第123話 三日月を胸に

 そうしてマンムートに、再び全員が顔をそろえた。

 この旅をはじめた、ユウとアレサンドロ。

 縁あって同じ道を歩むこととなった、モチ、ララ、ハサン、ジョーブレイカー。

 セレン、メイ、テリー、クジャク。

 当初は頭をよぎりさえもしなかった『ホーガン解放』という大仕事を成し遂げた仲間たちは、皆誇らしげな微笑を浮かべ、キャプテンシートのアレサンドロを見上げている。

 ここにひとりも欠けることなくそろったことが、そしてなにより出会えたことが、奇跡だ、と、アレサンドロは思う。

 神々の恩寵だ、と、ユウは思う。

 必然だ、と、ハサンは思った。

「いいぜ、嬢ちゃん。つないでくれ」

「は、はい!」

 メイの操作で、メインモニターの画像が切りかわった。


 いま、マンムートは山間に息をひそめている。

 アレサンドロの治療や、人々の収容とその落ち着きを待ったことで陽が落ちたこともあるが、これから、自分たちの行くすえを決定する重要な会議がおこなわれるのである。

 マンムートと二号車の間は数台のカメラとマイクによってつながれ、食堂や休憩所、計四カ所に集まった人々の顔が、分割されたモニターの中に、はっきりと映し出される。

 男たちだけでも、と思っていたアレサンドロは、その数にまず驚いた。

 ほぼ全員、年寄り子どもまでもが白い電灯の照る生活感のない空間に集い、椅子だけでなく、床にまで座って、聞き耳を立てていたのだ。

 これらの人々がマンムートへ到着したときの喜びようは、ここでくどくど説明するまでもないだろう。それはもう、新年と収穫祭が同時に来たようなものだった。

「テスト、テストです。映像と音声を確認して、マイクで応答願います」

 とりあえずマイクの近くにいた人物から、以上なしの報告が入った。

「さて……」

 アレサンドロがマイクを取った。

「知らねえ人間がほとんどだ、まずは自己紹介しておくぜ。俺はアレサンドロ・バッジョ、オオカミの砦にいた。こいつらは……」

 と、アレサンドロは、ユウたちについても簡単に紹介した。

 中でも、ララとテリーについては鉄機兵団出身であることを隠すことなく告げ、

「こいつらはもう敵じゃねえ。少なくとも、俺は信用してる」

 と付け加える。

 それと聞いて顔を見合わせたのは、当のふたりだった。

「へへ、信用してる、だって」

「いやぁ、泣けるね」

「ユウも信じてくれる?」

「信じてくれる? 彼氏さん」

「うるさいな、静かにしろ」

 なぜか戻ってからこちら、ララのみならずテリーにまでべったりとつきまとわれて、閉口しているユウである。

 いや、いまこのときだけを比較すれば、テリーはララよりもなれなれしくなっているかもしれない。ララは、ユウと久々に顔を合わせたときから妙だった。

 では、なにが妙か。

 いつもならば、ユウが帰ってきたと知るや真っ先に現れ、間髪入れず首へかじりついてくるところが、ララは駆け寄ってきたものの不意に足を止め、目を合わせるのもはばかられるように頬を赤らめた。もじもじとした。

 そして、意を決してようやく、

「あの……おかえり」

 と、いつもの左腕の定位置へ納まったのだ。

 視線を下げてみると、遠慮がちにふれる指はどことなくやり場ないようで、目が合うと、やはりはっとした様子で顔をそむける。

 ユウは、胸にもやもやとしたものを感じずにはいられなかった。

「……こういう場を作ったのは」

 アレサンドロの声で、ユウは我に返った。

 そうだ、こちらに集中しなければ。

「こういう場を作ったのは他でもねえ。俺たちの、これからの身の振りかたについて、全員で考えるためだ」

 人々はざわめき立った。

 無理もない。この中の多くは、アレサンドロがすでに行く先を決定し、そこへ全員を避難させてくれるものと思っていたはずだ。

 かつての魔人たちと同じ絶対的なカリスマ性を、期待として、希望として、願望として、アレサンドロの中に見ていたに違いないのだ。

「意見のあるやつは前に出て、ひとりずつ、思うところを聞かせてくれ。誰でもいいぜ。誰に気兼ねすることもねえ」

 そう言って、アレサンドロはマイクを置いた。


 ……沈黙の時が流れた。

 どうすればいいかわからず、あたりを見まわす者。

 どこか考えを口に出しかねている者。

 このままひとつの意見も出ず、いたずらに時だけがすぎていくかと思われた、そのとき。静かに手が上がった。

 あの、ビショフ老人の手である。

「よろしいですか」

「ああ」

 ビショフは白髪頭を幾度も下げながら、マイクの前へ進んだ。

「ビショフと申します。本来なら私のような年寄りは、ただ邪魔にならぬことのみを考えておればよろしいのですが……まあ子どもらのためにも、ひとつ、言わせていただきたい」

