ヴェステンの街
ヴェステンの街へ向けて、イーナと二騎の討伐隊員が先行する。先頭にいるツェーザルが全体の速度を落とすように動き、俺達はゆっくりと街に向かう。
門の辺りにまで来ると先行したイーナ達と、十数人の人達が待っていた。その中から一人の老人が母の乗った馬車に進み出ると、母は馬車から降りてきて老人と二言、三言、言葉を交わす。
すると、母が俺を手招きする。俺は馬を降りて、討伐隊の一人に馬を預け近寄って行く。そして老人に挨拶された。
「初めまして、レオンハルト様。儂はガームリヒと申しますじゃ。このヴェステンの街を代表する者として、貴方様のご来訪を歓迎いたしますぞ」
「初めまして、レオンハルトです。歓迎、ありがとうございます」
「丁寧なあいさつ、痛み入りますじゃ。して、フロレンティア様、今宵はどうされますかな? 儂の家で歓迎の酒宴を開くこともできますが?」
「いいえ、結構よ。その辺りの食事処で夕食を済ませて、早めに宿で休むつもりだから」
「そうですか、残念ですが洗礼の旅ゆえ致し方ありませんのう……しかし、貴方様はこの街の英雄ですじゃ。いつでも歓迎いたしますので、気兼ねなくお越しくだされ」
「ええ、気遣いありがとう。その内、訪れることもあるでしょう、ではね」
街の代表者と軽い挨拶を交わした後、出迎えてくれた街側の若い人に案内されて、母達と一つの店に入る。
討伐隊の人達は一階で、俺と母、お手伝いさん達は二階の個室へ案内された。
「レオ、子爵領での食事は今夜で暫く味わえなくなるから、後悔のないメニューを選びなさい」
席に着くと母にそんな事を言われる。どうも姉を始め、子爵領を出た事のある色々な人の話を聞くと、この領の料理は他領に比べて、頭一つ抜けて美味いらしい。
ただ、他領の料理も口にできない程、マズい訳でもないそうだ。
現代日本でも赤味噌、白味噌といった具合に、味噌だけでも色々な種類がある。その地域や素材、製法によって様々な種類があるし、幼い頃から慣れ親しんできた経験もあるだろう。
なので口に合うか合わないか、その程度の話だと思っている。
「母さんは大げさだなぁ。別に一生、ご飯が食べられなくなる訳じゃないし、少しすればまた戻ってくるのにさ。う~ん、俺はこのビーフシチューにしようかな?」
「貴方はホント気楽ねぇ……その言葉をよく胸に刻んでおきなさい。忠告はしたからね? 私は何にしようかしら……」
お手伝いさん達は俺と母が食事をする間に、交代で俺達とは別に食事を摂るのだそうだ。
母がメニューを見ながら悩んでいるうちに、俺のビーフシチューが運ばれてくる。ユッテが毒見という名の味見をすると、うんうんといった感じで頷き俺の前に置いてくれた。
「レオ様、とても良くできていると思いますよ」
「うん、ありがとう。どれどれ……」
母に断って、先に食事を始める。先ずはメインである肉を頬張ると、口の中で肉がホロホロと解けてゆく。そして口の中に広がる、デミグラスソース特有のコクと旨み。子爵邸で食べている物と比べても遜色のない出来だ。
「母さん、このビーフシチューとても美味しいよ? 母さんの好みだと思う」
「あら、そうなの? 私もそれにしようかしら……」
俺としてはもう少し肉に歯応えがあった方が好みなのだが、これはこれで美味い。
マグダレーネが料理人に注文を付ければよいと言っていたので、子爵邸でそうしてみたら俺の好みの物が時々出てくるようになったのだ。
俺と祖父の好みは似通っていて、ほんの少し歯応えがある方が好きなのだ。対して母と姉は、口当たりの柔らかいものを好む。
前世でもお嬢様だった姉は、提供する側ではなくされる側だったのだが、余程、良い物を食べてきたのであろう。その注文は事細かく、料理人の頭を悩ませたりするのだが、おかげで腕前が上がったなんて話も聞く。
父は王都で育ったからなのか、何でも美味い派である。この種の人物が最強なのかもしれないが、料理人としては手応えが無い、腕の振るい甲斐が無いと言ったところだそうだ。
最後にガーリックトーストで、皿の底のデミグラスソースを拭うようにしながら食べきる。うむ、満足のいく一品であった。母も結局は俺につられたのかビーフシチューを頼んでいた。
