大西洋上で

第1話 オリンピア号の船上からの手紙

親愛なるオリヴィアへ


 船が港を出たわ。

 リヴァプールからニューヨークへ、二等船室で六泊七日。

 波は穏やかよ。


 こうやって書くと、何だか航海日誌みたい。

 でも本当にそうなのかも。

 あなたへの手紙は、日記の代わり。

 他の誰にも見せちゃダメよ?

 投函するのはニューヨークに着いてからで、七日分まとめてってことになるわね。


 今は夕食を終えての自分の船室。

 ベッドサイドにシンプルなデザインのランプが一つ。

 その明かりでこの手紙を書いているの。

 ルイーザはもう寝ちゃって、アデリン叔母さまもずいぶんお疲れみたい。


 ルイーザがね、船に乗るまでに何度も迷子になったの。

 リヴァプールへの汽車に乗る前にも、汽車を降りてすぐにも、そこから馬車に乗って降りて、乗船する直前にも。

 その度にわたしとアデリン叔母さまで走り回って捜し回って。

 何だかまるで、わたしたちをまこうとしているみたいで。

 わたし、妹に嫌われているのかもしれないわ。

 わたしの考え過ぎだといいんだけれど。


 でもルイーザみたいな小さな子供一人だけで外国になんて行けるわけないし。

 わたしが見つけたとき、ルイーザは一人で船に乗ろうとして船員に止められているところだったの。


 ルイーザがわたしのことを嫌いでも、わたしは少しも気にしないわ。

 ううんと、気にせず馴れ馴れしくするっていうんじゃなくて、張り合って相手を嫌ったりしないってこと。

 できれば仲良くしたいけど、それは重要じゃあないの。

 ルイーザが旅の目的を果たすまで。

 行方不明のおじいちゃまを……見つけるのは難しくても、ルイーザの納得がいくまで捜索する間、大人であるわたしとアデリン叔母さまがルイーザに付き添う。

 それだけよ。


一日目のキャロラインより




親愛なるオリヴィアへ


 六分儀ってわかる?

 北極星の位置だとかをこの道具で計って、自分が今居る位置を割り出すの。

 船乗りが使う道具よ。

 それをルイーザが持ってきているの。

 船乗りが使うもので、乗客が自分で用意するものじゃないわよね?


 初めての船旅で、張り切っちゃっているのかしら?

 無口で妙に大人びた子だなって思ってたけど、こういうところは子供らしくて可愛いわね。

 きっと本人は背伸びして大人の道具を使っているつもりなんだわ。


 九歳は、わたしが寮に入れられた年。

 ルイーザだって心細くないわけないって決めつけてたけど、意外とそうでもないのかしら?



 そうそう、一等船室のご夫婦と仲良くなったの。

 ジョン・セレストさんと、奥さんのメアリーさん。

 新婚旅行なんですって!

 ちょっとうらやましいわ。


 お部屋を見せてもらったんだけど、さすが一等船室! って感じだったわ。

 ソファーとかシャンデリアとか。

 でも二等船室だって悪くないのよ?

 三等船室も機会があれば覗いてみたいわ。


 アデリン叔母さまが船酔いを起こしていて、ちょっと心配。


 今日はこんな感じね。


二日目のキャロラインより




親愛なるオリヴィアへ

 

 もしかしたらこの手紙は、瓶に詰めて海へ流すことになるかもしれないわ。

 船の航路がズレているらしいの。


 今日もルイーザは黙って六分儀を覗き込んでる。

 ルイーザ自身はおとなしくしてるわ。


 ジョンさんがルイーザの六分儀を見て、航路がズレてるって気づいたの。

 天気はずっと穏やかで、嵐で流されたとか、そういうことじゃないのによ?


 操舵室へ様子を見に行ったら、船長が一等航海士を怒鳴りつけていたの。

 何が起きてるのかは説明してくれなくて、ただ、他の乗客への口止めをされたわ。

 パニックになるからって。

 船長は大丈夫だって言ってたけれど、とてもそうは思えない。


 ルイーザは何も言わない。

 ずっと甲板で六分儀を見てる。

 アデリン叔母さまは船酔いで寝込んでる。


三日目のキャロラインより




親愛なるオリヴィアへ


 これを書いているのは五日目。

 四日目はとても手紙なんて書ける状況じゃなかったわ。

 でももう大丈夫よ。たぶん。きっと。


 舵が効かなくなって、風もないのに船が流されて、空はずっと薄暗いのに雨が降り出すわけでもなくて、そんな状態が朝からずっと続いていたの。

 時計の針が真昼になっても、夕方を指しても、空の明るさは変わらないまま。

 夜になってもただ薄暗くて、ちっとも真っ暗にならなかった。


 船の周りをイルカの群れがグルグル泳ぎ回って、だけど聞いていたのと違うのよ。

 少しも可愛くないの。

 不気味な声で笑うのよ。

 イルカを見るのは初めてだけど、あれが本物のイルカだなんて、未だに信じられないわ。

 わたし、どうかしてしまったのかしら?


