マッチ売りの少女 -The Little Match Girl meets Boy-

ピュシス

Opening

【001】<2004/12/26 : Silvie side> シルヴィーという少女 /マッチ売りの少女

 息を吐く。

 白い、白い、息。

 吐息は、白く、白く。

 彼女にとって、慣れない体験で。


 ──とても、とても、面白い。


「けれど……、この現象は気温が低いが故に起こるのであって……、決して私にとって嬉しいことじゃない……」


 ブルッと震えてから、彼女は立ち上がろうと脚に力を入れる。

 しかし、なかなか立てない。


 ──少しだけ、ズルをする。


 すると、感覚神経が軽く麻痺をし、筋肉は疲労回復して立ち上がることが出来るようになった。


「どう、しようかな……」


 グルル

 という音が腹部から。


「お腹空いた……」


 鳴動するお腹を右手でさすりながら、辺りを見回す。


 ここは何処だっけ、と考えるための言葉を思い浮かべるより早く、彼女はそれを思い出した。


「シチリア島パレルモの近く、バゲリーア」


 声に出して確認。

 何に対して確認をとるかというと、断層の深くに位置する記憶との確認。


 ──照合完了。


 時計の針が一秒を刻むよりも速く、そして正確に。


「……どうしよう」


 場所を確認すると共に、彼女は今後どうするかが皆目見当付かなくなった。

 それでも。

 無理矢理に頭を回転させて、考える、

                 考える、

                    考える。


「…………」


 …………


「寒い」


 数分も経った頃、彼女はそう一言漏らした。

 しかして結局何も思い浮かばなかった。

 そこで思考の方向修正。


「誰だって、暖かくなりたいはず」


 絶対の自信は無い。


 ──自分の価値判断基準と他人のソレとが同位、或いは類似しているとは思えないから。


 彼女は、記憶の片隅──本当に、片隅も片隅──にあった童話を思い出した。

 それは、寒い夜にマッチを売る少女のお話。

 アンデルセンの書いた童話。

 直接読んだことは、実は無かった。

 誰かに語って貰った記憶だけが僅かにある。


 ──多分それは、母親……。


 暗唱できる程にはっきりと思い出すことは出来なかったが。

 それでも、彼女はそのことを思い出し、何をするか思い至った。


「私も、マッチを売ろう」


 ──うん、それがいい。


 ──最善の策とも思えないけれど、経験としてやってみたいことではある。


 先程歩いてきた道端に、マッチの束が多く入った籠があった。

 何故こんなところに落ちているのだろうかと思ったものだが、無視して通り過ぎたのがつい先程のことだった。

 そうでなければ、流石にそんなことを思いつきはしない。

 マッチの籠を取りに行くために、彼女は脚を動かし始めた。


 彼女の名前は、シルヴィー=スビシュトフ。

 賢明で無知な彼女は、この時まだ何も知らなかった。

 その判断が、幾つの歯車の始動になったのかも。

 それぞれがどのような種類の歯車だったのかも。



--



「マッチ一本火事の元」


 一瞬だけ、立ち止まってこちらを見る人がちらほらと。

 しかし、珍奇な眼差しを向けてくるだけですぐに立ち去って行ってしまった。


「売り文句を変えてみても、駄目、か……」


 考えてみるまでもなく、購買意欲を削ぐ内容であったと、今になって思う。

 これが、シチリアではなくナポリあたりであれば、笑いと共に寄ってくる人も多かろうが。

 ここにはノリの良い人間が其程多くないようだ。

 イタリア人の行動原理はノリと気分だと思っていた彼女からすれば、随分と拍子抜けした。


「マッチ一本いかがですか?」


 元に戻してみる。

 しかし、誰も立ち止まりもしない。


「…………」


 ──売れない。


 ここシチリアに於いて、マッチなど買う時代ではない。

 否、ここに限らずヨーロッパと呼ばれる地域では、大抵がそうである。

 当然のことながら、そのことを彼女が知らないはずもない。

 だが、少しくらいは買ってくれる物好きがいても、という期待はあった。


 ところが一時間経っても一向に売れない。

 空腹感と徒労感が溜まるのみ。

 だから彼女は、『マッチ売りの少女』と自身を重ね合わせていた。


 ──そう、あのお話通り、マッチは売れないもの。


 しかし、あの童話はそれだけで終わりはしない。


 マッチを擦って、擦って、擦って……。


 少女の心情を理解する人はいなかった。


 ──理解されずに死ぬ。


 ──それは……、きっと、何よりも恐るべき、死。


 マッチを擦り始めることは死ぬ。

 それは彼女にとって等位関係にある。

 しかし。


「……でも、今日は大晦日じゃないから、初期条件が違う……」


 言い訳にもならない言い訳をして。


 彼女はマッチを一本、指で持ち……、コンクリートの壁に擦り付けた。


 シュッ


 マッチは燃える。

 炎。

 熱。

 暖。

 火。

 燃。

 焼。


「暖かい……、けど、妄想は、見ないし……、何も起こらない、そう……、条件が違う」


 やがて彼女の手を焦がそうとしたマッチを地面に落として、その末路を見遣る。

 すぐに、燃え尽きた。

 消し炭を足で踏み潰すと、虚しくなった。


「……条件が違う」


 ──だから、何も起こらない。


 ──だから、あの少女とは違って、私は、何らの幸せを感じることもなく。


 死ぬ。


 ──けれど、あの少女と同じように、私は、周りの人に理解されることなく。


 死ぬ。


 ──あぁ、

     それは、

        厭。


「マッチ十本いかがですか?」


 景気よく、そう呼びかけてみる。


「マッチの籠、いかがですか?」


 ──この際、全部売りつけてあげる。


「マッチ売りの少女は、いかがですか?」


 ──あぁもう、自分でも何を言っているのか分からないけれど……。


 自分の身体ごと買ってくれるなら、それでもいいと半ば本気で思えてきた。

 貞操まで売る気は無かったから、そこまで求めてきたら腕の一本でもへし折るつもりだが。


 ──私なんて、どうだっていい……、けれど……、死ぬ価値も無い私は……、死にたくない。


「せめて死ぬなら死ぬ価値を持ってから……」


 ──だけど生きている価値も無いならば……。


 ──ド ウ ス レ バ


「お嬢ちゃん」

「……」


 唸る思考の渦に飲み込まれかけていた彼女に。

 一人の男が声をかけてきた。


「マッチの籠、売ってくれない?」


 これが。

 シルヴィー=スビシュトフと。

 キアーヴェ=ファルコーネの。

 運命の邂逅であった。

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