第4話 人形

 僕は上半身を天井裏に引きずり込まれました。

 目の前のA氏は荒い息を吐くと、僕の首に力を籠めます。


「管理人に黙って入ってきやがって! 家を荒らしやがって!」


 動画の、唸り声みたいな涎ぶじゅぶじゅのA氏の言葉を翻訳するとこんな感じなんじゃないかと思いますが、僕がそれに答える前に、いや、喉絞められてたんで喋れなかったんですけど、近くの天井板が吹き飛んで、ヤンさんが天井裏に躍り上がってきました。

 驚くA氏を、バットではなく拳で、本人、後に曰く――『割と優しく』殴り飛ばすヤンさん。

 僕はゲホゲホ言いながら、天井裏に上半身だけ突っ伏しました。段々と目が慣れてきます。埃と柱しかない暗い空間に、上から所々光が射しています。見れば、屋根が壊れた所を板で塞いだようですが、どう見ても腕前が雑で光が漏れている、というわけです。

 と、ヤンさんがバットを構えました。いや、その人はもう気絶して――と言いかける僕にヤンさんは『しっ!』と鋭く黙るようにゼスチュアします。


 ばたばたばた。


 たったったった。


 足音だ、と気づきました。しかも小さくて、細かい足音! 

 僕はヤンさんに、声を押し殺して、早く降りましょうと言ったのですが、ヤンさんは両手に力を籠め、僕の周りをゆっくりと回ります。その時、差し込む光に照らされて、ヤンさんのバットを間近でじっくりと見ることができました。


 バットに何か書いてある、というのは気づいていました。漢字だな、と。

 でも、大して気にはしていなかったです。メーカー名とか、どこそこの商店街謹製とか、そういう事が書いてあるんだろう、と。

 ですが、光に照らされて見えたその漢字は、マジックで直書きされた『南無阿弥陀仏』!

 バットの上の部分には『南』! 持ち手の底には『仏』! 

 ある意味では、これ以上ないくらいヤンさんに相応しい武器といえましょうが、状況が状況だけに、いや、この場面でそれはないだろう、と僕は呆気にとられてしまいまして、上から飛び降りてきたそれにまったく気がつかなかったのです。


 いきなり首筋に何かが落ちてきました。最初は巨大な蜘蛛、に思えて僕は悲鳴をあげます。ここら辺、委員長のカメラですと僕が天井に上半身を突っ込んで悲鳴をあげながら足をバタバタやっているという、引き抜いてみたら上半身が無い! みたいな光景で怖かったそうです。

 ぶんっと空気が唸り、瀬戸物を壊したような音が僕の耳元に響きました。

 顔を上げるとヤンさんが、バットを抉るように振り上げたまま、暗がりの奥を見つめています。振り返ると、奥の闇の中で何かが小さい物が大量に動いているのが判りました。

 降りるか、とヤンさんが冷静な声でいい、僕はそうっすね、と同意すると――わあああと叫びながら上半身を抜き、棚から飛び降りました。

 ヤンさんもすぐに気絶したA氏を抱えて屋根裏から飛び降りてきます。

 委員長とカニさんが何だ何だと後ろに下がりますが、田鳥さんは既にリネン室のドアを開け、廊下で、急いでと手招きしています。


 みしみしみしみしと家が激しく鳴り始めました。と、視界が歪んだような、妙な気分になります。

 カニさんが、なんだこりゃ! と叫びました。

 壁が間違いなく動いています。ぎしぎしと隙間が空き、その中を何かが動いているのがちらりと見えます。

 僕達がリネン室を飛び出すと同時に、天井を突き破って人形が降ってきました。

 まあ、これね、よくできたCGって言ってる人がいますけど、うーん、あえて反論するならば、これだけ違う種類の人形――ピクスドールに日本人形。木でできたエキゾチックなやつに、プラスチックの某マヨネーズキャラクターみたいな様々な人形達――をですね、『それぞれ違う動き』で、『人間の動きに合わせて違和感なく合成する』となると、一体どれだけのお金と時間がかかるのか、とね。

 しかも、この後のヤンさんのアクションを考えるに、一介の動画配信者にできるレベルを超えてると思うんですが――などと愚痴を言ってる間に『ヤンさん無双』の始まりです!


