第244話 雲隠れ
さて、ずっしりとした曇天に覆われた、帝都クリスベン。
皇帝の居城でも動きが起こっていた。
ざ、ざ、ざ……と。
足並みそろえて広大な城を取りかこんだのは、金糸のマントも華やかな数十機のL・Jと、数百人の神兵たち。
上機嫌に胸を張り、揚々と門をくぐった指揮者の六十男は、実は、誰の許可も得ずに入城したのであるが、真紅の近衛騎士と青のリドラー騎士たちは、それをひざまずくほどの形で迎え入れた。
「陛下はいずれにおいでか」
英雄像のような風貌に、太いもみあげをたくわえたその偉丈夫は言う。
言いながら、のしのしと奥へと進んでいく。
応対に出た短身長髭の近衛騎士団長からすると、まずはご来訪の目的をどうぞと言いたいところであったが、
「その、お、お待ちください、猊下」
と、これは、なかなか行動に結びつけられるものではなかった。
なんといっても、相手の六十男はただの神兵指揮者ではない。太陽神殿、ゲネン大祭主だ。
政治に口を出すことはないが、立場だけならば、かの大公爵デルカストロにも勝る。
「猊下、猊下、おそれながら」
と、ちょこちょこと走りまわり、ようやくその進路に割りこんだとき、ゲネンの足はすでに光石シャンデリアの下、玄関ホールの中ほどまで踏みこんでいた。
「猊下。なにとぞまずは、おとどまりを」
「なんと?」
「陛下より……」
「どのようなご命令が下されようと、陛下の御身、ひいてはこの国を守るためである」
「では」
「我ら太陽神殿、帝城守護の一助とならんがために推参つかまつった」
「はあ」
「して……陛下は?」
「いや、お待ちください猊下」
「くどい。であるから陛下に直接ご説明申し上げるゆえ、いずれにおわすかと聞いておる」
「う……う」
これはもう駄目だ。面倒だ。
近衛団長のあきらめは早かった。
リドラー将軍にお出でを願えと部下に目配せをし、
「ま、ま、ここはお平らかに」
と、なだめすかす。
部下が思ったよりも早く駆け戻ってきたのはよかったが、
「将軍は?」
「そ、それが」
と、どこかおびえた様子で、部下は外へと続く大扉を指差した。
「む……」
ざわざわ、ざわざわ、扉の向こうで、なにやら不吉なざわめきが起こっている。
まさかレッドアンバーか、と、大祭主を背にして身構えれば、扉が大きく打ち開かれた。
ゲネン同様、小憎らしいほど堂々と押し入ってきたのは、それぞれ長尺の得物を手にした三人。
「何者だ!」
「おお、わしよ」
黒ずくめの神兵に左右を守られた男が、手にした杖をかかげて応えた。
「あ……カ、カ、カジャディール猊下!」
とんでもないことになった。近衛団長は青くなった。
まずこれはゲネン大祭主に対しても同じことが言えるのだが、今回のレッドアンバー討伐に際しては、元老院、貴族、執政官、大商人など、それは様々な方面へと勅令が飛んでいる。
その中で各神殿へは、
『いっさい関わらぬこと』
という、要するに、どちらの味方もせずに引きこもっておれという意味の命令が下り、特に反発もなく受け入れられていたはずであった。
それを、大祭主がふたりまでも、けろりとした顔で反故にした。
特にカジャディールはレッドアンバーの協力者と噂されているだけに、なおさらたちが悪かった。
むむむ……とんでもないことになった。
近衛団長は八つ当たり的に、カジャディールのそばにはべる、神兵ふたりをにらみつけた。
襟巻きよりもまだ長いような黒布で、頭の先から首までをすっぽりぐるぐる巻きにしたそのふたりは、布の隙間からわずかに見える目と目蓋の表情だけで、近衛団長に同情しているような気配を見せた。
「カジャディール!」
近衛団長がはっとするような声を上げて、ゲネンが、一歩二歩三歩と前に出た。
この男のカジャディール嫌いは至極有名である。これもまた、近衛団長のぞっとなった理由のひとつであった。
手のひらで転がせない存在が許せないのだろうが、噂では、カジャディールの後釜を狙う祭主の後援をしているとかいないとか。
「なにか、ゲネン?」
そらとぼけた顔のカジャディールの前で、ゲネンの胸板は、ますます風船のようにふくらんだ。
「去れ、カジャディール」
「……なんとな?」
「去れと言っておる。お城の守りは、我ら太陽神殿のみで十分よ」
「ほほう、陛下がそうおっしゃられたか」
「む……!」
ゲネンの顔色が数段赤くなった。
「ははあ、さてはまだご拝謁たまわっておらぬのか」
鋭く言い当てたカジャディールは、
「よしよし、ではともに参ろうか、ゲネン」
「な、なに、ともにだと!」
「おお、我らが顔をそろえて行けば、陛下とてお心動かされるに違いない。それともここで悶着起こし、せっかくのこの機会を無駄にするか、ん?」
「む、む……む」
このときカジャディールはかたわらの神兵、実は、変装したクジャクとジャッカルに向かって、ぱちりとウインクして見せた。
ゲネンは、おそらく気づくまいな。
それが面白くてたまらなかったのである。
そう、ゲネンはきっと、こう思っているに違いない。
他の神殿が動かぬこの機会に皇帝に恩を売りに来たら、なんと、このジジイまでが同じことを考えていたとは……と。
だがそれは違う。
ゲネンが神兵を率いてこの城へ来ること、時を同じくしてカジャディールが来ること。それらはすべて、あのハサンが絵に描いたものなのであった。
