第184話 好きになった人

「へくしッ」

「やだ、風邪?」

「うんにゃ。きっとあれだよ、彼氏さんが悪口言ってんの」

「それって、テリーがそういうこと言うからじゃないの?」

「かもね。彼氏さんってほら、結構根暗だから」

「またぁ……ッくちゅん」

「そら、今度はララちゃんの番だ。俺には、好きな子がいるんだ、なぁんてさ」

「まっさかぁ。ユウはそんなこと言わないし」

「そう?」

「そう」

 テリーの左隣、仮ブリッジのソファに深く腰かけたララは、軽い調子でそう言った。

 足をぶらぶら、飴をなめなめ、

「なんか調子狂うなぁ、ララちゃん」

「なんで?」

「彼氏さんを心配してないみたいじゃない」

 テリーがそう思うほど、その態度は落ち着いている。

 いつもならば、

「ねぇ、ユウ大丈夫かなぁ」

「ユウ怪我してないよね」

「ユウいつ帰ってくるんだろ」

 などと、顔を見るたびに問いかけてくるララなのだ。

 マンタ出発の際に見せた、あの涙も記憶に新しい。

「まさか……最近心変わりしちゃったとか?」

「バッカ!」

「あいたァ!」

 テリーはしこたま、二の腕をつねり上げられてしまった。

「あ、あ、あ、弾、弾、弾」

 点検していたラッキーストライクの弾丸が指の隙間からこぼれ落ちて、ころころと転がっていく。

 それを拾い上げたのは、同じくブリッジ待機のクジャクであった。

「にぎやかだな。いまこのときにも、やつと鉢合わせするかもしれんというのに」

「いやぁ、まぁ、大丈夫でしょ。戦艦ならともかく、マンタさんは生身の生き物なんだから」

「出会う前に勘が働く、か。……フ、フ、そうであればいいのだがな」

「ええ?」

「勘の強い男ならば、土に埋もれることもない」

「でも外には、ハサンも出てるじゃない」

「俺は気構えを忘れるなと言っているのだ」

「……はぁい」

 フフ、と、またしても笑ったクジャクはララの頭をひとなでし、その左隣へと腰を下ろした。

 ここから見るかぎり、ブリッジの様子は平常と変わらない。

 アレサンドロが、エディンを野放しにはできない、結果的には帝国へ加担することになるが許して欲しいと訴えた際には、新入の仲間を中心に動揺を隠せなったマンムートだが、いまではそれも沈静化している。それもこれも、ブルーノなど古参の仲間たちが間に入り、上手く立ちまわってくれたおかげである。

 先ほど到着した運び屋デンティッソの報告、すなわち、エディンの『天使』たちによって、すでにいくつかの出城・都市が壊滅状態に追いやられたという情報は、まだララたちの耳には入っていなかった。

