第170話 約束
ところで。
N・Sマンタによって移動の足を得た二号車だが、親車であるマンムートを失って以来難儀をしていることが、まだいくつかある。
ひとつに、前述のレーダー・センサー。
ふたつに、食料・生活消耗品の調達。
そしてみっつに、L・J格納庫……というよりも、L・Jの修理を、いったいどこでおこなうか、ということであった。
もちろん、二号車の内部にはそれだけの設備はなく、またそれを整えるだけの空間的余裕もない。
それでもいままでは地面にL・Jを並べ対応できていたのだが、移動中のマンタの背では、それもままならない。
結果、これについては二号車の屋根にL・Jベッドを置き並べ、そこで整備をすることとなった。
整備士は、仮ブリッジ天井にある排水溝掃除用の丸型ハッチと、鉄機兵団が突入用に開けていった中央部天井の穴、これは、いまでは直径八十センチの円盤でふたがされ、鉄ばしごが下ろされているのだが、そこから外へ出て、L・Jのもとまで行くというわけである。
一応は手すりもあり、他にも手がかりとなりそうな場所はいくらでもあるのだが、関係者以外立ち入り禁止。当然、命綱の着用は必須だ。
この日のララも例外なく、厚く着ぶくれた腹にロープを巻きつけて、鉄ばしごをのぼった。
「う、ぷ!」
中から見ればそうでもないのだが、外の強風はやはり、身を切るように鋭かった。
「敵来たらどうするんだろ」
と、これが一番の問題である。
いまのように四つん這いとなって屋根へ上がり、足もとを確かめながらL・Jに行くのでは時間がかかりすぎる。それどころか、たどり着く前に空へ投げ出される危険性さえある。
「もうちょっとゆっくり飛ぶとかさぁ、屋根つけるとか……」
考えながらララは、しばらく丸めた背に風を受けるようにして、驚いた肺が落ち着くのを待った。
そして、命綱の金具を手すりに噛ませ、少なからぬ整備クルーが行きかう通路をそろそろと歩き出したところで、すぐ手前に横たえられたサンセットⅡのコクピットハッチが開いた。
「あ、ラ、ララさん!」
顔を見せたのはメイだ。
なにやら興奮し、小鼻がふくらんでいる。
「通信ですよ、通信!」
「通信? アレサンドロから?」
ララは、サンセットⅡの胸もとをまたぐ作業用の高架橋をのぼり、這うようにしてコクピットへ向かった。
この動作もまた大儀ではあったが、もとはといえば、メイが修理を終えたサンセットⅡの最終チェックをすると言うのでここまで来たのである。数値的な確認を終えたのちには、どうしても、ララが実際にふれて微調整をする必要がある。
コクピットハッチに顔を突き入れて、
「アレサンドロ、なんだって?」
「それは……ララさんが自分で聞いてください」
「えぇ? じゃあ、そこどいてよ」
「あ、す、すみません!」
びっくりあわてたメイと入れかわりにリニアシートへすべりこんだララは、
「なに?」
と、マイクへ問いかけた。
サブモニターの電源は落ちたまま。スピーカーの答えは、沈黙だった。
「もしもぉし? あたし、ララ!」
ララは幾度か声を張り上げてみたが、スピーカーの向こうでは、絶えずマイクをなでさすっているような、妙なノイズが走っている。
「ねぇ、これホントにつながってるの?」
「は、はい、もちろんです! ……たぶん」
「なにそれ」
「も、もうちょっと呼んでみてください」
「えー、面倒くさい」
「お、お願いします」
「一回切って、つないだほうが早いんじゃない?」
「そ、そ、そ、それは駄目です!」
「なんで」
「それは……」
えぇと、と、メイがあやしげな視線をさまよわせはじめると、今度はマイクを叩くような音がした。
『……ララ?』
「え?」
『ララ』
「ユ、ユ、ウ?」
『ああ』
……それは、ずっと聞きたかった声。
マンタが出発してからこのかた、夢でしか会えなかった声。
どこか、安堵がにじみ出た声。
「アレサンドロさんが気をきかせてくれたんですよ」
「ちょ、あんた、まだいたの?」
『ララ?』
「あ、ご、ごめん、ちょっと待ってて」
ララは手振りでメイを追い払い、ハッチを閉めて厳重にロックした。
さらに、この音声通信の橋渡しをしている通信室へ、サブ回線から念を押す。聞くな。
もしかすると鉄機兵団が盗み聞いているかもしれないが、えい、そこまでは知ったことか。
手ぐしで髪を整え、小物入れから出した手鏡で、ざっと、顔のそこここをチェック。
鼻紙で、こっそり押さえるように鼻をかみ、またチェック。
よし。
「あの、ごめんねユウ。ちょっと、ごちゃごちゃしてて」
『いや』
「あの……げ、元気?」
『ああ。ララは?』
「あ、あたしも、元気」
こんな取りとめのない話でも、ララは頬が熱くなり、口もとがゆるんでしまうのをどうしようもなかった。
好き。
ユウも、好き?
