第257話 ユウのカラス

 殴る。殴る。

 殴る。殴る。

 そのドラムロールは、地上のオットー・ケンベルの耳にまで届いた。

 この老将軍はテリーの傷を応急的にふさぎ、シューティング・スターの通信機器を使って自軍にコンタクトを取ったのち、もう一度、気絶したままのテリーのもとへ戻ってきたところで、それを聞いたのである。

 なにをするつもりだ……。

 と、ケンベルからすれば、超科学の敵城からおかしな音がするのだから、これは悠長に構えてはいられない。

 しかし、いま実際におこなわれている光景を見ることができたならば、たとえば天使の団に苦汁をなめさせられた人々などは胸のすくような思いがしたことだろう。

『……モチ、開けてくれ!』

 普段のコルベルカウダの姿が天球儀ならば、それこそ金の殻に覆われた現在は真球の卵だと言える。殻はそのまま殻であり、コルベルカウダ本体は黄身だ。そして、白身の部分にはなにもない、ただ空気だけが詰まっている。

 ユウはモチに港のハッチを開けさせて、まずエレベーターの走行路から引きずり出したエディンをそこから投げ捨てた。

 そして、落下していくエディンに空中で追いつき、

『おお!』

 と、大きく振りかぶっての渾身の一撃を食らわせた。

 加速した小さな身体は、殻の内側に轟音立てて激突した。

 ここで終わるならば、そこまでであったのだが、

『あ……』

 憎らしいかな。港から照射されたスポットライトを受けて役者のように浮かび上がったエディンは、まだ笑っている。

 うふ、ふ、ふ……。

 と、大の字ではあるが、血のひとすじも流さず、五体満足で笑っている。

 あは、あは、あは、は!

『……エディン』

 ユウは思い出さずにはいられなかった。

 盾に吊るされた騎士たちのことを。傷つけられたディアナ大祭主のことを。フェローで氷漬けにされた無辜の民のことを。

 そして、話を聞いたときにはひどいことをすると不快に感じただけであったが、この男に八つ当たり的に裂き殺されたという、数十羽のカラスたちのことを。

『なにが……おかしい!』

 そうした事件に出会うたびに、皆がどれほど心を痛めたか。

『なにがおかしい、エディン!』

 黒いN・Sは着地ざま、再び拳を振りかぶった。

 殴った。

 殴った。

 殴った。殴った。

 そのとよみが、勇壮なドラムロールとなった。

『モチ、こっちも頼む!』

 言うか言わぬかの絶妙なタイミングで、これもぴたり、コルベルカウダの殻に、ユウのN・Sを中心とした半径十メートルの穴が開く。浮遊感とともに戦場が望まれる。

 武運を祈ります……!

 モチの声援を背中で受けて、ユウは笑う人形に、最後の一撃を打ちこんだ。

 

 ところで、そのドラムロールは戦場のかなり広い範囲にまで届いたのだが、ララの耳には入らなかった。

 なぜならば、そのときサンセットⅡは、地中で息をひそめていたのである。

「……うぅん」

 これからどうしよう。

 ララは手元灯だけの暗いコクピットの中で、飴を噛み砕きながら考えていた。

 そう、いくらなんでも、

 まっかせて!

 と、自信満々請け負ってしまったのは自分なのだから、やはり四機相手は大変だったので隠れていました、などと言うわけにはいかない。

 だがしかし、実際に大変であったのだ。

「だって、まさかさぁ」

 いままでは主人の戦いを傍観していることが多かったふたりの紋章官、サリエリとバレンタインが、むしろ積極的に戦闘参加してくるとは思わなかった。あのふたりとリドラー軍のササ・メスは、仕える主人よりも腕が立つ。

