肌の浅黒い大男
「な、何よ、襲撃って……」
姉はマグダレーネが立ち去った後の扉を茫然と見つめる。
初めて領都に行った日、警備隊の人が王都の者を警戒していたのを思い出す。それと何か関係があるのだろうか? それとも別の要因、昨日、神殿から逃げ出した元司祭とその仲間だろうか? 因果関係がよく分からないな……
俺はスマホを具現化し、マップのアイコンをタップする。
「周辺の魔力検知、地図上に表示」
「了解。検知開始……主を除く四十七名の反応を検知。マップ上に展開します……展開終了」
「えっ? 何それ? アンタのスマホって音声認識したの? ってか魔力検知って何よ?」
姉の言葉を無視して、スマホに表示されたマップを見る。邸内を多くのマーカーが慌ただしく動き回っていた。
正門の方に数人のマーカー、そこに向かって行くいくつかのマーカー、そして、邸の外から正門に向かって来る十個くらいのマーカーの塊があった。
もしかすると、マグダレーネはこの邸に向かって来るマーカーの塊……複数の魔力反応に気付いた? となると、マグダレーネは俺のスマホの様に魔力検知が出来るのかもしれない。
初めて会った時、俺がポケットにしまっていたスマホに気が付いていたみたいだったし……今も俺がスマホを手にしているのに、気付いたかもしれないな。
「レオ! 私を無視するんじゃないわよ! いったい何がどうなって……」
俺はソファに座っている姉の太もも辺りにスマホを放り投げると、ベランダの方へ向かう。
「わわ、全く失礼な弟だわ……どれどれ、なにこれ? 地図にマークがいっぱい……もしかしてこれって人が動いているところ? アンタのスマホ、いよいよ『チート』じみて来たわね……」
ベランダへ通じるテラス戸に掛けられたカーテンを、室内の明かりが漏れないようにほんの少しだけ開いて、外の様子を窺う。
夜間程ではないが、空は分厚い雲に覆われていてそれなりに暗い。更に雨が降っているので視認性が悪かった。
この辺りは夜になると本当に真っ暗になるからなぁ……日本の様にただ人通りがあるから、という理由だけで、外灯は建てられないのだ。
「ちょっと、なによこのスマホ! 『ドラッグ』も『ピンチイン・アウト』も効かないじゃないの!」
「そりゃそうだ。俺の魔力にしか反応しないんだから……」
「警告。高速で接近する魔力反応あり」
「うん? この部屋に向かって来る、このマーカーのことかしら?」
なに? もう既に邸内に侵入していたのか? そう思い、扉を警戒し身構える。しかし、ノックして部屋に入って来たのはユッテだった。
「エリー様、レオ様、別館に避難するよう、マグダレーネ様からの指示を頂きましたので、一緒に参りましょう」
なんだ、ユッテかと一瞬気を抜いた時だった。
ガッシャーンとテラス戸を破りソイツが、室内に飛び込んできたのは。そのせいで俺はソイツに吹き飛ばされてしまい、部屋の隅に転がる。
「ぐぅっ」
「レオ様!」
「レオ! うぐぐ……何よアンタは!?」
うつ伏せの状態から見上げると、ソイツは黒く短い頭髪に下唇がやけに分厚い、四角い輪郭の大男だった。何故、上半身裸なのか分からないが、浅黒い肌の身体は体格がかなり大きく筋肉質で引き締まっている。
「お前がエリザベートだな。オレと一緒に来てもらうぞ」
水をボタボタと滴らせながら、大男が姉に向かう。
「させません!」
ユッテが大男に手を向けると、先端の尖った水弾が幾つも飛ぶ。
「チィッ」
大男は左腕を上げると丸い土の盾を創り出し防ぐ。ドカドカと盾に水弾が撃ち込まれ、大男の足を止めるが、大男は大きく右の腕を後ろに引く。
「あぶない!」
危険を感じた俺は、即座にユッテの前へ飛び出す。その時、右の足首にズキンとした痛みが走った。
「フン!」
突き出した大男の手から、石の礫のような物が大量に飛び出す。
俺は、向かって来る石礫に両手を向け、頑丈そうな鉄板を具現化する。しかし、あまりにも咄嗟の判断で行った具現化だからだろう、イメージが練れていなくて、いくつもの礫が鉄板を突き破ってしまう。
しかも、大男の魔術の威力が強すぎて、俺とユッテはそのまま部屋の扉を破壊し、吹き抜けになっている廊下の手すりにぶち当たる。具現化した鉄板はいとも簡単に壊れ霧散してしまった。
「ユッテ、大丈夫?」
ユッテの上になった俺は、素早く脇に退きユッテの様子を窺う。
「レ、レオさま……エリーさま……」
そう呟いたユッテは力をなくし、倒れ込む。慌ててユッテの首筋に手をやると、脈拍がある事が分かりホッとする。
見るとユッテの左の脚は酷く傷を負っていて、その他の箇所からも血を流していた。恐らく、咄嗟に具現化した鉄板はユッテの全身を覆えていなかったのだ……
俺の中にムカムカとしたものがフツフツと湧いてくる。あの野郎、ユッテを傷つけやがって……!
