本人のいないところで
母と供に側へ寄って行くと、イーナがこちらに気付く。
「あ、フロレンティア様、先日の失礼な男が宿の従業員を困らせていましたので、取り押さえておきました」
「フロレンティア! このあばずれをなんとかしろ!」
「フロレンティア“様”でしょうが!」
「ぐあああ! や、やめろ! そ、それ以上は、お、折れ、折れる!」
母は溜め息交じりに男に尋ねた。
「予想はつくけれど、オーラフ、一応、何をしに来たのか訊いておきましょうか?」
「オ、オレは……いや、私は私の栄誉ある経歴に傷を付ける訳にはいかないのだ! せっかく王都の騎士団へ転属になったというのに、これでは……と、とにかく王宮に訴えた件を取り下げて欲しい!」
ああ、この男は先日の馴れ馴れしい騎士か……特徴のある白と青の騎士服を着ていないので、印象が違い誰だか思い出せなかった。
そこへ一緒に戻ってきた侯爵親子もやって来る。勝手な要望を喚き散らしていた騎士にフリーデグントが割って入る。
「私としては、その態度が問題だと思うのですがね。今更、グローサー子爵に懇願しても無駄なのよ。それで、貴方は免職にでもなったのかしら?」
「い、いや、自宅待機だが……」
「あらあら、騎士団の人手不足というのは本当の話らしいわね。この程度の男を手放すことも出来ないだなんて……グローサー子爵の見通しがある程度たっていたという訳ですか。とはいえ、これ以上、この男に煩わされたくはありませんね……」
フリーデグントが自身の護衛に声を掛けようと振り返ると、馬車の中で少しは回復したのだろう、カサンドラが話に入ってくる。
「差し出がましいようですが、お母様、グローサー子爵様、一つ思い付いたことがございますわ」
「あら、何かしら?」
「王都では確か、互いに何か代償をかけて、対決だか決闘を行う仕組みがあったはずです。その男の免職を賭けて、グローサー子爵様と勝負するのはどうでしょう?」
「カサンドラ、それは貴方がグローサー子爵の闘いを見たいだけでしょう? 全く、淑女としてそれは如何なものかと思いますけれど……貴方はグローサー子爵に勝てる自信があるのかしら?」
「む、無理だ……フ、フロレンティアに……あだだだだ! グ、グローサー子爵様に勝てる訳がない!」
イーナが男の腕を捻り上げ、言い直させる。
「ま、そうなりますわよね、体格の小さなグローサー家の護衛に取り押さえられているようでは。互いの実力が近いから勝負になる訳ですし……かといって、まだ魔術訓練も行っていないレオンハルトでは話にもなりませんし……」
フリーデグントは俺を見つめながら呟くと、それを聞いたカサンドラがポンと手を叩く。
「噂のエリザベート様はどうでしょうか? 圧倒的な魔力の持ち主とはいえ、まだ学園に入る前です。あまり強そうには見えませんが、この方も一応は騎士団に入る実力はあるのでしょう? 彼女とならいい勝負になるのではないでしょうか?」
「流石にそれは、エリザベート嬢があまりにも不利でしょう、大人と子供ではねぇ……何か条件を付けますかね?」
どういう訳か、取り押さえられた男とグローサー家とで勝負する流れになり始めている。祖父や姉だと喜んで引き受けそうだが、正直なところグローサー家のメリットが何一つない。
この男が騎士を続けようが、辞めようが、グローサー家には何の関係もないのだ。本人のいないところで、話が進むのはどうなのだろう? とはいえ、侯爵に俺が口を挟むのもな……
母はどうするのだろう? と母を見やると、顎に手をやり何か考えていた母がイーナに告げる。
「イーナ、彼を放しなさい」
「はい」
「ったく、ガサツな女が! 護衛ごときがいい気になるなよ、私がその気になれば貴様なんぞ……」
「オーラフ!」
「ウッ」
腕をさすりながら男は立ち上がり、イーナを罵り始めたが、母が怒鳴ると男はビクッと肩を上げ黙り込んでしまう。
「彼女もグローサー家の一員よ。盾突くというのであれば、今ここで貴方の首を刎ね飛ばしましょうか?」
「わ、分かった……」
「分かった、ですって? では、どうするの? 学園で学んだのではなくて?」
「クッ……も、申し訳ありませんでした」
男はその場で跪くと、土下座になって母へ謝罪した。
「まぁいいわ。オーラフ、立ち上がってその場で、全力の身体強化を行いなさい」
「え? あ、あぁ……」
母に命じられ、男は立ち上がって身体強化を始めた。
「フン!」
少しの間、様子を見ていた母が呆れたように告げる。
「……まさか、それが限界なのかしら?」
「ま、待て、あの魔導鎧があればもっと強化できるんだ!」
