第122話 すべて、風に乗せて

 殺した。

 俺がアレサンドロを殺した。

 言ってくれたんだ。俺を弟だと言ってくれたんだ。

 それがうれしくて、俺もアレサンドロを、ずっと兄さんみたいに思ってたと伝えたかった。

 それなのに、どうしてこうなった。

 どうしてこうなった!


 ……ザザと、倒れたスナイパーの襟元から、無線のノイズが広がった。

『こちらアントン、応答せよ』

「……」

『……ベルタ? ドーラ?』

『……ベルタだ』

『ドーラ、応答しろ、ドーラ』

 ユウの耳は、呼びかける声を拾ってはいた。拾ってはいたが、その音が、はっきりとした意味を成さなかった。

 わかるのは、その誰だかを名乗る声の主が、ハサンとクジャクらしいということのみ。

 責めるなら、いっそ俺を殺してくれ。

 そう思うだけで、無線を取ろうとはしなかった。

『……まあいい。仕事は終わりだ。戻るぞ』

『いいのか?』

『構わん。大方、頭をかかえて泣きわめいているのだろう。やつが死んだと思いこんでな』

 ……思いこむ?

『俺はN・Sで下りる』

『雪を刺激せんように……とは、君に言うまでもなかったな』

『フ、フ』

 なんだ、なにを言っている。

 なにがおかしい。

 アレサンドロが死んだというのに、なにがおかしい。

 ……いや。

 ハサンはなんと言った。

 思いこみ?

 思いこみとは……どういう意味だった……。

「あ……!」

 ユウは、はっと顔を上げた。

「まさか!」

 と、崖に走り寄り、危険もかえりみず身を乗り出す。

 ちょうどそのとき、谷をはさんだ対面の雪影からN・Sクジャクが現れ、

「アレサンドロ!」

 その向かう先に、あの老人たちにかこまれたアレサンドロの姿があったのだ。

 笑っている。

 生きている。

 ユウは神に感謝することも忘れ、転がるように、もと来た道を駆け出した。

 

 ……さて。

 そのユウの姿が遠ざかったところで、身をひそめていた木の裏から音もなく歩み出た男がいる。

 もし誰かが目撃していたとしたら、なんと思っただろう。

 それは、ハサンだった。

 ハサンといえば、先ほどクジャクと通信をかわしていたようだったが、

「……フン」

 と、わずかに口もとをゆるめたその背には、白いケースに包まれたスナイパーの通信機が負われている。

 とすると、先ほどの会話も、この場所でおこなわれていたということか。

 その、ただのいたずら心とも思えない行動の意味は……おそらく、ひとつしかないだろう。

 いざというとき、ユウを、自決という愚かな結末から救うため。

 ハサンは、ユウの身を案じたのだ。

 ただ、それがユウのためなのか、アレサンドロのためなのか、はたまた自分自身のためなのか。答えは誰にもわからない。

 ハサンは満足げに髪をなでつけ、ユウのあとを追って、ゆるゆると坂をくだりはじめた。


「アレサンドロ!」

「おう、怪我はねえか?」

「そんなことはどうでもいい。そっちは」

「ああ、なんとかな」

 アレサンドロは、地上に差し出されたN・Sクジャクの手のひらに腰かけ、自らの手で止血を続けていた。

 ユウに銃創の程度はわからないが、血にぬれた手を握らせてもらうと、温かい。

 ようやく、アレサンドロの無事が現実味を帯びて感じられた。

「もう……駄目かと思った」

「ああ、俺もだ。あの音のあと、あいつが降ってきてな」

「あいつ……?」

 あごをしゃくってみせるアレサンドロにつられて視点を動かすと、

「あ……!」

 十メートルほど先に、最後のスナイパーが倒れ伏している。

「どうも、テリーがやったみてえだな。肝が縮んだぜ」

 アレサンドロは傷の痛みに耐えながら、苦笑いした。

「俺が……俺が悪いんだ。俺が失敗して……!」

「いや、そういう意味じゃねえ。おまえがなにをしたか知らねえが、俺のために人ひとり斬ってきた、それはわかってるぜ」

 大きな指が、ユウの頬に飛んだ返り血をぬぐう。

「ああ、でも……」

 と、ユウがなおも言いかけるのへ、

「ユウ」

「?」

「お互い無事だったら、なんて言うんだった?」

「え……?」

「もう、よしとしようぜ」

「……」

「な?」

「……すまない」

「俺こそな。おかげで助かった」

 ふたりは拳を突き合わせ、互いの生還を心から喜んだ。

 と、そのときだ。

「おーい」

 響いてきたのは軽快なモーター音と声。

 見ると、谷の切れ間からホバーバイクがすべってくる。

「テリーだ!」

 そしてハンドルを握っているのは、あれ以来、マンムートと行動をともにしていたジョーブレイカーである。

 ホバーバイクは幾度かバウンドをくり返しながらN・Sのわきへ寄ると、勢いよく転回して、止まった。

「テリー!」

「おっと待った、彼氏さん。まずは旦那だよ。旦那、大丈夫?」

「いまのとこはな」

「また無茶したんでしょ」

「いや、馬鹿やった感じだ」

「どう違うのさ」

 苦笑したテリーは、木箱に詰めこんだ医療用具をトランクスペースから降ろし、それをアレサンドロの手もとで開いてみせた。

 その動作の中には一切のあわてた様子もなく、テリーがもし、珍しく負い革とスコープを装着したライフルを肩に吊っていなければ、まるで日常のひとコマのように見えただろう。