 僕も田鳥さんも、ついでに言いますとプライベート設定のカニさんも丸腰なわけで、委員長は密かに持ってきていたゲーセンのコインを入れたストッキングを振り回していましたが、最初から当てるんじゃなくて威嚇目的です。ストッキングもすぐに伸びちゃいましたしね。

 ですが、ヤンさんは、そしてヤンさんの『南無阿弥バット』は一味も二味も違いました。足元をちょこまかと走る人形を、僕達に気を使いつつ、アンダースイングっていうんですか? こう掬うような振りでがっしゃがっしゃと壁に叩きつけてぶっ壊す!

 僕達もまとわりついてくる人形を一体ずつ床に叩きつけ、残骸を踏み潰し、階段に急ぎました。

 ですが、ここを右に曲がれば目と鼻の先に階段、という場所で天井を破って人形が滝のように降ってきました。

 先頭にいた委員長がコインを振りかぶるも、ストッキングが破けてしまいます。たちまち人形達が委員長を押し倒しました。

 うわーっという悲鳴がすぐに途切れ、見れば委員長の口に人形が次々と頭を入れようとし、耳にも手を入れようとしています。ぎゅっと瞑った目の透間にも、動かない固まった手をねじ込もうとしています。

 僕は慌ててしゃがむと、委員長に纏わりついてる小さい連中を引き剥しにかかりました。連中はよく見れば、蔦が絡みついています。遠隔操作みたいな物だったのでしょうか?

 ともかく、人形を引き剥すと、僕はそれを放り投げました。それをヤンさんが次々とバットでフルスイング! 委員長を助け起こした時には階段からホールまでぶっ壊れた人形が散らばっていました。

 僕らは階段を駆け下りますが、お約束といいますか、入口の扉が開きません。

 田鳥さんが、すぐに近くの窓に走りますが、あっと叫んで飛びのきました。


 窓の外を何かがうねうねと動いています。


「なんだ? 蔦……か?」

 カニさんの言葉通り、山荘のいたる所に纏わりついていた蔦です。

「さっき壁の中にも蔦が動いているのが見えたわ」

 乱れた髪の毛を直しながら委員長が忌々しそうに言って、カメラを天井に向けます。

 人形が何体もかさかさと這いまわっていますが、降りてくる気配はありません。

 カニさんが廊下の奥へと目を向けました。

「中庭が、どうとか言ってたよな。確かそこの廊下の中ほどにドアがあるんだが――」

 僕達は廊下の奥へと目を向けました。蔦が外で動いている所為でしょうか、窓から入ってくる光がちらちらと明滅してよく見えません。と、委員長が僕に抱き着いてきました。嬉しかったかと聞かれれば、『一瞬』と答えましょう。

 顔がゆるむ前に、僕にも委員長が怯えた物が目に入ったからです。


 人が立っている。


 それだけでもギョッとする事実です。

 だけど、怖い物特有の目の離せなさにより、徐々に細部が見えてくると、思わず一歩後ろに下がってしまいました。


 裸の人間? いや、それにしてはツルツルしてる。顔ものっぺりで、髪も無くて――


「マネキン?」


 僕の言葉に、田鳥さんは、ああ、そういや地下の隅にありましたね、あれと冷静に言っておりますが、語尾は震えております。

「なんで、あんなとこにいんのよ……」

 後で委員長に聞きますと、彼女、自分よりも大きい物に怖さを感じるのだとか。だから小さい人形に群がられても冷静だったのね。そんな委員長の疑問に、マネキンは答えてくれました。


 マネキンは廊下を走ってきたのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る