第83話 あの話

「明日の昼にはトラマルに着く。ユウはそれまでだ」

「ああ」

「ゆっくり頭を冷やしな」

 そう言い残すと、アレサンドロはマンムート最下層にもうけられた独居房へ施錠し、皆のもとへ戻っていった。

 他にもいくつか独房がある中で、ユウとテリーをあえて同じ部屋に入れたのは、コミュニケーションを取り、少しでも仲よくなれ、ということだろう。それくらいのことはユウでもわかる。

 しかし、それが上手くいくかどうかは、また別の話だ。

 ベッドがひとつ。それだけの房に残されたふたりは、その端と端とに腰を下ろして……、

「……」

「……」

 案の定、静かであった。

 ただ、テリーの目だけは、せわしなくこちらをうかがっており、ユウが立ち上がろうとすると、

「ま、待った!」

 奇妙な声を出して、あとずさった。

「なんだ」

「いや……な、殴られるかと……」

「おびえすぎだ」

 一度牙を折られると、こうなるものなのか。

 なんとも複雑な感情をいだきつつ、ユウはかがみこんだ。

 ひとつ息を整え、指先で床に大きく円を引き、その中に祭紋を描く。

 祭紋とは、神官のみに描くことを許されたある種の結界のようなもので、その内部は神前と同様とされている。

 インクでも、聖砂でもない。ただ指で見えない線を引いただけの祭紋だが、ユウは満足し、その中心に正座した。

 長い、懺悔の祈りを終えて振り向くと、テリーも指を組み、口の中で祈りをとなえていた。

「フーン神か」

「え! な、なに?」

「……いや、なんでもない。邪魔して悪かった」

 と、そんな調子で、時間だけが流れた。

 そして、一夜明け。

「ホント、ひっどい!」

 朝食を運んできたララは、頬をふくらませていた。

「アレサンドロは、放っとけ、しか言わないし。モチは寝てるし。こいつはともかく、なんでユウがこんなとこ入らないといけないわけ? ……あ、それ、あたしが作ったの。美味しい?」

「……ああ、美味い」

 もう少し、塩気が少なければ。

 ユウは喉まで出かかった言葉とともに、塩辛いスープをかきこんだ。

 その他、プラスチックのトレーに乗っているのは、分厚く切ったベーコンと卵、サラダに雑穀パンという、定番メニュー。

 ふたりはそれを床に座って食べた。ながめているララも床だ。

「ユウのために作ったんだからね」

 と、言うララに、テリーが、

「俺のは?」

 と聞くと、

「あんたはハサン。なんか入れてたよ」

「なんかってなに? ねぇ、なに!」

 まだ、ツイてる。ユウはヒリヒリと焼けた舌で思った。

「ね、そんなことよりさ、あたし、テリーに聞きたいことあるんだけど」

「俺に? ……なんでここに入ったか、なんて、わかるでしょ」

「そうじゃなくって、ほら、あの話ってやつ。セレンにしてたじゃない」

 ああ、と、テリーは、パンを口に放った。

「別に、誰かに話すようなことじゃないよ」

「だから知りたぁい。ね、ユウ。ユウも気になるよね」

「……そうだな」

「か、彼氏さんを味方につけるのやめてよ。俺、いま、彼氏さん、すごい怖いんだから」

「ふぅん」

 と、ララが、ユウの太腿をつついてきた。

 なんだと目を合わせると、返ってきたのは、ララのウインク。

 ユウは仕方なしに頭をかいた。興味があるのは自分も同じである。

「テリー」

「……い、嫌だよ」

「……」

「ダメだよ、そんな目しても」

「そうか」

「あ、いや、ごめんなさい。わかった。話す、話すよ」

 テリーはすっかり、頭が上がらない。


「ララちゃんが入る前に辞めちゃったけど、俺が鉄機兵団だったってのは、まぁ皆さん、ご承知のとおり」

 時にすると三年前。

 先代皇帝が亡くなる、少し前になる。

「当時の俺は、その、少し言いにくいんだけど……紋章官でね」

「紋章官……!」

「うっそ! じゃあ、ケンベル将軍の?」

「はぁ、まぁ、ご縁があってね」

 テリーは、気恥ずかしげに鼻の頭をかいた。

 かつて、聖鉄機兵団の前身である帝国聖騎士団に入団するためには、それなりの戦功と家柄が必要だった。

 だが、L・Jでの戦闘が主流となった現在、そうした因習にとらわれず、国中の若者から有望な人材を受け入れる形へと、それも変化してきている。

 西部の片田舎で育ったテリーが鉄機兵団へ入団したのも、そうした『入団テスト』がきっかけで、はじめて帝都へ上がったのは十六の歳。そのときにはすでに、将軍オットー・ケンベルによって、才能を見出されていた。

