フィノイ劇場にて


 魔力検査が終わって三日が経った。暇だった俺は室内で簡易なトレーニング、腕立て伏せや、腹筋運動をしたりして過ごしていた。


 今日は魔力を使わない運動をしていたのだが、余り、身体に負荷が掛かっている気がしない。やはり、あの森で変身して訓練している方が鍛えている感じがある。


 母やユッテ達は、こんな時くらいゆっくりすればいいのに、と呆れていた。逆に護衛としてついて来た魔獣討伐隊の連中は、俺に触発されたのか、護衛の機会が少ないからなのか、交代で外に出て訓練しているらしい。


 母も社交や情報収集があるからなのか、ツェーザル達を率いて忙しそうにしているようだ。羨ましいな、と思いながら、ユッテに買ってきてもらった小さな木の台を使って踏み台昇降運動をしていると、母が部屋に訪れた。


「レオ、また、やっていたのね……エリーの話が刺激になったのでしょうけど、切り上げて、お風呂で汗を流してきなさい。今日は下へ夕食に行くわよ」

「はぁい」


 風呂から上ってさっぱりすると、着替えを済ませ、母と共に久しぶりの食堂へ向かう。魔力検査が終わってからは、部屋に食事を運んでもらっていた。

 俺には関係のない話ではあるが、魔力の扱いに慣れるよう、一人で部屋に籠る期間を設けるのが普通なのだそうだ。


 食堂の奥の部屋では、侯爵親子が待っていた。


「遅くなりました、フリーデグント様」

「構わなくってよ、私たちもついさっき来たところです」


 今日の夕食はブルーメンタール侯爵家の親子と共にする。カサンドラは既に元気を取り戻していて、毎日、魔力の扱いについて訓練しているそうだ。


「カサンドラはもう属性検査を行えそうですが、レオンハルトはどうかしら?」

「この子も準備はできています。いつでも属性検査に行けますよ」

「では、明日にでも、王宮にグローサー家の分も含めて申請を出しておきますね。それから、レオンハルト、貴方の好きな劇場の予約を取ってあるわ。気晴らしに今夜、カサンドラと一緒に劇場へ行ってきなさい」

「え? 劇場ですか?」

「貴方は姉のエリザベートに聞いて、観衆を集めて語り部の真似をする程、劇場に興味を持っているのでしょう? 王都の劇場はなかなか凝っているわよ」


 ああ、そんな事もあったな……母が話のタネにフリーデグントに語ったのだろう。まぁ前世では映画館にすら行った事がないので、興味がないといえば嘘になる。


「はい。しかし、カサンドラ様と二人だけでですか?」

「ええ、勿論、護衛はつけます。私とフロレンティア様は用があって同行できないの。あの面倒な男のせいでね……これから、王宮の役人と騎士団の団長が来るのよ。私たちのことは気にせず、貴方たちは楽しんできなさい」

「フフ、夜の街に出かけるだなんて、少し大人になった気分ですわね」

「レオ、いざという時は貴方がカサンドラ嬢を守ってあげるのよ?」

「はい」


 侯爵親子の手前、カッコつけておいたが、“変身”や“具現化魔術”を隠したままカサンドラを守るのは難しいだろう。

 俺に出来るのはカサンドラを連れて逃げるくらいしかないかな……


「ただ、劇を観るだけです。護衛もいるのだし危険な目に合うなんてことはありませんよ。たとえ“魔人”がいたとしてもね。毎日部屋に籠ってばかりでは気が滅入ってしまうでしょう? 気分転換も大事ですからね」


 “魔人”呼びがフリーデグントに伝わっているのは、母と情報交換しあっているからだろう。侯爵家の人物がそう呼び始めると、いずれ貴族全体に広まるのかもしれない。


 夕暮れの終わりかけ、街灯に明かりが灯り出した頃、俺はカサンドラに誘われて侯爵家の馬車に乗り、護衛達は別の馬車で後ろからついて来ている。

 夜の王都は朝よりも人通りが多い。煌びやかな明かりの下、様々な人が歩道を行き交い、馬車道は混んでいた。


「流石に王都だけあって、馬車道まで混んでいますわね」

「侯爵領の領都は、ここまで混んでいないのですか?」

「どうなのでしょう? こんな時間に街中に出掛けるのは初めてですから……ただ、人通りは分かりませんけれど、邸から見下ろした時、馬車に付いている明かりが移動する様子と比べると、王都の方が混んでいるかと」

