第178話 産声

 執政官ウルリヒ・ヴァイデンヘラーは、当年五十七歳。税の徴収が上手く、適度に不満をもみ消し、適度に賄賂を受け取る、ごくごく普通の執政官である。

 だが哀しいかなこの仕事、どこまで行こうと臨時領主であり、他人の土地で、他人の金を管理しているにすぎない。多くの執政官は、いつかどこかで皇帝の眼鏡にかない、れっきとした領主、果ては元老院へと人生の駒を進めたいと願っているものなのだ。

 このヴァイデンヘラーにとって、いまこそ、まさにその好機。

 いかにも着慣れていない銀の全身鎧のその奥で、暑苦しく息をはき出して、

「いいな、団長。陛下への謁見かなったあかつきには、必ず悪いようにはせん」

 と、今日幾度目かの念押しをした。

 無論、同じく格上げの野望を持つ地方騎士団長に否やはない。

「一蓮托生ですな」

「そのとおり」

「む、着きましたぞ。ここからは、お静かに」

「わかっておる。さっさと兵どもを動かさんか」

「しぃ……!」

 ヴァイデンヘラーの一軍、総勢五十四名、L・J十二機は、地方騎士団長の指示に従い散開した。すなわち、いまは寄りつく者とてない針葉樹林に埋もれたトガ神殿と、おそらくそれ付きの畑だったのではないかと思われる空間に張られた、正確には八張のテント。同じ数の馬車。一キロ離れた村落へと続く唯一の道。また神殿わきを流れる、川舟程度ならばすれ違うことのできる小川。

 それらをすべて、遠巻きに包囲した。

「準備完了」

「……うむ」

 さすがに緊張した面持ちではあるが、鷹揚にうなずいたヴァイデンヘラーを先頭にして騎馬十騎。木立のかげから顔を出して、前進を開始する。

 ず、ず、と、ザラメ状の雪にひづめを沈ませながら、馬はビーズ飾りのように連なったたてがみの水滴を、うっとうしげに振り落とした。

 一行は、まず手前の幌馬車をひとつのぞき、またさらに奥のテントをのぞきしたが、

「……なんだ、猫の子一匹いないではないか」

 ヴァイデンヘラーが誰に言うともなしにつぶやいた、まさにそのとおりである。

 足もとの雪は確かに踏み荒らされているというのに、当然あるべき火の気さえないのであった。

「まさか逃がしたのではあるまいな」

 じろり、白んだ目が騎士団長をにらんだ。

「いえ、そのような。数日前より、それ、先ほどの斥候隊に見張らせておったのです。どこかにおります」

「だから、どこにおるというのだ」

「それは無論、順当に考え合わせるならば、あの神殿の中でしょう」

「む……」

 ヴァイデンヘラーは、この至極もっともな指摘に対して、ひどく苦い顔をした。

 兜からはみ出したヤギひげをもてあそび、そのような無礼がされるはずはないと思った、などともっともらしく敬けんな神徒ぶったが、この、誰もが思いつくであろう、すじ道に気づいていなかったことは明々白々である。これではさすがの騎士たちとて、愛想笑いを凍りつかせて顔を見合わせるより他にない。

「と、とにかくまずは、部隊の包囲をせばめることですな。それでいかが?」

「うむ、異論はない」

「よし、では伝令官、別働隊に指示を」

「そうだ団長。やつらの馬をここで逃がしてしまってはどうか。そうしておけば容易には逃げられまい」

「おお、それはいい考えですな。さすが執政官殿」

「うむ、そうであろう」

 これでなんとか、面目躍如、といったところである。


「……バルビエリ機兵長。彼ら、馬を降りました」

「どれ。……おいおい、まさか執政官殿自らが先に立つわけじゃなかろうな」

「まさか。ああ、やはり、地方騎士たちが行くようです」

「ふむ」

「機兵長はどう思われます」

「なにがだ」

「報告が正しければ、赤い三日月戦線は数十人規模です。あの神殿に入るでしょうか」

「少なくとも、L・Jは入らんだろうな」

「……」

「ほう、あの若いのはなかなか見所があるな。先鋒を志願したぞ」

「しかし、妙ですね。鍵もなにも、かかっていないとは……」


 その神殿の主トガは、獣神、獣の神である。

 鳥、獣、魚の三面と、六本の腕を持つ猛々しい男性の姿で表されることは戦前生まれの誰もが知るところだが、またその異形同様、神殿形式も他と類を見ないことで知られている。

 その形式とは、屋根がない。

 木の葉が積もったならば積もったように、雪が降ったならば降ったように。雨に打たれ、風に吹かれるその中で、人間もまた一個の自然となり、日々もたらされる恵みに感謝を捧げるのである。

