第192話 西部マズ鉱山(1)

 話は鉄機兵団、ハイゼンベルグとリドラー両軍に戻る。

 場所は、二等・三等の光石埋蔵量では帝国一を誇る、西部マズ鉱山。大きく切り崩された岩肌にたれる幾本ものリフトの鎖が、しめった氷に覆われて、重たげに揺れている。

 この氷を砕く鉱夫もいまはおらず、かわりに数多くの騎士がいた。

 掘り出された光石もなく、かわりに、数多くのL・Jが息をひそめていた。

『第二観測部隊より連絡、天使を確認。時速六十で予定のコースを前進中!』

『しっ!』

 ここでどれほどの声を出そうと、十数キロの距離をへだてた天使に聞こえるはずもないことは、氷結のアリオトに搭乗したマリア・レオーネとて十分に理解していることであった。

 しかし、

『馬鹿め、マリア・レオーネ。おそれるな』

 いくら自分を叱咤しようと、鼓動の高鳴りをどうすることもできない。

 思えば、本当に天使がこの場所に現れるのかどうかが、まず心配の種であった。

 大都市を狙っているかのように捉われがちな天使の行動だが、実はそうではない。七体はそれぞれ国土の外から内へ向かって、いびつながら渦を描くようにして移動している。自身の認識できる範囲内に都市が入りこんだ場合にかぎり、そのコースをはずれ襲撃に行くのだ。

 そうして殺戮が終わったのちにはまたもとの場所へ戻り、愚直な行進を再開することが確認されている。

 このマズ鉱山もそうした予測から導き出された『超光砲』の進路であり、おそらく、ふもとの鉱夫町を滅ぼしたのちは東か西に折れ、山を迂回していくのであろうと考えられていた。

『リドラー将軍』

『カール・クローゼか。まずは読みが当たったな』

『はい』

『そちらの様子はどうだ』

『なにも問題はありません。準備はできています!』

『……フフ、そのようだ』

『え?』

『小鼻がふくらんでいる』

『あ、こ、これは……』

『勇ましさの証だ。勇敢なのだな、貴公は』

 サブモニターに映し出されたクローゼの顔が、わかりやすく紅潮した。年下の男のこうした反応は、なかなか悪いものではない。

『リドラー将軍。それよりも……』

 と、鼻を押さえたクローゼが問うてきたのは、マリア・レオーネからも天使が確認できるか、ということであった。

 戦力の大部分を陸戦用L・Jによってまかなっているハイゼンベルグ軍は、現在の陣を山すそに置いているのである。

『待て』

 マリア・レオーネは山腹にふせるアリオトのカメラで、眼下に広がる灰色の大河と、川向こうの広大な平原を大写しにした。

 春を感じさせる先日までの陽気で、大地の雪白色が、いくばくか薄くなっている。

 こちらからはまだ、天使らしきものは見えないが……、

『いや、来たぞ!』

 それは突如、前ぶれもなくモニターに写りこんできた。

 地平線の煙ったあたりに、灰色の巨塔が建ち上がったかのようだった。

『……おのれ』

 所詮、将軍会議の際に見た映像など、映像にすぎなかったのだ。厳密に言えば、モニター越しであるいまも映像であることに変わりはないだろうが、絵本で見る熊と、檻の外から見る熊ほどに意味合いは違う。前者ならば怪我などしようもないが、後者ならば、ふとしたきっかけで命を奪われることもある。

