渦と屍

木古おうみ

一.


 悲鳴、ですか?


 嫌だわ、先生。あれは波の音ですよ。

 向こうの崖に波がぶつかって、場所によって音が高くなったり低くなったりしますから、悲鳴みたいに聞こえるかしら。



 でもまぁ、遠くからわざわざこんな田舎にねぇ。

 海辺の村っていうと、日照りで暑くって、みんなもろ肌ぬぎで海に入ってると思うひとが多いでしょ。ここは寒いし、昼間でも暗いし、たまに来たひとは何て陰気な村だってがっかりなさるんですよ。

傍迷惑な話ですけれどね。



 ええ、ここ最近はね。

初めは町からの駐在さんが来るくらいでしたが、そのうち憲兵さんだなんだと遠くから来なさって、半月前には陸軍の兵隊さんですよ。


 うちの村からもいくらか戦争に行ったひともいましたけど、なんだかすごい物があるようで。毒の霧や鉄の船やなんかねぇ。この世じゃないとこでやってる戦争みたいな気がして、怖いとも思えませんよ。


 それで貴方、今日は学者の先生がいらっしゃってねえ。

 ご苦労様です。



 偉いひとはいろんなとこに行ったり来たり大変でしょう。

 私は生まれてから一度もこの村から出たことがありませんよ。私? 今年で三十二です。あんまり見ないでください、恥ずかしい。都会のひとはみんなお綺麗らしいから。


 え? 嫌だ、先生。お世辞でも嬉しいわぁ。

 でも、ここは確かに海の周りをぐるっと高い崖が立ってるせいで日も当たらないし、時化で漁ができない日も多いから、他の漁村のひとたちより色が白く見えるらしいです。

 漁師の肌が白いなんて、死人みたいで気持ち悪いというひともいますけど。



 死人といえば、兵隊さんが言ってたあれかしら。


 どこの国だか忘れてしまいましたけど、死んだひとを生き返らして戦わすっていう何かができたらしいですね。

 ざんび、だとか、ぞんび、だとか。

 怖い話ですよ。それじゃあ本当に地獄みたいじゃありませんか。


 何だってそんな話を持ってくるんでしょうね。この村は貧しいし、暗いし、たまに大波も来る。私の旦那も去年それで死にました。


 でも、それだけですよ。

みんな細々とですが睦まじくやってますし、地主も新しく息子さんが継ぎなさって、ちょっと身体が弱いみたいですが何の問題もありません。後ろ暗いところなんかないんですよ。


 ああ……学者さんになら話してもいいかしら。

 うちの村にはね、他じゃあちょっと見られない神様がおられるんですよ。

 それが余所のひとからしたら恐ろしく見えるのかもしれませんね。

 私らはお渦様と呼んでますけれど。


 いえいえ、私に聞いても駄目ですよ。私には学がないから、話なんぞできません。


 そうですね、ここからずうっと先に行ったとこにお渦様の神社がありますから、見ていらっしゃいな。

 神主の爺さんがいろいろ話してくれるでしょう。


 でもね、先生。道中、崖には近寄らない方がいいですよ。あそこはよく崩れて危ないんです。


 ここに来るには船で来るしかないんだから、先生も見たでしょう。年寄りの鮫の歯みたく互い違いになった崖を。


 それじゃ、先生。どうぞお気をつけて。

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