第198話 救出(1)
『いやはや、まったく、N・Sがうらやましいね、タフで』
『ふたりはどうした』
『ほら、下のほうから行くみたい。引きつけるって言ったのに、完全に動きを止める気だよ、ありゃ』
『そうか。恐ろしいな』
『ジョーさんたちにも、あっちから行ってもらう?』
『いや、それでは時間がかかりすぎる』
『じゃあやっぱり、彼氏さんたちにまかせるしかないか……。もてばいいけどね』
『待て、なんだあれは』
言ったクジャクが、なだらかに続く丘陵の先の、一点を指さした。そこは他よりも雪解けが進み、まだらに土が見えている。
テリーは横目でその場所を確認したが、クジャクの言う『あれ』というものを見つけることはできなかった。
『ええと……なんかあった?』
『……消えた』
『ええ? しっかりしてよ、クーさん』
テリーは笑った。
『おたくがそれじゃあ困るよ』
『……うむ』
『ほら、よそ見しないで。いつどうなるか、わからないんだから』
『うむ……』
先ほど見たものを思い返してみて、クジャクは、
やはり、幻だったか。
という想いをあらためて強くせざるを得ない。
そう、見えるはずなどないのである。
まさかこの距離、この季節に、重そうに鎌首をもたげる大輪の百合の花など、見えるはずが……。
ひとつ息をはいたクジャクはカラスの姿を探したが、すでにその影さえも見つけることはできなかった。
これは、回転しながら追いすがってくる天使の勢いが激しすぎたためで、そのころカラスはつかず離れず、標的と定めたブースターの観察をおこなっていた。
『……フウム』
そこに認められるブースターは四基。それも言うまでもなく超々大型のものが台座に埋めこまれ、白く、青く、赤く発光する炎で、周囲の景色をゆがめている。うっかりとふれれば大怪我は間違いない。
しかし。
ここで、ユウとモチは大発見をしたのだが、なんとそのブースターユニット、台座を含む本体の回転運動に反して、まったく回転をしていなかったのである。
どれだけ移動しても一点をさし続ける方位磁石のように、空間に対して固定であったのだ。
これならばまだ攻めようがある。ふたりの気は高ぶった。
『それに、思ったのですが……』
以前出会った天使・氷結も、こうして宙に浮いていたものだが、あちらの台座の底には凍結液の噴射口があった。
つまり、いま見えるブースターは推進目的のものであって、浮遊の仕組みは、どこか別のところにあるのではないだろうか。目に見える部分を多少傷つけたところで、即墜落には結びつかないのではないだろうか。
まだ推測の域を出ない話ではあったが、これもまた、ふたりにとっては朗報と言ってよかった。
なんといっても天使の破壊は、ララを助け出してからでなくてはならないのである。
『行きます』
『ああ』
ふたりは、わずかに残っていたおそれの感情を振り切った。もうすでに透明な熱風が、N・Sの装甲をなではじめている。
『なんとかして取りつきます。ララのためにも、急がなければ』
モチが、カラスの主導権を握った。
結果から言えば、モチは非常に上手く飛んだ。
リスクを少なく、というその言葉どおりに炎とは直接格闘をせず、まずは大まわりに飛びに飛ぶ。そして、横合いからブースターへと近づいた。
欲を言えばこれ以上は近づかず、外から攻撃できればよかったのだが、それではどうも止められそうにない。もっと、直接的に攻撃を加える必要がある。
そこでこのとき、天使自身の起こす巻き風、ブースターの発する熱、それらの入りまじった乱気流に揉まれながらモチが辛抱強く待ったのは、細かなバランス調整の具合かなにかで炎が勢いを弱める瞬間であった。
鋭く見極め、ここだ、とばかりに翼が動いたとき、カラスはユウが驚くほどスムーズに、ノズルと台座の間の、せまい空間へと飛びこんでいた。
『ユウ、あれにつかまりましょう』
と、ブースターの根元に当たる場所に、N・Sでかかえるほどもある太いチューブが通っている。
そこへまたがり、腰を落ち着けると、ようやくモチが、納得のため息をもらした。