結構、腹いっぱいになったのだが、母の食事を待つのと、お手伝いさん達の交代が済むのを待つ間を持たせるため、俺はデザートとしてフォンダンショコラを頼んだ。
外はサックリ、中は熱くトロリとしていて二種類の食感が楽しめる、この少し変わったチョコが俺の好みだったりする。
この店ではフォンダンショコラだけであったが、子爵邸ではこれにバニラアイスが添えて出される。フォンダンショコラの中の熱くてトロリとした部分と、バニラアイスの冷たさ。
両方を交互に食べるのも良し、同時に食べるのも良しという贅沢な一品で、子爵邸の女性陣には大好評の逸品である。それも、姉が提案したものの一つで、前世でも姉はそんな風にしてよく食べていたそうだ。
姉としてはまだまだネタはあるのだが、一気に放出する気は無いと言っている。前世で病弱だった俺は、点滴を
名残惜しむ様に母が、チーズケーキの最後の一切れを口にすると、漸く夕食が終わる。結構長い時間、夕食の席に着いていたなと思ったのだが、階下に降りると魔獣討伐隊の面々はまだ食事を楽しんでいた。
「ここのメシは家の母ちゃんのより美味いから、いくらでもいけるな! ワハハ」
「違ぇねぇ、これで酒でもありゃあ言うことないんだが……」
「バーカ。任務中に一滴でも酒を飲んだのが分かればその時点でクビよ、クビ」
「わーってるよ副隊長。タダでこんだけ美味いメシにありつけるんだからな、それ以上は贅沢が過ぎらぁな」
「ったく、ホントに分かってるのかしら?……あ、フロレンティア様、今から宿に向かいますか?」
「ええ、貴方たちも早めに切り上げるようにね。明日の朝は早いわよ」
「はい、ではお供しますね。ロジー、カティア行くわよ」
イーナと二人の女性隊員がつき、俺達は店を出る。店を出ると既に日は暮れていて、街灯に明かりが灯っていた。
ぼんやりと光る街灯に照らし出された街の風景に、どこか幻想的なものを感じながら、俺はイーナに尋ねた。
「魔獣討伐隊の人って良く食べるんだね?」
「そうですねぇ、アタシはそれほどでもないんですけど、アイツらはバカみたいに食べますね。細かい味の違いなんて分かっちゃいないと思いますよ?」
「へぇ」
「フフフ、イーナ、そういう貴方も二人前くらいはペロリと平らげるじゃないの」
「ちょっ、ユッテ、乙女の秘密を簡単にバラさないでよ、もう!」
「アハハ、ごめん、ごめん」
そんな会話をしながら宿に着く。既に受け付けは済ませてあるようで、俺と母は三階の部屋へ通される。
そこは寝室、居間、風呂、トイレ等と別れている割と大きな部屋だった。既に部屋は暖かく、暖炉には火が点いていて、パチパチと薪から音を立てていた。
「レオ、少し早いけれど、お風呂に入ってもう寝なさい。眠れないかもしれないけれど、ベッドで横になるだけでもいいからね」
「はぁい」
子爵邸と比べると猫の額ほどの湯船につかり、身体を洗う。流石にもう、ユッテ達に身体を洗ってもらわなくなっていた。
風呂から上がると、ユッテに風の魔術で髪を乾かしてもらい、寝室へ入る。
いつものように、ベッドの脇でストレッチを始めた。今日は馬に乗ったくらいで大して疲れていない。早く寝付けなさそうなので、一通りのストレッチ運動が終わると窓辺に寄ってみる。
窓の下の通りには、街灯に照らされながら行き交う人々の姿があった。目線を上げると通りを挟んで向かい側の建物に、いくつかの窓から明かりが零れているのが見える。
どれくらい時が経ったのだろう? ぼんやりと夜の街並みを眺めていると、母が部屋に入ってきた。
「あら? まだ寝てなかったの、レオ」
「うん、もう寝るよ、母さん」
「フフ、今夜は私と一緒のベッドで寝る?」
「え? ヤだよ、母さんと一緒に寝るなんて」
「そう? レオがまだこんなに小さな赤ん坊だった頃は、私が側を離れると凄く大きな声で泣いていたのに……」
「そんな昔のこと覚えてないよ」
「そうよねぇ……ハルトムートのことはもう知っているわよね? あの件で私が参っていた時、沢山の使用人が貴方をあやそうとしたわ……それでも貴方はわんわんと泣くばかりで……そんな時、マーサの連れてきた新人の使用人が貴方を抱き上げたの。そうしたら、泣き止むどころかキャッキャ、キャッキャと笑いだして……」
「その新人って、もしかして……」