「……フム」
皇帝の城にリドラー軍が残るとなったとき、ハサンが考えたのは、いかにして安全に、ジャッカルを皇帝のもとまでたどり着かせるか、ということであった。
なにしろ、ジャッカルこそこの作戦の肝だが、身を守る力はいかにも弱い。もしも、多勢に取りかこまれるようなことがあれば、あのジョーブレイカーとクジャクであっても守りきれるかどうかわからない。
カジャディールの従者として入りこませれば、なるほどリドラー軍の手はおよばないに違いないが、今度は皇帝自身がカジャディールを警戒し、そばへ寄せつけないだろう。
「よし、ゲネン大祭主にもお出まし願おうか」
ハサンは、すぐに行動に移した。
「いかがです、猊下の神兵を出されては。ええ、ええ、これは他の神殿にさらに差をつける好機。陛下とて手薄のお城には不安を感じておられるはずで、きっと感謝されることでありましょう」
いまから数日前。ゲネンの耳にそのようなことを吹きこんだのは、実は、太陽神殿の神徒であり、帝都では知らぬ者のいない大商人である。この男は虫も殺さぬようなエビス顔をしているが、店の繁栄と維持のために裏社会とのなれ合いも如才なくやっていて、そこを牛耳る吸血鬼との関係も浅からぬものがあった。
それを利用して、というわけであった。
……さあて。
カジャディールは、ひげをすいた。
太陽神殿というのは帝国一神徒も多く、皇帝家の信頼も厚い。このままどうにか連れ立って、皇帝のもとまで行きたいものである。
よしんば、皇帝がゲネンの拝謁願いまでもをこばんだとしても、頑固で強引な年寄りふたりが意地を張り合いながら駄々をこね続ければ、
「ああ、これは陛下でなければ止められぬ」
と、周囲のほうで考えるに違いない。
「さあ、どうする、ゲネン?」
あくまで物優しく問いかけながら、カジャディールは諸手を開いてすり寄った。
ゲネンは手負いの獅子の形相であとずさり、しばし、ぎりりと歯を嚙み鳴らしていたが、ついには一センチばかり唇を開いた。
と、そのときである。
「待った、お待ちくださいませ!」
勇敢に割りこんできたのは、近衛団長であった。
「そのように勝手にお話をお進めになられても困ります。第一、我々も陛下がいずれへ避難なされたか存じませんのです!」
「な、なんと?」
カジャディールとゲネンは顔を見合わせた。
「ですからここは、まずお時間を頂戴いたしたく存じます。リドラー将軍ならば陛下の行方もご存知のはず。いま呼びに行かせておりますので、なにとぞ、なにとぞ……」
さて、そこからが長かった。
近衛騎士団がリドラー軍の騎士に聞いてまわったところ、マリア・レオーネ・リドラーは皇帝のそばにいるらしいことがわかったのである。
皇帝の行方がわからないのだから、つまり、マリア・レオーネの居場所もわからない。
事情を知っていそうな紋章官ササ・メスは軍の指揮のために敷地内を駆けまわっていて、連絡がついたとしても大祭主の相手はしていられないだろうということだった。
「ええい……」
思わぬ足止めに、ゲネンもそうだが、カジャディールこそいらだった。
このような暇はないというに……。
「魔人城はどうなっておる」
ホールの中央階段に座りこみ、ひざの上に頬杖をつきながらカジャディールは聞いた。
クジャクもジャッカルも、その答えを持っていなかった。
「まあ、危うくなってもコルベルカウダがあるのだから」
と、ジャッカルは言ったが、はたしてそうだろうか。
オオカミという男、奸智に長けたあの仇敵に主導権を渡し、背を向けて穴倉に逃げ入るような真似をアレサンドロがするだろうか。望むだろうか。
クジャクは首をかしげたが、カジャディールもまた同様に感じたようで、ふたりはどちらからともなく太い息をはいた。
「ううむ……やはり時が惜しい。思えば意味はあるにせよ価値のない戦よ。一刻も早く、陛下にお止めいただかねば」
「……む」
このとき、クジャクがふと周囲の気配をうかがうような素振りを見せたので、ジャッカルは開きかけた口をつぐんで首を動かした。
近衛団長もゲネン大祭主も、こちらには注意を払っていないように見える。
早く将軍を探せ。目立つ場所に神兵を配置せよ。
それぞれの指示を出すことに忙しいようだが……。
「は……!」
いつの間に現れたものか。
視線をカジャディールに戻せば、その背に隠れるようにして黒い影がうずくまっている。
「遅かったの」
カジャディールが真正面を見すえたまま言うと、黒い影、ジョーブレイカーは小さく頭をたれた。
「よいよい。これはわしにも予想外の流れであったわ。……して?」
「ユルブレヒト四世は、かつての後宮に」
「よし」
カジャディールは躊躇なく、しかし、さりげなく立ち上がり、神官衣のすそを静かに払った。
「ジョーブレイカー。中の探りはこれまででよい。陛下の御前まで案内を頼む」
「は」
「もはや、待ってはおられぬわ。さ、魔人殿。参ろうか」
カジャディールの率いてきたメイサの神兵団は、城門外に黒色ののぼりをかかげ、そこに整然と立ち並んでいる。
猊下は、おそらく本隊のもとへと戻られたのだろう。
近衛団長は大祭主の雲隠れに気づいても、その程度にしか考えなかった。
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