『ホウ、ホウ、なんとかなんとか』
『すごいな、モチ』
『え、まあ、我ながら……ホ、ホ』
『はは』
もちろん、カラスの身体にも翼にも多少の火傷はできていたが、問題にするほどのことはない。新しい羽根はすでに芽生えはじめ、皮膚のそこかしこでは、かゆみが起きはじめている。
『最近、治りが速くなった気がします』
モチがひとりごとのように言った。
『というより、昔が遅かったんだ。カラスは、十五年も眠っていたから』
『それはアレサンドロが? フゥム、なるほど』
いまさらながら、帝国がN・Sを危険視するはずである。火力が低くとも維持に手がかからず、死ににくい兵器というのは実にやっかいだ。
まるで……と、ある虫をたとえに使おうとして、モチはやめた。
『さ、ゆっくりしてもいられません、仕事をしましょう』
『ああ』
ユウはここで、わずかな逡巡のすえに高周波ナイフを手に取った。
力まかせのバトルアックスよりも、こちらのほうが効率的であると思ったのだ。
『準備は』
『いつでも』
『よし』
ナイフの刃は小さいながらも威力は抜群で、外から確認できるような爆発こそ起こらなかったものの、ブースター一基を完全に沈黙させた。
こうなればもう、N・Sカラスの脱出も悠々であった。
さて……。
たかがブースター一基、されどブースター一基。
回転が主な攻撃方法である天使・神速は、他のどの天使よりもバランスに敏感であるらしい。安全装置が働いたかして、すぐに、まわるのをやめた。
そして、広げた両手だけが慣性に耐えきれず、下手なダンスをするように大きく弧を描いた。
この瞬間に動き出したのが、マンタ待機のふたり、いや、生身のジョーブレイカーとシュナイデを加えた、四人である。
『クーさん』
『目標をつけるぞ』
『あいよ』
言うやすぐに、クジャクのチャクラム二枚が空を走り、天使の、人間で言うならば左の腰骨のあたりに貼りついた。
二枚の間隔は、三、四メートルといったところだろうか。裸眼ではその金色を確認することすら難しい。
『あの間を狙えって?』
スコープをのぞきこんだテリーは、珍しく、ふふん、と、不敵に笑い、
『上ッ等ってね』
『俺も出るぞ』
『あいよ、気をつけて』
ジョーブレイカーとシュナイデを乗せたチャクラムと、N・Sクジャクが飛び立った。
ひとり残されたテリーは静かに目をつむり、そして、開いた。
『リンク』
銃声が響いた。
『むう……』
そのとき天使は機械の強みを十分に発揮して、負傷したブースターを気にかけることなく、再びマンタへと追いせまってきていた。
両手を広げ、上から覆いかぶさるようにして尾かどこかを捕まえようとしていたのは、次に回転すれば制御を失い、あらぬ方向へと飛んでいってしまうことがわかっていたのだろう。
とにかく、こちらの狙いどおり、マンタに身体の正面をさらして向かってきていたのである。
ここでクジャクが瞠目したのは、自分のつけた目印の場所に、テリーがまったく事もなげに着弾させてみせたためではない。
テリーがそこへ、連続して何発も、数珠つなぎのようにして弾を撃ちこんで見せたためである。
ララが朦朧とした意識の中で聞いた、『金属製のハンマーを打ちつけるような音』は、まさにこれであったのだ。
さすがだな……。
と、クジャクは思った。それに対して妙な劣等感さえ覚えた。
確かに、こうでもしなければ、単発の弾丸など生きている皮膚装甲の中からすぐにひり出されてしまったことだろう。超速回復は、その痕跡さえも瞬時に消し去ってしまったはずだ。
テリーは、いくつもの弾丸を弾丸で押しこみ、排除されにくくすることによって、上手く、潜入するための経路と時間を確保したわけである。
言うはやすしというが、これはまさしく、さすがとしか言いようがない。
『……行くぞ』
N・Sクジャクの指が刀印に結ばれ、号令が下されるや、ジョーブレイカーとシュナイデのしがみついたチャクラムが、他のかく乱用のそれとともに空へと散開した。
それらがいっせいに、ぴかっと光ったかと思うと、
『行った……!』
