鳴動 ーアレサンドロの未来・後編ー

第176話 噂

 エディン、死す。

 それは噂という形を取って、マンタ全体、さらにはアレサンドロの耳へと伝わった。

 よくよく問いただしてみると、ニュースソースとなったのは、その後マンタが拾い上げた元奴隷の一族で、この温和な人々に関して言えば、赤い三日月戦線との関係性は薄い。むしろ皆無であるとアレサンドロは見ている。

 ならばエディンについての報は、たくらみではなく真実か、と考えたとき、アレサンドロは安堵ではない、奇妙な薄気味悪さのようなものを感じた。

 気もそぞろとなり、首から肩にかけての産毛がざわついた。

 まさか、ここでも呪いだなどと騒ぐことはないが、どうして、という想いがある。

 あの男のことだ、ろくな死に様ではなかっただろうと思うと、白くにごった眼球を真円ほどに見開き、さもうらめしげに結んだ口の端から、ひとすじの血をしたたらせたあの顔が目蓋に浮かぶ。そう、以前対峙したホーガン監獄島所長、ビンセント・ラムゼーさながらに。

 しかもそれは、もとが美しい顔立ちであったために、なおさら陰惨でグロテスクな印象を脳裏に焼きつけ、強烈な動悸とともに妄想から引き戻しては、また思い出さずにはいられない負の螺旋へとアレサンドロを閉じこめた。

 薬品庫の扉をノックする音が、これほど大きく聞こえたのもはじめてだった。

「誰だ……!」

「アレサンドロ」

「あ、ああ」

 アレサンドロは、思わずのけぞった勢いで椅子ごとひっくり返りそうになった自分に苦笑した。

 まるで、子どもだ。

「……入ってもいいぜ」

「フフン、エディン・ナイデルの亡霊だとでも思ったか?」

 と、やはりハサンは目ざとかった。

「チッ、なんの用だ」

「その、エディンのことでひとつ」

「死体を見るまでは油断をするなってのか、わかってるぜ」

「ほう?」

「こいつは罠かもしれねえ。あいつのやりそうなことだ」

 言いながらアレサンドロは、わざとらしく在庫のチェック表を手に立ち上がった。土色に変わったエディンの顔が目の前をよぎったが、無視だ。

「姿を隠してL・Jをあさってやがるのか、鉄機兵団のほうに狙いを変えたのかもしれねえ」

「ンン、わかっているならばいい……と、言いたいところだがそうではない。ユウから連絡が来た」

「ユウが? ……なんだって?」

「エディンと『偶然』遭遇し、やり合ったそうだ」

「なに?」

「その際あれは、エディンの腕を斬り落とした」

「う……!」

「光を失っている可能性も高い」

「……じゃあ」

「死んだというのは、あながち、尾ひれとも言えんのかもしれんな」

 アレサンドロは、ハサンの指先につつかれた左腕に、じんわりと熱が広がっていくのを感じた。

「そう、か……」

 うつむいた胸にわき起こるのは、またしても、うしろ暗さだ。オオカミさえ死ななければ、あいつも……という悔悟の気持ち。

 あの時代から鬱屈した少年であったことは、すでに問題ではない。せめてわずかなりとも、おのれの感情を抑制できる人間になっていたはずだ。

 ……フフン。

 背後でハサンが浮かべた、したり笑いに、アレサンドロは気づかなかった。

「なに、いずれこうなる運命だ。おまえが気に病むことではない」

「いや……」

 アレサンドロは首を振った。

「俺が気に病まなけりゃあ、誰が病むってんだ。俺がユウにやらせたんだ、赤い三日月の、仲間殺しを」

「……ふむ」

「前にあんたは言ったな、この手であいつを絞め殺す覚悟があるかってよ。それは、こういう覚悟も含めてってことじゃあねえのか」

「フン」

「いいな、言うまでもねえが、ユウのしたことは他言無用だぜ。とにかくあいつの死体が出てくるまでは、生きてるようにあつかう」

「それが賢明だな」

「そうだ、ユウはどうしてる? まだ戻れねえのか?」

「事はN・S用のエド・ジャハン刀だ。ある程度手がかかるのは仕方あるまい」

「エディンはなんだ、ミミズになにか、依頼でもしに行きやがったのか……」

「まぁ、大方そんなところだろう」

 ふと沈黙したふたりの耳へ、そのときポンポロロンという軽快なジングルの音が飛びこんできた。

『旦那、大将、来たよ、来た来た! 弾が来た!』

「……やれやれ、これが紋章官ではケンベルの苦労も知れるな」

「ハ。なあに、あいつはこれだからいいんじゃねえか。しかめっつらが顔突き合わせてたって、いい案も出ねえさ」

「おや、ではこれからは、この顔で会議しようか」

「ぷっ、おい待て待て、やめるなよ。その顔でブリッジまで行きゃいいじゃねえか」

「なにを言っている、そら、行くぞ」


 運び屋デンティッソのL・Jは、実のところ、L・Jと呼んではならない代物であるかもしれない。

 それは二機のプロペラ翼を取りつけた、言ってみれば、L・J一機程度は軽く腹へ収めることのできる巨大な箱が空を飛んでいるようなものであって、貨物を運ぶ以外になんのとりえもない。無論武器のたぐいは一切装備しておらず、箱の両わきに生えた、枯れ枝のようなクローアームが三対。積み下ろしの出番がないときは、コンパクトに折りたたまれている。

 二〇〇系や三〇〇系といった空戦用L・Jの下げ渡し品をそのまま使用している運び屋が多い中で、このような形状の機体は極めて珍しいと言っていいだろう。

 アレサンドロとハサンが仮ブリッジを経由して屋根へ上がると、そのデンティッソの貨物運搬用L・J『ピアソン』は、すでにマンムート二号車の屋根にドッキングをはたしていた。

