3LDKのサバイバー達

狐崎灰音

第1話「よくある朝」


 目が覚めて起きる。

時刻は4時。もちろん午前の4時だ。

 ジジババかよ、と思いながら私はコーヒーを淹れるべくそっと部屋を出る。

 万年床のオタク部屋を後にして台所に立つと棚から挽いたコーヒー豆とドリップポットを取り出す。

 そろそろ同居人が帰って来るかな? と思いながらケトルに湯を沸かす。

 

 コーヒーを淹れる作業は繊細だ、湯の温度一つでも味の良し悪しは決まってしまう。

湯が沸いたら、一度ケトルからポットに湯を注ぎ、もう一度ケトルに注ぐ。

こうすることによってお湯が丁度いい温度になるのとポットが温まるのだ。

 次にコーヒー豆を抽出分ドリッパーに平らに均しながらポットの上にセットする。

先ずは、蒸らしだ。

コーヒー豆全体にいきわたるように湯を注いで30秒蒸らす。

 次に、抽出。

気を付けなきゃいけないのは湯を注ぐときは細く「の」の字を書くように慌てず焦らず注ぐこと。

そうしないと良い抽出が出来ないのだ。

 最後に気を付けることが一つある。

コーヒーは最後の方になるにつれて雑味が増す。

だから、必要な分の抽出が出来たらさっさとドリッパーを外し豆を捨てる。

 コーヒーにおけるゴールデンドロップは、最初の一滴と言っても過言ではないのだ。


 さて、こうして、今日のコーヒーが立て終わったわけだ。

 すると、玄関の方から小さな声で

「ただいまー」

と、声がした。

 御前様のお帰りだ。


「お帰りー、ほむほむ」

「ただいま、あきら」

ハイヒールをコトコトと脱ぎほむらが帰って来た。

彼はキッチンを覗くと何か軽くつまみたいのだろうか、冷蔵庫からチーズを見つけて戸棚のお菓子カゴからクラッカーを取り出すとダイニングセットの椅子に優雅に腰かけて、もそもそと食べ始めた。

「お疲れ様、コーヒー飲む?」

私も向かいの椅子に腰かけ自分用のミルクコーヒーを飲みながら問いかける。

「ううん、これから風呂入って寝るからいらない」


 ほむらの声は綺麗だ。

甘く官能的で、どこか野性味も感じさせられる。

それに、体の線も細いし到底男とは思えない。

でも、それには訳が有る。

 彼がカストラートだからだ。

カストラート、イタリア語で去勢された男性歌手を意味する言葉を彼は自身に使う。

勿論、現代社会において去勢は人道的に認められない。

なぜ、ほむらがカストラートになったかは私はあまりよく知らない。

 でも、彼は、自分に満足していたしこの家に住む者は何かしら抱えてる。

勿論、私自身も。


 私は、スキゾフィリアだ。早い話が統合失調症で、精神を病んで障害者手帳を交付され病院通いが欠かせない。

 「そういえば、年金入ったんだっけ?」

 「うん、今日は銀行に行く予定」

最初のうちは、障害者年金で生きるのは肩身が狭かった。

そう思って、無理やり働いた事も有った。

 でも、出来ない事が山の様に襲い掛かってきて……私は会社から脱走して歩道橋から飛び降りた。

 ほむらと、もう一人の現在の同居人のJには散々怒られた。

親には失望された。

 「出来ない事は、やらなくて良い。出来る事だけやろう」

そう言って、親との関係が右足ごとグシャグシャになってしまった私をJは拾い上げてくれた。

 

 Jは、私にある提案をした。

 「同居しないか。近くに面白そうな奴が住んでるんだ。そいつに話したら居候がもう一人増えても部屋的には問題ないと言ってくれた。あきらも来い」

 SNS上でしか私はJを知らなかった。

私は、おっかなびっくり喫茶店に集合したことを覚えている。

 「ジェイ、さんですか?」

そこに居たのは、家主のほむらだった。

 優雅にコーヒーを飲むほむらは、私が彼とJを間違えたことに少し不満そうな顔をしたが、話をするうちに私を受け入れてくれた。

 ほむらは、美人だった。化粧を施せば完全に女性に見えただろう。

 私は、そんな、美しい人に受け入れられた事に喜びを感じた。

安心できなかった人生にようやく安堵できる場所を見つけられたような気がした。


 そこからは、所謂ニート生活だ。

国の税金で養われ、体調の良い時は家の事をやる。

 年金が入ったら家賃としてほむらに二か月に一度6万円渡す。

でも、この「家」の財布役はJだ。

 J自身もよく分からない仕事でたまに小金を稼いで家に入れている。


 Jは根っからのギークで、元々は数学の天才だった。

Jはよく「怠惰はプログラマーの美徳だ」と言って、安く効率よく回れる買い出し表を算出してくれたりして、体調の良い時の私に任せる。

おかげで、家に足りない物は程よく補充される。

 まぁ、私が動けないときはJが買い物に行ってくれるし、最近は落ち着いてる私に対し、

「一日一つで良い、やれることをやれば一年で三六五個だ」

と、優しい言葉をかけてくれる。

 でも、相変わらずの謎は、Jの本名と性別だったが、この家で暮らすうえで何の不自由も問題もないのであえてツッコむ事はしない。

 程よい距離を保つのも共同生活においては必須だ。


和室の扉が開くとシャツにジーパン姿のJが眠たそうに起きてきて、こちらに来た。

「おはよう、J」

「ただいま、J」

「おはよう二人とも、ほむらはまた朝帰りか。コーヒーくれ」

「どうぞ。今日は、ちょっと渋みが強いかも」

そう言ってJのマグカップを取り出しブラックコーヒーを注ぐ。

Jは一口それを飲むと、

「これぐらいが丁度良い」

とだけ言った。


 それから、私は適当に冷蔵庫の中身を漁って、ベーグルサンドを作り、ほむらはシャワーを浴びて眠り、Jはサンドを食べてからパソコンに向かい合った。

 「あきら、今日は買い物に出掛けられそうか?」

 「今日はごめん、執筆がしたい。銀行には行くけど」

 「構わない、俺が行くだけだ。謝る必要はない」


 そうして、朝の食卓は静かに過ぎていった。

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