例えば、こんな世界から。

お望月うさぎ

第1話

 ピーーーーーー。

何も見えない真っ暗な世界に、平坦な電子音が鳴り響く。ただ知らせているだけのような音だ。ずっと鳴り響いて消えない。私の頭の中で流れている気もするが、どこか別の所で鳴っている気もする。

いつまで聞いていただろうか。何をしていたのだろうか。何も分からないけれど、段々と電子音が遠ざかって行く。代わりに聴こえてきたのは、パチパチ、パチパチという何かが弾けるような音。そして、暗闇が光に満ちて行き、目を開けたそこには、


私を吊るす十字架の上に、とても綺麗な、雲一つない青空。そして、それを太陽と対抗して照らすかののように激しい炎が燃え盛っていた。

「っ!?」

咄嗟に叫び声を上げようとするが、猿轡が許さない。

遅れてやって来た刺すような暑さも、身体が全く動かないので、逃げることも出来ない。

はっとして辺りを見渡すと、溢れんばかりの人がこちらを見ていた。どうやら私が目を覚ましたことを見て取ったらしい。そのうちの一人が大声をあげる。

「おい!魔女が目覚めたぞ!」

人々はそれを聞いてざわざわとこちらを見る。その目線は、今まで見たこともない恐怖と憎悪の色が滲んでいた。

「早く死ね、異端の魔女め!」

「そんな目でこっちを見るな!」

怒号とも悲鳴ともわからない声が飛び交う中で、段々と火の手が激しくなってくる。

肌が焼け、喉が焼け、肺が焼ける。

全てが灰に帰るような熱さと酸欠に、心が折れて楽になろうと意識を手放そうとする。

「なんで……?なん……なの?誰か……助けて……」

声にならないような声が、虚空へと消えて。

それを搔き消す人々の怒号の一角が、不意に割れた。

「なんだお前は!ここは神聖な場所だぞ!」

別の色合いが混じりこむ感覚も、曖昧に燻られていく。

十字架が私を逃がさないようにしっかりと地面に縫い付けであったのに、ふわふわと体が浮かぶ。

ああ。よく分からないのに、私は、ここで死ぬんだろう。

「よ​─、────を─​─────」

最後に見えたのは、きっと見るはずのない神様の姿だったのだろうか。



 雲が少し交じった青空が見える。

鳥が数羽隊を為して飛んでいる。

空気はとても、綺麗だった。

「……ー!?ごほっ」

どうやら私の心臓はまだ動いて、肺を働かせているらしい。焼けた喉は、必死に痛みを堪えて空気を取り入れる。

肌は太陽に照り付けられただけで燃えている様だった。

「おい、魔女が起きたぞ!」

今度はどんなことをされるのだろうか。多く人がいる気配は無かったが、私の目覚めを知らせる声が刑罰の引き金になるに違いない。

「おっ!やっとか!……って、おい!なんで火傷してる奴を日の下にだしてんだ!早く日陰に入れてやれ!苦しそうだろうが!」

「あ!すまねぇ!あんまりこんなひでぇのは見たことがくてよ!」

代わりに聞こえてきたのは、そんな気の抜けた会話だった。声の主が私を持ち上げる。

「少し我慢してくれ、今楽なところに運んでやっからな」

わざわざそんな声までかけながら声さえ出ない私を日陰まで運んでいく。肩に担ぐという豪快な方法をとったその人は、紺色のボロボロのバンダナを巻いた、少し髭の生えた男だった。口の横に大きな切り傷がある。風通しの良い、涼しい場所に降ろされた。

「おーい!出来るだけ氷とか冷たいものもってこい!」

それを傍から見ていた、少し綺麗な赤色のバンダナを巻いた女が大声で指示を出す。

すぐにどこかの奥から数人の男が氷を担いで持ってきた。

「おい」

女がまた男達をドスの効いた声で止める。

「氷そのまんまでどうやって人の体を冷やすんだよ!」

私への処置は、もう少し続いた。


 結局私が何とか話せるようになる頃には日はすっかり沈んでいた。私が氷の中で寝かされている周りに、処置に奔走してくれた人々が座り込んでいる。ずっと指示を出していた女の人に話しかける。

「あの、その、ありがとうございました」

「ん?何がだい?」

「私を助けてくださって」

「いやいや、お礼なんかいいよ。私もお頭が持って帰ってきた時は死んでると思ったくらいだったし、助けられるなら助けて当然さ……少し手違いが多かったけれど許しておくれよ?