 それから五年。

 紋章官へ抜擢された、その一ヶ月後に、テリーは退役願を出した。

「なんで、もったいない!」

 ララが叫ぶのももっともだ。

 ユウもそう思う。

「それが、なんていうかな。野心に負けたっていうか……」

「野心?」

「そ、身の程知らずな、野心」

 自嘲気味に笑いながら、テリーは続けた。

「ララちゃんならわかると思うけど、紋章官ってのは、大きく分けて、ふたパターンあってね」

 ひとつは、気心の知れた知恵者を、補佐官としてそばに置く、というもの。

 選ばれかたは様々だが、直属の部下や小姓・執事など、それまで長年将軍に仕えてきた者が、鉄機兵団内での経歴に関わらず任命されることが多い。

 忠誠心が高く、サリエリ、バレンタイン、ササ・メスなどは、すべてこれだ。

 だが、長年連れそった紋章官に先立たれてしまった場合や、これと見込んだ若者が現れた場合。別の選択肢をもって、紋章官が決まることがある。

 次期将軍の育成である。

「俺、頭も悪いし、こりゃ出世は無理だなぁって思ってたから、そう聞かされたときは、もちろんうれしかったよ。将軍のことも、ホント好きだったしね」

「うんうん」

「でもね」

 と、少しだけ、テリーは語気を強くして、

「俺、思ったわけよ。このまま持ち上がりで将軍になって、それで満足かって」

 そして、首を横に振る。

「満足なんかできなかった。俺は、力で、一番になりたかった」

 目を閉じ、話に聞き入っていたハサンが、そこで、フ、と、口もとをほころばせた。

 監視カメラの映像と音声が流れるブリッジには、他にも、メンバー全員がそろっている。

 無論それに気づくはずもないテリーは、大きく伸びをして、重くなりかけた調子をあらためた。

「まぁそういうわけで、そう思ったら、紋章官もつまらなくなっちゃってね、気づいたら辞めてた。……で、次の目標ができた」

「へぇ?」

「将軍の『メラク』を倒して、俺が一番になる。……って、目標」

「わ、でかぁい」

 ララは手を打って喜んだ。

「でしょ? それで、あの話ってやつだ」

「あ、それそれ、それ本題!」

「俺はセレンさんに、メラクをもう一機作ってくださいってお願いしたの。メラクを倒すためには、メラクが必要だからね」

「……そう?」

「そうだよ。これもう、みんな誤解してるけどさ。俺ひとりのスキルであの人を倒そうと思ったら、他のL・Jじゃダメなの。気合で射程は伸びないし、運で精度は上がらない。でしょ?」

「ふぅん」

「そしたらまぁ、十五億でどう? とか言われて……」

「高ッ!」

「でしょ? 高いよねぇ。でも仕方ないわけよ、製作者さんがそう言うんだから……」

 テリーは、がっくり肩を落とした。

「それから三年で千五百万まで貯めたけど……ああ、もうこうなったら、おしまいだ。俺の手配書を見たら、きっと、あの人が出てくる!」

 真面目は真面目なのだろうが、緊迫感という点で言えば、昨夜のことが夢であったかのような、なさである。

 ララの手前おちゃらけているのか、それともこれが、この男なりの観念の形なのか。ユウは首をかしげずにはいられなかった。

「ね、だったらさ」

 と、クスクス笑ったララは、テリーの顔をのぞきこみ、

「やっぱり、仲間になっちゃいなよ」

「え?」

「将軍が出てくるんなら好都合じゃない。あたしも手伝うからさ。それにほら、セレンの雑用とかやったら安くなるかもだし」

「いやぁ……でも、こういうのは、ひとりで勝つから格好いいんじゃない。一対一の、男の決闘でさ」

「そうかなぁ」

「そう。ああ、でも、ここで牢屋に入ってたら意味ないか……」

 そう言ったテリーは、ますます、しおれてしまったのだった。


 昼近くなり、マンムートはトラマル近郊へ到着。山間の斜面を突き破り、輝く外界へ顔を出した。

 さすが北国。一面の銀世界である。

 ここからユウは、最も近いドーザの町へ入り、ジョーブレイカーと落ち合うことになっている。

「アレサンドロ」

 独房を出たユウは、再び鍵を閉めかけるアレサンドロの手首を取った。

「あいつも連れていきたい」

「テリーをか?」

「俺は、使えると思う」

 少なくとも、戦力としては認めてもいいと思った。

 すると、

「……みてえだな。聞いてたぜ」

「え……?」

 ユウも、アレサンドロが会話を盗み聞いていたなどとは思いもしない。

 アレサンドロは喉の奥で笑い、

「おまえが殺した男だ。好きにするさ」

 と、ユウの肩を叩いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る