 とはいえ、祭壇周辺には確かに屋根がないが、ホールや祭室、神官の居室といったその他の空間には、もちろん天井がかけられている。

 抽象化された動物たちの姿が、なにか天然の赤い顔料によって描かれた木製の扉を引き開けると、暁闇時の林を思わせる石柱の列が薄闇の中並び立ち、そのまた向こうに祭壇がある。それを、先鋒の騎士も見た。

 ただの石の台であるはずのそれが、今日の曇天を吹き払うかのように光り輝き、この世のものとも思われず美しかった。

「……あ」

「な、なんだ、どうした、レーム」

 ……人がいる。

 死角から現れた全身鎧の人物が、まるで自身のほどこした飾り彫りの出来を確かめるかのように、祭壇をなでている。

「あの人は……天使か……?」

 その、天の恵みを一身に受けたとしか思われない神々しい姿に、時と場所を忘れ心奪われた瞬間、美しい顔、涼やかな流し目がこちらを向いた。

「あ、あ、ああ……ッ!」

 突如レームは、夢から覚めた。

「ひッ!だ、団長!」

「なんだ、レーム。だからいったい、どうしたというのだ……う、うう!」

 腰を抜かしたレームの頭上から中へ頭を突き入れるようにした騎士団長は、絶句した。

 暗がりの向こうの、輝かしい未来を暗示するかのような祭壇。それは確かに美しい。

 しかし目が慣れてみると、なにか手前の影の中に、うず高く積まれている物体があるのが見て取れたのである。

 それは、ふたつの山に分けられた、新鮮な、死体のピラミッドであった。

 そのどれもこれもが左腕を落とされ、眼球をはじめとする顔のつくりそのものを、失っていた。

「ど、どうしたのだ、団長?」

「いえ、なりません! これは……これは、さすがに……」

「エディン・ナイデルか?」

「それは、まだ……」

 首を振るしかない。

「調べる必要がありますな。執政官殿は、一度、村落へ……」

 言いかけたその言葉尻を引き取って、

「退くことはありません。私なら、ここにいる」

「!」

 驚愕した一同が振り向くと、十数メートル離れた畑の中央に、男がひとり立っていた。

「あ……!」

 震え上がったのはレームである。

 あれは、先ほど中で見た男だ。

 しかしその男が、どうして扉の前に居座っている自分たちの、背後に存在しているのか。

 男は、イヌ科の獣をモチーフとしているらしい鎧を、両手を広げて誇らしげに見せつけた。

 あでやかな微笑と輝くばかりの秀麗なたたずまい。ヴァイデンヘラーと見比べようという者さえいない。

 そのマントに飛び散った鮮血の広がりも、まるで英雄の行く手に捧げられた花びらのようであった。

「貴様は、エディン……ナイデルか?」

「ええ、そのとおり」

「やはり、死んではいなかったのだな」

 騎士団長の言葉に、エディン・ナイデルはにやりとした。

 無論、その笑みが持つ真の意味を、この場にいる者が理解できるはずもない。

「あの、神殿の中の者たちは、貴様が?」

「ええ」

「なぜ」

「なぜ?」

 エディンは乙女のように、きゃっと笑った。

「生まれ変わるためには、古い殻を捨て去らなければならない」

「なに?」

「この世界も、赤い三日月戦線も、あなたも、私も」

「それはつまり、投降の意思と見てよいのか」

「……?」

「貴様は、赤い三日月戦線の行くすえに不安を覚えた。あの者たちにもその意思を伝えたが聞き入れられず、かえって身の危険が生じたために、やむなく命を奪った」

「……う、ふふ、ふ」

「もしそういったわけであれば、なるほど、それなりの酌量がされてしかるべきだろう。そうでしょうな、執政官殿」

「う、うむ、いかにも。裁判の折には、私からも、そのように証言しよう」

「だがしかし、ここでことさらに抵抗するようなことがあれば、貴様の罪が増えるばかりか、こちらとて武力をもって応えるしかない。……どうか?」

 これがもし小悪党相手の駆け引きならば、その成果は言うまでもなかったであろう。重装の騎士たちと、天を貫くばかりの威圧感で屹立するL・Jにかこまれ、武器も持たない人間が戦意を失わないはずはない。

 騎士団長こそ厳しい顔つきを崩してはいないが、ヴァイデンヘラーは胸を大きく反らせて、この同情に値する哀れな罪人の懇願を待っている。

 ただレームのみが、この奇妙な男は人間の皮をかぶった得体の知れないものであり、それがいつか胴鎧を弾けさせてあふれ出てくるのではないか、いや、そうに違いないという、妄想的な確信におびえていた。