それより、お頭が帰ってくるまでもう少しある。少し自己紹介と行こうじゃないか。あんたのことは聞いてるから無理するな。私らが何か知ってもらおうってこった」

そう言って、彼女は私の方に座り直す。

「私らはこの島と海の世界の中の大事なものを集めようっていう、俗に言う海賊だ。今回お前さんを助けたのはお前さんが今回のターゲット、《先見の魔女》だったからさ」

「《先見の魔女》……?」

耳慣れない言葉に、思わず聞き返す。

「あー、あんたは向こうては魔女としか言われてなかったんだろ?しょうがねぇよ知らなくても」

しかし帰ってきたのは、少し見当違いの言葉だった。

しかし、私の身の上をどう話していいかも分からず、もしこの人たちの言う《先見の魔女》でないと分かったら私は海に放り出され殺される、と思い何も言えなくなる。

考えているとにわかに外が騒がしくなる。

「どうやらお頭が帰ってきたみたいだね」

と言って、女性は大声でそのお頭を呼んだ。

そして扉を開けて入ってきたのは、

少し伸びた髪。優しげで整い、少し中性的な顔。一目で身なりのいいと分かるような袖長の服。海賊、という言葉を真っ向から覆すような風貌をした人だった。

「やぁ、目を覚ましたんだね」

声でなんとか男だとわかった。

「おかげさまで……!?」

あまりにも綺麗だったので緊張してしまう。が、その目を見た瞬間、何か不思議な感覚に囚われる。まるで初対面でないかのような既視感。その人が冒険をしているところを見たことがある。そんな気がした。

「……?大丈夫かい?」

不自然な様子を心配してくれる彼の顔をみるが、不自然な既視感は消え去っていた。

「なんでもありません、ごめんなさい」

「いやいや、こちらとしても死んで欲しくは無かったからね。助かったよ。寝る前にこれを塗っておくといい。3日に1回取れる、《万病に効く薬草》を塗り薬にしたものだ。きっと良くなるだろう」

《万病に効く》という言葉をやけに強調していたことから、どうやら私に付けられた不相応な肩書きのようなものを、この薬草も持っているらしい。有難く受け取る。

「色々聞きたいことも有るだろうがもう夜だ。君の体の為にも睡眠を取った方がいい」

そうして私は助けられた。



少し伸びた髪。優しげで整い、少し中性的な顔。そんな容姿をした青年は、赤色のバンダナをした人を抱き抱えていた。その胸には深々とナイフが突き刺さっている。周りは、仲間たちだった血の海が拡がっていた。

 “僕は、失敗したのか“

“でも。だって。知らなかった。知る由もなかった“

“​─────ああ、これが、こんな、ものだなんて“



 薬を全身に塗るのはとても大変だったが、薬草は本当に良いものだったようで、刺すような痛みは随分と楽になっていた。わざわざ用意してもらったベッドから抜け出し、身支度をして、

「……?」

ふと、目から涙が1滴落ちた。理由は、恐らく、あのとても悲しい夢。落ち着くのを待ち、涙を拭って扉を開けて部屋から出る。

割り当てられた部屋は船底の一部屋で、揺れは酷くなく思ったよりも寝やすかった。昨日寝かされた部屋に行くとお頭と呼ばれていた青年が朝ごはんを食べていた。

「お、起きたのかい」

私に気付いたお頭さんが、ニコニコとこちらを振り向きた。そのまま顎で向かいの席を指し示す。座れ、ということだろうか。素直に従って座ると、魚を丸焼きにした豪快な料理が出てきた。

