第142話 新年の朝に

 さあ、夜が明ければ新年祭である。

 皆で、今年の守護神である太陽に向かって祈りを捧げ、酒樽が開かれた。

 音楽がはじまった。

 ユウも、神官衣を脱いだ。

「おめでとう!」

「おめでとう!」

 様々な地方の、様々なステップが、マンムートと二号車の中を跳ねまわる。

 自分の部屋に吊るされていた、硬い祝い菓子をひと口かじったララは、

「あ、馬!」

 中に隠された、小さな油紙片を開いて歓声を上げた。

「飛躍の年! ね、ね、ユウはなに書いてあった?」

「金貨だ」

「アハッ、またお金もらえるのかもね」

「俺にも聞いてよ、ララちゃん」

「あ、テリー、いたの」

「ひどい! ねぇ、ひどくない、彼氏さぁん」

 ここのところ誰からも構ってもらえなかったテリーは、甘えるように、ユウへもたれかかってきた。

「もう飲んでるのか」

「そりゃそうだよ。いま飲まないで、いつ飲むの」

「む……」

 それはそうだ。

「だいたい、こんなのは飲んでるうちに入らないよ。旦那見た? もう来る人来る人、みんなの酒を受けてるもんだから、ガバガバ」

「うわぁ、アレサンドロって、お酒大丈夫な人だっけ」

「まぁ、俺が見たときはケロッとしてたけどね」

「へぇぇ」

「だからほら、彼氏さんも飲もう!」

「なんで。飲めないの知ってるだろ」

「昨日は飲めなくても、今日は飲めるかもしれないじゃない」

「どういう理屈だ」

「それに酔っぱらって倒れても、今日なら誰もバカにしないよ。大丈夫大丈夫」

「別にそういうことじゃない」

「じゃあ……」

 と、テリーはユウの首を抱き寄せ、

「酔った勢いで、普段できないこともできちゃうかも、って言ったら?」

「え?」

「ララちゃんとキス、とかさ」

「テ……!」

「いや、もしかしたら、もっと深ぁい仲になれるかも」

「テリー!」

「ほら、男としちゃあ、女の子に飲ませて、ってのは嫌じゃない。だから飲んじゃいなよ、彼氏さん。男になるのはいまだよ、いま!」

「うるさい!」

 ユウはテリーを押しのけて、熱気むんむんたる二号車の食堂を、足早に出て行った。

「……あちゃあ、真面目だなぁ」

「バカ! なに言ったのさ!」

「うぅん、この機会に、ララちゃんともっと仲よくなれって言っただけ」

「え、バ、バカ、余計なお世話だっての」

「そう? そりゃ、ごめんなさい」

「べ、別に、謝らなくても、いいけどさ……」

 ララはもじもじと、指を突き合わせる。

「……早く追っかけなよ」

「う、うるっさい! 言われなくたって!」

「うんうん、まぁ楽しくやってよ。俺もう、ちょっかい出さないから」

「だったら、最初から黙ってろっての!」

「あ、そっか、アハハハハ」

「バカ!」

 ひとつ小突いて、ララも食堂を飛び出した。


「くそ……」

 なにが、酔った勢いだ。

 ユウは、ひと気のない仮聖堂へすべりこむと、うしろ手に閉めたドアへ寄りかかり、ため息をもらした。

 やけに心がむかむかとする。

 祭壇の中央に祭られた光石の明かりが、ひどくわずらわしく思えるほどだ。

 ……人の気も知らないで。

 ユウは光から目をそらし、再び、ため息をはいた。

「ユウ? そこにいる?」

「……ララ?」

「あ、やっぱりいた。開けてもいい?」

「ああ……」

 ユウがドアの前から身体を離すと、すぐに、ララの頭がひょいと現れた。

「……怒ってる?」

「いや、別に」

「ユウがそう言うのは、怒ってるとき」

「……」

「ね、テリーの言うことなんかほっといてさ、お菓子食べにいこ? あたしも作るの手伝ったんだから」

 ユウは、首を横に振った。

「なんで?」

「そんな気分じゃ、ないんだ」

「別に、お酒なんか飲めなくたっていいじゃない。気にすることないって」

「そうじゃない」

「じゃあ……テリーに言われたこと、気にしてるの?」

「だから……」

「あたしと仲よくしろって言われたんでしょ?」

「あ……」

「ほら、やっぱり」

 ララはしょぼんとした様子で仮聖堂へ入り、静かに、扉を閉めた。