「侯爵家の邸は領都の中にあるんですね?」

「え? ええ、グローサー家は違うのですか?」

「はい、領都の外にありますよ。領毎に色々と違いがあるみたいですね」

「そういえば、ベルムバッハ伯爵の邸は水辺の側にあって、時々、遊覧船でのんびりするのですって。楽しそうですよね」

「へぇ……そういう話を聞くと、色々な領に行ってみたくなりますね」

「そうですわね。でもその前に、自分の領を見て回りたいですわね。まだまだ、行っていないところが多くありますもの」


 そんな話をしていると、漸く馬車が劇場に着く。

 低い塀の向こうに建つ劇場は薄い臙脂色の壁で、ライトアップされた壁面に大きく、恐らく劇場の名前であろう、フィノイ、という文字が浮き彫りにされていた。

 噴水のある大きな広場から、歩いてきた大勢の人が入り口に吸い込まれていく。


 不意に馬車が止まると御者が馬車の扉を開け、カサンドラに話しかける。


「お嬢様、貴族証をお貸しください」

「あら? もう使えるのかしら?」

「使用できなくとも、受付で見せれば彼らも理解しますよ。貴族しか持ってないものですから」

「それもそうね」


 カサンドラが貴族証を御者に渡すと、彼は去っていった。暫くすると恐らく劇場の関係者だと思われる人と戻ってきて、カサンドラに貴族証を返却する。


 劇場の人の誘導で馬車が移動を始めると、劇場をぐるっと回って、緩やかなスロープを下って地下へと入っていく。地下は広い空間になっていて、数十台の馬車が止まっていた。


 カサンドラとともに馬車を降り、それぞれの護衛と合流する。俺の護衛はイーナを始めとする女性三人組。対してカサンドラには十数人の護衛がついている。


 ブルーメンタール家は侯爵位とあって、護衛は百人近く王都に来ているそうだ。それだけの数はあの宿の一階層では収容できないので、いくつかの宿に分かれているらしい。


 劇場の人の案内で、移動床に乗って上階へ登っていくと、聞いた事のない弦楽器の音楽が小さく聞こえてくる。


「あら!?」


 移動床から進んでいくと、脇の通路から出てきた人達がいた。


「レオンハルトにカサンドラではないですか、こんなところで会うなんて奇遇ですね?」

「王女殿下……もしやそちらは、王子殿下でしょうか?」

「む? 其方らは……あ~待て待て、我らは見ての通りお忍びだ。簡易な礼すらいらん」


 声を掛けてきたのはお姫様で、カサンドラがスカートを摘まんで礼をしようとしたところを止めたのは洗礼式の時に見た金髪の王子だった。

 二人はお忍びとはいえ、それなりに良い服を着ている。やはり、こういうところではそれなりに高価な衣装でないといけないのだろう。


 彼等は四人組で、王族の二人に若い男女がついている。いつもの様にお姫様の側にいる背の高い女性は、鎧姿ではなくジャケットにズボンという格好をしていて、もう一人は高身長でスマートな感じがする黄緑の髪の男性だった。


 王族につく護衛としては数が少なすぎるような……俺の気持ちを代弁するかのように、カサンドラが尋ねた。


「王族の護衛としては少し頼りなく思えますが?」

「フフフ、わたくしたちは洗礼式を終えたばかりですからね。まだ、公務にも出ていませんから、民衆に紛れても誰も気付きませんわ」

「ノーラは表に出過ぎだがな、そのせいであんな事件にあったというのに……父上も、ばあやも、甘すぎるのだ」

「お兄様、そうは言いますが、もう、わたくしたちが自由に動ける時間はこれで最後かもしれませんのよ?」

「兄、ということは、お二人は御兄妹なのですね。同じ洗礼式に出ていたようですが、あれはどういう……?」

「ああ、我らは双子なのだ。似てはいないがな……」


 二人は二卵性双生児なのだろう。王は白髪が混じっていたとはいえ黒髪で、お姫様も黒髪だ。となると、お姫様は隔世遺伝でもしているのかもしれない。


「そういうこともあるのでしょう。レオンハルトとカサンドラはどういった仲なのです? 洗礼式も一緒でしたし、一緒に劇場に来るほど親交があったのでしょうか?」

「私たちは同じ宿で出会っただけですわ。レオンハルトが劇場に興味があったのと、私も王都の演劇の質が侯爵領のとどれくらい違いがあるのか知りたくて、お誘いしたのです」

「そうですか……よければ、わたくしたちと一緒に観ませんか?」


 お姫様が俺達を誘おうとすると、男の護衛が口を開く。


「駄目ですよ、殿下。彼らは明らかに貴族と分かる出で立ちですし、これだけの護衛がいてはお忍びの利点がなくなってしまいます。彼らの護衛は必ずしも殿下を優先的に守ってくれる訳でもありませんしね」

