第127話 頭脳戦
「第一観測部隊から連絡が入りました。すべて予定どおりです」
「おう、いつ来る」
「日中の可能性が高いと思われます。おそらく、明朝かと」
「チェッ、つまらねぇ。妙な頭を使うなってんだ」
言いながらギュンターは、肉汁したたる極厚のステーキにかぶりついた。
ここは、三方を雪と山とにかこまれた、すり鉢状の谷の底である。
一見すればせまく、退路もなく、まったくそれにはふさわしくないように思えるが、ギュンター・ヴァイゲルの軍が戦いの場として選んだのは、事実そのような場所だった。
いくつかの簡易トーチカを仮設し、L・Jカーゴ、補給車、メンテナンス用クレーン車、そしてもちろん多数のL・Jが所せましと立ち並ぶその中央に、ギュンターのいる大型指令装甲車がとめられている。
……いや。
よく見ればその装甲車の隣には、同型のものがもう一台並んでいることがわかるだろう。
それと同様に、各車両にかかげられた軍旗の色も、二色。
飾り立てられた車内で、現在は優雅な夕食の真っ最中であるギュンターの向かいに目をやれば、
「行儀が悪いぞ、ギュンター」
同じく帝国将軍、カール・クローゼ・ハイゼンベルグの姿もあった。
クローゼといえば、以前ユウと友情を育み、協力してメーテル神殿ディアナ大祭主を救出した経緯があるが、無論その全容を知るものは少ない。
首謀者と思われる盗賊の首魁を死なせてしまったこと以外は大きな叱責も受けず、こうして、その後も変わらず将軍としての職務にはげんでいるのである。
「まったく、それではサリエリにまで迷惑をかけるだろう」
「うるせぇな。お兄ちゃんに給仕してもらってるやつが言うことかよ、ええ?」
ふたりの背後で、カチャンと音が鳴った。
下げられた食器を重ねていたハイゼンベルグ軍紋章官、アルバート・バレンタインが皿を取り落としたのだ。
「ギュンター様」
「ああ、いいのだサリエリ。事実なのだから」
「いえ、そういうわけには……」
「いいのだ。いつものことだ」
眉間にしわを寄せつつも平静を保ち、苦笑まじりに淡々とナイフを動かすクローゼを、サリエリは感心したようにながめやった。
「……では、説教はのちほど」
「う、えっ!」
耳もとで下された宣告に、ギュンターは震え上がった。
「それはそうとサリエリ」
「は……?」
「先ほどの人物。魔人であることは間違いないのだろうか」
「それは、なんとも申せません。自らそう名乗るからには、その確率が極めて高い、としか」
「ふむ」
「しかし、鉄機兵団を前にしてのあの落ち着きよう、只者とも思えず……」
「ありゃ、ただのバカだぜ」
「かもしれません。どちらにせよ、レッドアンバーが食いついた。その一事のみでも及第点の働きでしょう」
「彼はどうなる?」
サリエリの銀縁眼鏡が、きらりと光った。
「いずれ、法にのっとった処分がなされます」
「ううむ、やはり、そうか……」
クローゼは、デザートとして出されたリンゴのタルトを、物憂げにフォークの先で転がした。
「なんだ。なにか問題でもあんのかよ」
「うむ……私はやはり、どうかと思う」
「あぁ?」
「人質を取るなど、騎士がすべきことではない」
「……チッ、そこかよ」
「騎士の戦いは、常に正々堂々とあるべきだろう。しかもその人質さえ、役目を終えれば用なしとばかりに切り捨てようという……」
「そんなだから、テメェはいつまでもなめられんだ、ボケ!」
「ギュンター様」
サリエリにたしなめられ、ギュンターは一時口を閉じた。
危ういところである。
ここでサリエリが入らなければ、いましも抗議の意を口にしかけたバレンタインによって、両者の間に取り返しのつかない事態が発生していたところだ。
サリエリはひとつため息をはき、眼鏡を押し上げた。
「クローゼ様、人質を取ることには意味があるのです」
「なんだって?」
「ご存知のとおり、先日、本件の事項に関しまして、陛下から命令のご変更がございました」
「うむ、彼らの命を奪ってはならぬとのことだな」
「無論、魔人の処分は避けられないところではありますが、人間に関しましては寛大なるご処置が下されるものと確信しております。しかしだからと申しまして、彼らが素直に投降に応じるとは考えにくく、多くの人命を救うためにも、このような手段を取るに至ったのです」
「う、む……なるほど」
「よって本作戦におきましては、ギュンター様にも、ララ・シュトラウスとの決闘をあきらめていただくようお願いするつもりでおりました」
「なに? 冗談じゃねぇ!」
