第258話 三世皇帝

「のう、カジャディール。いまさら目的を問うような、そちではあるまいな」

 年寄りじみた少年の声が、遠く、壇上の玉座から響く。

 十三歳といえば成長期で、中には大人に近い背丈にまで成長するような少年もいるが、声の主はまだ伸びはじめ。ただでさえ巨大な玉座なのだから黄金とビロードに埋もれてしまって、むしろ玉座が話しているように見えるのは仕方がない。

「さて、推測などいくら重ねたとて真実にはなりますまい」

 メイサ神殿、カジャディール大祭主は、長々と続く真紅の大絨毯を踏みしめて行きながら、なんとも言えぬ懐かしさに胸苦しさまで覚えていた。

 ……お変わりにならぬ。

 と、足を止めたのは、玉座の数十歩手前。

 謁見の際の定位置ではあるが、以前からカジャディールはこの場所に立つたびに、見えない檻の存在を感じずにはいられなかった。

 先帝三世はその檻の中で、見かたを変えればあるいは外で、常に、うらやましくなるほどに孤高であった。

「陛下」

 悠然と玉座におさまった少年の前で、カジャディールは小腰をかがめた。

 はあ、はあ、と、同行者の魔人ジャッカルは、走りとおしたために気力を失っているのか、それとも人間の定めた地位などには興味がないのか、半歩うしろで杖につかまり、棒立ちのままである。

「お聞かせいただけますかな。目的にあらず、クラウディウスめとの関わりを」

「フン」

 と、少年皇帝は足を組みなおした。

「余が傀儡に見えおるか」

「さ……そこでござります」

 クジャク同様、カジャディールもまたここまでの道のりで、もしやもしやと考え続けてきた推測。

「もしや、陛下こそが黒幕ではござりませぬか」

「ハ、ハハ」

 白い喉を見せて、皇帝は笑った。

「黒幕はよかったの」

「では……」

「余をおいて皇帝はおらぬ。このユルブレヒトのみがグライセンの表であり、そちが正義と信じて疑わぬその立ち位置こそが裏側よ」

「クラウディウスめは」

「ようやっておる」

 ここで皇帝はジャッカルを見た。

 敵意のない眼差しではあったが、心臓をちくり刺すようで、ジャッカルの背には、すう、と、冷たいものが流れた。

「……そう」

 皇帝は語り続ける。

「あの男を手に入れたのは、父王がまだ生きておられたころであった。カジャディール、無論のことそちは知っておるだろうが、このユルブレヒト三世の父こそが、半島同一教圏統一に乗り出した張本人。余は当時、父の手足となって働くだけの王太子の身分であったよ」

「は……」

 三世はこう言うが、この王太子時代の血風伝説は、父王の名をかすませるほどに広く知られている。

 どこそこの砦を落としたとか、圧倒的戦力差をくつがえしてみせたとか。

 や……!

 その伝説によく登場する文言を思い出して、いまカジャディールは、はっとなった。

「緋色のマントと……猟犬!」

「それがやつよ。物知らぬ下々は犬と見たが、あれは狼。どこの戦場であったか拾っての。野生の獣には珍しく、なついたもので使うておった。ある戦で余をかばい、矢を受けたが、まさかあの瞬間……魔人へと転生するとは」

 魔人となった獣オオカミは、その後も鉄仮面シックザールとして主人のかたわらにあり続けたが、

「手はじめに与えた仕事は、父、二世殺しであったわ」

 皇帝は哄笑した。

 だだっ広い玉座の間に、その笑い声はしつこく反響して消えなかった。


 ……さて。

 その鉄仮面シックザールが、皇帝のそばから消えた時期がある。

 魔人と人と国とを混沌と渦巻かせた、十六年前の戦。そのときである。

「聞くか、カジャディール」

 こう問われたカジャディールは、

「ぜひにも」

 と、首を縦に振っていた。

 不思議なことにあの戦、勝敗がついたことは誰もが知っているが、開戦のきっかけがなんであったのか、結局のところなにを求めた戦であったのかを知る者は少ない。それを明確にできるのは、この三世皇帝だけだろう。