「ひどいことをするよ。……まったく、ひどかった」

 その光景を目の当たりにしたデンティッソは、そう言ったきり言葉を失い、

「これからは、商売抜きで運ぶよ。僕はもう、あんなのは見ていられない」

 と、涙を流した。

 現在はアレサンドロ、ハサンとともに、三人屋外で密談中であった。

「それで? ララちゃん」

「なに?」

「だからぁ、彼氏さんよ」

「やつが、どうかしたのか」

「いやいや、クーさん。ララちゃんが彼氏さんのこと心配しなくなっちゃってさ」

「だからそんなことないって」

「いいや、あるね。応援してた俺としては、とっても悲しい」

「なにが応援さ。適当に、くっついちゃいなよぅ、ヒュウヒュウ、みたいなことやってただけじゃない。それって余計なお世話だっての」

「あ……まさか、それが原因で、破局……あいたァ!」

 またしても、弾丸が床を転がっていってしまった。

「あわわ、ちょ、誰か拾って!」

 テリーが駆けていく。

「……もぅ、クジャクまでそういう顔、やめてよね。別にそういうんじゃないんだから」

「そうか」

「そ。……ただほら、ユウとは連絡取れなくなっちゃったけど、たぶんどこかで、エディンのこととか、あたしたちのこと聞くじゃない?」

「ああ」

「だったら絶対、帰ってくるじゃない。刀はできてなくってもさ」

「フ、フ、なるほどな」

 安全であって欲しいとは思うが、それ以上に会いたい。

 近々会えるという喜びが、不安に勝っているということか。

「女とは、そうしたものかな」

「え、なに?」

「いや、早く戻ればいいな」

「うん」

 出会ったころと比べると格段にしおらしくなったその頭をなでてやると、ララは、えへへと首をすくめて、はにかんだ。

「あ、ララちゃん、そういうのも浮気に入るんだよ」

「うるっさい!」

「ああ! ひどい!」

 怒鳴ったララの手が、ソファに残されていた箱入りの弾丸を引っつかむや、これを盛大にばらまいてしまったため、テリーはまたしても、それを拾い集めるはめとなった。

「いい気味!」

 言われたテリーは地図台の下へもぐりこみ、てはは、と、泣き声をもらした。


「でもさ、クジャク。あたしたちってば、こんなところにいていいわけ?」

 エディン・ナイデルを追うつもりならば、もっと都会の空を渡るべきだろう。ララはずっとそう思っていた。

 しかしその思いに反して、マンタは宣戦布告からこちら、森の上、山の上ばかりを飛んでいる。

 襲われた際、他に累がおよばぬように、という用心のためならばわかるが、それはいかにも消極的である。

 少なくとも、ララの気性には合わなかった。

「トラマルへ石を取りに行くのとはわけが違う。おのれを知るだけでなく、敵もまた知らなければな」

「ハサンもそんなこと言ってたけどさ、結局エディンが来るの待つの? ねぇ、まさか、鉄機兵団が先に倒すの待ってるとか?」

 すると、クジャクは薄く笑って、

「ハサンが知りたいのは、『天使』の力だけではないようだ」

「え?」

「運び屋の持ってきた話では、天使は七体。それがすべて、別行動を取っている」

「うんうん、それ聞いた」

「奇襲を打つためには、それぞれがどの時期にどの場所を通るか、まず知る必要があるだろう。そして鉄機兵団の動き、人間の流れ、エディン・ナイデルの動向、そして……」

 オオカミ。

 クジャクは苦い薬を飲む思いで、その名を呑みこんだ。

「うわぁ、早くあっちから攻めてきてくれればいいのに」

「……そうだな」

 クジャクもまた、それが最善であるような心持ちがした。

「ちょっとぉ、まだ拾ってるの?」

「あんねぇ、ララちゃんが好き放題にぶちまけるからでしょ?」

「ほら、そっちにも転がってるよ」

「え、どこ? どこ?」

「そこの椅子の下。違う違う、うしろだってば!」


 ……オオカミ、か。

 若いふたりが、またじゃれ合いだしたのをながめながら、クジャクは、フ、と、小さなため息をついた。

 オオカミとクジャクの仲は、実を言えばそれほど深くない。

 交流を持とうにも互いに守るべき砦を持っていたし、そもそもクジャクはシュワブの生まれだ。こちらとは気候も文化も違うかの国で魔人化し、N・Sでこちらへ渡ってきた。例の戦の、においとも言うべきものがただよいはじめた時期のことである。

 でははじめて出会ったのがいつであったか、と思い返してみると、それは、ひょんなことからトラマルの砦長になったころ、オオカミのほうからたずねてきたのであった。

 クジャク、シュワブから来たのか、トラマルはいいリーダーを見つけたな。

 そう言ったオオカミの声を、クジャクはいまも、昨日のことのように思い出すことができる。

 誰からも愛され、誰からも信頼され、誰にも未来を疑わせない。

 あの男こそ、完璧だった。

 クジャクは十五年以上もたついまになってもなお、卑下するのでもなく純粋に、そう感じることができた。

 ……だが。

 では自分が、あの男を愛し、信頼し、疑わなかったかと言うと、首をかしげざるを得ない。

 そうだ、好かない男だった。クジャクは思った。

 どこがどうとは言いがたい。もしやするとこれは、嫉妬含みであるのかもしれない。

 しかし、エディンを通して垣間見た、目。

 あの当時から感じていた違和感のようなものが、好かないという、至極簡単明瞭な感情であると、いまこそクジャクの心は訴えていた。

 では……そうだ、カラスはどうだ。

 クジャクの思いは飛んだ。

 クジャクとカラスの付き合いは、オオカミのそれより幾分古い。

 といっても、クジャクより先にトラマル砦を取りまとめていたのがその人で、ともに砦の造成などをおこなったことで親しくなり、その後、

「私は暫定的なものだから」

 というひとことを残し、去っていった。どうもカラスは戦の起こる以前から、ただ刀一本を友にして世界を放浪していたらしい。

 言葉だけのなぐさめや、浮ついたはげましは一切言わない。

 できる者には、あなたならできると言い、できぬ者には、自分にまかせろと言う。

 同じ鳥族ということもあるのだろうが、その決然、凛然とした美しさには、すぐに惹かれた。

 そのカラスが、オオカミを殺した。いや、殺そうとした……。

 そして思い出されるのは、トラマルの落ちたあの日、なにかを言おうとして言いきれず、帰っていったあの姿。

 やはり、カラスはオオカミの裏側を知ったのだ。

 そうとしか思われなかった。

 カラスが、どういった経緯でオオカミの砦へたどり着いたのか、なにをもって悪と断じたのか、それはわからない。

 だが、事実カラスはオオカミへ剣を向け、返り討ちにあったのだ。

 ……無念だな、カラス。

 クジャクは、長く、深く、ため息をはいた。

 カラスは生きているのではないか、以前ユウがそのようなことを言っていたが、N・Sは答えなかったと聞く。

 おまえの仇は、いつか、必ずな……。

 ふと気がつくと、テリーとララの興味津々顔が、すぐ目の前にあった。

「……どうした」

「ふふぅん、クーさん。そいつはずばり、恋わずらいだね!」

「なに?」

「いやいやいや、いいんだよ、恋をする権利は誰にでもあるからね。で、相手は誰?」

「……フ、フフ」

 クジャクは思わず愉快になって、吹き出してしまった。

 なんという勘違いだ。

 カラスと自分との間に恋愛感情はなかった。戦友以上の関係もなかった。

 なぜならば、自分には妻がいる。その肉体を失ったいまでも、心の中で生き続けている人間の妻が。

 その女(ひと)は、シュワブへ流れ着いた難破船に乗っていた。

 トラマル近郊の貴族の生まれで、当時は国交の限られていたこの国へ、帰りたい、帰りたいといつも言っていた。

「ほら見なよテリー、違うって」

「そう? いやぁ、そんなことはないでしょ。俺、勘は鋭いの」

「どっこがぁ」

 人間ほど、いとおしいものはないな、カラス。

 クジャクは言葉を投げかけながら、胸を熱くした。

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