ミス・ユー・マッチ

CKレコード

ミス・ユー・マッチ

「ちょっとつきあえよ」


普段は無口で決して僕に話しかける事の無い父が、珍しく僕を誘ってきた。

父の愛車ベントレーの白い革張りシートに座る。綺麗好きの父だ。休日になると、自慢のベントレーを丹念に隅々まで手入れしている。自他共に認めるガサツな性格の僕は、正直、あまり父の車には乗りたくない。汚してはいけないという過度の緊張を強いられ、精神が疲弊するからだ。密室に父と二人っきりの状況にされるのもキツイ。父は無口で、余計な事は一切話さない。無論、父の方から僕に話を振ってくる事は無い。僕からの問いかけに対しても、「ああ」とか「いや」とか「ん」とかしか答えない。自然、無言になる。


「ラジオつけてもいい?」


「ん、ああ」


頼む、野球中継やっててくれよ。僕の願いが通じたか、野球中継独特のかすれたラジオ音が耳に飛び込んできた。中日vs横浜戦という何の思い入れもないカードに、すがるように耳を傾ける。父は無言で運転している。この車、一体どこに向かっているのだろうか。

やがて車は、郊外にある一軒のバーに着いた。潰れたステーキハウスを改装したと思われるそのバーは、いかにも西部劇のワンシーンに出てきそうなバーだった。入り口を入ると、中にはご丁寧に観音開きの例の扉がついていた。父がそいつを豪快に両手で押し開けて、中に入る。店内は薄暗く、ビリヤードの台、ダーツ、ジュークボックスなんかが無造作に並べてある。予想を裏切らない店内の雰囲気に、ワクワクする。カウンターの端に並んで腰掛ける。父は、「コロナ・ビール2つ」と注文した。聞いた事も無いビールだ。コロナが運ばれてきた。ビール瓶の口の所に「何か」がちょこんと置いてある。なんだろこれ。ライムだ。


「飲んだ事無いだろ」


「うん」


「こうやってライムを絞りながら押し込んで・・・んで、ラッパ飲みだ」


「へえ」


「よし、乾杯だ」


「え?」


「高校卒業、おめでとう」


「あ、ありがとう」


コロナのボトルをカチンと合わせる。ライムの爽やかな苦味とビールの苦味とが混じり合って、美味い。


「大学いったら、独り暮らしだってな」


「あ、実は、そうなんだ。色々ありがとね」


「ああ」


正直、その辺りの事は、全て母と相談して決めてしまっていた。父は、母から事後報告を受けるだけだ。高校入学以来、重要事項の父への伝達は、いつの間にかずっとそのスタイルになってしまっていた。


「メーカーズ・マークをロックで2つ。こいつには、チェイサーも。それと、ビーフジャーキー」


父はいつもジャック・ダニエルを愛飲しているイメージだったので、注文したのが聞いた事も無い酒の名前で驚く。


「ジャックじゃないの?」


「ん?ああ。アイツは家だ。外ではコイツだ」


といって、父は眼前に並べられたメーカーズマークのボトルを手に取ると、ネックの部分にびっとりと付着している「赤い血のような何か」を軽く撫でた。


「もしかしてこの店って、母さんと最初にデートしたっていう店?」


「そうだ」


父はポケットをまさぐって、開いた掌から100円硬貨をつまみ上げると、


「一曲、選んでこい」


と、僕に言って、アゴをジュークボックスの方に突き出した。父は古いレコードのコレクターで、そのレコードは家族の誰にも絶対に触らせなかった。


「いや、僕、外国の曲、わかんないよ」


「ああ、知ってるよ。タイトル見て、響きで決めてこい」


仕方なくジュークボックスへと向かう。ああ、わかってるさ。僕は試されている。こいつは、父から僕への卒業試験だ。この選曲は、絶対に外せないぞ。

洋楽は聴かないとはいえ、多少は知っている。父の好きなバンドは、ローリング・ストーンズだ。母さんが、父と一緒に東京ドームのライブに行った事をいつも自慢していた。この話になると父は、「あの時のベースはビル・ワイマンだったな」と決まって上機嫌になった。

ジュークボックスの前に立ち、恐る恐る曲目を覗く。ジェームス・ブラウン、アース・ウインド&ファイア、ダイアナ・ロス&スプリームス・・・ディスコばっかりじゃないかよ。あった!ローリング・ストーンズ!安心すると共に、次の難題が僕に襲いかかる。あるのは、ミス・ユーと、ファー・アウェイ・アイズという2曲だけ。どっちが正解だ?ミス・ユーは知ってるぞ。ディスコだ。確か、1990年の東京ドームでも演奏されていたのを、テレビで何度も見せられたので覚えている。この曲は、どうなんだ?正解なのか?父は、どっちかというとボーカルのミック・ジャガーよりギタリストのキース・リチャーズが好きだったはず。正直、キースにディスコのイメージは無い。あのキースが、ディスコでフワ!フワ!フゥー!と言って踊っている姿なんて想像できない。多分、キースは、ディスコなんて大嫌いなはずだ。恐らくミス・ユーは、ボーカルのミック・ジャガーが書いた曲だ。これは地雷だ。こっちを選んではイカん。だが、B面のファー・アウェイ・アイズがどんな曲かがわからない。ミス・ユーよりも安いディスコ・ナンバーだったら、父の機嫌を損ねてしまう。だが、ここでミス・ユーを選ぶ行為は、安直すぎやしないか。悩んだ末に、B面のファー・アウェイ・アイズの方を選んだ。決め手は父の教えの通り、タイトルの響きだけだ。

ゆっくりと時間をかけて席に戻る。静寂の後、カントリー調のイントロが流れ出す。父は、2杯目のメーカーズ・マークをオーダーした。父の顔がニタッと柔和な表情に変わった事から、あ、クリアーしたんだなと即座に感じた。父の試験に合格した安堵からか、急に腹が減ってきた。ビーフジャーキーを雑にかじって胃にぶち込んだ。その後、上機嫌になった父は、ミス・ユーを自分で選曲し、フワ・フウフウウウ〜と歌いながら、フロアでマラカスと腰を振りまくって踊り狂った。

その日の帰り、父は、スピード違反と信号無視と酒気帯び運転で、免許取消になった。本当は更に未成年飲酒も絡んでいたのだが、その事は警察には黙っていた。卒業記念に、父に貸しができた。

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