第119話 リスクの判断

「さて。では、嘘をまじえて話そうか」

「う、嘘?」

「そう、嘘だ」

 ごろりと寝転んだハサンは、左手のみで、器用にパイプのカーボンをかき出しながら言った。

 断手刑となる以前から、衣服やひげまでユウに手入れさせてはばからなかったハサンだが、この作業だけは他人にまかせたことがない。

 ああ、草を買うように言づけるのだった、とつぶやき、事務的にナイフを動かすその視線は、いかにもいとおしげに飴色の木目を見つめている。

 対してアレサンドロは、不満げになにか言いかけたが、

「もういい、さっさと話しな」

 と、あやうく、やぶから出かけた蛇を追い払った。

 脱線を招くどころか、痛くもない腹を探られた上に、うやむやにされてしまうのはごめんなのだ。

「ンンン、学習するのは結構だが、面白みにかけるな」

「俺はあんたを喜ばせるためにいるんじゃねえ」

「そう言われると、かえって、もてあそんでやりたくなる」

「ハサン」

「ンッフフフ」

 ハサンは唇をすぼめ、ふっ、と、パイプに付着したカスを払った。

「かつて……そう、滅び去ってすでに三十年ほどになるが、この北部地方のさらに北端、北方アルデン聖王国という名の国が存在した。半島統一をかかげるグライセン帝国の猛攻に、五百日耐えたと言われる、『最後の騎士の国』。この迷宮を北へ行けば、その都、トーエンに出る」

「ああ……なるほどな。ここは、王族かなにかを逃がすための道だったってわけだ」

 天井が低いのは、敵騎兵を馬から降ろさせるため。柱が多いのは、大群の一斉侵攻を阻止するため。

 アルデンの戦上手は、その世代ではないアレサンドロさえも耳にしているところである。

「なぜ、この洞窟について口をつぐんでいたのかとおまえは言ったな。トーエンに通じている、それこそが答えだ。……よく考えろ。帝国はトーエンから、あるものを持ち出した。そして我々は、それをかすめ取った」

「聖石か……!」

 月の聖石は、そもそもトーエンのメーテル大神殿におさめられていたものだ。

 この洞窟を使うことによって、どれほど鈍い者であろうと、N・Sの一団とトーエン、さらにはメーテル神殿を結びつけずにはいられないだろう。

 そうなれば……その先は想像に難くない。

「私は言ったはずだ、他へのリスクは、ある程度目をつぶるかと。突き詰めれば、いまだ帝国への反感根強い、旧アルデンの民を粛清する格好の機会を与えることにもなりかねん。……おまえたち、魔人の奴隷のようにな」

「……!」

 眉をひそめ、視線を泳がせたアレサンドロの手が、自身の入れ墨をつかんだのをユウは見た。

「ハサン、それこそどうして……」

「そのリスクの内容をふせていたか。ユーウー、話は最後まで聞くものだ」

「ッ……」

「私は、その場に応じた最も適切な判断をしている。今回の事例で言うならば、この洞窟を使うことによって生じるリスクが、積雪のある山道を通るリスクを下まわったということだ。つまり、外を行けば確実に死人が出たが、内を行けば、トーエンの民も含め死人を出さずにすむ可能性が残ると判断した」

「それは、この洞窟を通ったと悟られなければ……ということか」

 と、クジャク。

「そのとおりだ。聖石を奪った時点で、ある程度の疑いは持たれているだろうが、それだけでは大神殿をかかえる町を破壊する理由には弱い」

「だから、なにもかもふせて、既成事実を作っちまってから俺に話したってわけか。自分の、その適切な判断ってやつを突き通すために」

「そうだ。だが私は提案する前に、おまえの意見も聞いた。おまえは無理だと答えた」

「……ああ。くそ、そのとおりだな」

「私は確かにリスクをふせ、既成事実を作ったが、他に道はない。これが、おまえの望む結果を生む、最良にして唯一の手段だった」

「もういい、もうわかった」

 アレサンドロは、手にした扇大の瑠璃羽根を、力まかせに投げつけた。

 軽い羽根は踊るように、ハサンの頭へ乗った。

「あんたが正しい。明日からはこの中を進む、それでいいな」

「ンンン、それでこそリーダー君。柔軟だな」

「チッ」

 何度も何度も、ハサンの上に羽根が降った。

 ……と、そこへ、

「ハサン。俺はまだ聞きたいことがある」

「ほう、なにかな、クジャク君」

 羽根をつかんだアレサンドロの手が、止まった。

「おまえと、この洞窟との関係だ」

「フン……君にそれを話す必要が?」

「ない。ただの興味だ」

「フフン」

 ハサンは、吸い口をもとの位置へとはめなおし、パイプを置いた。

「君とセレン・ノーノは、どうもあつかいにくい。大粒のダイヤをキャビネットの上にさらしたまま、戸に鍵もかけずに外出する。盗人も魔術師も、さながら道化師がごとしだ」

「……なにが言いたい」

「ンッフフフ、悪い男だな、クジャク君」

 ようやくゼリーを味わえたらしい子どもたちの大歓声が、そのとき、わあっ、と、洞内に響き渡り、話を一時中断させた。

 キャンディ・バー同様、様々な味のバリエーションを持つ粒ゼリーは、露店で売られる最もポピュラーな駄菓子のひとつだが、その安さからは想像もつかないほどの笑顔に、ハサンでさえも思わず笑顔となる。