 マリア・レオーネは、ひとつふたつ深呼吸をして、緊張をほぐそうと努力した。

 ここで失敗をするわけにはいかない。帝国のために、鉄機兵団のために、我がリドラー家のために。

 ふと隣を見ると、同じようにふせたササ・メスのL・J、六〇五式改ムソーのフェイスマスクに、鼻汁のような氷のすじが一本、たれ下がっている。

『フ、フ、フフフ』

 一気に、力が抜けた。

『ササ・メス、鼻をふけ、みっともない』

『閣下! 天使が!』

『む……!』

 観測部隊の声に引かれて目をやると、天使の足が止まっていた。

『リドラー将軍、なにか』

『待て、カール・クローゼ。確認中だ』

 マリア・レオーネは、天使を注視した。

『……どうした、なぜ動かん』

 こちらの存在に感づいたのだろうか。天使は棒立ちのまま動かない。しかし、仮にそうだとしても、この距離では超光砲は届かない。

 光線の照射径と破壊力にエネルギーを割り振っている分、射程はせいぜい、メラクのそれと同程度だろうと推測されているのである。

 まさか、それが間違っているというのか……。

 檻の熊に対する、『ふとしたきっかけ』を与えられずにマリア・レオーネが逡巡していると、その熊は、自らの行動によって答えを見せつけてきた。

 すなわち、胴鎧を縦に割り、超光砲の砲筒を、そこに出現させた。

『全員退却! ……いや、待て! 待機!』

 この判断は正しかった。

 ここで下手に動けば、警戒した天使が、本当にマズ鉱山へ超光砲を撃ちこんでいたかもしれない。

 だが天使は、ぐぐ、と丸みのあるあごを上げ、天を仰いだ。

 薄い雲の層が、そこにはあった。

『まずい。通信士、ボンメル伯爵に至急警告を! 天使が気づいた!』


 そのときである。マリア・レオーネは驚愕した。

 なんとなれば、息をひそめていたハイゼンベルグ軍、百二十機が、どっと、ときの声を上げて進撃を開始したのである。

 天使は不気味に首を曲げ、その一団を見た。

 その先鋒には、しめった雪を蹴立てて進む、クローゼのL・J、電雷のフェグダの姿があった。

『なにをしている、カール・クローゼ! 指揮を乱すな!』

『しかし、いま行かなければ作戦倒れ。ここは私が!』

『行ってどうなる、無駄に命を捨てる気か! 元老院の思う壺だぞ!』

 するとクローゼは微笑を浮かべて大きく首を振り、

『いいえ。私はただ、友に笑われたくないのです』

『……友?』

『彼はいまも私の前を飛んでいる。彼と約束したのです。必ず追いつくと』

『……』

『行けます! 行かせてください、将軍!』

『……チッ、貴公というやつは。ならば、上手く引きつけてみせろよ、カール・クローゼ!』

『もちろん!』

 半人半馬。クローゼのフェグダは走る。走る。

 自分を頂点とした弓形陣を敷けば、あとに続くホバージェットの響きが、まるで波濤のように追いかけてくる。

 クローゼの下腹に熱いものがたぎり、操縦桿を握るその手に汗がにじんだ。

 冷や汗のような悪い汗ではなく、燃え立つような奮起の汗であることが、ますますクローゼを興奮させた。

『うむ……そうだ』

 これが戦だ。

 これこそが戦場だ。

 男の命のかけどころだ。

 この腹に響くリズムに乗せて、いまこそ騎士の名の下に胸を張って言おう。友へも聞こえるように。

『グライセンのために! 陛下のために! 神々よ、我らの働きをご覧ぜよ!』

 おお、お……。

 天へ突き上げられた電撃槍にならえと、数多の抜刀のきらめきが大地を走った。

 マズ鉱山のリドラー軍は、皆その光景の美々しさに息を呑んだ。

 クローゼのみならず、本格の会戦を知らぬ世代が出会う、これがはじめての戦かもしれなかった。

『閣下』

『アルバート、どうした』

 紋章官アルバート・バレンタインのL・J、五〇五式改シュッツェンシルトが、そのとき速度を上げてフェグダの隣へついた。

 深緑色のその機体は、地面をこするように飛んでいる。

『第四、第五中隊をお貸しください』

『わかった、頼む』

『閣下はこのまま、やつの懐へ!』

『うむ!』

 シュッツェンシルトに率いられて離れた第四・第五中隊、計四十五機は、後方からの援護に重きを置いた支援部隊。その中心となるのは、いかつい外見をしたパワータイプの四〇〇系L・Jである。

 第四中隊は攻城弓、第五部隊は重砲をそれぞれ担当し、三機一組で行動する。

『三千まで近づく!』

 バレンタインは命じ、クローゼを行かせるため、わざと天使に見せつけるようにして蛇行走行をくり返した。

 三千といえば天使にとっても射程圏内であったが、クローゼの本隊とバレンタインの支隊、そしてグローリエという三方に視点を分散させられたために、超光砲を撃つタイミングを逸してしまったようだった。

『ハイゼンベルグ閣下、紋章官殿。グローリエは、一度高度を上げさせていただく』

『了解です、ボンメル伯爵』

『紋章官殿、距離、三千に到達!』

『よし、射撃準備!』

 台車に乗せられ引きまわされてきた攻城弓と重砲が、訓練を忠実に再現した素早さで、整然と並べられた。この騎士たちの落ち着きぶりには、バレンタインさえも舌を巻かざるを得ない。

『弓を引け! 弾をこめろ!』

 中隊機兵長の声が飛び、第四中隊はハンドル式の弓引き装置を二機がかりでまわして矢をつがえた。

 第五中隊は火薬包を詰め、砲弾を装填した。

 本来ならば、ここで攻城弓の一本が試し撃ちをして、上空の風向きや、敵城壁・城門までの正確な距離を測定する作業がおこなわれるのだが、

『その時間はない。あれだけ的がでかければ、はずしようもないだろう!』

 と、バレンタインは言ってやった。

 でかい、というのは実に言い慣れない通俗的な言葉で、実際に目にする天使はそれほど巨大にも見えなかったが、この部隊のほとんどを占める、若い元市民たちに敬意を表するつもりで使ったのであった。

 市民騎士たちは、その意をくみ取ったのかどうなのか、とにかく声を立てて笑い、意気を見せた。

『よし、全体構え! 射角は大きく、天使を越えるのはいいが、友軍にだけは当てるな!』

 おう。

 応えたL・Jたちはそれぞれの照準をつけ、バレンタインへ親指を立てて見せる。

 重砲用のオイル式点火棒が、いくつかのL・Jの手もとで赤い炎を揺らめかせ……、

『撃て!』

 轟音一声。大地が揺れた。

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