「あいつは、やっぱり、おまえの仕業か」

「まぁ、ね……でも別に、感謝されることじゃないよ。俺は、自分のミスを穴埋めしただけ」

「ミス?」

「大将には三人って言ったんだけど、そうじゃなかったからね。ホント、気づいたときにはどうしようかと思ったよ。……ね、これで足りる?」

「十分だ」

「手伝うよ。銃の傷なら何回か見てる」

「頼む。とりあえず応急処置でいい」

「了解」

 さすが言うだけあって、テリーは手ぎわよくアレサンドロの太腿を消毒し、ラップを巻いてみせた。

 そのテリーに、ユウはどれほど感謝しても、し足りない。

 本人はミスの穴埋め、などと言っているが、『四人目』は、どうあがいてもテリーでなければ処理できなかったのだ。

 いや、そもそも仲間にいなければ……そう考えると、ぞっとする。

「俺のこと見直した?」

「え?」

「そんな顔してたよ」

「……だから」

「そういうことは自分で言うな」

「う……」

「アッハハハ、そういうところがララちゃんのお気に召すんだろうなぁ、彼氏さんって」

 これには、アレサンドロまでが声を上げて笑った。


 さて、ユウに遅れること数分。

 こちらも谷底へ戻ったハサンは、くだんのスナイパーの遺体をあらため、ジョーブレイカーに二、三質問を投げかけたのち、感嘆のため息をはいた。

「どうした」

 と、クジャクがのぞきこむと、目に入ったスナイパーの首もとに、直径三センチほどの、なにか円形をしたものが下がっている。

 クジャクの顔色が、サッと変わった。

「千五百メートルだそうだ」

「なんだと……?」

「まったく、恐るべき業だな」

 ハサンにそう言わしめたもの、それはコインである。

 エリートスナイパーのみが許された、ネイラーズ、そしてコインシューターの称号。

 所属する者は、皆それにひとかたならぬ誇りを持ち、任官された際に授けられる通称ケンベルコインを、名誉の象徴、勝利のジンクスとして持ち歩く。

 その、ケンベルコインである。

 本来ならばその裏表には、グライセン帝国章とスナイパーの守護神、風神フーンを表す木の枝とが浮き彫りにされているはずだが、いま、倒れ伏した若きスナイパーの首にかけられたコインの中心には、えぐるような弾痕が開けられていた。

 それがテリーの狙撃によるものであることは、いまさら言うまでもないだろう。

「それほどの距離から……これを」

「フフン。やつもまた、コインシューターだったわけだ」

 ハサンは、どこか厳かな手つきで、それをスナイパーの懐中へ落としこんでやると、すうと静かに立ち上がった。

「止血は終わったか?」

「ああ、行けるぜ」

「結構。ではリーダー君は、ホバーバイクで皆を先導してくれ。操縦は……」

「俺はちょっと残るよ」

 テリーが言った。

「あ、別に変なことしようってんじゃないよ。でも……祈ったりぐらいは、してあげたいじゃない」

 誰もが、その想いに異をとなえようとはしなかった。

 そうなのだ。

 敵味方に分かれ、いともたやすく命をかけ合ったかのように見えるスナイパーたちだが、どれもかつては同部隊、テリーの戦友であったのだ。

 それぐらいは、かける情があってもいい。

「俺も残る。手を貸したい」

 ユウも名乗り出た。

「いいだろう、ではフクロウ君にも残ってもらえ。用がすみ次第カラスで戻ればいい。バイクの操縦はジョーブレイカー君。私とクジャク君でしんがりをつとめる。……どうかな、リーダー君?」

「ああ、それでいい」


 人々の大移動がはじまった。

 ユウとテリーは、再び出口のバリケード役へと戻っていた年寄りたちからモチを受け取り、しばし、その列を無言で見送った。

 太陽と新雪の照り返しとで、遠近感を狂わせるほどの白に染め上げられた世界。やはり、暗闇を脱したばかりの人々はまぶしげに目を覆い、しかしうれしげに、坂をくだっていく。

 ここからマンムートまでは、約二キロ。

 スナイパーの弔いをゆっくりとすませても、カラスの翼ならばすぐに追いつけるはずだ。

「行こう」

 列が見えなくなったところで、ユウはN・Sを呼び出した。

 すると、どうしたことだろう。

 当のテリーはライフルを構えると、一発、おもむろに天へ向かって弾丸を放ったのである。

 ダン。

 銃声が、鋭いこだまとなって響き渡る中、テリーはボルトハンドルを操作し、空の薬きょうを捨てた。

「テリー?」

「俺たちの流儀でね、魂が、空に飛んでいくように」

 ダン。

 再び、弾が飛んでいく。

 当然、遺体を集め、埋葬するものだとばかり思っていたユウは驚いた。驚いたが……こういう供養があってもいい。それらしいのが一番だ。

 ユウの口からは自然と風神の神文がつむぎ出され、音も想いも弾丸も、すべてが蒼空を渡る風にすくい取られていった。

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