「朝ごはんだよ。遠慮しなくていい」

との言葉を貰った。お箸を貰い、食事に着く。

食事の途中に、様々なことを教わった。

この世界には、人々の噂が元となってその効果を実際に宿したもの、ネームドアイテム《曰く付き商品》が、点在していること。

海賊団は、それらを集めるためにあること。

普段は交易をして生計を立てていること。

「意外と現実的なんですね」

「ははは、集めるものが特殊すぎてね」

「そんな大事なもの、私に使って良かったんですか?」

昨日貰ったものが、重要なものだと気付き、今更ながらに訊ねると、軽い調子は崩さなかったが、それでもとても真面目に

「あれは3日でまた育つから全然大丈夫だし、そうじゃなくても、仲間のためならそんなものいくらだって使うさ、わざわざ夢のような効果があるんだからね」

「そう、なんですか。でも、そのアイテム中に人がいるのは驚きました」

「そうだね、それは僕も最近知ったんだよ。君が初めてだ」

「あ、そうなんですね」

「うん。おや、そろそろ皆が起きる頃かな」

その言葉と同時に昨日の人達が入ってくる。

「お、嬢ちゃん、早いねぇ」

「今日も魚かよ」

「うるさいよ、お前が肉になるか?」

一気に騒がしくなったのに驚いていると、紺色のバンダナの人がそうだ、と

「お頭、そろそろ次のアイテムの相談でもしましょうや」

そう提案する。それにお頭さんは頷いた。

「じゃあ、知らせておこうか。次のお宝の伝説は……」

「《人を魅了するセイレーンの歌声》」

それは、予期していなかった言葉だった。周りは呆気に取られているが、言った人、すなわち私が1番驚いていた。

「よく知ってるね?誰にも言ったことは無かったんだけど」

「……私も、今まで聞いたことはないです」

「これがもしかしてあれじゃないのかい?」

「これが《先見の魔女》の伝説ってことか……」

「こいつはすげぇ……」

「これは本当に凄いね。他に何か知っていることはあるかい?」

「いえ、それ以外にはなにも……すみません役に立たなくて」

「いやいや、実際に見せてもらっただけでも良かったよ。やっぱりこういったアイテム……いや、君をアイテム呼ばわりは申し訳ないんだけどああいったものはやっぱりその効果が1番楽しい所でもあるからね」

自分のせいで偽物だと言いずらくなった。そんな薄暗い気持ちをよそに、説明は続く。

「この《歌声》は、お前達も聞いたことがあるだろうかの事故海域の中心にあるという」

「げ、あの海域ですかい?」

「ああ、というかどちらかと言うと逆だと思う。《歌声》のせいで彼処は事故海域と化してるんじゃないかな」

「なるほど、そいつは確かにすげえお宝で」

「だからそろそろ着く島で船を修理、強化を済ませて取りに行く。もしもがないように、というために」

そこで言葉を切り、私の方を見た。

「君の力を貸してほしい」

「そういうことですか……」

「あれで危険を事前に防ぐって訳だな!」

「良いじゃないか、よろしく頼むよ!」

違うということを言うべきなのだろうが、どうしても、言えなかった。

 その後着いた島は、木材とその加工で栄える島だった。そこで船の修繕箇所を見てもらい、安全のための装備を整える。そのお金の為にどこにしまったあったのか、大量の交易品を売りさばいていた。アイテムを取りに行く時は、流石に買い込むことはしないらしい。修繕、強化にかかる時間は今日から3日間との事なので、島の宿を取ることになった。久しぶりにきちんと体を綺麗にする。例の薬草の効果は覿面なようで、既に酷いやけどだった傷は跡形もなくなっていた。三日間どう過ごすかを眠くなるまで考えていた。