「ああ」

「どのように気力振り絞ろうと、私には、もう戦う力はありません。わずかな土地でも耕して、せめて心静かに大地へ帰りたいのです」

「……」

「私は……自由区エド・ジャハンへ出ることを提案いたします」

「なにを言ってる!」

 激しくヤジが飛んだ。

「こうなれば、どこで死のうと同じことだ!」

「N・Sがある! 帝国と戦争だ!」

「なにを馬鹿な。いまさら勝てるものか」

「なら皇帝だ! 皇帝を討て!」

「将軍もだ! 俺は父さんと母さんを殺された!」

「俺は兄弟もだ!」

 喧々ごうごうとする議場を、議長ならば鎮めなければならない。

 しかし、それら魂からはき出される真実の声を、アレサンドロは口を横一文字に引き結んだまま、ただ黙然と耳に受け続けた。

 人々の意見は、大きく分けて二種類。

 ひとつはビショフ老人の言う『国外逃亡論』で、多くは老人や、幼子を持つ女が支持をする。

 もうひとつは『皇帝討伐論』で、若者や、働き盛りの男たちが支持をした。

「あなたはどうなんだ!」

「そうだ、あんたの意見が聞きたい!」

「アレサンドロさん!」

「アレサンドロさん!」

 声を受けたアレサンドロがわずかに姿勢を正しただけで、場は、水を打ったように静まり返った。

「その前に、ひとつ断っておきてえ」

「……?」

「これから俺がなにを言おうが、最後はここにいる全員の票で決める。そのつもりで聞いてくれ」

 アレサンドロは縫合したばかりの傷を、包帯の上から軽くなでた。


「まず、皇帝をヤるって話だが……俺には、賛成できねえ。なぜと言ってくれるな。俺たちをいまの目にあわせたのは先代で、いまの皇帝じゃねえからだ。言いたかねえが野郎が死んで、この国はもう、戦の歴史にひと区切りつけちまった。やっと落ち着いた世の中をいまさら引っかきまわすな、そう思われても仕方がねえ」

「で、でも……!」

「よしんば皇帝をヤれたとして、そのあとはどうする」

 男たちは、顔を見合わせた。

「俺たちが跡を継ぐか?」

「そ、それは……」

「やつらはすぐに次の皇帝を立てる。それもヤるか? 皇帝の血を絶やし、貴族を絶やし、鉄機兵団を根絶やしにするまでやるか? それはつまり……第二第三の俺たちを作ることになるんじゃねえのか」