「ホントに四対一なんだもん」

 ララは、ぶどう味の飴と一緒に、舌まで噛んでしまった。

「あー言い訳、カッコ悪い」

 なにがあっても帰らないとね……と、あの日、ユウとかわした約束が、本来猪突猛進な自分の持ち味を封じる枷になっていることにも気がついていた。

「……ううん、違う違う」

 ユウは悪くない。悪くない。

 ララは大きくため息をついて、ポーチの中に両手を突き入れた。

「あーあ」

 いまはなにをしてるのかな、と、思う。もちろん、ユウのことだ。

 みんなは優しくしてやれって言うけど、ホントに、それでいいのかな。

 あたし、いまのユウも好きだけど、昔のユウも好き。

 というか、やっぱり昔のユウのほうが……なんて、そんなこと言ったら、もっと傷ついちゃうのかな。云々。

「……あ、イチゴ!」

 もうなくなったと思っていたお気に入りの飴。

 これが当たると、気分とともに運気まで上がったような気がするのだが、はたして、今日もそのとおりだった。

 このとき、サンセットⅡの集音マイクが拾ったのは、

『野郎、どこへ行きゃあがった』

 という、地上を歩く火炎のミザール、つまり、ギュンター・ヴァイゲルのいまいましげな声。

 そして、

『まあ、このあたりにいるのは間違いないだろう。出て行くところを見た者はいないのだから』

 という、随分とのん気げな電雷のフェグダ、カール・クローゼ・ハイゼンベルグの声。

 そのふたつの声が、

『あ、テメェ!』

『ど、どこから?』

 などと、あわてふためいたかと思うと、

『この、野郎!』

 と、明らかに何者かと格闘しているらしい振動が伝わってきたのである。

 さらに駄目押しとなったのは、クローゼの放った、次のひとことであった。

『ユウ、私は君が来るのを待っていたのだぞ。いったい、いままでどこにいたのだ!』

 ララは操縦桿を握った。

 サンセットⅡのスピナーが回転をはじめた。

 動きはじめの一メートルはもどかしいほどに時間がかかったが、弾みさえついてしまえば、あとは地上まで、ものの数秒であった。

 ユウ、やっぱり来てくれたんだ!

 ユウ……ユウ……。

『ユウ!』

『いまだ!』

『あ!』

 大地を割った勢いそのまま空へと飛び出したサンセットⅡの足首を、がっしりとつかんだ者がいる。

『誰!』

 その特徴的な額の一本角は、カブトムシ。

 五〇五式改、バレンタイン専用機、シュッツェンシルトだ。

 そして、そのシュッツェンシルトの肩口を足がかりにして飛び上がり、ぎらり、サーベルを閃かせたのは、一〇〇二式改、サリエリ専用機、アルコル。

『きゃあ!』

 バックパックの独立可動スラスターを斬り飛ばされたサンセットⅡは、シュッツェンシルトに手繰られるようにして地に落ちた。

 L・Jの腕や足をどう取れば拘束できるか。それを、この二機はよく心得ていた。

『卑怯者!』

 アルコルとシュッツェンシルトの下で、サンセットⅡは叫んだ。

 よく見れば、カラスなど羽根一枚も見当たらない。

 すべてが狂言であったのだ。

 ユウは、はじめからいなかったのだ。

『バカ、バカ!』

 人の気も知らないで。

『バカ!』

『投降したまえ、シュトラウス機兵長。いや、ララ・アービング』

 サリエリがいっそ優しげにそう言った。

 人の気も知らないで、とは、この男こそ言いたい台詞かもしれなかった。

『アービング?』

 ララは聞き返した。

『シュトラウスの家から、離縁届けが提出されている』

『あっそ!』

『投降のほうが心証がいい』

『知らない!』

『アービング』

『だから、知らないって!』

『聞きわけたまえ、アービング』

『なにさ、気安く呼ぶんじゃないっての!』

 さすがにこの程度の痛罵では、サリエリはびくともしない。しかし、このやりとりを、どことなく、はらはらしながら見守っていたギュンターは、

『あん?』

 ふと、メインモニターの端に、なにか黒いものがちらついた気がしたので、ミザールの指でそれを追いかけた。

 取ってみると、

『こいつは……』

 羽根?

 しかも、メートルサイズの……。

『ヤベェ……ヤベェぞ、サリエリ。おい……逃げろ!』

 言うが早いか、ミザールの鞭が宙へと走った。

 はっと、その向かう先を目で追った面々も、さすがに将軍紋章官、とっさに体勢を整える。

 その中で、サリエリのアルコルだけがサンセットⅡに覆いかぶさったままであったのは、なにが『ヤバい』のかわからないこの状況で、ララの盾になろうとした兄心か。

 しかし、重量のあるシュッツェンシルトが離れたのをいいことに、サンセットⅡは残ったテイルバインダーとサブスラスターを駆使して、細身のアルコルを振り落としてしまった。

