第12話 奴隷になりました

 バッシャーン!


「ぶわっ!」


「ふあっ!」


 私とマシューは突然の衝撃で目を覚ました。うわ冷たっ! 水?

 どうやら水をぶっかけられたらしい。


「いつまで寝てるつもりだ! 起きろよグズ!」


 見ると、オーウェンがバケツを持ちながら怒鳴っている。


「あれ、水って貴重なんじゃ……」


「あー、その水はな。昨日オルトロスを洗ってやった時のやつで、汚れて使えないんでお前にくれてやったんだよ。感謝しろよ」


 汚れた水をぶっかけるとは何様でしょう!? でももう始まってるのかもしれない『奴隷』の生活ってやつが……変に反抗しておかずにされても困るので、私は渋々起きることにする。

 ていうか今何時よ……辺りは薄暗い。


「朝稽古があるぞ。さっさと支度して練習場に来い」


 それだけ言うと、オーウェンは去っていった。


「……酷いことをするやつだ。燃やすか?」


「我慢我慢……」


 苛立ちを顕にするマシューを宥めながら、私は辺りを確認して誰もいないことを確かめてから、びしょ濡れになったローブを脱いで、マシューの背中に置いた。


「……じゃあマシューお願い!」


「……は?」


「乾かして!」


 マシューはやっと理解したのか、全身に炎を纏う。すると、ラヴァワームの糸で編まれた私のローブはすぐに水分だけが飛んで、ものの数十秒で乾いてしまった。


「おぉ……いい感じ」


 私はローブを広げて満足気。しかし、そんな私の背中をツンツンとつつく者がいた。


「ひゃいっ!?」


 慌てて振り向くと、そこにはボロボロの布のようなものと、食べ物の乗った皿を持ったエミールがポツンと立っていて


「これ、朝ごはん、あとこれは服。今まで着ていたものは全部脱いでこれを着るようにってディランが言ってたよ。奴隷の服なんだって」


「……あ、ありがと?」


 正体不明のエミールは、多分一番注意しなきゃいけない奴だ。しかも、近づいてくる気配に私もマシューも全く気づかなかったし、こんな裸同然のところを見られて……ヤバい心臓がバクバクいってる。別に興奮してるわけじゃなくて、ただひたすら怖いだけだけど……

 顔が引き攣っている私を見て、何を思ったのか、エミールはこんなことを言ってきた。


「……大丈夫。カタリーナはとってもセクシーだから」


 親指を立てて、昨日の夕食の皿を回収すると去っていくエミール。なおも、私とマシューは硬直から解けずにいた。

 さすがに息が苦しくなってきたので、はぁぁぁっと深呼吸して、やっと動けるようになった私は、とりあえずエミールの持ってきたボロ布を広げてみる。

 なるほど、すごくボロボロの服だ。袖があるし、裾も長めで腰の辺りで紐で縛ればそれだけでザ・奴隷って感じ。

 ……屈辱的だけど仕方ない。奴隷が1人上等な服を着ていても浮くだけだし。働くと服は汚れるし、洗濯も水が貴重だから良くないって思われたのかも。


 私は急いで朝食を食べる(昨日の夜よりは美味しかった。作ってる人が違うのかな?)と衣類を全て脱いでからボロ布を身にまといマシューに手を振った。


「じゃあ行ってくるね」


「ああ、気をつけろ。俺はこれ以上弁償費用を上乗せしないために、大人しくしている」


「……そうして」


 私はマシューと別れると、練習場へ向かった。


 柵がすっかり焼けてしまった練習場にはすでにディラン、トラウゴット、エミール、オーウェンの4人が集まっており、なにやら木の棒を振り回して稽古をしているようだ。

 オーウェンもどうやらディランの弟子みたいだね。ってことは今ディランの弟子は私を入れて4人ってことか…


「遅い!」


 私の姿を見つけるや否や、ディランに怒鳴られちゃった。でもこれでもだいぶ急いできたつもりなんだけどなぁ……


「ごめんなさい!」


 このやりとり、高校の授業を思い出すよ……あー、ちょっと嫌になってきたかも。


「ふふふはははっ! その格好、よく似合ってますよ!」


 トラウゴットは私の奴隷の装いを見て爆笑している。となりでオーウェンも爆笑しているし、エミールもニコニコしている。……ぐぬぬ


「では稽古を再開するぞ。カタリーナ、これを持て」


 ディランに手渡されたのは、みんなが持ってるより少し小ぶりの木の棒。鉄ではないからだいぶ軽いし持ちやすい。


「某(それがし)の真似をして振れ。それをまずは100回」


 ディランが教えてくれたのは、「はや素振り」といって、前後に細かくジャンプしながらそれに合わせて棒を何度も振り下ろしたり振り上げたりを繰り返すトレーニング? で、主に筋力と体幹を鍛えるために行うらしい。