「もういいわ……成る程ね、なぜ貴方が騎士団に入団できたのか疑問に思っていたのだけれど、その魔導鎧のおかげだったのね。それなりに高価なものでしょうに、両親にでも
「な、なに……?」
「え?」
男と侯爵親子、その護衛も含め誰もが驚いていた。母の言葉に、当然だろう、と納得していたのはグローサー家の関係者だけである。
俺自身、姉とこの男との間に、どれくらいの実力差があるのか分からない。ただ、ランヴィータ湖の水を大量に巻き上げたあの炎の魔術を思い浮かべると、そういう事もあり得るのかな、と納得してしまう。
「オーラフ、選択肢を与えるわ。この子たちが数日後の属性検査を終えるのを待ち、そのままブルーメンタール侯爵家の方々と共にグローサー領へ直行するか、一年半後に私の娘、エリザベートが王都の学園に通い始めるのだけど、そこで娘と勝負するか。その時は、フリーデグント様にわざわざ王都へ出向いていただく必要がありますが、もちろん見届け人役をやっていただけますわよね?」
「え、ええ……」
「い、いや、私は対決など行いたくはないのだが……」
「貴方の意見など通ると思っているの? 貴方ごときが
「そ、そんなつもりは……私はただ、王宮への訴えを取り下げて欲しいだけで……」
「まだ分からないの? もう、私と貴方の問題ではなく、ブルーメンタール侯爵家と貴方の話になっているの。貴方に侯爵様の意思を覆せる程の取引材料があるのかしら? 莫大な財産を持ち、広大な領地を治め、数々の貴族を従える、侯爵様に貴方は何を差し出せるの?」
「……な、なにもない……」
「なら、どうするべきなのか分かるわよね? 近日中に死ぬか、一年半後に死ぬか、それとも今ここで私に処されるか……選びなさい」
母の言葉に、男は顔面を蒼白にして黙りこくってしまった。死刑宣告されれば誰でもそうなるか……
「漸く、自身の立場が理解できたようですわね? 上層部から自宅謹慎を言い渡され、それを無視して交渉とは程遠い、自身の意見だけを押し付けに来たのです。それなりの覚悟を持っているのかと思えば……どこかの騎士団から王都へ回されたとか聞きましたけれど、体のいい厄介払いだったのではなくて? つまり貴方にとって、騎士団は遅かれ早かれ退団する羽目になっていた訳ね。そんなことより、グローサー子爵が提示したどの案を貴方は選ぶのかしら? 私たちには貴方ごときにかける時間はないのです。即答しないのであれば、当初の予定通り、今ここで処すわよ?」
「わ、分かった……い、一年半後だ……一年半後、王都での決着を……」
「そう、オーラフ、貴方の選択としてはそれが正しいのかもしれないわ。今から懸命に修業して、借金をしてでも装備を整えなさい。そうすれば生き残れるかもしれないわよ?」
「あ、あぁ……」
「さ、カサンドラにレオンハルト、貴方たちは先に部屋に戻って休みなさい。しっかりと回復する魔力を感じ取るのですよ。グローサー子爵、少しいいかしら?」
「ええ……」
フリーデグントに指示されて、母と彼女を残し、カサンドラと共に宿へ入る。受付で銀の札、貴族証をカサンドラが手渡すのを見て、俺も真似をする。
「おめでとうございます、ブルーメンタール侯爵様、グローサー子爵様。これからも御贔屓のほど、よろしくお願いいたします」
「ありがとう」
受付の女性に貴族証を返されながら、祝意を述べられる。まぁ営業なんだろうけど、少し大人になったようでくすぐったい。
カサンドラと共に移動床まで進み、彼女とその取り巻き達に順を譲る。
「なんだかおかしな展開になってしまいましたわね? けれども、是非、噂のエリザベート様にはお会いしてみたいですわ」
「あまり期待しない方がいいですよ。いずれ学園で会えるはずですが、本人に会ってがっかりしたなんてのは多々あるようです」
「そうですか? 王は噂通り厳しそうな方でしたが……後日の属性検査も一緒に行きましょうね、レオンハルト」
「はい、その時はよろしくお願いします」
カサンドラ達と別れ、ユッテ達とグローサー家が借りている四階へと足を運ぶ。
「レオ様、お疲れ様でした。昼食はどうされますか?」
「母さんがすぐに戻ってくると思うから、少し待つよ」
「かしこまりました」
着替えを済ませ広間へ出る。待機していたお手伝いさんが、果実水を用意してくれた。広間で果実水を飲み干し、それでも待っていると漸く母がツェーザル達と戻ってきた。
「お帰り、母さん。侯爵と何の話をしていたの?」
「あの男の処遇について少しね……それより、疲れていない? 流れ込む魔力を抑え込んだとはいえ、それなりに魔力を消耗しているのでしょう?」
