第179話 宣戦布告

 グライセンの神話における天使とは、星である。

 奔放な月女神メーテルと、その力を受けて本能を目覚めさせた獣神、トガによって支配される夜の世界。

 自らの力のおよばぬその世界で、人間の魂が獣へと堕ちぬよう、理性が本能におぼれぬよう太陽神ラーゼが遣わしたのが、すなわち天の星々なのだ。

 知性と規律。

 正義と忠義。

 グライセン皇帝の剣であり盾である将軍が、これら星にまつわる神話をもとに七人とされたことはことに有名で、ラーゼ神に最も近いとされている星々の頂点、つまり北極星に供する七剣星が、そのモチーフなのである。

「つまり……」

「んなこた、そのへんのガキでも知ってる。だからテメェの部下は、いったいなにを言ってきやがったんだ」

「む、それをいまから言おうと……!」

「話が長ェよ」

 ギュンターのいらぬ茶々に、クローゼの話がそれた。

 マリア・レオーネの舌打ちが響き、ケンベルの神経質な眉が、ぴくり、引きつったように持ち上がる。

 ホークは、ややひかえめな苦笑を浮かべ、それと目を見かわしたラッツィンガーが、

「ギュンター。いまは……」

 と、人差し指を唇の前に当て、温かく諭した。

「……うス」

 まるでライオンと子犬のようだったと、ギュンターはこのときの様子を、あとになってクローゼからからかわれた。

「カール・クローゼ」

「は、はい」

「続きを頼む」

「はい!」


 実は、こうして誰かに説明する仕事が、クローゼは苦手である。

 緊張症というわけではないのだが、気をつかいすぎてあれもこれもと話してしまうせいか、要点をまとめて、というのがどうにも上手くいかないのだ。

 おまけに紋章官バレンタインからもよく指摘されるように、反国家的な発言を、自覚はないのだがしてしまうらしい。どうしても言葉を選んでの、もどかしい解説となってしまう。

 頼みの綱であるそのバレンタインは、いま他の紋章官とともに別室で待機中。

 返事こそよかったものの予想外の横槍で気をそがれてしまったクローゼは、資料を整理するふりをして、コの字型の会議机に居並ぶ歴々の反応を、こっそりとうかがってみた。

 ……うむ。

 まず目をやったのは、当然、上座の筆頭将軍ジークベルト・ラッツィンガー。この一大事の中にあっても泰然と構えている。さすがだ。

 その向かって左側の列には、最上位に最長老オットー・ケンベルが車椅子ごと乗りつけているが、不機嫌な様子で固く目蓋を閉じ、つき合わせた指先で、小刻みに拍子を打っている。敵戦車からの体当たりを受けたL・J、超光砲のメラクについては修理完了予定日時さえ不透明な状態だが、コクピットのケンベルが腰を痛めた程度で助かったというのは、不幸中の幸いであった。

 そのさらに左側は空席。ここへ座るはずであった第四軍軍団長セロ・クラウディウスは、今日、軍団長会議を欠席している。

 もうひとつ隣へ目をやると、ああ、目が合った。ギュンター・ヴァイゲルである。

「……なんだよ」

「い、いや、うむ」

「チェッ」

 ギュンターのL・J、火炎のミザールは、先日光炉の取替えが完了し、戦列に復帰した。

 より速く、より強く操縦桿をあやつるため、最近では筋力トレーニングにも余念がないらしい。心なしか、精悍な顔つきとなった。

 次に、その向かい側の右列、最下位である自分を飛ばして右手を見ると、そこはマリア・レオーネ・リドラーの席。こちらは国家云々に関わらず常に不満げだが、今日は輪をかけてひどい。ギュンターと同様、早く続きを話せと目で圧力をかけてくる。

 そして最後に、デューイ・ホーキンス。

 このホークもまた、ユウたちとの戦闘を境に生活を一変させたひとりであった。

 なにしろ、あれほど紋章官を悩ませていた遊蕩の虫がどこかへ消えうせ、一からの組み立てが進むベネトナシュの製作作業に、日がな一日、全身汗みずくとなって立ち働いているそうだ。

 少し前、誰だか言う整備員のひとりが、作業中にうっかり、マンタのことを口にのぼせたことがある。

 するとホークは自ら話に加わったばかりか、いさぎよく当時の負けを認め、敵の策と、その技量の冴えをほめた。すがすがしいことこの上ない。

「くやしくはないのですか」

 そう問われても、

「そりゃあ、くやしかった。生き恥をさらしたと、オルカーンまで事情を聞きにきたコッセル紋章官の前で泣いた。いやいや、本当だ。……だがな、あなたは神に生かされたのだと、こう言われたときには、そうか、そうかもしれないなと、なんだか納得しちまってなあ」