 カジャディールは、いま現実に進行しつつある戦のことを忘れたわけではなかったが、この機を逃せば、おそらく永遠に失われてしまうだろう真相を聞いてみたかった。

 たとえそれが、陳腐極まりない話であったとしても。

「すべては、魔人城コルベルカウダ。その存在を記した古文書が、余のもとへ持ちこまれたことにはじまる。いわくは知らぬが、持ってまいったのはスダレフ」

「あの、宮廷博士めが」

「ただの小者よ。だが、便利な男ではある」

 皇帝は片方のひじ掛けにもたれるようにして、首を二、三度、ぽきぽきと鳴らした。

 そして、

「当時……」

 と、あごひげを整えるような仕草を見せて、そこにひげがないのに気づき、にやり、口角を引き上げた。

「若い肌よ」

「陛下」

「ク、クク、なにをにらみおる。……さあ、カジャディール。当時すでに半島統一を成し遂げ、それを安定させるに至っていた余が、次の敵と見なしておったのは何者であったと思うか」

「それは無論、シュワブでござりましょう」

 グライセン帝国の南方、海をへだてた超大国。

 ただ大きいというだけではない。数百年の歴史を持つわりに進歩的で、世界ではじめてL・Jを軍に採用したのも、かの国である。

 皇帝は、うなずくかわりに指を立てて振った。

 その大敵にそなえるために魔人城を求めた。それはまさに、陳腐なきっかけであった。

「しかし、いまにして思えば、その城を顕現させるまでには、膨大な時間と手間がかかったものよ」

 皇帝は苦笑いを隠さなかった。

 まずは、とにかく情報収集。

 魔人城コルベルカウダの存在を知ったとはいえ、三世とオオカミはその段階では本当に、名を知った、というレベルであった。

 その魔人城がどのようなものであるのかさえわからない。

 封印されていることはわかったが、その場所も解除の方法もわからない。

 三世とオオカミは調査を続けた。

 そしてついに、封印を解くためには、いくつかの鍵が必要であることを突き止めた。

 ひとつは鍵。

 ひとつは鍵穴。

 ひとつは、魔人の八賢人。

「そこで余は戦を決めた」

 それが一番、楽な手であったからだ。

 オオカミを魔人の側につけ、その戦を不利に運ばせることで、八賢人の誰かがコルベルカウダ復活に動きはじめることを期待したのである。

 八賢人ジャッカルの愛弟子たるアレサンドロが意図せず手もとに転がりこんできたときには、オオカミも三世も、密書のやりとりの中で喜び合った。

 これは野望成った!

 甘ちゃんのジャッカルのこと。必ずや小僧のために魔人城を復活させるであろう! ……と。

「しかし……」

 その目論見はカラスによって見破られ、対決のあげく、オオカミは魔人砦を捨てざるを得なくなった。コルベルカウダ復活もならないまま、戦も終わった。

 その後もオオカミは奴隷狩りを続けながらコルベルカウダ復活の機をうかがっていたが、そうこうしているうちに、ユルブレヒト三世が死亡してしまった。

 オオカミは三世のよみがえりに全力を傾けるようになり、いったんはシュワブ攻略も暗礁に乗り上げた。

 そして……。

「あの『無駄な戦』から十五年。新たな肉体を得た余は天の声を聞いたよ。時来たれりとな」

 見よ。

 反乱分子として再び世に現れたあの男は。

 アレサンドロ・バッジョ!

 