「来るな! 変態! この『ロリコン』が! キモいアンタなんかお呼びじゃないのよ! 触るなって言ってるでしょうが! ギャーッ! 犯される―!」
しかし、姉のその叫びを聞いた途端、一つ目のお化けが脳裏をよぎる。
こんな時だと言うのに、何故だか怒りのボルテージがプシューと何処かへ抜けてしまった。いつでもどこでも姉は姉だな……
「ふぅ……」
大きく息を吐く。何の作品だったか忘れたが、『怒りは拳へ、頭は冷静に』そんな感じの台詞があったのを思い出す。
あの大男は魔術だけでも相当の手練れだ。パッと思い付くような具現化の魔術では、イメージが練れていなくて強度が足りない。
「ユッテ、本当はすぐに手当をするべきなんだろうけど、ごめん」
姉のおかげでほんの少し冷静さを取り戻した俺は、その場から立ち上がる。
すると、右の足首がズキンズキンと痛みだす。大男が突っ込んできた時に、足首を捻ってしまったようだ。足を引き摺りながら姉の部屋へ戻る。
「レオ!」
大男の肩に担がれた姉が俺を見つけて声を上げ、手を伸ばす。大男はそれに気付き俺を一瞥したが、そのままベランダに出ると雨の降る外へ飛び出していく。
俺は姉が落としていったスマホを拾い上げ、右の足首の痛みを抑えるように魔力を集める。
「姉さんを追跡」
「了解」
大男を追うように俺もベランダへ出ると、ドカン! という大きな音が鳴り響く。下に降りた大男が邸を囲っている壁を壊して穴を開け、そこから抜け出していった。
俺はベランダの手摺りに手を掛け、庭へ跳び下りる。やはり右の足首に痛みを感じた。魔力で痛みを抑えているとはいえ、痛いものは痛い。それでも、構わずに大男を追いかける。
大男のスピードはそれほど速くなかった。恐らく身体強化を使っていないのだろう。しかし、痛めた足を庇いながら走る俺は距離を詰められないでいた。
それどころか少しずつ離されているようだ。雨のせいで視界が悪いので、時々スマホで確認しながら追跡する。
邸を出た大男は最初、北へ向かっていた。領都へ行くのかと思っていたが、徐々に右へ曲がり、北東方向へと進路を変えていく。
チラッとスマホに目をやると、この辺りには来た事が無いので、俺を中心に地図が更新されていた。なのでこの先に何があるのか分からない。
やがて、ゴウゴウと水の流れる音が聞こえてくる。雨によって増水した河の流れでも強くなったのかな、と思い付くとハッとした。
まさか、逃走用に船でも用意しているのか?