 騎士たちは、さすが将軍、さすが紋章官殿とこれを噂し合い、めぐりめぐってクローゼの耳にも入った。

 なるほど、そうした言葉自体に神が宿るのかもしれないと、クローゼはいたく感銘を受けたのであった。

「カール・クローゼ?」

「は? は、はい! あ、あの、申し訳ありません」

 クローゼは、自分でもわかるほどに赤面した。

「ええ、では、その……」

「七将軍が、七剣星をもとに定められたと」

「あ、そ、そのとおりです。そこで、これをご覧ください。これは、搭載母艦グローリエから送られてきた映像ですが……」

「ボケボケじゃねぇか」

「それは、遠距離からの撮影でどうしても。しかし、ここに見える巨大な影は間違いなく七体。その背には翼のようなものが生え、外見的には、確かに天使のようです。さらにそのうち一体は、このように、巨大な剣を所持していることがわかります」

「……ふむ」

 ここで将軍連中は、クローゼがなにを言わんとしているのかを察した。

「つまり、その巨大兵器たちは『七剣星の大天使』であり、我々のオリジナル機と同様の能力を持ち合わせているのではないか、ということだな」

「そうです。バルビエリ機兵長は、まさにそう指摘してきました」

 大剣を持ったそれが、ラッツィンガーのL・J『轟断刀のドゥーベ』であるならば、超光砲、火炎、電雷、そういったものをあつかえる天使もいるのではないか。一千メートル級のグローリエが遠距離撮影という慎重さを見せたのも、すべては、その推測が的中していた場合の用心ためである。

 耳のあたりのほつれ毛をひねり、マリア・レオーネが、

「……こざかしい」

 と、つぶやいた。

 しかし、疑問は増える。

「あいつらにそんなもんが作れんのか?」

 フンと鼻を鳴らしたギュンターの発言がそれである。

「どうせハリボテに決まってる」

「いや、そうとも言えんだろうさ」

 ホークが言った。

「なんといっても赤い三日月戦線だ。魔人か、魔人の科学力がついているのかもしれん。違いますか、ラッツィンガー将軍」

「うむ。レッドアンバーの例もある」

「そうです。少なくとも自分は、バルビエリ機兵長の推察にのっとって作戦を立てるべきと考えます」

「……ふむ。ケンベル殿はどう思われる」

 言葉を受けたケンベルの唇がわずかに開き、第一声が発されようとしたそのとき、ゆったりとしたノックが、名のある木彫り職人の作だという扉を、コツ、コツと打った。

「失礼いたします」

「コッセル……なにがあった?」

「はい。赤い三日月戦線が……」

「動いたか」

「と、申しますか、全国の治領都市ならびに帝都内数カ所へ、数日前から広報車らしき車両を乗り捨てているとの連絡が入りました」

「広報車?」

 それは、鉄機兵団・地方騎士団ともに採用している、荷台にモニターを乗せた運搬車のようなものである。戦時の情報伝達や映像をもちいた士気の向上などが主な役目だが、現在はもっぱら、街道通行止めの周知のために駆り出されることが多かった。

 赤い三日月戦線は、それをL・J同様、どこぞの出城から強奪したのだろう。

 例の『檄文』放送ではスピーカーをばらまいた赤い三日月戦線だが、今回はそれ以上の決意を表してきたと言える。

「ではまた、国民へなにか……」

「放送を通じ、訴えかけることが予想されます。車体には爆発物が仕掛けられているとの情報もあり、撤去も進んでおりません」

 ギュンターが鋭く舌打ちした。

「そこで、会議中まことに失礼ながら、そちらのモニターのチャンネルを切りかえさせていただきます」

「ここで見よということか、コッセル」

「将軍閣下が誰ひとり目にしていなかったでは、国民に対して示しがつきません。どうか一応のそなえとお考えください」

 言うが早いか、コッセルの背後をすり抜けるようにして現れたふたりの技術員が、『天使』の映像を映し出したままの大型モニターの背後へともぐりこんだ。

 電波管理塔からのチャンネルへ切りかえられるや否や、

「あ……!」

 なんとそれを待ち構えていたかのように、エディン・ナイデルの柔らかな微笑みが映し出されたではないか。

 会議室は否応なく緊張した。

『グライセン帝国の皆さん、そして鉄機兵団の皆さん、こんにちは』

 言うその姿は、反乱分子のリーダーとも思えぬ白銀の鎧。市民上がりの騎士などとは比べものにならぬほど美しい。

『私はエディン・ナイデル。大いなる神より遣わされた者、エディン・ナイデルです』

「ケッ! なにが、こんにちはだ」

「しっ……」

『以前、私は全国の仲間たち、赤い三日月の入れ墨をした、元奴隷の仲間たちへ呼びかけました。いまこそ、立ち上がるべきときだと。……しかし今日は、皆さんにお話をしましょう』

