。リサは、国吉が俺の知り合いとわかり、国吉との関係を必死に隠そうとしたのではないのか。そんな感じがしていた。

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