王都の少年


 王領へ入ると流石に魔獣に襲われる事は無かった。予定より三日遅れて昼過ぎに王都へ着く。


 外から見た王都は巨大で長い城壁に囲まれ、端から端までどれくらい距離があるのか見当もつかない。

 尖塔のある建物が幾つも高くそびえていて、王城がどこにあるのか外からでは分からなかった。正にこれが王都だと主張しているようで圧迫感が凄い。


 馬に乗って進んで行くと巨大な城門の中に受付の様な場所があり、先頭がそこへ誘導される。その受付でお手伝いさんが担当者と何かやり取りしているのだが、他の街に比べて時間が掛かっているようだ。


 お手伝いさんと、王都の兵士らしき人物が母のいる馬車へ歩み寄る。馬車のドア越しに何かやり取りをしているようだ。

 どうなっているのだろう? と俺も魔獣討伐隊の人に馬を預け、母のいる馬車に近づく。


「……そう、知らせてくれてありがとう。……レオ、馬車に乗りなさい」


 眉間に皺を寄せた母に従い馬車に乗る。馬車は城門を出て、王都の大通りを進んでいく。


 王都の街並みは赤い壁や青い壁など色とりどりの建物が並んでいて統一感が無い……筈なのだが、所々くすんでいたり、人の手が入った植物やよく分からないものが飾ってあったりして、昔から自然とそこに存在していたようで違和感がない。


 大通りには多くの色々な人々が行き交い賑わっていて、大都会だなぁと思わせられた。


 隣にいる母をそっと見上げる。機嫌が悪い……という訳ではなく何か考え込んでいるようだ。


「母さん、何かあったの?」


 母に問うと、俺の頭を撫でながら母は困ったような表情を浮かべた。


「私の叔父様、貴方にとってはお爺様の弟にあたる方から緊急の呼び出しよ」

「ふぅん?」

「取り敢えず、詳細を聞かないことには……もしかすると、貴方の洗礼式についてかしらね」

「それって……?」


 俺の疑問に答えず、母は苦い笑いを浮かべ軽く首を振るだけだった。


 進んでいた馬車が、広い庭のある大きな建物に着く。七階建ての建物は一階が受付になっている宿だった。


 床はツルツルに磨かれた石の上に経路としての絨毯が引いてあり、壁や窓もピカピカに磨かれている。一部には複雑な模様の布なんかで飾ってあり清潔感があった。

 俺達はここの四階を丸ごと借りるのだそうだ。


 受付の奥にある通路へ通されると、丸くなっている床があった。そこに、俺と母、魔獣討伐隊のツェーザルとイーナ、それとユッテ達お手伝いさんが集まる。

 ユッテが壁についている操作盤の様なものに触れると、床がガコンと動き出す。


「わっ!?」


 少し驚いたが、これはこの世界なりの開閉する扉の無いエレベーターだった。


 四階に着くと大きな扉があり、ツェーザルとイーナが先行して入っていく。続いて俺と母が入り、お手伝いさん達はその後に続いた。

 大きな広間に入るとツェーザルとイーナが、それぞれ大広間から続いている個室に出入りして安全の確認をしていた。


「レオ、着替えてきなさい。これから出掛けるわよ」

「うん、分かった」


 母に言われ、適当な部屋に入りユッテに着替えを手伝ってもらう。貴族風の服で首へ巻いたスカーフに違和感を覚えて、少しくすぐったい。


 母達と共に一階へ降りると、他領の貴族の一行と思われる人達がロビーで何やら話し合っていた。軽く会釈だけ交わし宿の外へ出る。

 暫くすると、宿の手配した馬車がやって来てそれに乗って移動する。


「母さん、大叔父さんってどんな人なの?」

「今は王都の騎士団に所属している筈だけれど……あまり、お父様と似ていないわね」

「へぇ、爺ちゃんの弟って騎士団にいるんだ」


 大きな建物が建っている辺りを抜け、背の低い壁に囲われた一軒家が多く建ち並ぶ地区へと出る。

 家や庭の大きさはそれぞれ違っているようだが、丘の上にあるのは邸と言ってもいいくらい大きく塀も高い。


 その中では比較的小さな二階建ての家の前に馬車が止まると、玄関から大柄な老人が出てきた。

 祖父より明るい赤い髪をしていて、祖父ほど厳つい感じはしない。あれが祖父の弟にあたる大叔父という人だろう。


 別の馬車に乗っていた討伐隊の数名が門の側につき、俺は母の後について門をくぐる。


「よう来たの、フロレンティア」

「お久しぶりです、叔父様」

「そっちが今回、洗礼式を受ける子か」

「初めまして、レオンハルト・グローサーです」

「うむ、儂はエッカルト・グローサーじゃ。大したもてなしは出来んが、ゆっくりしていくといい」


 大叔父の案内で家に入ると、居間へ通される。


「すまんな、普段は数日おきに通いの使用人を雇っているだけじゃからの。儂も今、門衛からお主等が王都に着いたと聞いて、戻って来たばかりでな……」

「ああ、それなら、貴方たち……」

「はい」


 一緒について来たお手伝いさん達がそろって、部屋を出ていく。


「それで叔父様、どの様な用件なのです?」

「うむ、レオンハルト、お主の洗礼式は“春の始まり”の初日、つまり二日後の王族の洗礼式と同日に王宮で行われる。それを伝える為、門衛にお主等が到着したら儂の所へ来るように手配しておったのじゃが……」