 朝から晩まで船の周りをグルグルグルグル。

 面白がって餌を投げている乗客もいたけれど、イルカは食べようとしなかった。

 イルカの餌って、魚で合ってるわよね?

 でも無反応。

 一匹残らず、ただただグルグルグルグルグルグルグルグル泳いでるだけだったわ。


 それでね、日が沈む頃になったら――空が曇ってて日が沈むところは見えなかったし、時計がそうなってるってだけで空の明るさはずっと変わらなかったんだけど、まるで太陽の守りがなくなったみたいに、船が、イルカが回っているのとは逆の方向に回転を始めたの。


 もしもイルカが泳いでるせいで渦ができたとかいうんだったら、船はイルカが回ってるのと同じ方向に回るはずよね?

 だけど逆方向なのよ。

 まるで歯車みたいに。

 瓶の蓋を開けるのに、瓶を持つ手と蓋を持つ手を逆方向にねじるみたいに。


 それから、海から声がしたの。

 海鳴りの音じゃあないわ。

 動物の鳴き声でもない。

 人の声なわけがないのに、何故かそれが一番近いような気がしてしまう。

 そんな声。


 それからね、空から魚が降ってきたの。

 信じられる?

 昔、オリヴィアが、そんな本を見せてきたことがあったわよね?

 どこかの外国で、空から魚が降って来たなんていうヘンテコな怪現象が、その本に書いてあった。


 わたしはそのときは信じなかった。

 オリヴィアだって半信半疑だったんでしょ?

 だけどそれが目の前で起きたの。

 わたしの頭に魚が降ってきて、甲板でピチピチ跳ねたのよ!

 一匹や二匹じゃなくて!


 オリヴィアが見せてくれた本には、鳥が落としたのかもとか、竜巻で巻き上げられたんじゃないかとか書かれてたわよね?

 鳥なんか飛んでなかったし、もちろん竜巻も起きていないわ。

 それでも甲板一面が魚で埋まったの!


 わたしは海面の様子を見ようとして、その時ちょうど船が揺れて、魚を踏んで足が滑って海に落ちたの。

 すぐに船員に助けられて事なきを得たわけなんだけど、何だかわけがわからないうちに、何もかもが終わっていたわ。


 甲板に上げられて毛布をかけられて、落ち着いた時には船の回転は収まっていたの。

 イルカも居なくなってて。

 甲板にはまだ魚が残ってて、船員たちが掃除をしていたわ。


 それでね、ポケットに入れていたお守りがなくなってたの。

 オリヴィアにもらったポプリの小袋。

 メアリーさんに話したら、オリヴィアがわたしたちを守ってくれたんだって。ありがとうね。


 あれって中身は何だったの?

 虫除けのハーブみたいな匂いだったわよね?

 ニューヨークに着いたら匂いを頼りに探してみるわ。

 同じものを見つけられるといいんだけど。


 まだドキドキしているわ。

 本当にもう大丈夫なのよね?

 とにかくありがとう。


四日目と五日目のキャロラインより




親愛なるオリヴィアへ


 大変よ。

 舵が狂ってる。

 操舵室は怒号の嵐よ。


 遭難したのよ。

 救難信号を何度も送ってるのに、返事がないって。


 ニューヨークには着かない。

 イギリスにも戻れないかもしれない。


 ルイーザはずっと舳先を睨んでて、アデリン叔母さまは船室から出てこない。

 セレスト夫妻は神さまに祈ってる。

 わたしは手紙を書いたり破ったりしてる。

 実際に送るのは何枚目の便せんになるのかしら?


六日目のキャロラインより




親愛なるオリヴィアへ


 問題はあっさり解決よ。

 予定通りの船旅七日目。アメリカ大陸の海岸が見えるわ。

 ニューヨークじゃなくて、マサチューセッツ州のほうへ流されたらしいけど。

 一番近い港に入って、船体の点検をしてから改めてニューヨークへ向かうそうよ。


 わたしたちはここで降ろしてもらうわ。

 目的のアーカムは、ここからすぐ近くなの。

 バスで行けるらしいわ。


 他の乗客には気の毒だけど、わたしたちにはラッキーだったわ。

 それとも導かれたのかしら?

 わたしがこんな“導き”なんてことを書いたら、オリヴィアは驚くかしら?

 だけど今なら、そういうの全部、信じられるわ。


 もうすぐ港に着く。

 今は寂れた漁村だけど、昔は大きな船が行き来していたらしくて、大型客船でも停まれる立派な船着き場があるの。

 インスマウスっていうそうよ。


七日目のキャロラインより


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