「そう、ユッテよ。あの子には悪いことをしたわ……まだ、成人も迎えていなくて、見習いで入ってきたばかりなのに、貴方の世話を押し付けてしまって。使用人としての仕事も覚えなければいけなかったのに……だからかしらね、あの子から結婚する、なんて話を聞いた時は我が事の様に嬉しかったわ……」
「そんな
「あの子はホント分かり易い子だったわねぇ。泣く時は、お腹が減った時か、おしめを変えて欲しい時だけ。夜泣きなんて、私が覚えている限りしなかったのじゃないかしら?」
「へぇ」
そんな風に隣のベッドにいる母と話している内に、いつの間にやら寝てしまっていた。
「レオ様、レオ様、起きてください」
「う、う~ん」
翌朝、ユッテに揺り起こされる。隣を見ると、母が寝ていたベッドはすでに空になっていた。
窓の外を見るとまだ暗い。街灯は灯っているし、建物にも明かりの漏れている窓があったりして、昨夜とはそれほど変わらない景色なのに、何処か雰囲気が違う。
窓の下の通りに人がいないからだろうか? 何と無く、まだ街も眠っているのだな、と感じた。
着替えを済ませ、居間に入る。母は既に朝食を終えているようでゆったりと紅茶を飲んでいた。
「おはよう、レオ、ゆっくり休めたかしら?」
「母さん、おはよう、よく寝たよ」
軽い朝食を済ませ宿を出ると、馬車とそれを護衛するためであろうツェーザルと三人の魔獣討伐隊員がいた。
簡単に朝の挨拶を交わし、馬車に乗る。街の門まで来ると、待機していた魔獣討伐隊の面々と合流し、街の代表者と十数人の人達に見送られながら街を出た。
こんな朝早くからわざわざ見送りに来るなんて、ご苦労様な事である。
「ねぇ、母さん、あの街の代表者の老人なんだけど……」
「ガームリヒのこと?」
「うん、あの人、どうしてあんなに母さんを英雄扱いしているの?」
「あぁ、ヴェステンの街の少し向こうに大きな森があったでしょう? 貴方が魔力症のとき、あそこから大量の魔獣が湧いて出たのよ。覚えているかしら? 私が貴方を看病していると、ディートに連れ出されたのを……」
「うん、覚えているよ」
「ディートも私と同じく、王都の学園で戦闘の授業を専攻した訳じゃないのだけれど、あんな風に気が動転するものだとは思いもしなかったわ……やっぱり実戦って大切なのねぇ……」
母の話ではその時、小型の魔獣が数十体いたらしい。魔獣討伐隊と共に駆け付けた母は、一気に魔獣を殲滅したそうだ。おかげでヴェステンの街の人達から英雄視されているのだが、そこで母の思惑が外れた。
母としてはさっさと魔獣を討伐して、事後処理は父に任せ、子爵邸に戻るつもりだった。ところが父が大怪我をしてしまい、自身が事後処理に廻るハメになってしまったのだそうだ。
「昔から、焦るとロクなことにならない、なんて言われているけれど、こればかりはね……自らが体験しないと、身に沁みないものなのよねぇ」
そんな話をしていると、夜が明けてくる。朝焼けの中を進んでいくと、街道の先に大きな石の門が見えた。そこは子爵領の関所で、いよいよ他領に出る訳だ。
街道を跨いで大きな門を構えているだけで、領境に柵や壁がある訳ではない。なので密入領とか不法滞在みたいなのはやりたい放題なのだが、流石に危険な森林や山岳地帯を抜けてまで、他領に抜け出す人はそういない。
そこまでする奴は、何か重大な罪を犯した者くらいだろうといわれている。
実際、領を超えて旅をするのは貴族か商人くらいで、関所といっても割符を発行するくらいしか機能していない。
割符はその領毎に独自のデザインをしていて、その割符を持っていれば、その領内は自由に動いてよい。領を出て行く時に割符を返却するのだが、返す関所はその領ならどこでもよいとなっている。
関所と言っているが、ここで徴税や荷物検査を行っている訳ではない。その役目は各街の入り口で行っているようだ。なので正確には通行許可証発行所になるのかもしれない。
子爵領側の関所を抜けると、直ぐに伯爵領側の関所に着く。
「ようこそ、オジアンダー伯爵領へ。旅の無事を祈っております」
思っていた以上に手早く手続きが済み、伯爵領側の警備隊員達に見送られながら、俺達は王都へ向け進んでいく。
それは、あまり順風満帆とは言い難い旅路であった。
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