第185話 矛盾

 ユウを拉致監禁したカイ・ライスの一行は、その日、ひどい渋滞に巻きこまれていた。

 東西に伸びるリスト街道が、同名の霊峰、リスト山に最も接近する場所がある。

 その山すそに、フェローという強固な市壁をそなえた町があり、そこへ向かおうとする馬車と出ようとする馬車、街道を直進しようとする馬車が、それこそ目詰まりを起こしていたのである。

 なにしろ、エディンの放送を目にした多くの人間、特に都市部の住人が、その居住地を放棄した。

 その目的地がどこであるにせよ、衣類を置いてきた者は衣類を、食料を置いてきた者は食料を、どこかで買いととのえなくてはならないのだ。

 さらにこのフェローには、風神信仰の総本山、フェロー・フーン大神殿がある。

 大祭主の住まうこの町に、救いを求める神徒たちが集まったとしてもおかしくないだろう。

 ユウはそんなことを考えながら、幌に開いた穴のひとつに目を寄せ、冬木立の隙間に見え隠れする、延々たる馬車の車列をながめていた。

 カイ・ライスの説得は一向に進まなかったが、もう逃げる心配はないと判断されたのか、馬車の中では好きに動けるようになっていた。

「アレサンドロ……」

 思わず、ため息が口をついて出た。

 きっと心配しているに違いない。思うのはそのことだ。

 ユウはいつ戻る?

 まさか、エディンにいどみに行った、なんてことはねえだろうな。

 そんなことを言っては、ハサンにも、ため息をつかせているに違いない。

 そして……ララだ。

 ララはどうしているだろう。

 戻るときにまた連絡すると言った約束も、故意ではないにせよ破ってしまった。

 ユウを迎えに行く、などと息巻いていなければいいのだが……。

「……馬鹿。なにを考えてる」

 ユウは、目の前に浮かんだ危うい幻影を、首を振るってかき消した。

 それは、あの夜に見た白い肉体だ。

 うつむいて、唇を噛みしめたレッタの黒髪が、赤く塗りかえられている。

 妄想の中でユウは椅子から立ち上がり、そっと、その柔らかな頬にふれて、少女を上向かせた。

 ……恥じらいがちに薄く閉じられた目蓋と、薄く開かれた唇。

 少女の身体は、どこもかしこも、みずみずしい。

「……く」

 ユウは、なぜだかわからないが、泣きそうになった。

 胸の深いところがむずむずとして、痛かった。

「くそ……」

 幌に爪を立てたところで、馬車が揺れた。

「なにしてるの」

「……いや、なんでもない」

「顔色が悪いわ」

 昼食の膳を運んできたレッタは、小さな木皿を持ったまま、心配そうにユウの顔をのぞきこんできた。

 その距離の近さに、ユウはつい逃げてしまう。

「なんでもないんだ」

「……そう」

 レッタはその気まずげな態度から大方を察し、静かに身を離した。

「食べて」

「ああ」

 目に入った今日の昼食は、切れ端に近いパンと、穴の開いたチーズだけだった。

「食べるものがないなら、俺はいい」

「ううん。あなただけは飢えさせるなって、父さんも言ってる」

「そんな気はつかわなくていい」

「……すぐそこに、フェローって町があるの」

「ああ……知ってる」

「そこで食料を買うって、父さんが言ってたわ。歩きでなら入れるだろうって」

「あの人が行くのか?」

「行くのは、入れ墨のない、誰か」

「入れたって、食料が手に入るとは限らない」

「ええ。でもどっちみち、食べるものはなくなるのだから、食べて」

 ……待てよ。

 このときユウの脳裏に、あるひらめきが走った。

 食料ならば、手に入るかもしれない。

 さらに上手くいけば、アレサンドロたちとも連絡が取れるかもしれない。

「俺が行けないか?」

「え?」

「俺が行って、調達してくる」

 言葉の少ないレッタは、どうやって、という、いぶかしげな顔をした。しかしこれは、なかなか普通の人間には真似できない、正真正銘の裏技だ。

 たとえ店先に並んでいなくとも、あるところにはある。

「……盗むの?」

 ユウから盗人出身であることを聞かされていたレッタは、そう言って、わずかに眉をひそめた。

「違う。分けてもらうんだ」

「分けて……?」

「信じられないなら、誰かを見張りにつけてくれてもいい。とにかく俺がそう言ってると、お父さんに伝えてきてくれ」

「……わかった」

 従順にうなずいたレッタが出て行き、その後、少しばかり元気をなくしたカイ・ライスが、入れかわりにやってきた。

 やはり周囲の目が気になるのだろう。小走りに駆けこんできたかと思うと幌の隙間からあたりをうかがい、ほう、と、深いため息をはく。

「それで……話とは?」

 カイ・ライスはユウの話を聞くや仰天し、そんなことを言って逃げるつもりだろうと声を荒らげたが、結局、食料を手に入れなければならないのはまぎれもない事実であったため、しぶしぶ折れた。