 エディンは頭上に広がる青空をひとつ仰ぎ見て、まぶしそうに目を細めた。

『さて……まずひとつめに、私たちは名称をあらためました。新しい呼び名は、『天使の団』。それはすなわち正義を守り、世界を守る者の名です』

 奴隷を最上と見るのでも、帝国民を最低と見るのでもない。ただ、正しき魂が虐げられることのないように、天与の剣を振るうのがその使命。

『まさに、この世は乱れています。おまえがそうしたのではないかと言われるかもしれませんが、嫉妬、強欲、怠惰……破壊と混乱を招く因子は、我々の体内に、常に存在している。私たちは生まれながらにしてキャリアなのです。現にどうでしょう、帝都は危険だからと逃げ出す者がいる一方、それをよしとせず、ただひたすらに土地へすがりつく者がいる。私からすれば、これはどちらも傲慢だ』

 と……。

 それまでエディンの上半身を切り取っていた映像が、アングルはそのままに、ぐっと引いた。

 景色はありふれた岩山のそれである。雪の積もった、どこかの崖の上だ。

 これだけでは、それがなんという山の一角か判別できなかっただろうが、くだんの神殿から追跡中のグローリエが、十キロほど西方に移動したボッカ連山のひとつに認められると定時報告をよこしてきている。十中八九、そこと考えていいだろう。