「――! それはまた面倒な……」

「そうじゃな……洗礼式は高位の貴族から日替わりで行われ、ほぼ同位の貴族同士で集まるからの。多少の無礼や失礼は互いに目をつぶるものじゃが、王族相手ではそうもいくまい」

「そうですね……レオ、貴方は運が良いのか、悪いのか……いいえ、運がどうとかじゃないわね。エリーの件があったのだから私たちの見通しが甘かった、というのが正しいわね」

「そうじゃな。まぁ王宮と神殿の確執に巻き込まれたともいえるのじゃろうが……王宮にいるとそういう噂話が耳に入って来るのじゃが、ダシにされる側はたまったものではないのう」

「あれ? 大叔父さんって騎士団に所属しているんじゃ? どうして王宮の話を?」

「ああ、儂は今、王宮を守る第二騎士団に所属しているのでな。くだらん噂話はいくらでも入って来るわい。まったく……騎士団に入れば戦いに明け暮れる日々じゃと思っておった、若き日の儂に忠告してやりたいわい。お前が思っている以上に退屈な所じゃぞとな……しかも、大隊長なんぞになると書類仕事ばかりでな、もう兄貴と比べると随分と腕に差を付けられたじゃろうなぁ……」


 見た目も雰囲気も祖父とは違う大叔父だが、やっぱり祖父の兄弟なんだな……

 そこへ一人、群青色の髪をした少年がノックして部屋に入ってくる。


「爺さん、なんか知らねー女の人たちが家の台所でなんかやって……あ、フロレンティア様? い、いらっしゃいませ」

「あら、ニクラス、エリーの洗礼式以来ね。元気にしていたかしら?」

「は、はい、おかげさまで……」

「ニクラス、此奴が今回の洗礼式にやって来たフロレンティアの息子、レオンハルトじゃ。儂とフロレンティアは暫く話し合うことがあるから、レオンハルトと共に外で遊んでおれ」

「分かった、じゃあ行こうか」

「うん」


 ニクラスと呼ばれた少年の後について、庭へ出る。それほど広くなく、少し荒れていて真ん中あたりの地面は剥き出しになっていた。


「ここでいつも爺さんとよく訓練をしているんだ」

「へぇ、どんな訓練?」

「最近は木剣での打ち合いが多いかなー? 爺さんがいない時は素振りをしているけど……」

「じゃあ、俺とやってみる?」

「え? ホントか? ちょっと待ってて!」


 彼は慌てて家の裏側へ走っていき、どこかから取って来たであろう木剣を二本持って戻ってきた。俺に木剣を一つ渡しつつ話しかけてくる。


「オレも今年は洗礼式だし、君もその服を汚す訳にもいかないだろ? 軽く打ち合わせるだけにしようぜ」

「服は気にしなくてもいいけど、ケガをさせる訳にもいかないし、軽くやるのは分かった」

「ほお? 腕に自信があるようで? じゃあさっそくやろうか」


 互いに数歩離れて向かい合う。木剣をクルリと軽く取り廻してみる。長さは四十センチくらいかな? 俺が良く具現化する鉈の様な短剣よりも少し長く、刃の幅が細い。小剣サイズといったところだろうか? 


 ニクラスは両手でしっかり木剣を持ち構えている。対して俺は片手にした木剣をダラリと下げて持っていた。


 ニクラスが飛び出してきて、下段から俺の右側に向けて木剣を振り上げてくる。俺は半歩退いてそれを躱すと、彼は振り上げた木剣を振り下ろした。手にした木剣でその一撃を弾く。


「む?」


 ニクラスは次々と斬撃を繰り出してくるが、その悉くを俺は弾き返していった。彼は基本的に両手でしっかりと木剣を握っているが、俺は右手に持ったり左手に持ったりして片手で扱っている。


「この……!」


 最初はそれほどでもなかったのに、次第に彼はムキになって木剣を振り回し始めた。俺は避けたり、弾いたりしていく。


 ニクラスの剣の腕が、どれくらい上手いのか俺には分からない。ただ、木剣を弾いても手放す事なくしっかり握っているし、振りも鋭い。


 基本がしっかりできているのだろうが……その剣筋は素直すぎた。次の動きや、こういう風に振るって来るのだろうな、と簡単に予想しやすく、おかげで躱したり弾いたりするのが容易だったのだ。