「う~ん、別に疲れてないけど? このところ、身体を動かしていないから力が有り余っているんだよね」
「全く、貴方は……外に出してあげたいけど、魔力検査が終わったばかりだからね。二、三日は宿で大人しくしているのよ? でないと、他の貴族に不審がられてしまうわ」
「はぁい」
「レオは既に魔力の扱いを知っているけれど、一応、一般的な魔力が回復した次の段階のことを伝えておきましょうか。貴方に子供ができたとき困らないようにね。さ、来なさい」
母に連れられて、母が専用にしている個室に入り、本来の魔力の扱いというものを聞く。が、まぁ既に知っている事だった。
身体の奥というか、芯から溢れてくる魔力を感じとる、それが第一段階。
次に、自身の中で魔力を動かすのが第二段階。
この時、身体の何処から何処へ動かそうとも構わない。一般的には手の先や掌に集める場合が多く、魔力を体内で動かす事に慣れるのが大事なのだ。
そして、魔力が空の魔石、或いは随分と減った魔石を手に持ち、そこへ魔力を流し込んで補充できるようになるのが第三段階。
これは昔、子爵邸で祖父が持ってきた空の魔石で試した経験がある。その時、マーサに見つかり、母へ報告され、祖父と共に大目玉を喰らったのだが……
ここは貴族によっては、魔導具を用いる場合もあるそうだ。
この辺りから、俺と他の人とで魔力の扱い方が変わってくる。
俺の場合、腕や脚に魔力を込めて、筋力を上げたり瞬発力を得たりする。しかし、普通はそこから直ぐに身体強化を学ぶので、俺がやるような魔力を身体の一部に込める、というのは覚えないのだそうだ。
「身体強化は魔術の基礎にして奥義でもあるからね。早めに教えておくことが重要なの。レオがやっているような、派手な動きが可能になるだけでなく、強靭さも得られるからね。少しくらいのことでは傷付かなくなるし、他人から癒しの魔術を受けるのにも必要なのよ」
「ずっと前に、爺ちゃんが、最初に身体強化を覚えなければ他の魔術は教えない、って言ってたけど、自分の身を守る為でもあるんだね。そういえば、姉さんの魔術指導が順調じゃないって言ってた気がするけど、やっぱり身体強化が上手くできなかったのかな?」
「少し違うわね……エリーの魔力の多さも原因だとは思うけれど、あの子は何処か聡いところがあるでしょう? 体力の低さも相まって、小手先の魔力だけで何とかしようとするのだけれど、本当に何とかしてしまうのよ。でも、それでは鍛錬にならないわ。己の限界を知り、どうやって限界を超えるのか、そういうことを試行錯誤させてこそ本当の鍛錬になるの。だから、如何に限界まで魔力を使わせるか悩んでいたのだけれど……あの事件のおかげで、やっと本気で鍛錬するようになったのよ」
「へぇ、じゃあ、あの馴れ馴れしい騎士に、姉さんが余裕で勝てるっていうのも、ハッタリって訳でもないんだ?」
「そうよ、まだ、実戦経験が少ないから私の方に分があるけれど、魔力出力だけなら既に私と同程度はあるわ。学園に入学する頃には、私を追い越しているでしょうね」
「えっ!? そんなに!?」
「この前、お父様の指示でレオとエリーとで模擬戦闘を行ったでしょう? あの時は本当に焦ったわ。洗礼前なのにエリーが下手な真似をして、レオに深手を負わせてしまわないかって……レオはまだ身体強化を覚えていないのだから……」
「じゃあ、あの時、相当手加減されていたんだね……」
簡易な模擬戦闘だったとはいえ、もしかすると、変身しても勝てないのかもしれないな……
「ええ、口を酸っぱくして手加減するように言っておいたからね。でも、そこまで気を落とさなくてもいいのよ? レオのような速度に乗って変則的な動きをする相手は、私たちの様な遠距離から魔術を放つのを主軸とする者からすると、相当厄介なのだから」
「そうなんだ? じゃあ得意なのは?」
「お父様の様な剛力と強靭さを兼ね備えた手合いね。どんなに頑強さを誇っていても、距離を詰められなければただの的にしやすいから。逆にレオはお父様を相手にするのは相性が悪いのよ? 互いに近接戦闘が主体になるから、レオみたいな手合いはどっしり構えられてしまうと不利なの」
「成る程……」
「まぁこれは互いの実力が同等だった場合だけどね? 正直なところ、私がお父様に勝てる見通しは全くないわ」
今まで自分なりに鍛錬してきたつもりだ。それでも、本格的に魔術を学ばなければこれ以上、伸びないのかもしれない。
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