 細く長い息が、ジャッカルの口から流れた。

 なんということだ。

 かつて空の上で、ハサンが言っていたとおりだったのだ。

『アレサンドロ。ジャッカルを表舞台に引きずり出す、それが、おまえに与えられた役割だった。いやいや、その役割に限定するならば、もしかすると……先の戦から!』

 ……ああ。

 ジャッカルは顔を覆わずにはいられなかった。

 自分のために、コルベルカウダのために、いったいどれほどの命が人質的に使われ、そして失われたか。

 実際のところ、ジャッカルの認識の中では、コルベルカウダはただの『家』にすぎないのだからなお悲しい。

 要塞などとんでもない。

 あれは個人主義の魔人たちに共生というものを教えるための、一種の集合住宅として建造された城だったのである。

「いまこそ、余の欲するすべてがここに打ちそろった」

 皇帝は玉座から、ぽんと跳ね起きた。

「最後の謎に、見事答えてみせよ、カジャディール。余が、そちたちをこの玉座の間へと招いた理由は?」

「む、それは……」

 カジャディールは言葉に詰まった。

 それは、カジャディール自身が不思議に思っていたことなのである。

 さてはどこかに罠でも、と、足を踏み入れたときから警戒はしているのだが、いまだになにかが起こる気配もない。

 皇帝が肩をすくめて、

「ここが、皇帝にふさわしい死に場所であるからよ」

 と、まとめ髪の下へ手をやったとき、カジャディールとジャッカルはぎょっとなった。

 そこにあるのは盆の窪。そこへ刺さった例の針を素人が抜こうとすればどうなるか、であった。

「おやめなされ!」

「よっく見ておくがよい、カジャディール。そして魔人八賢人」

 皇帝は目をむき、ぎゅっと笑って、

「これは自死にあらず。大祭主と魔人の犯せし皇帝殺しなり。レッドアンバー一味の犯せし大罪なり!」

「!」

「許せよ、我が孫よ。せめてこの場で死ねたことを誇りに思え! ハ、ハ、ハ、ハ!」

 そして針を引き抜こうとしたところ、カジャディールの手から、びゅうと杖が飛んだ。

「あ!」

「この、たわけ!」

 カジャディールは、つかみかかっていった。

「させぬ、させぬぞ、三世。それだけはさせぬ」

「この、じじいめ!」

 老年とはいえかくしゃくたる大祭主に腕を取られ、少年は顔を引きゆがめた。

「三世よ、いまこそわかった。此度の戦、戦場においての勝敗など、そなた、どちらでも構わなんだのだな?」

「……フン」

「レッドアンバーの手にかかり、四世が命を落とす。その結果のみが必要であったのだな?」

「たわけは貴様よ、カジャディール。そこにまんまと加わりおって」

 確かにそうかもしれぬ、と、カジャディールは舌を打たずにいられなかった。

 もし、このまま三世が針を引き抜き、四世の肉体が死んだとしたら、そのとおり犯人はカジャディールとジャッカルということになってしまうだろう。ふたりが皇帝を追いまわしたことは、マリア・レオーネ・リドラーなど複数の人間が知っている。

 では……そうなるとどうなるか。

 帝国は、カジャディールとジャッカルはもちろんのこと、ふたりを刺客として送りこんだアレサンドロを今度こそ許しはしないだろう。当然、ディアナやクローゼといった、レッドアンバー擁護派もただではすむまい。

 そして、 ブレーキとなる者を失ったまま、再び戦がはじまるのだ。

 いま現在おこなわれているような茶番のそれではなく、どちらかを根絶やしにするまで続く報復合戦が。

「しかし、案ずることはないぞ、カジャディール」

 皇帝はものすさまじい形相で、にんまりした。

「救世主は必ず現れる。奴隷どもを鎮め、国を正し、堅牢な巨大国家を新たにつくり上げる救世主が。その者の名は……」

「ユルブレヒト三世だと言うか!」

「そうとも、余はこの針を抜いた瞬間、またある場所で目覚めるであろう。その肉体は余の記憶を持ってはいるが、外見は、いまとまったくの別物。そして胸には、超小型光炉が埋めこまれておる」

「おのれ……!」

 記憶を抽出する方法。それを注入する方法。

 老いることのない超人の肉体を製造する方法。

「なぜ神は、そなたのような男に技を与えたもうたか!」

「神に会い、直接そう問いただすがよいわ、カジャディール!」

 だん、と、そのとき両開きの扉が打ち破られ、色とりどりの鎧騎士たちがなだれ打ってきたのには、カジャディールも皇帝も身を固くした。

 剣を振り立てて騎士たちの先頭を来るのは、ラーゼ神殿、ゲネン大祭主。

 そのかたわらには、すがりつくようにマリア・レオーネ・リドラーとササ・メス主従。顔を真っ赤にした近衛騎士団長もいる。

「カジャディール、貴様やはり、レッドアンバーらと通じておったな。陛下の御身に害なすことはわしが許さぬ。ええい、陛下から離れよ、離れよ!」

 などと、ゲネンが騒げば、

「カジャディール猊下、申し訳ございません。ゲネン猊下のご追及があまりにも激しく……!」

 などと、マリア・レオーネも叫ぶ。

 よく見れば、寒色の鎧を身につけたリドラー軍が白色の神兵団を押しとどめ、そのまわりに赤色の近衛騎士団がおろおろとしているような状況であったので、玉座の間は合戦さながら、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

 しかし、これぞ天の助け!

 ユルブレヒト三世が、もはやどのような手を使っても『見せかけ殺人』をおこなえなくなったと見たカジャディールは、少年の身体を巻き締め、

「魔人殿!」

 と、呼んだ。

 その瞬間にはもう、ジャッカルは少年のまとめ髪を払い、盆の窪をあらわにしていた。

「……カジャディール」

 喧騒の中、抱きしめられた腕の中で、少年は笑う。

「また会おう」

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