『この、鳥野郎!』

 サリエリは、ギュンターの声に気をつかまれて振り返り、ミザールが鞭を螺旋状に回転させて撃ち落とそうとしている相手を見た。

『あれは……?』

 黒いN・Sだ。鳥人型のN・Sだ。

 しかし、それをそのままカラスだと思えなかったのには、もちろん理由があった。

『羽が……!』

 と、これにはララも驚いた。

 翼が二対ある。

 つまり、左右に二枚ずつ、四枚。

 これだけでもう鳥とも言いがたいが、一対は、カラスの背にもとからあった翼。もう一対は、ユウが取り戻した、自分自身の翼だと言えるだろうか。

 違いはそれだけではない。

 以前は女性的なフォルムをした、なよやかなN・Sであったが、いまは一見してわかる男性型である。

 装甲や尾羽や、両腰の二刀、こういったものの基本的なデザインは変化ないだけに先のカラスとの相違が一層際立ち、それによっても見る者は混乱した。

『ユウ、ユウなの?』

 ララの問いかけを受けて、新N・Sカラスは、いったん風に吹き上げられるようにして舞い上がった。

 そして、サンセットⅡの目の前に、ふわり、つま先から着地した。

『……ララ』

『ユウ!』

 サンセットⅡのコクピットハッチが開いた。

 そのアンダーカバーに、つまずきながら転げ出てきたララを見て、

 ……ああ、好きだな。

 と、ユウは素直に自覚した。

 変化してしまったいまの自分の目で、いったいこの少女がどう見えるのか、それを心配するところもあったのだが、ララはカラスの目で見ても、生命力にあふれて美しかった。

 できれば、カラスとの邂逅の様子などを語って聞かせてやりたかったが、残念ながら、いまはそうする時間も、真実を打ち明ける時間もないのだった。

『ララ、戻れ』

「え……」

『俺はアレサンドロのところに行く。ララは飛べるなら、コルベルカウダに戻るんだ』

 ユウはこのとき、まだアレサンドロの身に起こったことを知らなかった。

 ただ、大群の中へ駆けこんでいく獅子王とコウモリの勇姿だけは、エディンが現れる前に見ていたのである。

 それと聞いたララは、

「なんで、あたしも行く!」

 とでも言い出しそうなものだったが、

『ララ?』

 大きな目をさらに大きくして、嘘でしょという顔をしていた。

『ララ?』

「あ……」

『どうした?』

「だって……!」

『?』

「ユウが……ユウなんだもん」

 ……ああ、そうか。

 ユウは申し訳なさとともに苦笑いした。

 いままでの記憶はすべて、しっかりと自分の頭の中にも残っている。それを思い返すと確かに、この反応は納得だ。

 ララは、心を閉じこめてしまった自分を優しく甘えさせてくれたが、内心では、心配もたくさんしてくれていたに違いない。

『もう大丈夫だ』

「ホントに?」

『ああ』

「ユウ、好き」

『ア、アアン!』

 と、ここで豪快な咳払いが割りこんできた。

 ギュンター・ヴァイゲルである。

 ララは、む、と、唇をへの字に結んで呪いの言葉をはき、渋々コクピットの中へと戻っていった。

 火炎のミザールは鞭をしごいて、

『イ、イチャついてんじゃねぇよ』

 と、なにやらへどもどと、お定まりの文句を言った。

『空気読みなよね、ギュンター!』

『うるせぇ、この、シュトラウス! いや、アービング……、と、とにかく、ここで会ったが百年目だ。おう、黒いの、さっさと抜きゃあがれ』

『……いや』

『どうした、怖じ気づきやがったかよ!』

 ユウは、まいったな、と、電雷のフェグダへと目をやった。いつか正々堂々と決着を、と、固く約束をかわした友だ。

 一度などは、こちらが倒れたにも関わらず仕切り直しを許してくれたこともあったのだから、この友がやる気ならば、アレサンドロを助けたあとにしてくれ、などと言えるわけがない。