 その船は、とても丁寧に修繕され、とても頑丈そうに強化されている。荒波にも全く動じず海を進む。

しかし、その中の人々はそうはいかなかった。

“なんだ……なんだよ、この……音は……!“

“頭が割れる……!ぐああ……!“

“おい……?お頭……?なんで今そんなものを持ってるんだ……それでその目はなんだい……!“

“…………コロサナキャ“


 「おい、大丈夫か?起きな、起きなって!」 

強く揺すぶられて目を開けると、少し焦ったような顔をした赤色のバンダナをしていた人、名前はロロネと言うらしい、がこちらを見ていた。

「良かった……過呼吸みたいになってたからどうなったかと思ったよ」

そう言われてみると、私の体は汗でぐっしょりと濡れていた。嫌な倦怠感が体に残っている。しかし、そんなことよりも、確認しなくてはならないことばかりだ。

「私は大丈夫です。それよりも1つお聞きしたいのですが、あの《歌声》を取りに行く時に、どんな荷物を持っていきますか?」

「荷物?おいおい、それよりはさすがにお前さんの方が大切だろう?」

「いいえ、これはとても大切なことなんです」

「はぁ、そういうことならお頭に聞いてみるか。いつもお頭が決めてそれをみんなで集めるんだよ。とりあえずこれで汗を拭きな。着替えたら声をかけておくれ」

そう言ってタオルを投げ渡してくれた。

言われた通りにして声をかけ、2人でお頭さんの所へ行く。途中で紺色バンダナの人、オルチさんが合流し、朝ごはんを食べていたお頭さんの所に行き、荷物の件を聞く。

「ふむ、そうだね。今考えているのは、普通に衣食品、《薬草》、もしもの時のための人数分の護身用ナイフくらいかな」

やはり。船には凶器が積み込まれる。

「ありがとうございます、それでなんですが、もしそこから防音をしようと思ったら、どのくらいまで出来ますか?」

「防音?なるほど、早速何か見てくれたのか。何を見たんだい?」

そう言われてあれを思い出し、思わず俯く。

「どうしても、というなら言いますが、あまり良いものではありませんでしたよ」

「少しの情報でも必要なんだ。よろしく頼む」

「……お頭さん、あなたが、……え?」

意を決して伝えようと前を向いたその視界は、異常、の一言だった。窓から見える空が、部屋が、心配そうに眺めるお頭さんが、それを取り巻く仲間達が、私見ている1枚の絵画を破り捨てるように亀裂が走っている。

「仲間を……」

言葉を続ける度、そのひび割れは増えていく。そのひび割れの数だけ、言い知れぬ不安が心を突き刺していく。

「……なんでもないです。よく考えたらそんなにでも無いことでした。重々しく言ってしまってすみません」

伝えることを諦めた瞬間、視界は元に戻っていた。あれだけ異常だったことが嘘のような平穏があった。

「ええ?気になるじゃないかい!ねぇ、あたしだけにでも教えてくれよ!」

悔しそうにそう言い募るロロネさんに、オルチさんが笑いながら

「どうせ海に突き落としたとかだろ?この子はあんまりそういうのに慣れてないだけだって」

と言っている。私はそれに何とか微笑み、とにかく、と言葉を続ける。

「できるだけ防音を整えて欲しいんです。安全のためになりますので」

「ふむ、そういうことなら分かったよ。方法を探そう。生憎と時間は沢山あるからね。君は出来るだけみんなと一緒にいるといい。メンバーとの絆は冒険だからこそ必要なものだからね」