それができないのなら、なんのために北部くんだりまで追跡を続けてきたのか。
ギュンターは、頬張ったタルトを口から飛ばしながら叫んだが、もちろんサリエリはびくともしなかった。
「ララ・シュトラウスのことは帝都に戻りました折に、直接陛下へ、決闘のお許しを願い出られるとよろしいでしょう。私の剣にかけて、大闘技場を押さえさせていただきます」
「大闘技場?」
帝国最大の建造物であるそれは、数万の観衆を収容できる。
「……まぁ、悪か、ねぇな」
「では、そのように?」
「あいつが突っかかってこなけりゃな」
「結構です。それではこの場をお借りいたしまして、私とバレンタインが練り上げました作戦をご説明させていただきます」
バレンタインが両腕いっぱいに広げた地図へ向かい、サリエリは銀の指示棒を、サッと伸ばした。
さあ、それから数時間が経過した。
ほの白い夜明けの空を映すモニターを、アレサンドロ、ハサン、クジャク、セレン、メイが注視している。
ほんの十数分前からだろうか。多くは山影に隠れた鉄機兵団の動きが、どことなくせわしない。
こちらの存在を知られていることなど百も承知のマンムート・ブリッジであるだけに、鉄機兵団のこの変化は戦のはじまりを告げているのだと、誰もが感じ取っていた。
「うん? ……見ろ、あいつらだ」
ギュンターの将軍機、火炎のミザール。同じくクローゼの、電雷のフェグダ。
さらには、サリエリの一〇〇二式改アルコルに、バレンタインの五〇五式改シュッツェンシルトが、まるでこちらを挑発するかのように、せまい谷の入り口から現れる。
その中でも、アルコルの左腕が前方に突き出されているのはなぜだろうか。
「おい、寄ってくれ」
「は、はい!」
シートから身を乗り出すアレサンドロの前で、アルコルに照準を合わせたカメラの倍率が徐々に上げられていった。
「む?」
「こ、こいつは……!」
なんということだ。
アルコルの手に、人が握られている。
「もっとだ。顔が見てえ!」
マンムートのカメラは、さらに、その人物へと寄せられた。
距離があるため画像が荒く、なかなか焦点も定まらないが……、
「あ!」
「あれは……マンタか……!」
「間違いねえ、あの、馬鹿みてえなひげ!」
アレサンドロとクジャクは顔を見合わせた。
それにしてもなんともひどい言われようだが、百人見れば百人がそう思うほど、その猿ぐつわを噛まされた人物の口ひげは珍妙だった。
太く左右に分かれたそれは天を突くほどにピンと立ち上がり、その長さたるや先端が目尻の上にある。なかなか見られるひげではない。
「ンッフフフ、あれほど目立つチャームポイントがあれば、まさか人違いということもあるまい。……よし、作戦を変更するぞ!」
ハサンは地図の表示されたサイドモニター前に、アレサンドロとクジャクを呼びつけた。
『サリエリ様、ご報告いたします』
『なんだね』
『敵戦車、ご指示どおり、姿を消しました』
『ふむ。……もう一台は?』
『同様におりません。振動を感知し現場に向かったところ、参考データにありましたバルーンを北方山壁に発見。地中潜行の痕跡を隠すためのものと思われます』
『了解だ。観測部隊には、引き続き十分に距離を取った上で観察を続けるよう通達を』
『は』
『特に、テリー・ロックウッドへの警戒はおこたらぬように』
『了解いたしました』
数日前から、前線と本部の中継地として、各所にコマンド・カーゴが出ている。
その内一台との通信を終えたサリエリは、それからもいくつか関連部署へと通達を飛ばした。
画面に現れる機兵長たちは皆、特段あせることもなく命令を受け入れた。
『ケッ、全部予定どおりってわけか』
『……いまのところは。あとは、彼らが愚かでないことを祈るばかりです』
『あぁ?』
サリエリの目が、刻々と変化するメインモニター上の数値へ向いた。
『私は彼らに期待しているのです、ギュンター様。セレン・ノーノほどの才能があれば、あの巨大戦車で針の穴に糸を通すことができる。彼らの戦闘能力を持ってすれば、わずかな壊乱につけこみ、人質を取り返すことができる……』
賢く、才能のある人間ほど、その仕事振りは正確。誤差が少ないものなのだ。
しかしだからこそ読みやすく、つけ入る隙も生じやすいと言える。
サリエリの読みでは、地中にもぐったマンムートは大きく迂回し、すり鉢の中心、すなわち電信機器や指揮系統の集合する本陣を突き上げる格好で現れるはずであった。
その混乱に乗じて人質を奪い、逃走する、というわけだ。
では、それに対するサリエリの策はどうか。