 時間にして十分か十五分ほど、そうやっていただろうか……ニクラスは手を止めた。


「ハァ、ハァ、ハァ、すげーな、レオンハルト、近所の奴らだとすぐ根を上げちまって相手にならないんだけど、爺さん以外でここまでやる奴は初めてだよ……」

「そう? ニクラスも充分すごいよ、剣の振りが鋭かったしさ。後は牽制とか不意を衝くとか、そういうのを仕掛けられれば俺も捌ききれなかったかも?」

「そうか、分かっちゃいるんだけどな……爺さんにもよく言われるし……騎士になるにはまだまだ足りないなぁ」

「将来は騎士団に入るつもりなんだ?」

「ああ、オレは爺さんの血を引いている訳じゃないからな。コネで騎士団に入るのは厳しいだろうと思って、日々訓練しているんだ」

「血を引いていないってのはどういう……?」

「オレの両親ってさ、実はもういないんだ。オレが赤ん坊の頃、犯罪組織同士の抗争に両親が巻き込まれたそうで……その事件を担当した爺さんに引き取ってもらえたって訳さ。爺さんが居なくなれば、この家は王宮に返還されるんだけど、その前にできればオレが騎士になってこの家を守っていければなぁって……平民の血を引くオレがこんなことをいうのは甘いかな?」


 そういって、ニクラスは恥ずかしそうにガシガシと頭を掻いた。


 貴族はともかく、平民の間でも孤児はまずいない。何かの不幸によって孤児になってしまった場合、魔力症で子を失った者が面倒をみるのが殆どだそうだ。


 貴族である大叔父が、何を思ってニクラスを引き取ったのかは分からない。聞けば、大叔父は独身で、子供もいないのだそうだ。


「甘いかどうかは俺には分かんないけど、母さんが言っていたよ。どんな達人も鍛錬の果てに成果を残したんだって。もしかするとその努力は報われないかもしれない。だけど努力をしなかった者には、幸運の尻尾を掴む機会さえ訪れないだろうって」

「へぇ、フロレンティア様はいいことを言うなぁ……オレは赤ん坊の時から親が居なかったから寂しいなんて思わなかったけど、あんな綺麗で優しそうな母ちゃんの居るレオンハルトを羨ましく思うよ」

「そう? 母さんも怒る時は怒るけどね? それよりも姉さんには会った? 年の近い姉さんの方に惹かれるもんじゃないの?」

「ハッ、あの女……エリザベートだけは無いね。近所の女どもも口だけは達者で、言い負かされることは多いけど、あの女だけは別格だね。爺さんに連れられて初めてあの高級な宿で会ったんだけど、いきなり王都を案内しろって言ってきてさ。こっちはまだ五歳だぜ? それほど知らないから無理だって断ったら、そのまま無理やり馬車に乗せられてさ、あちこち連れまわされたんだよ」

「ふうん、でもそれって姉さんなりの優しさかもしれないよ? おかげで色んな所を見て回れたんじゃない?」

「あ、そんな風に考えたことはなかったな……でもな、えーとなんだっけ、絵とか彫刻がいっぱい飾ってあるところ……」

「美術館?」

「そうそう、美術館。すげー立派な建物でさ、見たこともない絵や彫刻が飾ってあって、オレは感心していたんだ。それでさ、案内の人が色々説明してくれていたんだけど、君の姉貴が突然いったんだ。もう二年前だから詳しくは覚えていないけど、そんな退屈な解説を聞かなければ、ここの作品を楽しめないのか? みたいな……もういい、とか言って案内の人を追い払ってしまったんだ。その後、ざっくりとだけ見て回ってすぐ出ちゃうしさ、滅茶苦茶な女だなと思ったよ……」

「あ~その話は、少しだけ聞いたことがあるな……」


 この世界の芸術は、前世であった写実主義の段階で止まっているそうだ。

 俺には芸術の事がさっぱり分からないが、ゴッホが浮世絵に影響されたような、印象的なものによる価値観の変化はまだ起きていないらしい。


 恐らく、遠くの見知らぬ風景を写した、写真や映像を見る機会がないおかげで、その作家個人の世界観や独創的な視点が重要視されないのだろう。


「その後も、屋台で食い物を買ったら、マズいとかいってオレに押し付けてくるしさ。その上、毎日のようにオレを迎えに来ては何処かへ連れ出すし……初めて家出しようかって本気で悩んだよ……」

「アハハ、よっぽど姉さんに気に入られたんだね」

「うへ、やめてくれよ、できれば二度と会いたくないね。あ、そうだ、あの時のお礼返しって訳でもないけどさ、今から街を案内してやるよ。そんなに長居できないだろうから、この近所だけになるけどね」

「いいの? それはありがたいな」

「いいって、いいって。じゃあこっちだ」


 そういう彼の案内で、俺達は家の裏門から王都の街へ繰り出していった。



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