そう言って、お頭さんは食べ終えていた朝食を片付けに行った。

「そういうことなら、あたしらと街でも見て回るかい?」

「はい、よろしくお願いします!」

そうして2日目は、街を見て回った。

そのどれもが、懐かしいような、初めて見るような、情緒溢れたものばかりで、皆も気に入っていたようだった。

気づけば夕暮れが私たちを照らしていた。

「いやぁ、こんな街は久しぶりにみたねぇ!いい街だよ。あたしゃ気に入ったね」

ロロネさんの言葉に、オルチさんが強く頷いて同意する。

「そうだなぁ、昼飯もまた魚かよとか思ったけど、あんな食べ方するとは驚いた」

「切り方も綺麗でしたしね」

その言葉に、オルチさんが思いついたように

「食堂担当してるやつに言ってやろうぜ、あいつがあんな切り方出来るようになったらもっと良いって!」

と悪巧みをするように言うと、ロロナさんが

「あの丸焼きしか脳がないようなやつに出来るわけないよ!」

そう言って豪快に笑う。

帰るまでその話で盛り上がったのだった。

そして寝るまで、その気持ちは衰えることはなかった。



まるで壊れたビデオテープのように、映像が飛んで映っては飛んでを繰り返している。

割れた視界。

繋がれた自分。

生きているあの人たち。

消える、自分。


同じ視界。割れていない。

繋がれていない自分。

あの時の夢のように、死んでしまった人達。

生きている自分。

消える、自分。


それは私が初めて見る景色だった。



 「おーい、そろそろ起きなよー!」

ロロナさんの声で目を覚ました。

「おはようございます」

「何言ってんだよ、もうお昼だよ」

「え!そうなんですか?」

「ずっと寝てるけど皆が疲れてるだろうから寝かせといてやろうって話になったのさ」

「なるほど……ありがとうございます」

「今日で出航なんだ。あんたも準備を手伝っておくれ」

「はい、分かりました」

準備をして船に向かう。その船は、その船は、とても丁寧に修繕され、とても頑丈そうに強化されていた。荒波にも全く動じず海を進めそうだった。

少し綺麗になった皆の船に、手分けをして荷物を詰め込んでいく。保存のきく食料、水、衣類など、数々の品が運び込まれていった。そしてお昼すぎに出航した。

皆で集まり始めるので、そこに行くと、アイテム集めの時は毎回出発式をするらしい。形が大切なのだとか。

「じゃあ今回集めに行くのは、《人を魅了するセイレーンの歌声》だ。今回新しく仲間になった子もいるから、気を引き締めて」

お頭さんはそこまで言って、めいっぱいの笑顔を作る。

「みんな笑顔で、終わらせよう!」

おう、という声が船いっぱいに響き渡った。

私は、大きな声を出せなかった。

その後何事もなくゆったりと船が進む。

流れていく景色は、どこかで見た景色。夢と全く同じだった。そろそろ答えを出さなくては変えられなくなる。だから、私は、

「皆さんに言っておきたいことがあります」

そう切り出した。

言葉に、近くにいたお頭さんが反応する。

「なんだい?急に改まって」

「前に、私が途中で結局はぐらかしたものの話です」

「おお!あれの話かい?あたしゃずっと気になってたんだよ、それで?」

ロロネさんが思い出したのかこちらに近付いてきた。

「お?どうしたどうした」

オルチさんもそれにつられてきた。

そして、夢で見た位置と全く同じ位置に人が集まる。

「まず、私が見た未来」

瞬間、視界にひびが入る。見ている全てが、乖離して行く。この景色も、もう見た。この後続けるとどうなるかも。

それでも私は、この人たちに生きていて欲しい。そう思ったのだ。

「それは、皆さんが殺される未来です。殺した人は、お頭さん」

少し動揺した空気が流れる。

「原因は、《歌声》の能力に寄るものです。《歌声》は、全ての生物を狂わせる。そのせいで、お頭さんが殺します。ナイフを持ち込まないで欲しいと言った理由がそれです」

言い切った時、ひび割れていた視界が崩壊し、一瞬真っ暗になる。全ての感覚がぼやける感覚が一瞬あって、元の視界が帰ってきた。これで、変わったということだろう。

「そして」

しかし私が伝えなければいけない言葉はまだ残っている。

「これを今まで言えなかった理由。こちらは確証は持てませんが、これが他人の未来を左右するものだから。その干渉は、世界に亀裂を入れる程度には重たいようです」

皆、私の言葉で押し黙っている。その中で、ロロナさんが何かに気付いた様にはっと顔を上げる。

「あたしにはよくわかんねぇがよ、その干渉で、何が変わるって言うんだい?それが理由の本質だろ?」

「そうですね。これで、未来が変わったはずです。皆さんが生きて、」

カンカンカンカンカン!

私の言葉を遮るように警鐘のような音が鳴り響く。

思ったよりも早かったなぁ、というのが感想だった。

「貴様ら海賊が、我が村で処刑予定だった魔女を連れ去っているのは既に調べが付いている!村の掟により、この処刑は必ず実行されなければならない!今すぐその身柄を引渡して貰おう!」

拡声器越しに聞こえてくるのは《歌声》以外で狂った人の声。同じ人に怯えて狂った人の声。前を横切るように止まった大きな船からの声だった。

既に答えを知った問題の答えを教えるかのように、

「私がこうなる未来に」

と、言葉を言い切った。

「なんだよこれ、あの村の奴らにしては数が多すぎるだろ……?」

僅かに怯んだように、オルチさんが呟く。

「お頭、こんなヤツらに明け渡して良いんですかい?」

ロロネさんがお頭さんに言いよる。

「良くはないけれど……この数は異常だね」

しかし、お頭さんも有効な手は思いつかないようだ。

その横を私が通り抜ける。呆気に取られた皆の横を通り抜ける。

「おい、何やってんだい!」

絞り出すようなロロナさんの声に振り向き、

「どちらの未来でも、私は消えます。これは理由さえ分かりませんが、これが全部終わった後そうなるようです。なので、私は皆さんが生きてくれる道を選びたいんです。とても短い間でしたが、本当に楽しかったです。ありがとうございました」

そうして村人の船の近くまで行くと、板を渡された。その先は暗い船の中に続いていた。

「そんな、それはねぇよ!なぁ!お頭!」

「ああ、だめだ。そんなのは、だめだ」

後ろからかけられる声に振り返りそうになるが、また私の視界にちらつくひびが、このまま止まるなと警告してくる。唇を噛んで堪えながら、私は村人の船にのる。何か見る前に、手荒に目隠しをされ、手足を縛られ、どこかに投げられた。硬い物が頭にぶつかり、私は意識を手放した。