胸から喉から、あふれ出そうとするその言葉たちを我慢する苦しさも、ララのときめきを一層かき立てた。
『マンタは?』
「うん、快適。言われなかったら飛んでることも忘れちゃうくらい」
『そうか』
「ユウは? いま、なにしてるの?」
『まだ、ミミズのところにいるんだ』
「剣まだできないの?」
『ああ。でも、もう少しだと思う』
「そっかぁ……」
『……ララ』
「なに?」
『絶対に戻る。だから、みんなのこと、頼む』
ララはそのとき、胸に、電気のようなものが走ったのを感じた。
しかしそれが、喜びなのか不安なのか。判じかねている間に、ユウの笑い声が、すべてを吹き払ってしまった。
それは、なにを言っているんだ自分は、という、先の言葉を打ち消すような笑いだった。
『心配なんだ、そっちが』
ユウはスピーカーの向こうで、身体をもぞもぞと動かした。
『だから……』
「うん、大丈夫」
『え……』
「大丈夫、まっかせて。余裕余裕!」
映像がないため伝わらなかったかもしれないが、ララは胸を、どんと叩く。
「ね?」
『……ああ』
ララは、ユウがいまこの瞬間に浮かべているだろう微笑を想像し、高ぶった。
『じゃあ』
と、名残惜しげに通信を終えようとするユウに追いすがって、
「ね、今度はいつ連絡くれる?」
『そう、だな……そっちに、帰る前に』
「今夜は?」
『それはたぶん、駄目だと思う。いろいろすることもあるから』
「そっか……」
『時間ができたら、きっとまた連絡する』
「ホント? きっとね」
『ああ、約束する』
通信機のスイッチをひねり、アンテナを収納したユウは、それからしばらくの間、空をながめ動かなかった。
視界を埋めつくす、薄灰の雲。
真綿の塊を寄せ集めたかのようなそれはふんわりと柔らかい光を地面に落とし、あたりはそれほど暗くない。
二羽三羽のカラスたちが、しきりに激しく鳴きかわしている。
通信中に降った細かな雪は、ユウの肩や太腿に薄く積もっていたが、尻の下にある、N・Sカラスの手のひらが発する熱のおかげで、特に寒さを感じることはなかった。
ふう、と、白い息をはき出したユウは静かに視線を転じ、今度は、目の前の雪原を見た。
……そこには、明らかに他とは違う光景が広がっている。
本来ならば見渡すかぎりの雪また雪であるはずが、その一帯だけ、熱い湯でもそそがれたかのように黒土がのぞいているのである。
事情を知らない人間が見れば、ここには温泉が湧いているのかもしれない、などと思ったことだろう。
だが、ユウはどうしてこうなったのか、知っている。
ここは、マンタが傷を養っていた場所。
ミミズの工房などと、とんでもない。ユウはエディン・ナイデルとの約束の地であるここに、戻ってきていたのである。
あの日……。
マンタと別れたユウとモチは、予定どおり、以前ミミズと出会ったトラマル南方の光石鉱跡へと向かった。
時折感じる鉄機兵団の目をまきながらの道程を終え、なつかしきその場所へ到着したのが四日後。
マンムートが埋めたはずの入り口は、何者かによって手荒く掘り返されていた。
『ユウ』
『いや、雪が、荒らされてない』
これはユウたちが逃げこんだのち、当時相手をした、リドラー軍・ヴァイゲル軍があとを追おうとした、その名残ではないだろうか。
ユウの指摘したとおり、坑道奥深くまで吹きこんだ雪には足跡ひとつ見られない。降りはじめからの自然な状態を保っている。
そのとき発見されていなければ、ミミズはまだ無事であるはずだ。
ユウとモチは、ひとまずN・Sのまま坑道を進み、ひとつめの分岐点へと差しかかったところで、いったん荷を降ろした。
ふたりで水筒の水を分け合い、若干整頓不足のポーチから探り出したのは、ハサンが持たせてくれた坑道内の地図。無論詳細なものではないが、入り口からミミズの工房までの道のりが記されている。
なにしろ以前ここへ来た際には医務室で横たわっていたのだから、これがなければ話にもならない。
光石灯を手に、さっと紙面へ目を通したユウは、
「行こう」
と、すぐにN・Sへ戻り、そしてまた、飛んだ。
坑道壁に含まれる光石結晶が、幾千幾万、ぼんやりと青白い光を放つ中、ミミズは工房前の地面に腰を下ろし、これまたぼんやりと、その星空にも似た輝きを見上げていた。
百年前も、百年後も……ミミズの目は同じものを見ているに違いない。ユウは思った。
『ミミズ』
「……はァ」
色素の薄いミミズの目が、ゆっくりとカラスへ向いた。
まるで、ふたりがここへ来ることを察していたかのように、その顔色も姿勢も変わらない。
『無事でよかった』
「……はァて」
『頼みがあるんだ』
ミミズは、薄よごれたニット帽へ手を差しこみ、ぽりぽりと指を動かした。
「まずはァ……こっちへ、おいで」
いま、その作刀作業が上手くいっているのか、どうなのか、実はユウにはよくわからない。
ベネトナシュの翼と、一応折れた刀を預け、十日のうちには頼むと、それだけでこちらへ戻ってきてしまった。
だが、
「……うん」
と、うなずいたときのミミズの目。
あれはまさしく、職人の目だ。
鍛え上げたおのれの技術。それを遺憾なく発揮できるだろう機会を得たことに対する歓喜の目だ。
あの目の前では、いかなる艱難辛苦も喜びに変わる。心配はない。
「ユウ」
「ああ……?」
目に木の皮を貼りつけたモチが、そのとき、N・Sカラスの肩先に戻ってきた。偵察帰りのその腹には、玉のような水滴がいくつも光っている。
「来ました」
ユウは通信機を荷袋へ押しこみ、わきへ立てかけた太刀を引き寄せた。
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