「いち! に! さん! し!……」


 私もディランの掛け声に合わせて何回か振ってみたけど、すぐに腕や肩や背中が痛くなるし、あんなに振りやすかった木の棒がすぐに鉛の棒のように重くなる。


「いたたた……」


 結局、20回くらいで周りについていけなくなって座り込んでしまった。


「何をサボっているか!」


 バシンッ! とディランに背中を叩かれた。痛い! でももう無理、これ以上やると腕がもげるかも


「……もう無理です」


「情けないな。そんなことでは先が思いやられるぞ……」


 そんな私とディランのやり取りを後目に、残りの3人ははや素振りを軽々と100回やってのけた。しかも、エミールやトラウゴットに至っては息すらも上がっていない。恐ろしい体力だ。特にエミール。その小さい体のどこにそんなスタミナを隠しているの……


「あんなのがほんとに才能あるんですか……?」


「剣の代わりに爪楊枝でも握ってればいいんじゃないか?」


 トラウゴットとオーウェンは口々に私を罵ってくる。うぅ……見てなさいよ。絶対に強くなってギャフンと言わせてやるんだから!


 さて、そんなこんなで朝の稽古が終わると、ディランとトラウゴット、エミールの3人は馬車に乗って闘技場に出かけた。今日はディランの試合はないが、若手限定の試合があり、トラウゴットが出場するために付き添うらしい。昨日もこの3人で闘技場に来ていたなぁそういえば。


 エミールとオーウェンはまだ試合に出してもらえないらしい。末弟子のオーウェンに至っては闘技場にすら同伴できなくて、私とお留守番なんだけど……


「今日からお前が働く場所だ」


 とオーウェンが案内したのは、練習場や小屋の集まっている場所からは少し離れた岩場だ。

 なにやらカンカンという音がするし、少し煙っぽい。既に誰かが働いているみたい。


「おい、奴隷ども! 新入りだぞ仲良くしてやれ!」


 オーウェンが叫ぶと、カンカンしていた音は止んで、近くに空いた洞窟のような穴から数匹のゴブリンが現れた。しかしゴブリンは私の姿を見ると明らかに慌て始める。……まあそうなるよね……


「に、ににに人間だべぇ!」


「お、おたすけをぉ……ワシぁまだ死にとうないですじゃ!」


「ええいうるさい! たかが人間ごときで騒ぐな奴隷風情が!」


 オーウェンは怒鳴ると、手に持った鞭でベシッ! と地面を打った。するとゴブリンたちは一気に静かになる。オーウェンはそれを確認すると、私に向き直った


「ここでやるのは鉱物の採掘だ。主に鉄鉱石(てっこうせき)を採掘している。お前もゴブリンどもを手本にしながら採掘をしろ。集めた鉱石は街に売りに行くから指定の場所にまとめておけよ」


 そう言いながら、オーウェンは手に持っていた手袋とツルハシを投げて寄こした。バリバリ肉体労働じゃん……か弱い女の子にやらせる仕事じゃないっての!

 かといって水商売関係もごめんだけどね…


「おら、さっさと働けよこのグズが!」


 ベシンッ! いたっ! オーウェンが鞭で私の背中を叩いてきた。なんてことするの! でも、逆らうとおかずにされそうなので、ここでも渋々従ってやることにする。…全ては強くなるため!多少のことは我慢しないとね…


 私を避けるように距離を置きながらも持ち場に戻って働くゴブリンたちの様子を観察しながら、見よう見まねでツルハシを振るう。


「えいっ!」


 ガンッ!

 岩が僅かに砕けるが、まだ力が足りない。でも、朝のはや素振りで腕の筋肉も背中も腰も限界……すごく痛い。筋肉痛になってるよ……


「真面目にやれよグズ!」


 ベシッ! いたっ! ……くそぅ……やればいいんでしょやれば!