サリエリは軍を大きくふた手に分け、一方を地上に、一方を、すり鉢を構成する周囲の山頂へひそませた。
そして、マンムートが顔をのぞかせた瞬間、人為的に起こした雪崩によって、すべてを埋めてしまおうと考えているのである。
キャタピラ走行で、なおかつ重心のやや高いマンムートは、なるほど縦の突破力はすさまじいが、横からの大圧力にはあらがうすべを持たない。それを見越した上での作戦なのである。
しかも、頼みの綱であるはずのその突破力も、二号車という自走能力を持たない荷車を引くことで半減、いやそれ以下に低下している可能性が高い。
いまやサリエリの不安は、上手く第一波を側面に当てられるかどうか、一撃で転覆まで持っていけるか、というところにのみあった。
第二のおとり、ともいえる本陣がすでにもぬけの殻であることは、いまさら言うまでもない。
『サリエリ、くれぐれも慎重にな』
『了解いたしております。では、クローゼ様もギュンター様も、少々お下がりください。……来たようです』
アルコルのメインモニターに表示された振動計の数値が、にわかに上昇した。
『各機兵長へ告ぐ。雪面爆破のタイミングはこちらで指示する。一言一句聞きもらさず、遅れず、早まらず、最良の結果を残すように』
『……アントン、了解』
『ベルタ、了解』
ケーザル、ドーラ、エミール……と、全九部隊の長が、それぞれ感情を押し殺した声で応じた。
……長い、数秒。
胸打つ鼓動と、コクピットまで響く、かすかな振動。
計画成就のためには、姿が見えてから雪崩を起こしたのでは遅い。
眼を細め、食い入るようにモニターを見つめるサリエリの目の前で、震度計の値が、想定値にせまる勢いで跳ね上がった。
来た!
『アントン、ベルタ、ケーザル、爆破!』
『爆破、了解』
局地的に噴き上がった爆炎とともに、ごっそりと浮いた山の頂三カ所の雪が、猛烈な雪崩となって下へ下へと駆けくだっていく。
それがグラウンドラインへ到達するや否や、第二波、第三波が押し寄せる。
『うおおおッ! すげぇ!』
行き場を失い、狭い開口部をこじ開けるように轟々と吹き出してくる大量の雪波に、ギュンターは思わずコクピットにいることも忘れ、防御姿勢を取ってしまった。
周囲に立ちこめた雪煙が晴れ、取りかこむ全L・Jのモニターカメラが機能を回復するのには、さらに三十秒ほどの時間がかかった。
『おい、どうだ。やったか!』
『お待ちください、すぐに確認いたします。バレンタイン、君はL・Jの陣形を』
『わかっている』
『そこの、そうだ一一〇式の君。この魔人を連れ、私のあとについてきてくれ』
『了解であります!』
サリエリは、壮年の騎士が乗るL・Jに、なにやら興奮気味な魔人を託し、すぐさまフットペダルを踏んだ。
先ほどからアルコルには、画像音声入りまじり、山頂、地上の両班から絶え間なく報告が入ってきている。
だがいまはそれどころではない。L・Jに乗っているかぎりは、たとえ雪崩に呑まれようと深刻な被害が出ようはずもないのだ。
……だからこそ、急がねば。
機械の身体は向こうも同じ。
頼む、倒れていてくれよ。
サリエリは拝む気持ちで、雪山と化したすり鉢の底へと、アルコルを走らせた。
『……む?』
『どうされました?』
『いや……』
サリエリはその雪山に、違和感を覚えた。
データ上では、マンムートの全長はおよそ百メートル。体積もそれに見合った分だけあるはずだ。
しかし、それが埋まっているにしては……。
『サリエリ様!』
『!』
沈思黙考中であったサリエリは、突如思考に割りこんできた伝令官の声に、はっと息を呑んだ。
『なんだね』
モニターに映し出されているのは、観測部隊との連絡役を担っていた、あの青年伝令官である。
それも、ひどく取り乱した様子で、
『う、うしろ! 敵戦車が向かってきます! バルーンの奥から!』
『なに!』
『コマンド・カーゴ、離脱します! ……急げ! 急げ!』
その後はモニターも立ち消え、雑音のみが残った。
『待ちたまえ、どういうことだ! では、あの振動はいったい!』
通信網はまだ乱れている。
と……次の瞬間。
アルコルと隣の一一〇式L・Jの足もとから、天へ向けて、なにかが走った。
風?
サリエリが思う間もなく、両機の腕が切断されて空を飛んでいる。
その指の中で笑う、猿ぐつわの魔人の顔。
そういうことか!
サリエリは、すべてを悟った。
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