「だったら、あんたも外に逃げると言うのか!」

 場は、にわかに殺気立った。

 口を閉ざせば正論につぶされる。それをおそれるかのように、男たちはアレサンドロを悪し様に罵った。

 子どもじみた抵抗といえばそれまでだが、そこには、たとえ正論であろうと認められない十五年分の意地がある。

 意地はそのまま声量となって、アレサンドロを責めた。

「あの戦を忘れるな!」

「そうだ、俺たちはなんのために生かされた!」

「あの戦を忘れるな!」

「……忘れちゃいねえ。俺だって、あの戦でいろんなものをなくした。あの戦さえなけりゃあ……そう、なんべん思ったか知れねえ」

「だったら……!」

「なくした命より、これから生まれてくる命のために、この力を使いてえ」

「……?」

「俺たちの国を作るんだ」


 ……まるで。

 そうまるで、この世から音というものが消え去ってしまったかのような瞬間だった。

「誰にも侵されねえ、俺たちの国だ。人間と魔人が共存する国だ」

 そう語るアレサンドロの声が、非現実的な、伝説や神話の響きをもって人々へ届く。

 アレサンドロは、左腕の入れ墨を見た。

「……そうだ、俺は信じねえ。住む世界が違うなんて、たとえ先生の言葉でも信じねえ」

 つぶやくその目に浮かぶのは、かつて小さな胸を焦がして見た、大空をはためく赤い三日月の旗。

 その旗の下で、人間魔人が入りまじり、ひとつのパンを分け合った。いくつもの喜びを得た。

 あの日々こそ、忘れてはならない。

「俺たちは……いつだってひとつになれたはずだ。いつだって……!」

「どこに作る」

 アレサンドロは夢から覚めたような顔つきとなり、声の主、ハサンを見た。

 だが、そのハサンでさえも、アレサンドロの言葉に驚愕の眼をむいたことを、隣のジョーブレイカーは知っている。

「……この国の中だ」

「エド・ジャハンではなく」

「ああ。エド・ジャハンに国を作るのは簡単だろうが、それでいいと思えるほど俺はできちゃいねえ。俺たちの作った国を、この国の皇帝に認めさせる、それが俺の復讐だ」

 人々はうなり、ハサンは満足げに鼻を鳴らした。

「もちろん、ここにいる全員に賛成してくれとは言えねえ。こいつはエゴだ。命がいくつあっても足りやねえ、矛盾だらけの、ひとりよがりな俺の夢だ」

 もしこの案が通っても、望む者はエド・ジャハンへ送り届けると、アレサンドロは確約した。

「……さあ」

 ひと呼吸する。

「決を採ろうぜ」

 選ぶのは、戦いか、亡命か。

 国を勝ち取る無謀な賭けに出るかの内、ひとつ。

「俺は、おまえに乗るぜ!」

 それは、ブルーノだった。

 ホーガン島で腹を刺された、アレサンドロにとっては同郷の仲間と言ってもいいこの男もまた、傷を押して参加していたのである。

「決を採る必要なんかねえ。矛盾だかなんだか知らねえが、ガキにいろんなものを残してやりてえのは俺も同じだ!」

 ブルーノの座った丸椅子は、乗せた巨体を持て余すようにガタガタと鳴った。

「それによ、まだ、乳くせえ皇帝の首を肴にするより、そっちの祝い酒のがずっと美味そうじゃねえか。うらみは、こっからの戦いで、鉄機兵団のクソ野郎どもにぶちまけてやろうぜ!」

 このひとことは、人々の心を大いに揺さぶった。

 特に、現皇帝が十二歳の少年であることを思い出させたことで、皇帝討伐派の勢いは急速に弱まった。

 そうだ、そうだ、とブルーノに同調する動きもそこここで見られ、そこでさらに声を上げたのが、

「私も行きます!」

 ブルーノの妻、ディディである。

「馬鹿、なんでおまえまで。ガキはどうするんだよ」

「あら、女手がなくて、誰があなたの下着を洗ってくれるんです」

「えっ! ば、馬鹿野郎! そんなのはあれだ……なんとでもなるだろうよ」

「なりません。私も行きます。子どもたちも行きます!」

 こうなると女は強い。

 子どもを味方につけられると、なおさら、夫が逆らえるはずもない。

 結局ブルーノは押し切られ、その姿に感化された家族ある者を中心に手が上がりはじめると、たちまち満場一致の大拍手が、アレサンドロへと降りそそいだ。

 アレサンドロは、思わず目頭が熱くなった。


 その後、当然の流れで正式にリーダーへと選出されたアレサンドロは、共同生活をする上でのいくつか細かいルールを決定し、この日の会議を終えた。

 その終わり際、

「これだけは言っておかなきゃならねえ」

 と、切り出したことがある。

「この先、俺になにがあっても、うらみを増やしてくれるな。俺はやりたいことをやって、満足して死んでいった、そう笑ってやってくれ」

 ユウの肩にまわされたテリーの手が、ぐ、と肩口の布をつかんだ。

「もしそうなったときは、あとをどうするか、いまみてえに全員で決めるんだ。そのときの世話を……ハサン、あんたにまかせる」

 指名を受けたハサンは、さすが毛すじほどの動揺も見せず、フフン、と肩をすくませた。

「どうした。あんたは俺の望みをすべてかなえてやると言ったぜ」

「ンン、いかにもな」

「だったら頼む。あんたが、俺の紋章官だ。今度こそ、俺はあんたを信じる」

「フフン……泣かせてくれる」

 ハサンは、仰々しくも美しく頭をたれた。

「仰せのとおりに、我が君」

 と、言った。

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