「そうだぞ、ノーラ。我らには武器も所持していない護衛が二名しかいないのだ。無理を言って彼らを困らせるものではない」

「そうですか……仕方ありませんわね。二人とも、機会があればどこかでご一緒しましょう。それと、護衛とはぐれて迷子になんてならないようにね」


 王子とその護衛がお姫様をたしなめると、お姫様は素直に引き下がった。 二人しか護衛がいないとは言っているが、一瞬だけ視線を感じたので隠れた護衛はいるのだろう。

 お姫様達が知っているかどうかは分からないが、彼等が通ってきた通路の奥にいる筈だ。


 王族二人と別れ、俺達は更に奥へ続く通路を進む。階段を上り、劇場の案内人が扉を開くと、そこは暗い広めの部屋で、正面から劇場内全体を見下ろせるようになっていた。

 広い座席はゆったりとした姿勢で劇を観れるようになっているが、舞台まで少し遠すぎるかな……


「まぁ、素敵ですわね」


 カサンドラだけでなく、護衛達も感心していた。劇場内を見下ろしてみると、客席はほぼ満席に見える。お姫様達はどこにいるのだろう、と探してみたがさっぱり分からなかった。


 舞台の上には十人の弦楽器を演奏している人達がいるのだが、どういう訳か部屋の壁から音楽が聴こえてくる。

 カサンドラによると、こういった特別な部屋には魔導具が使われていて、舞台上の音声が聞こえやすくなっているのだそうだ。


 やがて、ドォーン、ドォーンと太鼓の音が聞こえだすと、劇場内が暗くなる。いよいよ劇が始まるようだ。

 太鼓の音が止まると、舞台の一角に光が当たる。そこに長い帽子と黒い服、杖を突いた一人の男性が立っていた。


「紳士、淑女の皆様、ようこそおいで下さいました。今宵、始まります物語は若き男女の切ない恋物語……昔々の王都であったお話でございます。ある夜、フロイデンタール家のパーティに招かれた男からこのお話は始まります」


 男に当たっていた明かりが消えると、舞台がバンッと明るくなり、書き割りを背に一人の若い貴族風の男が立っていて劇が始まった。


 物語は昔、文章を覚えるために書かれていた本の御伽噺が元になっているようだった。

 男は病気になった両親に代わり、出席した他家のパーティで一人の女性と出会う。周りは年上だらけだったので、自然と二人は話し合うようになり、互いに惹かれあうようになる……という恋愛話だったかな。


 正直なところ、冒険譚や英雄譚ばかり読んでいたので、この話のオチを覚えていない。二人に色々と障害が起こるけど、最終的に二人は結ばれたのだったのかな?


 話が進んでいくと舞台上が暗くなる。再び、語り部と呼ばれる男が登場すると、次に始まる舞台の状況を説明しだす。

 丁度いいか、と思い俺は席を立った。


「あら? どうしましたの?」

「ちょっと、用を思い出しまして……」

「そう、ごゆっくりどうぞ」


 カサンドラにトイレに行くと告げ、部屋を出ようとするとイーナがついてこようとしてきた。


「いいよ、すぐそこだし」

「しかし……」

「それより、しっかりと劇を見ておいて、俺が戻って来た時、どうなったのか教えて」

「は、はぁ……」


 俺自身、恋愛話は少し苦手だ。恋愛話を聞いていると、お尻がむずがゆくなるというか……逆に姉を始め女性はそういう話が好きなようだ。

 母がイーナを含む女性達を俺の護衛につけたのは、今回の劇が恋愛ものだと知っていたからだろう。


 少し離れた場所にあったトイレで用を足し、部屋へ戻ろうとすると通路の奥に怪しい奴等が歩いているのに気付いた。

 この場に似つかわしくない連中は確か……周りに誰もいないのを確認して、スマホを具現化する。


「今、通路を曲がって行った奴らって、ニクラスたちと一緒にいた時に絡んできた奴ら?」

「――三人は同じですが、灰色のローブを着た人物は別人です」

「……そうか」


 少し気になるので、俺はこっそりと後をつけ始めた。視線に感づく技術があるので、用心の為、俺はスマホに彼等の魔力をマップに表示しながら追跡を始める。


 バタンと音が鳴り、角から覗くと、大きな金属の扉が閉まっていた。

 そっと押してみると、ギィと軋んだ小さな音が出る。気付かれなければいいな、と思いながら俺が通れるだけの隙間を作って抜けだす。


 そこは薄暗くなった踊り場だった。ここが一番上の階で下りの階段が続いている。


 足を忍ばせて、そっと階段を降りていくと話声が聞こえてくる。俺は内容が聞こえてくるところまで近づいていった。



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