第260話 さらば、ジョーブレイカー(2)
「ねぇ、お兄さん」
エディンは、初号機であるジョーブレイカーをそう呼んだ。
ここよりさらに奥の部屋へと通じる扉からゆらりと現れ、つかんだ棒手裏剣をぽいと投げ捨てたその姿は、コルベルカウダのエディン同様、やはり例の鎧に包まれている。
「どうしたんです。私がここにいるのが不思議ですか」
エディンは、おそれげもなくジョーブレイカーの剣の間合い、さらには、拳の間合いにまで踏みこんできた。
「……スダレフは」
「いましたよ。つい先ほどまで、その釜の中に」
緑の液体は、ごぷん、ごぷん、と、静かにわいている。
「なぜ殺した」
「むしろ、生かしておく必要がありますか」
「……」
「いままでの研究記録を処分することで、自身の脳に存在価値をつける。身の安全をはかる方法としては適切でしたけれど、ね」
殺されてしまったということは、すべてのデータは、すでにオオカミのもとにあると見ていい。
「お気の毒」
エディンは、緑の照り返しを受けた顔で釜の中をながめていたが、その言葉を向けた相手は、まぎれもなくジョーブレイカーであった。
「さっさと殺してしまわないからこうなるんですよ」
と、わけ知りぶったエディンの横顔はそのように語っていた。
「……おや、どこへ」
わかっているだろうに、やはりこのようなことを言う。
スダレフは、ジョーブレイカーにとって父の仇。それを討ち損なったのは痛恨の極みだが、だからといって立ち止まっている暇はない。
もうひとつの目的、シュナイデ救出が残っている。
むしろ、卑劣な手段によって奪われた最後の研究を取り返すことができたなら、それはもう仇討ち以上の親孝行となるのではないか。
「う、ふ。まぁ、行きたければどうぞ。私は邪魔をするつもりは毛頭ありませんよ」
いま自分が通ってきた扉の向こうに彼女がいる、と、エディンはまったくの立て板に水であった。
「なぜだ」
「なぜ? ……ああ」
以前、エディンはスダレフによって、
「ジョーブレイカー殺すべし」
との、すりこみを受けていたようだったが、
「オオカミ様が消してくださいました」
とのことだ。
「それに、私はいま、実験中なのです」
「実験……」
「そう。たとえば、この世界に五人の私がいたとします」
まったく同じ姿形をして、まったく同じ記憶を持った、エディン・ナイデルの五人組だ。
そのエディンの子機が、それぞれ別個に活動を続け、ランダムなタイミングで破壊されたとしたら。
そこから送信された記憶データを、再び、ひとつの肉体に集約したとしたら。
その記憶には、いったいどのような編集がなされるのだろう。
混沌とした融合記憶となってしまうのだろうか。破壊された順につぎはぎがされていくのだろうか。最後に破壊された者のそれが、すべてを上書きしてしまうのだろうか。
「なかなか興味深い話だとは思いませんか。ある意味これは、自然そのものですよ。交配して別種になるのか。バランスを保ち、共存するのか。強い個体に食われるのか」
「……なぜ、その話を私に」
ジョーブレイカーは真意をはかりかねた。
邪魔をしてくれと言わんばかりではないか。
「ええ、それはもちろん、邪魔をしてもらいたいからですよ」
エディンは心底愉快そうに肩を揺らして笑った。
「言ったでしょう。『私たちはランダムなタイミングで破壊されなければならない』と。それをかなえてくれるのはあなたがただけです。我々の身体は、自殺には不向きですしね。ならばもっと脆弱な肉体を持たせれば、と、思われるかもしれませんが、それはそれで様々な支障があるもので」
スダレフ抹殺、コルベルカウダ侵入、確かに脆弱な肉体では不可能だっただろう。
それにしても、実験中だから、という言い訳の意味が、いまにしてジョーブレイカーには納得される。
実験中だから任務外のことはしたくない、というのではない。
実験中だから、今後も必要になる駒に手を上げられなかったのだ。
「急ぎはしません。気が向いたときに殺しにいらっしゃい」
エディンは、ほがらかに微笑んで言った。
「いまは、どうぞ、ご自由に」
と……。
ジョーブレイカーの背で、エド・ジャハン刀のつば鳴りがした。
「あれ……」
エディンは大釜の端をつかみ、姿勢を保とうとする。
胸の超小型光炉を狙った横一文字の一閃。
ずるり。
左右にずれていく自身の身体をながめながら、うふ、ふ……、やはりエディンは笑った。
「あなたは、まるで、人間だナァ……」
いったい、人間のなにが悪い。
遠く離れた別の戦場でそう訴えたのは、アレサンドロと獅子王だ。
そして、ふたつに分かれたエディンの肉体を釜の中へと放りこみ、その溶けゆくさまを、じっとながめていたジョーブレイカーもそう思った。
『人間』
実はこれほど、この男を悩ませてきた言葉もない。
フクロウのモチが半鳥半人ならば、ジョーブレイカーは半人半機。それも、改造主の父をうらむわけではないが、望んで獲得した身体でもない。
なにをもって人間とするか。なにをもって機械とするか。
そもそもが人間であるジョーブレイカーは自らの煩悶から生み出される様々な答えに一喜一憂しながら、数十年もの間、ひとりきりで生きてきたのである。
そこに現れた、シュナイデ。
その心の成長を見守る中で、ジョーブレイカーの心もようやく、ひとつの方向へと動きはじめた。
「私たちは人間だ」
そう言葉を投げかけてもシュナイデは小首をかしげるばかりだったが、言葉のかわりに胸へと返される光炉の共振、そこから感じられるかすかな喜びの波動が、ジョーブレイカーに人間である自信を与えていったのだった。
……う、ふ、ふふ。
あざけるように笑うエディンの死顔が溶けきったのを確認して、ジョーブレイカーは窯の火を落とした。
シュナイデがいるという奥の部屋からは、うっすらと光がもれていた。
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