 というよりも、くだんのクローアームを器用に使い、二号車の屋根に、大樹のセミのごとくつかまっていた。

 テリーとセレンが屋根のようにかかったピアソンの腹と、そこに大きくマーキングされた、かわいらしい、出っ歯のリスのイラストを見上げていた。

「どうした、まだ荷を受け取らねえのか」

「それがねぇ」

『やあ、魔術師』

 声をさえぎって、デンティッソの陽気な口笛が頭上から降ってきた。どうもピアソンのコクピットにいるらしい。

『待ってた。いまそっちに行くよ』

 と、上部のキャノピーが開き、強風にあおられて危なっかしく揺れるアームにつままれるようにして、ひとりの着ぶくれた男が降りてきた。

「なんだ」

 まわりくどい野郎だな。アレサンドロは思った。

 依頼をした本人を待つのは結構だが、こちらはもう金を払っているのだ。荷降ろしくらいはじめてもいいだろうに。

 しかしこれは、ハサンに言わせれば当然の防衛手段であり、運び屋の、客に対する最低限の信義なのである。

 たちの悪い悪党の中には、かわりに受け取っておくよう頼まれた、などと都合のいいことを言って運び屋を誘い出し、これを殺害して荷を奪うといったことを平気でする輩もいる。

 また小さなことを言えば、家族には見られたくない荷を頼まれる場合もある。

 運び屋のモットーは、『顔から顔へ』。

 その中でも特に模範的な男、デンティッソは、屋根へ降りるやコード付きのアームコントローラーを小わきにはさみ、厚いガラスのはめこまれたゴーグルをぐいと押し上げると、ハサンとフランクな抱擁をかわした。

 アレサンドロが受けたその男の第一印象は、リスと言うよりも、図鑑で見たことのある、ラクダだった。

「早かったな」

「へへっ、物のわりにはトラブルがなくてね。それがよかった」

「ほう」

「じゃあ、受け取りにサインを」

「よしよし」

 素直に受けるハサンの手もとを、デンティッソはニコニコとながめ見る。これがまた、おつかいを頼まれてきた子どものようで、なかなか憎めない。

 手作りの書類に書きこまれた流麗な文字を、一字一字、しっかりと確認して、

「うん、確かに」

 と、それをポーチへねじこんだ。

「これは、向こうから預かってきた、領収書」

「うむ」

「それで、これがおまけ」

「あっ、ま、まさか!」

 デンティッソが銀色のケースから取り出し、テリーが飛びついたそれは、愛銃ラッキーストライクの弾丸、計六十発である。

 キンバリー研の技術者たちが、シューティング・スターのもののみでなく、こちらも足りなかろうと気をきかせてくれたものらしい。

「助かるなぁ。これがあるのとないのとじゃ、全然気持ちが違うよ」

「おや、おまえはケンベル相手に六十発も使う気か?」

「そりゃ必要なのは一発さ。でも俺たちは、戦争やってんだからね」

「ほほう、これはまた、お見それしたな」

「おい、ハサン、クジャクが来たぜ」

「おおそうか。よし、デンティッソ、彼が荷降ろしを手伝う」

「了解」

「テーリー、おまえの弾丸だ。おまえがここの指揮を取れ」

「あいよ。じゃあまず、って、あ、あれ、あ、やばい、と、飛ばされる! ……ああ、あ、あんがと、クーさん」

「おお、言ったそばからこれだ」

 へっへへ、と、デンティッソが笑った。


「それで、デンティッソ。下では、なにか新しい動きがあったかな?」

「うん、あった。鉄機兵団は、ここを切り捨てたみたいだ」

「切り捨てた? いや、そうではあるまい。やつらは我々をひとまず放置し、赤い三日月戦線こそ目下の目標と定めた、そういうことだろう」

「へへ、魔法が効いたね」

「さて、幸運が重なったにすぎんな。このまま鉄機兵団がエディン不在の三日月戦線を根絶やしにしてくれればよし。……だが」

「だが?」

「その前に、我らの愛すべき黒幕が動く。動くぞ、デンティッソ。有用なエディンをこのまま眠らせる馬鹿がいるものか」

「それはそんなにうれしいことかい、魔術師」

「そうだとも。これでようやく世界が動きはじめる。くだらん三つ巴も、もう終わりだ」

「僕には、難しいことはよくわからないね」

「ンン、よしよし。おまえはそう、素直なところがいい。ではもうひとつ仕事を頼もうか」

「ああいいよ、どうぞ」

「アールシティ、東裏通り三番地、小熊亭に、スコルピアという女がいる」

「ひゅーう、吸血鬼の右腕だ」

「その女の荷を、またここまで運んできてもらいたい。食料と生活雑貨だ」

「了解」

「おまえへの依頼料はこれだ。スコルピアに対して金を払う必要はない」

「吸血鬼って怖いかい?」

「フフン、黒い服だけは着ていかんことだな。黒と見れば、やつは噛みついてくるぞ」


 そのデンティッソがマンタを離脱した数時間後。

 全国各地の出城、領主連中へ向けて発信された鉄機兵団の広域無線を、マンタの仮通信室が傍受した。

『これより先は、ひとまず、赤い三日月戦線のみを攻撃対象とする。空飛ぶエイへは手出し無用』

 ハサンはすぐに、アレサンドロへこの旨報告をし、およそ一時間に渡って密談をかわした。

 緊急動議という形でマンタ全体での話し合いが持たれたのは、そのまた翌日のことであった。

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