“今日もあの話読もうかな。もうすぐ終わりみたいだし“

“……やっぱり絵本にしては表現がえげつないよねぇこれ“

“中身の濃さは小説レベルなのによくこの薄さの絵本に出来たんだろ。分厚くならなかったのかなぁ“

“見てる私も私だけど、こんなの一体誰が作ったんだか“

“あ、ついに、《歌声》に行くんだ。一体どうなるんだろ“


 人々の喧騒で目覚めるのも、これで何度目になるだろうか。目の前には、何かに取り憑かれるようにこちらを見る村人。そんなもはや懐かしいような視線に晒されながら、私は1人納得していた。

「なんだ……やっぱり未来なんて見れてないじゃん。ただ私があの時読んだ絵本と、もしこうなったのならこうなるだろうって言うのを夢で見てるだけ」

「何を1人でぶつぶつ言ってる!黙れ!司教様が巡教から戻られ次第処刑されるのだ!」

私の独り言を聞きつけて見張りの村人が大声を掛けてくる。放っておけば良いのにご苦労なことだった。

そうしているうちにも人は増えていく。

絵本の登場人物ではない私は、物語がエンディングを迎えると消えてしまうのに。あとはそのエンディングを迎えてくれるのを待つだけなのに。

この感情は、諦めにも似ている。この物語、この、絵本と全く同じな世界で私が出来ることはもう無い。あの人たちが生き残る形で幕を閉じる。元の物語とは真逆の結果だが、部外者が立ち入ればそうもなるだろう。

だから、だからやめて欲しい。

視界いっぱいに、亀裂を作るのは。

なんで。頭が疑問で埋め尽くされる。私は何もしていない。なんの行動も起こしていないのに。亀裂はどんどん大きくなって行く。

「嫌!嫌ぁ!」

思わず声がでる。どこか遠くでそれを処刑への恐怖だと思ったのか、にわかに歓声が聞こえる。その光景も、亀裂で埋め尽くされて。

割れた。2度目のブラックアウト。一瞬の後、元の視界に戻ってくる。

1度目と大きく違ったのは、これで何が変わったのかがまるで見当もつかないことだ。誰がどうなったのか。もう私にも分からない。

そんな不安を煽るように、声が聞こえる。

「司教様がお戻りになられた!急ぎ処刑の準備を!」

この状態で、私はこの世界から消えるのか。

「皆の者!私が今からこの魔女への最後の手向けのお言葉を授ける。その後、火をつけるのだ!」

司教が叫ぶ。そして大きな本を開いて、

それを読む声は、笛の音にかき消される。

1度目は、野太い角笛のような音。しかし何故か惹き込まれそうになる音。首だけでそちらを見ると、処刑場の端に誰かが居る。その人物が笛を吹いている様だった。2度目聞くと、何故かそれが綺麗な音に聞こえてくる。3度目はまるで海辺で美女が歌っているかのような音に聞こえた。そうして、広場にいる全員の意識は完全にそちらに向いてしまった。そのせいで、