あの場で大男は姉を害さずに連れ去った、という事は姉の身柄が必要なのだ。
グローサー家に身代金を要求するのか、神殿側が王宮に交渉するようグローサー家を脅すのか、他にどういった目的があるのか思い付かないが、何らかの交渉をするのなら、それなりに近い場所に隠れ家的なものがあるのだろう。
姉に危害が及ばないのであれば、その場所を見つけてから、一度、祖父達に報告しに戻るのもありかな? と考えていた。
大男に仲間がいるのなら、その方が一網打尽に出来るだろうと。だから、見失わない程度で追いかけていたのだ。
しかし、グローサー家と何らかの交渉をするのが目的ではない場合、この近くに留まっている理由はない。
営利誘拐が目的でないのなら、この領を出て行ってしまわれては、姉を見つけ出すのは相当、厳しい状況になる。
この世界の情報伝達速度は分からないが、インターネットの普及した現代日本とは雲泥の差があるだろう。指名手配をするにしても、目撃者は俺とユッテしかいない。その上で他領へ逃げられでもすれば……
洗礼式まで、貴族の子供は他の貴族に存在をバレない様にするのだ。それは他の貴族を信用していないという事。つまりは、捜査に協力してくれない可能性が高いと示唆している。
大男の姿が土手を上り、その向こう側へ消える。俺は痛む足をこらえて、急いで坂を駆け上がった。
大男は姉を河原の上に転がし、草叢や木の枝で隠してあった、大きな布で覆われた何かを引き摺り出していた。
「
俺は数回の深呼吸をしてから、気合を入れて駆け出す。手に丸い物を具現化しながら、坂を下って行くとバシャバシャと足音がする。
これで、相手に気付かれてしまうだろうが構わない。
先に俺に気付いたのは姉だった。姉は体力――マグダレーネが言うところの理力――が回復していないだろうに、石や砂利だらけの河原の上で片膝を立て、手をついて立ち上がろうとしていた。そんな姉は俺を見ると、一度驚いた表情を見せたが、ニッと口角をあげる。
姉の次に気付いた大男は、引っ張っていたものを手放すとゆっくりと俺に向かって歩いて来る。姉の様に驚いた様子もなく、どことなく冷めた目つきをしていた。姉の前に十歩くらい出ると立ち止まる。
俺は近付いていくと、走っている速度を徐々に緩めていき、歩きながら距離を詰めると立ち止まった。
「よう、オッサン、姉さんは返してもらうぜ」
「子供を殺すのは趣味ではないが、これがオレの仕事だからな。邪魔をすると言うのであれば対処させてもらう」
そう言って大男は、手を組んで指をポキポキと鳴らし始める。
仕事……という事は、姉を攫うように依頼した人物がいる、或いはそういった組織が存在するのか……チラッと姉に目を向けると、目が合う。
『レオ、とにかく時間を稼ぐのよ! そうすればきっと、お爺様やお母様が来てくれるわ!』
『時間を稼ぐだって? 冗談じゃない、こいつのせいでユッテが怪我をしているんだ。とっとと終わらせて帰らせてもらうぜ』
『バ、バカ! なに死亡フラグみたいなこと言ってんのよ!』
「む? 暗号か……?」
日本語でやり取りする俺達の様子に、大男は不思議そうに呟く。
俺は手にしていた丸い物から
投げつけた丸い物が、大男が引っ張っていた、大きな布を被せた物の上に乗っかる。
ズン! という音と共に爆発が起こると、大きな布が吹き飛び、その正体が露わになった。大男は背後を振り向き、姉は小さな悲鳴を上げながら腕で自分の顔を覆う。
それは俺が予測していた通り、小型のボートの様なもので、二つに折れてしまっていた。
「炸裂の魔導具か……まさか、お前の様な子供が持ち出せるとはな……流石は貴族の子という訳か……」
俺に向き直った大男はそんな事を呟く。やはり、そういう武器になりそうな魔導具はあるのだな。
勿論、俺が使ったのは魔導具ではなく、具現化した“手榴弾”だ。
お姫様を助ける時、苦無を投げていて、戦闘中に手裏剣の方が良かったのではないかと思い付いた。しかし、よくよく考えてみれば、投げ付ける武器なら手榴弾もあったなと改めて気付いたのだ。
ただ、初めての具現化だったので、思ったより威力が低かったが。
俺としてはどう転んでも良かった。大男が受け止めるのが一番良かったのだが、逃走用の船を壊せたのでも十分効果はある。もしも、姉の方に弾かれてしまえば、具現化を解除すればいいだけだし。
大男が右腕を後ろに引く。また、石の礫を撃ち出すつもりだろう。俺は手にしていたスマホを持ち上げて指示を出す。
「魔抗金の盾だ」
「了解」
大男の手から石礫が幾つも飛び出す。俺の目の前に金色の盾が現れ、俺を庇うように地面に突き刺さりながら具現化する。
ドガガガ! と盾が魔術を弾く裏側で、俺は必死に盾を押さえる。魔抗金だから魔術を通さないと言っても、威力までは防げない。
咄嗟のイメージで創り出すよりも、スマホを頼れば、大男の魔術は防げるようだ。しかし、一々スマホに指示しなければならないのでは、戦闘に向いているとは言い難い。刻一刻と状況が変わる戦闘で、スマホを頼っている余裕はない。
「ぐぬぬ……!」
漸く大男の攻撃が止むと、俺は魔抗金の盾を消し去った。スマホのアイコンをタップすると、腰にベルトが装着される。
やはり、こうするしかないようだ。
「変身!」
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