 私はもう後先考えずに思いっきりツルハシを振るい続けた。


 ガンッ! ガンッ! ……何回やっただろうか…さすがに根性だけじゃどうにもならないほど疲れ果てて、私は地面に崩れ落ちた……もうだめ、死んじゃう。

 幸い、サボると鞭でぶってくるオーウェンは、別の用事があるのかこの場を離れていたので、私は無事に気を失う事ができたのでした。

 おやすみなさい。



 ペチペチ

 ペチペチ


 ん? なに? 誰かが私の頬を軽く叩いている。……恐る恐る目を開けると、目の前に可愛い子どもの顔が……なんだ、エミールか……


「あっ、生きてたよかった! 死んでたら食べてもあまり美味しくないし、困ってたんだよ?」


 いやいや、この子の困り方のベクトルがおかしい。

 私は身を起こし……かけてやめた。身体中が痛くて動かせない。


「ディランが呼んでるよ。夕方の稽古だって」


「ごめん、私体が動かないの……痛くて」


 そう白状するとそのままおかずとして食べられそうな感じだったけど、本当に痛くて動けないんだから仕方ない。


「もう……弱っちいなぁカタリーナは……」


 エミールは呆れたように言うと、私の頭に手を添えて


「光よ、この者の傷と疲れを癒せ、〝完全回復(フルヒール)〟!」


 ま、魔法!? しかも超上級回復魔法だ……。アンジュでも使えるかどうかわからないレベルだよ!?

 エミールの手から光が溢れて私の体を包み、痛みと全身を覆っていた倦怠感がスーッと引いていく。よし、これなら大丈夫。


「あ、ありがとう!」


 私は身を起こしてエミールにお礼を言った。しかし、エミールはふふっと意味深に笑うと


「もしカタリーナが倒れて動けなくなってたら癒すようにってディランに言われたから……」


「あ、そうなの」


「にしても、面白いものを体に宿してるね。カタリーナは!」


「えっ!?」


 エミールが目を輝かせながら言ったので、私は驚いて聞き返してしまった。少し触っただけで、私がどのような状態にあるか分かるなんて……高位の僧侶(プリースト)でも難しいかも……この子はほんとに何者なのかな……?

 ていうか面白いものってまさか……


「……森を犯す者の呪いのこと?」


「うーん、それもなかなか興味深いんだけど、そうじゃなくて……」


 えっ、じゃあなんの事だろう? エミールはしばし考えるような仕草をしてから、「見てて」と言って私の腹部に手を添えると一言呟いた。


「〝表出(エクスプレッション)〟」


 ブワァァッ!! な、なにっ!? 全身から何かがすごい勢いで溢れ出るような感覚とともに、私の体は例の闇の炎に包まれた。

 うわっ! おもらしだ! でもどうして? 私は魔法を使おうとしてないのに……しかもオーラの量が今までの比ではない。溢れ出す闇は隣にいるエミールをも飲み込みそうだ。


「あはははっ! やっぱり! 最高だよカタリーナ! こんなにドス黒くて強い魔素を持ってる人間なんて見たことないよ! 魔物でもなかなかいないね。魔王四天王レベルじゃないかな?食べがいがありそう!」


 エミールはオーラに飲み込まれそうとかそんなことは気にしてないようで、興奮した様子でまくし立てている。……そんなに凄いのかな? 禍々しくて汚いと思うけど……

 っていうかエミールさん、どさくさに紛れて魔王四天王レベルを食べたいみたいなこと言ってませんでした? ほんとになんなのこの子……


「……このことはみんなには秘密にしておくね?バレたらすぐに食べられちゃいそうだし、それは勿体ないよね。せっかくこんなにいいものを持ってるんだから、熟れるまで待たないとね?」


 エミールはニコニコ笑いながら、指をパチンと鳴らして魔法を解除した。たちまち私のオーラは薄れて消えてしまった。

 私は底知れぬ恐怖でその場で固まってしまった。……だって、ねぇ? エミールは明らかに上級の魔物……呪いをかけられる前の私ですら勝てるかわからない。多分魔王四天王とやらよりも強い。

 もしかして……


 魔王……そのものなのかも……?でもなぜ魔王がこんなところに……?

 エミールの赤い瞳は深淵のように深くて、何を考えているのかわからない。


「話しすぎちゃったね。僕のこともみんなには秘密だよ?……バラしたら……」


 エミールは私の顔を覗き込みながら言った。

 エミールのただならぬ力……バラしたらいつでもおかずにできる……そういうことだよね……?

 呼吸が上手くできない。膀胱がキューッてなる。


「ふふっ、じゃあまた後でね!」


 そんな私を見て、エミールはまた意味深な笑みを浮かべると、スキップをしながら去っていった。


「なんなのあれ……?」


 途端に力が抜けた私は、マジもののおもらしで形成された水溜まりの上にへなへなと座り込んでしまうのでした。

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