第107話 白野の戦い
タイムリミットは三十分。
こう聞くと余裕がありそうだが、ラムゼーは当然ながら、確かな腕を持っていた。
よくある貴族が教養で身につける型どおりの剣ではなく、実戦で鍛えられた剣だ。一刀一刀が重く、あしらう腕にも衝撃が響く。
幾度かの力まかせの打ち合いののち、左目へ突きこまれかけた切っ先をかわしたアレサンドロは、負けじと地をするように剣を振るったが、ラムゼーもまた思った以上に俊敏な動きでこれを払った。
海から吹きつける北風に、呼気を浴びた髪は凍りついていた。
「フゥン……少しは使えるが、おまえはどうも、田舎医者がお似合いのようだな」
ラムゼーは、あごに入った薄い刀痕をなで、その指先をこすり合わせた。
「どうも、俺を殺そうって気が足りない」
「……そうかよ」
「いいのか? おまえが戻らなけりゃあ、あの船は沈むぞ」
「なに……」
「このあたりの海には、最近、妙なものがうろうろしていてな。知らずにぶつかれば、アウトだ。いまごろはここのことも……っと、おいおい待て。あのガキを置いていくか? んん?」
アレサンドロは、つい動きかけた足を、舌打ちとともに戻した。
「……その、妙なものってのは」
「さあ。見たやつの話じゃあ……バケモノだ」
ぱっと、懐へ飛びこんだラムゼーの刃が、アレサンドロの左の肩口を斬り割った。
「く……」
とっさに身を引いた傷口はそう深くないが、白雪の野に鮮血が飛ぶ。
数歩下がったアレサンドロは、不敵とも見える大様さで近づくラムゼーの脳天へ剣を振り下ろしたが、柄を握った腕を取られ、逆に、足払いに投げ飛ばされてしまった。
こいつ……!
カラスに剣の手ほどきを受け、戦後すぐは無頼の徒との喧嘩に明け暮れていた時期もあるアレサンドロであっても、こうした戦いかたをする男ははじめてだ。剣術と体術を同時に使う。
しかし、続けざまに手首をひねろうとした手をさらにつかみ返し、体重を乗せて体を入れかえたアレサンドロの目は、その驚きとは裏腹に、ぎらりと光ったに違いない。
ラムゼーの身体を両足で固定し、腹に密着させた右のひじ関節を逆方向へ締め上げると、
「づあぁい!」
ラムゼーの口からは、なんとも言えぬ悲鳴が上がった。
じん帯が、関節が、どちらの向きへ、どれほど曲がるか。わずかな力で人体をあやつるには、どのようにすればいいか。アレサンドロに医術を教えた魔人ジャッカルは、実験台ではないがアレサンドロの身体を使い、よく調べていた。
それは治療だけでなく、横たわった病人の向きを変えることなどにも応用されたものだが、結果、かなりの痛い思いと引きかえに、アレサンドロにもその知識は宿った。
この戦法は自分のほうが使いこなせる。その自負が、アレサンドロの目を輝かせたのだ。
「チ……こ、の……!」
ラムゼーはもがいたが、腕の力のみではずすには筋力が足りない。剣もすでに取り落としている。
「生意気な、野郎だ……!」
と、にやり、うめくと、今度は足で反動をつけ、腕を軸に後転した。
ここは経験不足か。剣を持ったままのアレサンドロだっただけに、手首の決めが甘かったのだろう。仰向けからうつぶせに体勢を変えられ、するりと腕の中から逃げられてしまう。
さらに間合いを離すか、と、アレサンドロは思ったが、とんでもない。ラムゼーは攻勢に転じた。
間髪入れず、アレサンドロの右足首へつかみかかり、
「ふん!」
足首とひざにそれぞれ手足をからめ、ねじ曲げようと力をこめた。
……まずい。
これが決まれば、ひざを砕かれる。
思うが早いかアレサンドロは、ひねりと同じ方向へ身体を回転させ、ラムゼーの尻を蹴って脱出した。
「う……!」
アレサンドロが反動で転げた先は、斜面であった。
わずかではあるがそれをすべり落ち、足もとに気を取られたアレサンドロが、頭上の気配に、はっと顔を上げる。
ラムゼーが目の前にいた。
ラムゼーの指が、ボキボキと鳴った。
まだ手にあった剣をそのすねへ振るったが、柄を蹴り上げられ、遠く彼方へ飛ばしてしまう。
十本の指が、アレサンドロの喉へ爪を立て、
「死ね」
言ったラムゼーの唇が、耳までつり上がった。
ちょうどそのころ。
くしくも、こちらも爆弾を目の前に目蓋を閉じる、ひとりの男がいた。
深々と椅子に腰かけ、ひじかけに置いた左腕は指でこめかみを支え。
まるで眠っているかのように見えながらも、
『大将』
と、呼びかけられると、うっすらと目を開けた。
ハサンである。
ここは、クジャクの言っていた、迎えに来たという船のブリッジだった。
ただしこの船、女海賊ソブリンの双胴艦、ブラック・クール・ハーマン号ではない。無論マンムートでもない。
聖鉄機兵団所有の、軍艦である。