 ハサンもいるのだから向こうはしばらく大丈夫だろう、という気持ちがあったのも確かであった。

 クローゼはフェグダをうなずかせ、

『いざ』

 と、その半馬の四つ足を勇ましく打ち鳴らした。

『……よし』

 やろう。

 ユウは、はやる心をひとまずわきへ置いておき、すらり、大刀を抜き払った。

 状況は、やはり不利な、二対四。

 シュッツェンシルトがアルコルの腕をつかみ、邪魔をしてやるな、とでも言うような仕草を見せたので、あるいは二対二。

『ねぇ、ユウ。なんか静かだね、モチ』

『ああ、モチは……乗ってない』

『え?』

『コルベルカウダにいる』

『へぇぇ、それって、N・Sが新しくなったから?』

『まあ……』

 あながち間違いでもない。とりあえずは、そういうことにしておこうか。

 ユウは、ずるいと思いながらもやはりほっとして、真実を打ち明けるという課題をここでも先送りにしてしまった。

 と、そこへ。

『待った!』

 空から乱入してきた者がいる。

 その声の主は『神速』の異名を持つほどのL・Jを駆っていたので、声がした次の瞬間にはもう、風を巻いて着地していた。

『ホーキンス将軍!』

『おう、話はあとだ。この勝負、俺が預かる』

 神速のベネトナシュ、スピードスター・ホークは、互いを制するように両腕を広げた。

『どういうことです、将軍』

 サリエリとバレンタインは声を重ならせた。

『まあ聞け。そこのN・Sは、ヒュー・カウフマンだな。すぐに仲間を助けにいってやれ』

『え……?』

『アレサンドロ・バッジョのいた場所で、小規模だが爆発が確認された。シャー・ハサン・アル・ファルドは現在、セロ・クラウディウスと交戦中。まあとにかく、助っ人が必要だってことだ』

『!』

『ただし、将軍が三人も顔をそろえて戦果がないってんじゃあこちらも困る。そこでララ坊、おまえさんはここで捕虜になれ』

『え!』

『そんな手負いのL・Jでなにができる』

 スピードスター・ホークはサンセットⅡと、まごついているN・Sカラスの尻を叩くようにした。

『心配するな、ララ坊の身柄は保証する』

『あ、ああ』

『おまえさんたちもそれでいいな』

 問われて、ギュンターとクローゼは顔を見合わせた。

 実際、不思議なことである。

 このふたり。そして紋章官のふたり。立場としてはユウの敵であるはずの全員が、実のところ、クラウディウスの有利、アレサンドロの危機と聞いて、それはまずいなと感じたのである。

『この戦、勝つか負けるかじゃあない。どう勝ってやるか、どう負けてやるかだ。結果はどうあれ、最後の決定打をクラウディウスに持っていかれるわけにはいかんのさ』

 というホークの言葉は、四人の心情をとりあえず納得させるには十分であった。

『さあ行け!』

 ホークは急かした。

『ユウ!』

 アレサンドロをお願い。ハサンをお願い。

 言外に訴えるララにうなずいてみせて、N・Sカラスは翼を広げた。

 二対四枚の黒い翼は、ひと打ちで、ユウを風に乗せた。


 アレサンドロ。ハサン……。

 ユウは、モチがそばにいないことを、いま心からさびしく思った。

 もしもここにいてくれたなら、きっとあの心の熱い戦友は、力強く翼を振って自分をはげましてくれたことだろう。

「行きましょう、まだ間に合います。彼らがどうこうなるはずがありません」

 と。

 いま、N・Sを進ませている翼は自分自身のものとはいえ、そのあたり、まるで機械のように冷たい。そっぽを向かれているような雰囲気だ。

 もちろん、手足などの身体の一部が脳の命令をはずれて、

「頑張れ頑張れ」

 などとやりはじめても恐ろしいだけかもしれないが。

『あれか!』

 細く消えかかった煙のあとと、N・Sコウモリ、そして、オオカミ。

 オオカミ? と思ったが、作戦会議で本人に叩き返してやるような話をしていたことを思い出した。

 モチは着地の際、狩りさながら、地面に突き刺さる勢いで翼をあやつったものだったが、新しい翼はむしろ、降りるのを惜しむかのように風を集めてふくらんだ。

『遅いぞ、ユウ!』

 ハサンの声がなつかしかった。

『すまない! ここは俺が!』

『フン、なにをえらそうに』

 そこかしこに傷をこしらえたコウモリは笑い含みの苦情を言って、それでも破れかけた翼膜をひるがえした。

『まかせたぞ!』

『ああ!』

 コウモリは、煙の方角へと駆けていった。

 さて……。

『N・S……カラス』

『オオカミ』

 残されたのは、この男。

 ユウ自身は、このオオカミという男をよく知らない。クラウディウスとしてもよくわからない。

 エディンを通してだけ知っている。

『N・Sを作り変えることのできる者が合流しているとは聞いていない。そのN・Sは、どうしたのだね』

 ユウは黙秘した。

『まあいいだろう。そのうちわかることだ』

『エディンは、もういない』

『いない?』

 ハ、ハ、ハ。

 オオカミのそれに合わせて、エディンの笑い声がよみがえる。

『なるほど、ではどこへ行ったのだろうな』

 オオカミは、どきりとするようなことを言った。

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