チャクラムの一枚が、確かに天使の傷口付近へと突き刺さった。テリーはそれをスコープ越しに確認した。
『でも……あれ?』
先に立てた作戦では、天使の内部に入ってからの案内は、チャクラムがつとめるということになっていたはず。
しかし、刺さった円盤は、そのまま、ぽろりと抜け落ちて、間一髪飛び移ったジョーブレイカーたちを残してどこかへ飛んで行ってしまった。これはいったいどうしたことだろう。
実はこのときジョーブレイカーは、クジャクとひそかに話し合い、指でわずかに砕き割ったチャクラムのかけらを懐に忍ばせていたのである。
『その震えが強くなる方角へ行け』
という指示に忠実に従い、ジョーブレイカーたちはララのもとへとたどり着いたのであった。
『ム……』
銃声からそれほどの間をおかず、実際にはジョーブレイカーたちが潜入して間もなく、天使の動きが止まった。
大地に羽を休めていたN・Sカラスのふたりは、それを見て、まさかと感じた。
天使の、額のランプはどうか。うしろ姿からでは確認できない。
だが、あの男の乗り移った天使は、たたずまいまでが尊大になる。
と……。
『……へぇ』
あの声が、ユウの耳にさわった。
『なぁんだ、ここもダメなのか』
『エディン……!』
これはもう間違いない。
やっと出たのだ。
『モチ!』
『ええ』
飛び立ちのために腰を落とし、下肢に力をこめる。
いざ、という次の瞬間。
『……?』
モチがなにかに気づき、ユウも気づいた。
右足の踏みしめる地表がまるで、風船でもふくらませるかのようにむくむくと盛り上がりはじめていたのであった。
『ホ、こ、これは……?』
カラスは足をふくらみからはずした。これは明らかに、なにかが隠れ、現れようとしている。ふたりは天使を気にしながらも、目を離せなくなった。
隆起は、N・Sの目から見てそう広くない範囲で起こり、みるみるひざ上ほどに成長したかと思うと、そこからまた少しばかり沈降し、よいしょと突き上がった勢いによって破られた。
『はァ……こいつはァ、なァ……』
どこからともなく聞こえてきた声。
ユウとモチは、心の中で顔を見合わせた。
『ミミズか?』
『……はァ』
穴の中からずるずると這い出てきたのは、女子供が見れば悲鳴を上げただろう、胴まわりだけで十五メートルはある、リアルな、動物としてのミミズであった。
どうも食指が動いたらしく、モチの喉がコロコロと鳴った。
『えェ……そのゥ……』
と、もどかしいミミズの言葉を引き取って、
『できたのか!』
『……はァ。どうも、なァ、時間がかかってェ……スマン』
できた、というのは鍛冶師であるミミズに依頼していた太刀のことである。
ミミズがここへ現れたからには、それを運んできたに違いないのだ。いや、そうでなくては困る。
地面にとぐろを巻くミミズの胴体は、いまだ、かなりの部分が土の中に埋まっている。その、表に出ているだけの部分が持ち上がり、威嚇する蛇のように鎌首をもたげた。
『あ……!』
まさかそうなるとは予想もしていなかっただけに、ユウたちは驚いた。ミミズの先端の表皮が十字に割れ、べろりとめくれ上がったのである。
言い表すならば、バナナの皮をむくように、といったところだが、クジャクはこの姿を百合の花と見間違えた。
ミミズの内部には、さらに予想外、細いひごで編んだような網状球体のコクピットがあり、そこには当然ながら、ミミズのじいさんが背を丸めて、ちょこんと座っている。どうやらこの巨大ミミズは、N・SであってN・Sでないもの、まさにいま戦闘中の、天使に近いもののようであった。
「はァ」
まぶしげに目を細めたミミズのじいさんが、空の天使・神速を仰ぎ見た。よく見れば、N・Sミミズのコクピットにはモニターがない。
次に、ころん、と、その球体コクピットが、じいさんごと外へ転がり出て、金色に輝く太刀の柄頭が、そのあと、ミミズの体内奥深くから送り出されてきた。
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