 そのハサンが、ふとユウを見た。

「……おまえに、菓子を買ってやったことなどなかったな」

「え……?」

「駄々ひとつこねたこともない。手のかからん子だった」

「そうだった、かな……」

 確かに、そうであったかもしれない。

 拾ってくれたこの人に、迷惑をかけてはいけない。その想いは常にあった。

 だからこそ、自分の金ではじめて菓子を買ったとき、やはり泣きたくなるほど美味かったことを覚えている。

「いまのほうがよっぽど手がかかる」

「悪かったな」

 今度は、ユウが羽根を投げつけた。

「いいから、話の続きをしろ。こんなところがあるなんて、いままで一回も言ってなかったじゃないか」

「おまえの知らん隠れ家など、帝国中に掃いて捨てるほどある。ここはその中でも、特に重要な場所だった」

「てえと、どういうことだ? ハサン」

 ハサンは、なかばうんざりとした様子でため息をついた。

「ここは私が駆け出しのころ……そう、当時の相棒とともに二年ほど住んだ、少々思い出深い場所だ。それからのちも共有の隠れ家という認識でやってきたものを、私の一存で何者かに引き継げるわけがあるまい」

「相棒?」

「アーレサンドロー、おまえが聞いてわかるのか」

「俺ならわかるか?」

「ああ、ユウ、おまえもよく知っている男だ。だがもう、私はこの話に飽きた。あとは勝手に推測するがいい」

 そう言い捨て、そそくさと羽根にもぐりこんでしまったハサンは、よほど話したくないところまでつつかれそうになったらしい。

 アレサンドロは、いい気味だ、とばかりに拳を振り上げ、大いに喜んでみせた。

 ユウは、相棒とは誰だろうということに思いをめぐらせ、クジャクは、どこまでが『嘘』かを考えた。

 そしてモチだけが、薪の小山の上で、ひとつ大きなあくびをした。


 そこから先の道のりも、ハサンを先頭にして進められた。

 洞窟の中は大小様々な広場と、その壁に開いた幾本もの通路からなっており、通路を抜ければ似たような広場、そこからまた一本を選び……というように、道を知らないものが入ろうものなら行き着く先は死のみであることがすぐに察せられる造りである。

 幸い足もとは平坦で、年寄り子どもでも難なく進むことができたが、人数分にはほど遠い光石灯とハサンのつけた目印、そしてなにより前を歩む人間とつないだ手を頼りに行く道のりは、外のほうがましだったと思えるほど人々の心を憂鬱にした。

 まさにいま、アレサンドロの言う墓場の空気が、明確な負の形を持って人々のうしろ髪をなではじめたのである。

 ……しかし。

 だからこそ人々は、休息のたびに童謡を歌い、明るい言葉しか口にしなかった。

 その前向きであろうとする姿に、助ける側であるはずのユウたちも、随分と救われた。

 そうして、昼も夜もない暗闇を、三日も歩き続けただろうか。

 突如行進の足が止まり、最後尾にいたユウとクジャクは、ハサンに呼び寄せられた。

「どうした?」

 先頭の集団は、とても四百人は入れないだろう小さな広場に踏みこんでいる。

 ハサンとアレサンドロ、モチは、通路のひとつを前にしてしゃがみこみ、地図を広げて待っていた。

「着いたぜ。ここが、ヘスの裂け谷の谷底だ」

 アレサンドロが光石灯で照らし出してみせた床には、確かに薄く、先日見たのと同じレールが走っている。おそらくこの通路の奥にも、行き止まりに見せかけた隠し扉が眠っているに違いない。

「テリーがヘマをしてなきゃあ、セレンたちもこの近くまで来てるはずだ。とりあえず無線で連絡して、この近くまで呼ぶ。そこでだ、ユウ」

「ああ?」

「ここじゃ無線は使えねえ。俺と外に出てくれ。ハサンとクジャク、モチはここに残る。あっちの場所によっちゃあ、ここでもう一泊だ」

 五人はうなずき合った。


 さて、ここヘスの裂け谷南端は、それほど深い絶壁の底、というわけでもない。

 垂直にそそり立った崖が見る者を圧倒するのは北端から中央部にかけてで、このあたりは、なだらかな斜面が続く。

 凍りついた岩戸を協力して引き開けたふたりが、吹きつける寒風に身をすくめつつ顔を出すと、出口付近こそ巨石によって守られていたが、そこはやはり、驚くほどの雪に覆われた世界だった。

「やれやれ、なえるぜ」

「ハハ、無線機を取ってくる」

「ああ」

 引き返していくユウの背を見送り、アレサンドロは、少し周囲を見ておこうかと一歩踏み出した。

「うん?」

 思ったよりも、足が沈まない。

 ひざが雪の上に出る。

「下は凍ってんのか。こりゃいいぜ」

 アレサンドロは思いがけない幸運に気をよくし、そのまま谷の中央へと進んでいった。

「アレサンドロ?」

「おう、こっちだ。この辺のが電波もいいだろうぜ」

「ああ」

「これならガキでも歩ける。あと、は……?」

「アレサンドロ? ……アレサンドロ!」

 ユウの目の先で、音もなくアレサンドロが倒れ伏す。

 その周囲に広がった、鮮烈な赤。

 ユウは無線機を放り出し、雪原へと飛び出した。

「アレサンドロォッ!」

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