第120話 急がばまわれ

「待て」

 あせりから雪に足を取られ、無様に這いずったユウの足首を、誰かがつかんだ。

「ハ、ハサン? 離せ! 離してくれ! アレサンドロが!」

「いいから戻れ」

「なにがいいんだ! アレサンドロが……ッ!」

「やつは餌だ。いま行けば、おまえこそ死体になるぞ」

「え?」

「まったく手のかかる……クジャク君、手伝ってくれ!」

 ユウは、ハサンとクジャクの手によって引きずり戻されてしまった。

「ハサン!」

「そうわめくな。見ろ」

「なにを!」

「見ろと言えばひとつしかあるまい」

「……くッ」

 ユウはアレサンドロを見た。

 見たが……状況は先ほどと変わらない。

 ひざを抱くようにして倒れた身体は微動だにせず、雪に埋もれた顔からは表情はうかがえない。ただただ、白い雪が赤く染まっていく。

「……やっぱり行く」

「ユーウー」

「アレサンドロは動けないんだ。助けに行かないと!」

「そこを否定するつもりはない。だが、あれは様子をうかがっているのだ。……そら、動いたぞ」

「え……?」

 ユウは振り返った。

 すると、今度こそ確かに、アレサンドロはもぞもぞと動きはじめ、なにかをしようとしている。

 ユウからは見えなかったが、血止めをしているのだ。

「チッ……テリーに、言われるはずだぜ……」

 おのれの浅はかすぎた行動に舌打ちしながら太腿の傷所を確かめ、腰のベルトを抜く。それを左足のつけ根に巻きつけ、間に差しはさんだ剣の鞘でねじり、締め上げる。

 さすがに医学の心得があるだけに、アレサンドロの処置に一分の無駄もなかった。

 しかし、

「こいつは……」

 アレサンドロにとって、はじめて見る傷ではない。

 以前一度、ハサンの右肩に同じものを見たことがある。

 銃創である。

 わずかに顔を上げ、目の合ったハサンに、指で引き金を引くジェスチャーをしてみせると、うなずきが返ってきた。

 アレサンドロは、わけもなくほっとした。

「……やはりな」

「なにが」

「スナイパーがいるらしい」

「スナイパー?」

 クジャクが眉をひそめた。

「まさか、あの男が……」

「そうではない」

「だが……」

「クジャク君、いまは現実を処理してからだ。ユウ、無線をマンムートへまわせ」

「アレサンドロは……!」

「救いたければ口をつぐめ」

 ユウは、このときにおいてさえ眉ひとつ動かすことのないハサンを、頼もしく思うどころか憎くさえ思った。

 たとえ少しでも、心配する心はないのか。

 出かけた言葉を呑みこみ、ユウは携帯無線機の発電用ハンドルへ、その憤りをぶつけた。

『……い。こちら、マンム、ト』

「つながった!」

「よこせ」

 ハサンは無線機を受け取り、洞窟と外との境界寸前で、アンテナを調整した。

『お嬢さん、緊急だ。テリー・ロックウッドを頼む』

『テ、テリーさんですか? ちょっと待ってください』

 これで、テリーが犯人である可能性は消えた。

『……あい。なに?』

『スナイパーの狙撃を受けている』

 テリーの息を呑む気配がした。

『それ……ホント?』

『アレサンドロが撃たれた』

『旦那が? それで?』

 ハサンは現在地点を含め、状況を余すことなく伝えた。

 凶弾はアレサンドロの左大腿を貫通。いますぐどうこうということはないが、出血次第では長く持たないということ。

 凍った氷層上にザラメ状の雪。雪崩が起きるには好条件だということ。

 そして、自分の耳目には、スナイパーの気配が一切感じられないということ。

『たいしたものだ、身動きひとつせずに我々を見ている』

『……』

『やつらはネイラーズだな、テリー・ロックウッド。釘打ちするがごとく、容赦なく銃弾を打ちこみ、その精度は千メートル離れた場所からコインの中心を射抜くことができる、別名コインシューター。選りすぐりの精鋭部隊だ』