「ただし、うちのロルフとテオをつける。あいつらは腕っぷしも強いし、足も速い。逃げられんぞ」

 ユウは、奪われた拝領の太刀も返して欲しいと願ったが、当然これは受け入れられなかった。

 それどころか逆に、

「返して欲しければ戻って来るんだ」

 と、やり返され、失敗したなと、これだけは思った。

 ただ、逃げる気などさらさらなかったため、特別あせる気持ちも生まれなかった。


 ……さて。

 ユウの考えた食料入手の方法はこうだ。

 あれだけの大きな街になれば、影とも言える裏社会も当然発達しているはず。

 そこでまずはフェローの町へ行き、その裏の顔役、元締に会う。そして帝都の吸血鬼、ザ・バングにつなぎをつけてもらい、その口ききで備蓄しているだろう食料を分けてもらう。

 さらにここでバングに自分の居場所を知らせておけば、それが独自のルートを通って、ハサンの耳にも入るというわけである。

 ユウは、小兵ながら見るからに力のありそうな青年ロルフと、針金をより合わせたような肉体が光る長身の青年テオを引き連れて、すし詰めとなった馬車の隙間を、フェロー正門に向けて進んでいった。

 見るともなしに見えた多くの馬車の中には、疲れきった顔で身を寄せ合う家族たちの姿があった。

 ……同じだ。

 ユウは思わざるを得ない。

 ホーガン監獄島からの逃亡中、入れ墨の家族たちが、ちょうどこんなふうにして恐ろしさに耐えていた。

 もしもこれがエディンの狙い、エディンの復讐なのだとしたらどうだろう。

 自分たちの味わった恐怖をおまえたちも味わえ。そういった意図が、この一連の行動の裏に隠されているのだとしたら……。

 ユウは首を振った。

 たとえそうだとしても、やっていいことと悪いことがある。百人殺されたからといって、百人殺し返していいわけがない。

 そんな復讐は、なにも生み出さないのだ。

「……ハ」

 ユウは思いながら、なんという薄っぺらい台詞かと自嘲した。

 そうなのだ。誰あろう自分自身が、一生をかけてでも復讐してやりたい相手を持っている。家族と、近しい者を手にかけたその罪業を、血であがなわせようとしているのだ。

 それが駄目だと言うのなら、この胸の奥底に宿る怨念は、いったいどうやって晴らせばいいのだろう。

 復讐の善し悪しなど、結局は、自分自身が満足できるかどうかなのではないのか。

「おい」

「え……?」

 野太いロルフの声を背に受けて我に帰ると、押すな押すなの人だかりの向こうに、巨大な、フェローの南外門が見えた。

 いまは開かれているその堅牢な鋲打ち門の前には数騎の地方騎士が立ちはだかり、表向きは厳然とした面持ちで人々の出入りを規制していた。

「あの騎士、きっと笑いが止まらないに違いないぜ」

「はあ? どうして」

「そでの下だよ、そでの下。持つ者はお先にどうぞ、持たざる者は待てってことさ」

「ケッ、呪われちまえ、帝国の阿呆め」

 若いロルフとテオは、そう言って立て続けにつばを吐いた。おそらくその推測は間違っていないだろう。

「さあ行け」

 腹立たしげな指先が、ユウの背をせっついた。

「おい、なにをしてる」

「そうだ、早く行け。金はおまえが出せよ」

「……来すぎた」

「なに?」

「行こう。ここからじゃない」

「おい、ちょっと待て!」

 停滞にいらだち、ざわめく人垣の背後を抜け、ユウは外門の西、切り開かれた駐機場の裏手から、ゆるい斜面をすべり降りた。市壁には通常、ひとつと言わず外へ通じる門があるものだが、ここフェローの西側は最も山に近く、多くの馬車が通るには不便である。

 だからこそ、こちらであると感じたのだ。

 はたして、市壁にそって数十メートル雪をこいで進むと、外門の死角に入るポイントで、ふと足が軽くなった。きちんと雪上げのされている馬車道へ出たのだ。

 ロルフとテオが、真っ青になって追いついてきた。

「なに勝手に行ってるんだ。俺たちが逃がすと思うのか?」

「……て、この道は……?」

 ユウは、これこそが隠された秘密の入り口へと続く道なのだと教えてやった。

「この道をあっちに行けば、街道に出る。人目につきたくない人間は、ここを通って町に入るんだ」

「へ、へぇ……」

「人目につきたくない人間って、入れ墨の?」

「いや。盗人、人殺し、詐欺師」

「……」

「行こう」

 ……この、ヒュー・カウフマンという男は、いったい何者なのだ。

 盗人? 詐欺師?

 それとも……。

 ロルフとテオは顔を見合わせて、

「お、おい、待て!」

 抱き合うようにして、ユウを追いかけてきた。

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