「おい、気をつけろ、動くと手を切っちまうからねぇ」

耳元でそんな声をかけられるまで、その赤いバンダナを付けた女の人、ロロネさんの存在に気づかなかった。

不思議な形のナイフで拘束された私のロープと手錠を切っていく。それはロープを切る時はただのナイフの形、、手錠を切る時は鉄でも切れそうな形に変化していた。

「これは《なんでも切れる十得ナイフ》。私の初戦利品さ」

にぃっと笑った顔は優しさに満ちていた。まだ角笛に意識を取られている人々の中を普通に連れられていく。

そして処刑場から出る時、ロロネさんは信号弾を打ち上げた。

「お頭ぁ!撤収だぁ!」

その声と共に、角笛を持っていた人、お頭さんだったらしい人、が姿を消した。私達もそこを去る。

後ろからは、阿鼻叫喚の声が響いていた。


 そして私はまた、あの海賊団の船の上にいる。合流したお頭さんの手には、大きな巻貝のようなものがあった。

「良く帰ってきたね。心配したよ。この《歌声》が早速役立って良かった」

そういって優しく笑う顔をみて、私は涙を堪えられなくなった。

「よかった……!よかったです……皆さんがちゃんと帰って来れて……!」

「良かったじゃないよ!あんな奴らに勝手について行って!心配したんだよ!?」

嗚咽混じりの声にロロネさんの怒ったような困ったような声がかかる。

「だって……どうしたって私はもう消えてしまうんです。この世界の人では無いから……」

「この世界の人じゃないって、故郷が遠いって意味じゃ……なさそうだね」

「……はい。ですから、私はあなたがたが生きて帰れるならそれでいいと、そう思ったんです」

「おいおい、そりゃないぜ!?お前も入れて俺たちは仲間なんだ。どっか遠くに行くって言ってもそれまでは仲間だよ、なぁ?お頭」

暗い声をかき消してオルチさんが声を上げる。その声にも優しさが満ちていた。

「ああ。行く時に言ったじゃないか。このアイテムを巡る冒険が終わる時は、皆が笑顔じゃないといけないのさ」

そう、静かに微笑んでお頭さんは言った。

「そう、ですね。ごめんなさい、そして、ありがとうございました。この5日間は、何があっても忘れません」

できる限りの笑顔で、私は笑う。

「ああ、あたしも忘れないよ!」

ロロネさんが笑って。

「そうだな!」

オルチさんが笑って。

私の世界は光に包まれた。


 ピッ。ピッ。ピッ。ピッ。

規則正しい電子音が真っ暗な世界に響く。

何か懐かしい感覚と共に、ふわりと身体が浮くような感覚。いつかと同じく光が満ちた。

目を開けると真っ白な部屋に真っ白なベッド、そして真っ白なカーテンが私を取り囲んでいた。

「目を覚ましたんですか!?」

突然とても驚いた様子でピンク色のナース服の人と、真っ白な白衣に身を包んだ人が小走りで私を取り囲んでいたカーテンを開けて入ってきた。

「どぉ……ぁんで……か?」

何を言っているのか分からなかったので、どうかしたんですか、と聞こうとしたが、まるで水分の無かった私の口は上手く声を発さなかった。それでもだいたいのことは分かったのか、白衣の人が

「元々病弱でこの病院に入院していらしたあなたが、急に意識不明になって5日間生死の境を行き来してたんですよ。1時は心臓も止まって生命維持をどうするかを話し合うこともしました。何とか戻ってこられたようで良かったです」

とまくし立てるように話してくれた。

隣でナース服の人がコップに水を汲んで渡してくれる。それを口に含むと、少し記憶に整理がつき始める。

ああ、そうだった。私はあの世界の人ではない。魔女でも無ければ、ましてや冒険を出来る身体でも無かった。少し動けば息が切れてしまうような、泣けるほど弱い一般人以下の人だ。何にもならないような日々をこの病室で過ごしているだけの存在だった。

それを自覚し直していると、白衣の人、専属の医師からかけられたのは、意外な言葉だった。

「その、貴女の身体の事なのですが、この5日間で何があったのか、詳しく教えていただけますか?」

「?何故ですか?」

「5日間、その中でも、特に1日目から2日目にかけて、貴女の身体に手術でも施したのかと思いたくなるくらい劇的な改善が見られました。弱っていた臓器の活動が活発化し、正常な値で安定するようになったのです」

1日目から2日目。それは……

「ああ、それはきっと、《万病に効く薬草》のおかけですね」

理解されないと分かっていても、私は自信を持ってそう言った。案の定まだ記憶に乱れがあると判断され、診断は後日に回されたが、静かになって逆に有難かった。

「あの本は、ここに持ってきたっけ。結構な数の本を持ち込んだけど」

私は記憶を頼りに1冊の本を取り出す。幸い、直ぐに見つかった。何度も読まれたその絵本は、少し色褪せながらも、しっかりとした作りを保っていた。

『海賊と歌声』

そんな丸っこい太字と、絵本らしい柔らかなタッチの絵で、お頭さんと海を描いたその表紙は、その中に絵本にはありえないほど残酷なシーンが入っている、私の大好きな本だ。何故これを再現した世界に迷い込んだのか。

それとも夢だったのか。それは分からない。

しかし、あの空想の世界で得た物は、確かに私の中にある。いつか記憶の底から抜けても、残る物はきっとある。

だから、

例えば、辛いことばかりのこんな世界から、

冒険を始めて見ることにしよう。

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例えば、こんな世界から。 お望月うさぎ @Omoti-moon15

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