「ユウは、あたしといると、迷惑?」

「……いや」

 これは、ユウの本心だ。

「ユウはあたしのこと……嫌いなの?」

「……俺は……」

「あたしは、好き」

「!」

「あたしはユウのこと好き。大好き」

 そこでようやく、ふたりの目が合った。

 ララの目は強く、必死な覚悟で光っている。

 ユウの目はどこかおびえたように震え、ララには、いまにも泣き出しそうに見えた。

「あたし、ユウのためならなんだってできる。もうL・Jに乗るなって言うなら、乗らなくたっていい。スカートだってはく。料理の勉強だってする。あたし……あたし……!」

 ララは、とめどなくわき起こる熱い想いをどうしていいかわからなくなり、ついに、飛びついたユウの腕の中で、ぐ、と目をつむり、唇を差し出した。

 想いは、ユウも同じはず。

 アールシティでは、あんなに心がかよい合った。

 ついつい飾りがちな言葉など捨てて、ただ、いまは顔を近づけて欲しい。

 ララは、おずおずと動き出したユウの腕が、肩へかかり、背中へまわるのを感じた。

 そっと抱き寄せられ、あとは、ひとつになるだけだった……。

「……すまない」

 唇に吹きかかるはずの吐息が、ララの左耳に残酷な言葉を落とした。

「どう、して……?」

「俺は、まだ……」

「あたしのこと嫌いなの?」

「そうじゃない。いまはまだ……この旅のこと以外、考えたくないんだ」

「……ひどい」

「でも、そのときが来たら、きっと、答えを出すから」

「ひどい、ひどいひどい!」

 ララは半狂乱になって、ユウの胸を殴りつけた。

「なんで、なんでそういうこと言うの?」

「ララ……」

「バカ! バカバカバカ! ユウのそういうところ大ッ嫌い! 嫌いなら、嫌いって言ってよ!」

「違うんだ。だから……」

「バカ! バカ!」

「……すまない」

「もういい! もう……あっち行ってよ!」

 大好きだったぬくもりが、それ以上なんの言葉も出さずに離れていき、ララは、顔を覆って泣き叫んだ。

 馬鹿にしてる。

 散々思わせぶりをしておいて、そんなつもりじゃなかった、なんて。

 それどころか曖昧にぼやかして、自分も相手も傷つかないように、なんて。

 こんな世界、全部消えてなくなればいい。

 ララは、髪に結わえたゴム紐を振りほどき、祭壇へ向かって投げつけた。

 ゴムは祭壇にかすりもせず、くやしさばかりが増した。

「わぁああぁぁ!」

 床に突っ伏したララの、その小さな背を、ふと、温かいなにかがなでた。

「……なにさ。ほっといてよ」

「そうもいかねえさ」

 アレサンドロである。

 新年を迎えたこの良き日に、一杯でも酒を酌みかわそうかとユウを探していたところで、この場面に出くわしたのだ。

「嘘つき」

「うん?」

「あたしの王子様は、低いところを飛んでるって、言ったじゃない」

「そうだったな」

「でも、全然違った」

「いや……俺が悪ぃんだ」

 アレサンドロの差し出した布切れを、ララは面をふせたまま、はねつけた。

「そうやって、いっつもふたりで、かばい合って。だから……だから……!」

「別に、かばうつもりはねえさ。あいつは大馬鹿野郎だ」

「いい、もう聞きたくない!」

「でもよ、こいつは本当に、俺が悪ぃんだ」

 アレサンドロは、うずくまるララの頭元に腰を下ろし、ため息をはいた。

 その身体からは、染みついた酒のにおいがぷんぷんとしていたが、不思議と、ララの鼻は不快を感じなかった。

「俺もな……いまのおまえと同じように、かきむしるほど、好きな女がいたぜ」

「……」

「きっと相手にしてみりゃあ、俺なんか、その他大勢のひとりだったんだろうな。それでも……俺は好きだった」

 ぐずりと、ララの鼻が鳴った。

「でもよ、死んじまった。俺が死なせちまった」

「え……?」

「だからあいつは、俺に気ぃ使ってんだ。俺の前で、相棒の自分が女をつくるわけにはいかねえ。浮かれてる姿を見せるわけにはいかねえ、ってな。俺を傷つけねえために、自分と、おまえを傷つけたんだ。……馬鹿な野郎だぜ」

