スマホ

お望月うさぎ

第1話

 とある会社、とある部署。休憩中の二人の女性社員が、スマホのSNSの同期のグループで話している。

《────が、グループから退出しました》

『この人、前に辞表を出してて今日受理されたんだって』

『この人誰だっけ?』

『ほら、同じ部署だった、何考えてるか分からない人』

『ああ、あの人か』

『ちゃんと仕事はこなしてて、本当に不思議な人だったよね』

『まあ、誰だってそんなもんだよ』

『そうかな』

『そうだよ』

今日、1人の男が会社を辞めた。

とある量販店、とあるアルバイト。

何時もは事務的なやり取りしかないアルバイトの連絡用のSNSに珍しく長い会話が続いていた。

『急に抜けてすみません。僕にはここは向いていなかったみたいです。ありがとうございました』

《─────が、グループから退出しました》

『アルバイトの子、この仕事やめちゃったんですか?』

『そうみたいだね。シフト表の名簿からも名前が消えてたよ』

『何かやっちゃったんでしょうか?』

『うーん。ミスもないし、問題なかったと思うんだけどなぁ』

『何かあったんでしょうかね?』

『そうかも知れないし、単純に相性が悪かったのかもね』

『相性……で片付く問題ですか』

『そんなもんだよ』

『難しいですね』

『確かにね』

今日、一人の男がアルバイトを辞めた。

 

 誰もいない部屋。その中に、小さな光が煌々と光っている。

光の持ち主は、スマートフォン。

沢山のメッセージが個人宛に送られている。

『君が詩を作る時に全くスマホを見ないこと利用しようと思う日が来るなんてね。急だと思うかも知れないけど少し前から考えていたんだ。僕は、旅に出ようと思う』

『何処へ行くかはまだ全く決めていないのだけれど、一応仕事とアルバイトで貰ったお金は貯めてきた。家賃でいつも沢山引かれてたけど、大抵の所は行けるはずだ』

『持ち物はお金と着替えと、あとモバイルバッテリーを沢山買った。最近はスマホで何でも出来るから、殆どこれさえあれば大丈夫な気もする』

次のメッセージは、三日程経っていた。

『まずは──に来た。前君と行ってみたいと話してた場所だ。君は居ないけど、とても景色が良い。暫くはここで過ごそうと思う』

その後、実際に過ごしたようで、次のメッセージでは月が変わっていた。

『次の国へ来て、スリに遭った。とても困惑した。このスマホと最低限の荷物が残ったのは不幸中の幸いだったかも知れない。持っていたモバイルバッテリー一つ以外、全て盗られてしまったのが気がかりだ』

この後は節約をしていたようで、2週間程の間が空いている。

『モバイルバッテリーが尽きた。何となく始めた旅に最近やっと意味が出来た気がする』

『ただ良いことって訳でも無い。僕がこんな所まで来た意味。それはつまり逃避なんだ』

『僕が今まで沢山の絵を君に見せてきたけれど、結局自分の目で見たものは超えられなかった。結局』

『ついにスマホ自体の充電の警告が来た。でもこれが最後だから安心して欲しい。話を戻すと、結局、絵なんてそんなものだったんだよ。君が死ぬまで忘れられないような絵を描きたかったのに。そう考えていたらとても綺麗な景色があったのに、僕は描けなかった。そして気付いたんだ。君が僕の絵に必要なもの全てで、僕はそれを捨ててしまったって』

『それに気づいてしまったらさ』

『どうでも良くなってしまったんだよ』

外国の街の高台で撮られたのだろう。綺麗な石の街並みを見下ろした写真が貼り付けられていた。


 六畳ほどの部屋の中。シングルベットに寝転がって上に掲げるようにして見ているスマホが、その奥の天井が、歪んで、ぼやけていた。こめかみ、耳のすぐ上が筋になり濡れていく。あの時くらいから彼は少ない時間を有効活用するのだ、と仕事とアルバイトを掛け持ちし、そのスキマ時間にかつて諦めたという絵を描く、という暴行を働き始めた。 たまに絵を見せてくれるけど、私は何も言わなかった。彼に描いた絵を全て保存する癖があることを知っていた私は、最期のサプライズに、彼の絵一枚一枚に合う詩を書こうと思ったから。

結果はご覧の通り。もう電子になった手紙の代替品では届かないし、繋がらなければ音を届けることも出来はしない。

ピアノのある部屋まで行く元気も無く、スマホのピアノアプリを開いて一番最近できた曲、彼が一番最近見せてくれた絵を模した詩を弾く。

スマホから流れて来た軽薄な音は、とてもこの詩に会っている気がした。

だって君の居なくなった私の詩は、空虚ななにかだったから。

写真の貼られた下に既読のつかないメッセージが送られている。送られた日付は、写真の三日後。

『曲が出来ました。絵とはちょっと違うけど、スマホで作られた絵だから』

『でも駄目でした。何処までも軽薄な詩が出来て、君だけが私の詩だったと気付きました』

『でも心の中に君がいるから、私は君が旅行のために残り一年半まで売り払った寿命を買い取りたいと思います』

『スマホの電波みたいに、いつか空まで届きますように』

とある量販店、とあるアルバイト。

何時もは事務的なやり取りしかないアルバイトの連絡用のSNSに二度目の長い会話が続いていた。

『急で申し訳ありません。今までありがとうございました』

《─────がグループから退出しました》

『こんな短い間に二人ですか』

『少し余裕があるからまだ大丈夫だけど、驚きました』

『もしかしたら、あの男の子と関係があるのかもね』

『本当ですか?』

『さあ、どうでしょうね』

『こんな時にちょうどいい詩があるんですよ。ほら、いい感じに悲しげな』

今日、一人の女がアルバイトを辞めた。

とある会社、とある部署。休憩中の2人の女性社員が、スマホのSNSで話している。

『あのチーフが急に有給を取り始めたらしいよ』

『あの仕事の鬼が?本当?』

『なんでもやることを見つけた、とか』

『前辞めた人と関係あるのかな?』

『2人で愛の逃避行―!って?』

『あはは、まさかね』

『合ってたら面白いじゃん』

『そうだね』

『そうだよ』

『所でさ、この動画知ってる?』

『何これ雰囲気やばいね』

『曲と絵がマッチし過ぎだよね』

一部の人に人気となった動画が投稿され始めた頃、

一人の女が、有給を取り始めたらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スマホ お望月うさぎ @Omoti-moon15

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