「……腐った殻を破壊し、新しき世界を」

「む……?」

「短慮と傲慢。そのどちらも、新しい世界には必要ない」

「わ、わぁ……!」

 エディンが高々と右手をかかげ上げたのを合図に、レームはついに駆け出した。

 ここにいてはいけない。ここにいては、自分もあの神殿の中で積み上がったものと同じになってしまう。

 どうしてわからないのだ。

 あの男は、たったひとりで、あの山を作り上げたのだ。

 待てと叫ぶ仲間の声を背に受けて、それでもレームは自分でも驚くほど俊敏に、誰のものともわからない馬へまたがることを得た。あごの下が燃えるように熱い。

 手綱を握り、引き絞ると、馬は棹立ちとなって、二、三歩あとずさり、そして、飛び出した。

「あっ!」

 L・J一機の手が、行く手をさえぎる。

 レームは馬首をめぐらせ、馬の腹にしがみつくようにして、その、またの間をかいくぐった。

 たてがみをつかんで体勢を立てなおし、どうにか松林の中まで逃れてきたらしいと悟る。

「う……」

 とめどなく涙があふれたが、痙攣のようにくり返される動作、馬の腹を蹴りつける動作だけは、どうしても治めることができなかった。

 地響きと、その後起こった猛烈な突風に馬が鳴き、レームの記憶は、そこであっけなく途絶えた。


「機兵長」

「おお、よく戻った。どうだ首尾は」

「どうにか拾えました。馬が身がわりになってくれたようで」

「そうか……馬がな。まあ、あの若いのには、あとで話を聞かなけりゃならん。錯乱して妙なことにならんよう気をつけてやってくれ」

「は。しかし、自分はいまだに信じられません。あんな……あんなものが、空から降ってくるとは……」

「ふむ」

 バルビエリの、いかにも硬骨然としたあごの先に広がった光景を、その若い副官は這いつくばるようにして見た。ひとつの任務を成し終えてなお精力的な双眸に、なんともやりきれないといった濃い絶望が浮かぶ。

 ここは例の神殿の横手にある高台で、本来ならば、屋根の抜けたその建物と敷地内の様子が一望できるはずである。だがいまは、驚愕の物体によって、天地すべての空間が埋めつくされていた。

「まったく……恐ろしい」

 副官はそれを、まるでチェスの駒のようだと形容した。

 ただしこれをそうだと言うのならば、盤はとてつもなく大きな……帝都、いやもしかするとそれ以上の土地が必要かもしれなかった。

 サイズにおいて人間とは比ぶべくもないL・Jが、この物体の小指にも満たない。そう言えば、どれほど巨大かが理解できるかもしれない。それが七体。

 底面はどうやら円形か。上部へ行くほど細くなる台座の上に、甲冑姿も美々しい戦天使の上半身が乗っていた。

 素材は灰色の石のようにも見えたが、

「あ……また、やります」

 一体の、とてつもなく身の厚い大剣を握った天使像が、それを振り上げ、大地を、なぎ払った。

「機兵長……!」

 これまで幾度となくくり返されてきた同様の攻撃が、すでに地方騎士団のL・J部隊を壊滅させている。それによって生じた風圧の一波が、逃げ出したレームを馬ごと森ごと吹き飛ばし、結果的に戦域から離脱させることとなったのだ。

 副官とバルビエリ、そして数名の小隊員がいるこの場所は、高さで言えば天使像の腰のあたりになるが、そこまで粉砕された木っ端や凍った土、氷の塊が舞い上がり、目隠しのためにかぶった白色シートの上へ容赦なく降りそそいだ。

 バルビエリは最新の高倍率双眼鏡を目に押し当てたまま、微動だにしなかった。

「機兵長は、恐ろしくないのですか……!」

「いや、今日はどうも、死なん気がする」

「は?」

「お、二班が帰ってきたな」

 壮年の班長が、腰をかがめて駆けつけてきた。

「近隣住民の避難、完了いたしました。ボンメル伯爵の巣(グローリエ)が、五分後に到着する予定です」

「呼んだ覚えはないぞ」

「将軍からの要請だそうです」

「ほう、気がきいたな。……よし、撤収だ」

「了解」


 その、立ち去り際。

 バルビエリは崖下をかえりみて、いま一度、双眼鏡を傾けた。

 ひしめき合う天使たちのかげに隠れるようにして……いる。

 白銀の鎧をまとった男が、鮮やかな血の絨毯を踏みしめながら、神殿の空地に死骸を積んでいる。

「エディン・ナイデルと七人の天使……七人の、天使か……」

「機兵長、お急ぎを!」

「……だとしたら、ここへ巣を呼ぶのはまずいな」

「機兵長?」

「急ぐぞ、ジェッダ! とにかく急げ!」

「き、機兵長……天使が、こっちを!」

「走れ、ジェッダ!」

 バルビエリはそのとき、甲高い笑い声を背中に聞いたような心持ちがした。

 それはまるで、産声であった。

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