『神はなげいておられる。神は血の涙を流しておられる。この世があまりにも、あまりにも穢されているから!』

 エディンの芝居がかった叫びに呼応して、その足もと、崖下から、巨大な石像の頭部らしきものがせり上がってきたのはこのときだった。

 これが例の大天使か。

 将軍たちの心理は、表出の形と程度こそ違えど畏怖で一致した。これはなにより巨大に過ぎる。

 そして……。

『神は私に力を与え、啓示をもたらしたのです。おまえが、穢れた殻を破壊するのだと!』

 声が一際高く荒らげられるや石像の胴鎧に一条の亀裂が走り、それが扉さながら、観音開きに開かれた際には、誰もが息を呑んだ。

 なにしろそこに隠されていたのは円形の機関。押し出されるようにして現れた砲身こそ短いものだったが、大大口径の砲筒だったのである。

「超光砲……!」

「コッセル、この周辺に集落は!」

「ございません。いえ、出城がひとつ……」

「城を捨てるよう命令を。グローリエにも退避通告を頼む!」

「かしこまりました」

『……帝国の皆さん』

 エディンの声は続く。

『私はここに、くさびを打ちます。新しい世界の孵化を助ける、はじまりのひと振りとして』

 キュンキュンと甲高い音を立てて、砲筒の奥に光が集約しはじめた。

 細かな電撃を放つ白色の太陽が誕生し、もうなにもかもが手遅れであると、悟らぬ者はいなかった。

『そう、これは神の意志。これは、聖戦なのです』


「……あの野郎、やりやがった……」

 日光が網膜を焼くように、その閃光は、L・J部品の流用であるマンタ仮ブリッジのモニターを白く染め上げ、虹色の残像をいつまでも残した。

 ここにきてようやく聞こえた、どおん、という大太鼓の響きにも似た音が、おそらく着弾の知らせだったのだろう。それが嫌にはっきりと耳へ入り、アレサンドロは目をふせた。

 これによりどの程度の被害が出たのか、知りたくないという想いが強かった。

「くそ……おい、ハサン。こいつはどういうことだ?」

「エディン・ナイデルか」

「確かにユウは、腕を落としたと言ったんだな?」

「まさか腕とそでとを勘違いする馬鹿もおるまい」

「そりゃ、まあそうだ」

「だがひとつ、おまえは気づいたかな?」

「うん?」

「あの男、目の色が変わった」

「目の色? あいつは昔から、やけに聖人ぶった目つきをしてやがったぜ」

「フフン、そうではない。あくまで物質的な瞳の色がという意味だ」

「なに?」

 思わず声をうわずらせてしまったアレサンドロは、あわてて口をふさいだ。

「どういう意味だ」

「だからそういう意味だ。ついでに言えば、髪の色も変わった。わずかにな」

「つまりなんだ、あれはエディンじゃねえってのか。顔をそれらしく作った、別人だってよ」

「いや、よほど名のある王族の出でもないかぎり、赤い三日月戦線がエディン・ナイデルにこだわる理由はない。頭をすげかえればいいことだ」

「じゃあ?」

 にやりとしたハサンは、ここぞとばかりに手札を切った。いまこそ、アレサンドロとあの男とを結びつける因果の糸に目印をつけるときだ。

「私はこう考えている。あれはエディンであって、エディンでないものではないか。第二、いや第三のジョーブレイカーではないか」

「!」

「その技術を持つスダレフ、そしてその裏にいる男」

「セロ……クラウディウス」

「連中の目的が国家の乗っ取りであるならば、気狂いのエディン・ナイデルはまさに格好の駒だ。みすみす死なせるはずがない」

「だがよ、エディンは、一筋縄ではいかねえ野郎だ。自分に牙をむくかもしれねえ相手に、そんな力をやったりするか?」

「胸に爆発物のひとつでも仕込んでおけばいい」

「……」

「いいか、アレサンドロ。推理とは事実の整理からはじまる。巌のように揺るがぬ解と与えられた手がかりから、数式を導き出すのだ。無論いまは、私の与えた式を受け入れていくだけでいい。だがいつか、おまえ自身の裁量でそれをおこなわねばならん日が来たならば……誰も信用するな。いざとなれば自分の魂でさえ平気で嘘をつく。主観も客観もまじえず、ただ事実だけを見ろ」

 そこで言葉をさえぎって、インターカムのコールが鳴った。

「準備ができたと、セレンさんが!」

「よし……さあ立て、リーダー君。まずは皆の意見の取りまとめだ。なに、難しく考えることはない。現状と、おまえの思うところを正直に伝えてやればいい。ンッフフフ、いまからそのように緊張していては、このあとの大仕事などとてもやりおおせんぞ?」


 それは、沈黙と茫然に支配された帝国へもたらされた、もうひとつの混乱であった。

「……コッセル、被害は」

「ボッカ第一砦、およびその周辺地域が消滅。被害の程度は、現在確認中でございます」

「ケンベル殿、射程距離の割り出しをお願いする」

「うむ」

「ラッツィンガー将軍! モニターを!」

「む……!」

 ラッツィンガーとケンベル、コッセルが目を向けると、そこには先ほどまでとは打って変わり、どこぞの温室のような、日当たりのよい部屋が映し出されていた。マンムート二号車の展望デッキ、現在は仮ブリッジの内部である。

 となると当然、その中央へ進み出た白衣の男がアレサンドロであることは言うまでもない。

「あ……!」

 あのときの犬コロ野郎だと、ギュンターはすぐに思い出した。思い出したが、終生の目的とも言えるものを得、いくつもの頼もしい力と、多くの民の命を預かるようになったその面差しの変わりように、また息を呑む思いがした。

 様々な人間の内面外面を見つめてきた将軍たちも、エディンに対するそれとは違う、どこか高貴な血すじを前にしたような印象を抱いたようである。

 だからこそ、

『ああんと……』

 と、まごついた様子で頭をかいたアレサンドロは、意外なほどに親しみやすく思われたのであった。

『俺は、アレサンドロ・バッジョ。レッドアンバーだの、空飛ぶエイだのと言われてる連中の、その……リーダーをやってるもんだ』

 エディン・ナイデルの回線をジャックした。

 ここからは、自分が帝国とエディンにひとこと物言いたい、アレサンドロはそう言った。

『といっても、俺が言いてえのはもっと、単純なことだ。てめえはお見通しだろうな……エディン』

 キッと迷いのない灰色の瞳が、カメラをにらみつける。

『いいか、エディン。てめえがそのつもりなら、俺たちはもう、見すごしてはおかねえぜ』

「……」

『確かにこの国は、俺たちに剣を取らせた。だがな、それでも生まれ育った場所には違いねえ。これ以上無用な殺生を重ねるってんなら、俺が、てめえを止めてやる』

「ラッツィンガー将軍……!」

「うむ」

『鉄機兵団には仕掛けられねえかぎり手は出さねえ、そいつはいままでどおりだ。それでも気に入らねえってんなら好きにすりゃあいい。とにかく相手は、エディン・ナイデルと赤い……いや、天使の団か。それだけは、ここではっきりと宣言しておくぜ』

 アレサンドロの通信は、そこで切れた。

 エディンも、それ以上顔を見せようとはしなかった。

 ただ、帝国の主要都市には、不気味な静寂のみが残った。

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