 ララには、言葉もなかった。

 真っ赤になった目で見上げるアレサンドロの顔は、その話が真実であることを微塵も疑わせない苦しさで満ち満ちている。

 その、ララの視線に気づいたアレサンドロは、すぐさま、ふ、と苦笑いを返した。

「なあ、ララ。もう一度、やりなおしてやれねえか」

「え?」

「俺たちが出会った、あの日とは言わねえ。ほんの一時間前に戻って、あいつの出す答えを、待ってやってくれねえか」

「……いつ出るかもわからないのに?」

「そう遠い話じゃねえさ。国を作るか……俺が、女をつくるまでだ」

「つくるつもりもないくせに」

「そいつは、おまえも同じだろ」

「……いじわる」

 アレサンドロの喉から、乾いた笑いがもれた。

「……戻れるかなぁ」

「ああ、賭けてもいいぜ」

「こんなになるなら……あんなに、優しくしてくれなきゃよかったのに……」

「そうはいかねえさ。あいつだって、おまえのことが好きで好きでたまらねえんだ」

「……」

「おまえだって、わかってたはずだぜ」

「……う、うう、う、う」


 翌朝……。

 仮聖堂でのつとめを終え、逃げるように二号車を出たユウを、ララが呼び止めた。ちょうど二号車の前方、キャタピラのかげである。

 新年祭は三日続けておこなわれるのが常であるため、二日も動かずにいたそこには、高い吹きだまりで死角ができている。そこに隠れていたのだ。

「あ……」

 うろたえたユウは一瞬身をすくませたが、すぐに観念したようにうなだれ、うつろな視線を縦横に泳がせた。

 ララは、そんなユウを、なにも言わずに凝視した。

 昨日、アレサンドロが予言したとおり、髪はボサボサで、目蓋ははれぼったく、心なしか目のまわりが青黒くくすんでいる。

「俺はどうして、あんなことを言ってしまったのだろう」

 そう一日中、後悔にさいなまれた顔だ。間違いない。

 ……バカ。

 ララは口の中でつぶやき、ひとつ、深呼吸をした。

「ユウ、あたしのこと、好き?」

「え……?」

「あ、待って待って、いまのなし。忘れて」

「……ん」

「えと、要するに……今回のことが全部終わったら、あたしとのこと、本気で考えてくれる? って、こと」

「あ、ああ……ああ!」

 ユウは何度も、首を縦に振った。

「ん……じゃあ、リセットしよ」

「リセット?」

「そ。昨日のあたしたちに、リセット。こうやって腕組んでても、あたしたちは恋人同士じゃないし、一緒にご飯食べたり、お菓子を食べたり、いろんなこと話して、結局一緒にいるけど、やっぱり恋人同士じゃない」

 それが、昨日までのユウとララ。

「そこに、リセット」

「……リセット」

 ユウは、いまさらながら愕然とした。

 ただ立場がどうこう言っていただけで、してきたことは恋人同然じゃないか。

 自分はいったい、なにを悩んでいた?

「ね?」

「……ああ」

「じゃあ、リセット」

「リセット」

 ふたりは手のひらを指で押し合い、ひと声笑って……さらに、笑った。

「アハッ、なんか、変な関係」

「そうだな」

「でも、答えはちゃんと聞かせてくれなきゃダメだからね」

「わかってる」

「ご飯食べに行く?」

「行こう」

 ふたりは、いつものように腕を組んで、二号車の食堂へと歩き出した。

 昨日一日、ろくにものを食べなかったふたりの腹の虫が、ぐうぐうと、仲よく鳴いている。

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