『さすが大将……よく知ってるね』

『やつらの人数。いま、隠れひそむ場所が知りたい』

『無理だよ。おモチさんを飛ばしたら?』

『それはできん。狙い撃ちされる』

『N・Sは』

『出したのち救いに行くのと、やつのこめかみに弾丸が撃ちこまれるのとではどちらが早いかな』

 テリーは沈黙した。

『テリー・ロックウッド。おまえは世界屈指のシューター、オットー・ケンベルに最も近い男だ。足のなえたあの男も、おまえと同じく地図の前にいる』

『……』

『どこだ。あの男なら、どこに配置する』


「……くそっ」

 テリーは、のんびりと腰かけていたキャプテンシートの踏み板を蹴りつけ、立ち上がった。

 間接的ながらはじめて迎えた恩師との対決に、心臓が胸の内側から殴りつけてくるようだ。ブリッジを歩きまわる靴底にまで、鼓動が響いてくる。

「テリー」

「わかってる。わかってるよ、セレンさん。……地図を出してよ」

「もう出てる」

「えぇ? ……クールだなぁ」

 苦笑いしたテリーは、手のひらで一度顔を覆い、メインモニターに表示された立体図と向かい合った。

「もっとアップになる? ……そう、そのくらい」

 南から見下ろす形で表示されたそこには、地表線だけでなく、樹木や岩の様子も立体化されている。

 こういった、地図上に仮想敵を配置したシミュレーション訓練を、テリーは嫌というほど受けてきた。

 いまでも地図を見れば、自然と、そういった理想的な攻撃ポジションが目に入る。

 それが正しいかは、もう考えまい。

「撃ち下ろしのできる、見晴らしのいい場所……互いの射線が交差しない場所……身を隠せる遮蔽物のある場所……」

 テリーの目が、三点に吸い寄せられた。

『大将!』

『いいぞ、テリー。いいスピードだ!』

『うは、気持ち悪いこと言わないでよ。いい? 俺なら三カ所だ。場所は……』


『うむ……うむ』

 ハサンは相槌を打ちながら、洞窟の出口から見えるそのポイントのひとつを、ちらりちらりと見やった。

『わかった』

『あ、大将。きっとあいつらは、お互いに連絡を取り合ってる。ひとりが襲われたら、他のやつが旦那をヤるよ』

『ンン、ご忠告どうも。切るぞ』

 ハサンは、投げ捨てるように無線を切った。

「よしクジャク君、ビショフという年寄りがいたな。年寄り仲間二、三人と連れてきてくれ。フクロウ君、そら目を覚ませ」

「ホ……?」

「寝ている暇はないぞ。君にも仕事をしてもらう」

 すぐにクジャクが手を引いてきたビショフは、中部出身の七十男。十五年前の戦においても老骨に鞭打って戦ったという剛の者だが、現在は陽だまりで猫を抱いているような好々爺である。

 他に連れてきたふたりの老人も、広場で気炎を上げる若者たちを、あんな時代もあった、と微笑ましい目で見るような、そんな角の取れた年寄りたちだった。

「おお、ビショフ君。ここは少々冷えるが、まあ座ってくれ」

「はい、では失礼を」

 どこか気品を感じさせるビショフとふたりの年寄りは、丁寧に頭を下げ、地面へ静々と座った。

「さて、君たちを呼んだのは他でもない。あれを見てくれ」

 ハサンの指さした先を、三人とモチは、ぐっと首を伸ばし、糸のように目を細めて見た。

「あ……」

「なんと……」

 四人は同時に言った。

「騎士団ですか」

「そうだ。罠を張られていた」

「……我々は、なにを」

「あのかたの盾になれというなら、なりましょう」

「なります、なります」

「ンッフフフ、さすが老人は肝が太い。が、そうではない。その罠を排除する間、血の気の多い連中が余計な手出しをせんよう出口をふさいでいて欲しい」

「なるほど……」

 ビショフの手が、ぽん、と自らの胸を叩いた。

「わかりました。お引き受けいたします」

「フクロウ君もここに残ってくれ。不測の事態が起こったときは、すぐに発光筒を」

「了解です。……武運を祈ります」

「結構。では行くぞ」

 ハサン、ユウ、クジャクは太陽に背を向け、大勢の待機する広場、さらにその奥深くへと、地中の道を駆け出した。

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