3-8

「…将にい?」



むくっと起き上がったと思ったら、私の左手を引いたまま布団へ戻っていく。

そこでそのまま、ふわっと抱き締められる。

何が…起きてるの……?



「今日はこのままがいい」

「へ…?」



ぽつりと呟いたそれは、私の脳にじわじわ染みてくる。

あの日、教室で染みてきた言葉と、同じように。



「このままって…?」

「このままはこのまま」



強引に布団の上で座らされると、また抱き締められる。



「寒いってこと?」

「違う…」

「じゃあ、どうしたの?」

「……」

「ん?将にい?」



私の右肩で、コクリコクリと寝落ちしそうだった。

腕の力も抜けてきたので、そっと離れて、将にいを横たえた。



「…おやすみ、将にい」

「Zzzzz…」



足音を立てないようにして、衝立の向こう側へ戻った。


そういえば、将にいのエリアへ入るのは久々だったなあ。

私が中学生も後半くらいになってくると、さすがに将にいは距離を置いていたような気がする。

親から見れば思春期の娘。兄だからってベタベタ絡むものじゃない。

そんなふうに思ったんじゃなかろうか。


…とすると、やっぱり最近の将にいは普通じゃない。

疲れているからなのか、はたまた私への申し訳ないという気持ちからなのか。

教室で抱き締められたあの日からだ。

その前までは、まともに手を触れることも無かったように思う。


将にいの手、大きくて、少しゴツゴツしていた。

長い指で、私の手をしっかり包まれる感じが、自分の布団に戻っても消えない。


ああ、私、どうしちゃったんだろう。

お兄ちゃんのはずなのに、先生のはずなのに、

このズキっとする感覚は、一体どうしたことだろう。


寝てしまえば忘れられるかもしれない。

そう思って、もう何度も朝を迎えたけど、

忘れられるどころか、寝起きの将にいを見てドキッとしてしまう。


『奏美のこと、心配だったから』

『…この一年、俺じゃ、ダメかな』


『話、させてよ』


『そもそも教師になろうと思ったのも、奏美が居たからなんだよ』


全て、昨日の事のように思い出せる。



「…はあ」



時計の針は、いつの間にか二時を指していた。

なぜだか今日は、特に眠れない。

暗い暗い夜は、想像よりずっと長い。



「眠れないの?」

「ふぇっ!?」

「ははっ」

「起きてたの…?」

「さっき目が覚めたら、ため息聞こえて」



将にいは、横たわった私の横に、小さく体育座りをした。



「ごめんなあ、ほんとに」



ぽつりと呟いたそれに、私は何も言えなかった。

将にいが悪いわけじゃない。私が悪いわけでもない。

そういう運命だった。ただ、それだけ。



「私が眠れないのは」



言いかけて、やめた。理由はない。

私がいくら何を言っても、将にいのごめんには、到底かなわない。



「眠れないのは、なに?」



どうして止めてしまったのかと、言わんばかりに聞いてくる。

少し迷った。迷って迷って、しばらく黙ってた。

その沈黙も、将にいは受け止めてくれる。



「怒らない?」

「怒らないよ」


「眠れないのはね、将にいのせいだよ」



振り向きこそしなかったけど、

将にいの表情が変わったのは暗闇の横顔だけでも分かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る