なんとユウたちは、救出に先立ち、この船を乗組員ごと盗み出していたのだ。
ブリッジのいたるところに火薬を満載した樽爆弾を配しているのはそのためで、肩書きこそ鉄機兵団所属となっていても、海兵には騎士の出が少なく、したがって、命を天秤にかけられれば弱い。
「通信士君、回線を開いてくれ」
ハサンが、つまらなさげにつま先で樽をつつくと、通信士は何度も操作をあやまりながら、指示に従った。
「なんだ」
『旦那が、まだ来ないって』
甲板に立つテリーのシューティング・スターは、解放と再会の喜びにわく囚人たちにかこまれ身動きもままならない様子だ。この大人数を乗せるため、この船の乗組員は必要最低限を除いて、ここで降ろす手はずになっている。
「残っているのはやつだけか」
『あと、子どもがひとり』
「他は乗ったな」
『うん、まあ、そうみたい』
「ならば結構。予定どおり出港する。外の連中にもそう伝えろ」
モニターに映るテリーは、一瞬なにか言いかけたが、
『……大丈夫かなぁ』
通信を切った。
……ぽたり、ぽたりと。
雪に血が落ちる。
もとをたどると、それは冷たい刃を伝っており、さらにその刃は、腹の中へと続く。
不思議そうに首をかしげたラムゼーは、前かがみの姿勢からやおら立ち上がり、自身の腹へ突き立った剣へ手をかけた。
誰が刺した。
アレサンドロだ。
どこから出した。
それが自身の取り落とした剣だということに、ラムゼーはなかなか思い至らなかった。
格闘のうちに雪に埋もれたそれが、まさか、アレサンドロの手もとへすべり落ちていったなど……。
ずるずると、背まで貫通した刃が引き抜かれると、ひと呼吸置いて、パッと血がしぶき、
「くそ」
ラムゼーは仰ぐように両手を広げて、そのまま、雪の中へと倒れた。
「……はっ……はっ……」
喉を押さえたアレサンドロは、そのさまを見届け、ようやく立ち上がった。
一応の終止符が打たれ、ほとんど精も根もつきはてたと言っていい状況だが、こうしてはいられない。これで終わりではないのだ。
大の字で横たわるラムゼーのかたわらへ近づき、崩れるも同然に座りこんだアレサンドロは、その左胸のポケットをあさった。
と……。
「うん?」
なにか硬い物にふれた。
騎士と思われるラムゼーだが、その身には胴鎧さえ帯びていない。
だが、仕立てのいい上着の合わせの下、胸筋のあたりに、金属質の円盤のようなものがある。
嫌な予感を覚えたアレサンドロは、すぐさまラムゼーの衣服を引きはがし、
「う……!」
息を呑んだ。
背にかけまわした皮ベルトで固定されたそれは確かに金属の円盤だったが、その中央で、なんとデジタル表示のカウントダウンがなされていたのである。
「まさか……」
「ああ爆弾だよ」
「!」
驚愕したアレサンドロの手首が、骨ばった細い指につかまった。
「ラムゼー……ッ!」
口からおびただしい血を吐きながら、にぃっと笑ったラムゼーの力は、瀕死の重症を負ったとは思えないほどに強い。
と思うと、突如手を離され、勢いあまってのけぞり倒れたところを、今度はのしかかるように、胸もとへ抱きつかれた。
「く、そっ!」
きつく肋骨を締め上げる腕へ、腕を差しこもうとして差しこめず、頭部への打撃も、距離が近すぎるためか決定打とならない。
「ク、クク、アレサンドロぉ。つれないことをするな」
ぎょろりと、上目づかいにこちらを見やったラムゼーの眼光に、アレサンドロはぞっとした。
「それぐらいならいっそ、こいつごと心臓を突き刺してくれりゃあよかった。そうすりゃなにも考えず、一発で行けたのになぁ」
「くッ……!」
「さあ、もう時間だ。一緒に行こうぜ、アレサンドロ! きっと楽しいパーティになる!」
「うる、せえッ!」
と、そのときだ。
身をよじるように密着してくる動きに合わせ、ラムゼーの胸もとから、なにかきらりと輝くものが顔をのぞかせた。
あれだ。アレサンドロは瞬間的に察知した。
あの少年の、フォークだ。
アレサンドロは、ためらうことなく隙間に手を差し入れると、五センチほど頭を出したそれを引き抜き、ラムゼーの右肩へ突き刺した。
「ぎゃあ!」
耳をつんざく叫びを発し、ラムゼーの手がゆるむ。
すぐにその身体を突き放したアレサンドロは、まわりこんだ背後から襟首とベルトをつかみ、
「パーティには、ひとりで行きやがれ!」
助走をつけて、崖下へ投げ飛ばした。
「あああっぁぁぁぁ!」
ラムゼーが空をかきむしる。
「ア、レ、サンドロォォォッ!」
と、巨大な火柱は、灯台を越える高さまで噴き上がった。
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