第71話 頭痛のたね
明かりの消えた中央ホール。その観葉植物のかげで、なにかが動いている。
急な出発にともなって狩りを中断させられたモチが、止まり木の上で、与えられた牛の生肉をつついているのだ。
と……。
一心不乱に肉をついばんでいたくちばしがぴたりと止まり、モチが野生の目つきで通路のひとつをにらみつけた。
「……アレサンドロ」
「ハ、さすが、たいしたもんだな。この状態で見えんのか」
アレサンドロはどこかおぼつかない足取りでやってくると、わきのベンチに腰を下ろした。
その手には、どこからくすねてきたのか、ウイスキーの瓶が握られている。
「ああ、気にしねえで、食ってくれ」
「フム……では、そうさせてもらいます」
モチは再び、肉との格闘をはじめた。
薄ぼんやりとした非常灯の下、それからしばらくは、肉を裂く音、酒を飲みくだす音が、回転するキャタピラの轟音にまぎれて聞こえるだけだった。
「いろいろと取りまぎれちまって、いままで考えもしなかったがよ」
「ホ?」
「考えてみりゃあ、あのときからおかしかったんだ」
「あのとき……?」
「アシビエム。なんでバイパーは、俺たちがアシビエムを通ることを知ってた? なんで、あの山奥にいることがわかった?」
「……ホウ」
そういうことか、と、モチは、くちばしにこびりついた肉脂を腹羽でぬぐう。
「偶然とは、言えねえだろ。つけてやがるのか……、それとも……」
「内通者、ですか」
アレサンドロは激しく舌打ちして、酒をあおった。
「疑いたくはねえが、あいつは……なにか知ってやがるふうだった。バイパーのことも、さっきの女のことも」
「ですが、狡猾なあの男としては、少々、手口がお粗末では?」
「……」
「もし仮に、あの男がそうならば、おそらく我々の誰からも、毛すじほどの疑いも持たれないようしてのけるでしょう」
「だから、その裏をかいてるのかもしれねえ」
「フム、あえてそう思わせることで、追及を逃れようと考えている。確かに否定はできませんが……」
「が……なんだ?」
「あれは、目的のない行動はとらない男です。そして、その達成のために人の手を借りる男ではない」
「俺たちを殺すつもりなら、自分の手をよごす……」
「私は、そう見ました」
アレサンドロの口から、太い、ため息がもれた。
「だったら……どうしてこう、タイミングよく俺たちを襲える?」
「さ、憶測の域を出ませんが……監視されていることは確かでしょう。なんにせよ、これより先は監視も内通者も無意味です。この乱暴な乗り物は、嫌でも目立ちます」
「考えるだけ無駄、ってか」
「そうは言いません。ただ、結論を急ぐことはないのです。真実はいずれ明らかになる。いまは内ではなく、外を見ましょう」
「……ハ」
行くべき方向が見つからない。ユウにそう打ち明けたのは、つい数時間前のことである。
「耳が痛えな……」
アレサンドロは、味気ない金属の白天井へつぶやいた。
「頭も……痛え」
「ですから、アレサンドロ」
「ああ……?」
「仲間内の監視は、私が引き受けました」
「モチ……! そいつは……」
驚いた目の先で、ベンチの背もたれへと飛び移ったモチが、かぶりを振る。
「あなたの背中はふたりで守ろうと、ユウと誓い合いました。これも仕事のうちです」
「よごれ役だぜ……?」
「なに、トイレ掃除のようなものでしょう」
「……ハ」
アレサンドロは笑った。
「便所掃除か……」
伸ばした指先で喉をくすぐると、モチは、うっとり目を閉じた。
「……その気持ちだけ、もらっとくぜ」
「ホウ」
「そんなことは、させられねえ」
「……なるほど」
「うん?」
「あなたは、ハサンをも信じたいわけですか」
アレサンドロは、酒瓶を持ち上げかけた手を止め、
「……そりゃあ、な」
苦笑をにじませた。
本当に、疑いはじめたらきりがないのだ。
それを言えば、この戦車も、セレンたちも、ジョーブレイカーもあやしい。なにもかもが信用ならない。
信用ならないが、やはり、信じてやりたい。
それから、二日後。
とにかくも北へ向かうユウたちのもとへ、予定どおり、先発のジョーブレイカーから無線連絡が入った。
『輸送は、ホーキンス軍が担当する』
その報告に、ララとメイは顔を見合わせ、がっくり肩を落とす。
「うわぁ……いきなり面倒くささ、上がったかも」
「このマンムートじゃ、正直……大変そうですね」
「ホーキンス軍てのは、そんなにヤバイのか」
アレサンドロが身を乗り出すと、無線の向こう、ジョーブレイカーが、
『問題は移送手段だ』
と、答えた。
「まわりくどい言いかたはなしだぜ」
「戦艦だよ」
「戦、艦……!」
そう、と、ブリーフィングルームの長机に、指で拍子を打っていたセレンが話を継いだ。
「高機動飛行戦艦『オルカーン』。ホーキンス軍にはそれがある」
帝国所有の飛行戦艦は三隻。使用される頻度も少なく、離着陸にはそれなりの施設を必要とするため、帝都民はともかくとしても、他の領民がお目にかかることは滅多にない。
だが、それが鉄機兵団と並んで、帝国騎士団の象徴的存在であることは、もちろん、ユウも知っていた。
確かに、安全かつ迅速な空輸は、聖石の輸送手段として最適。ユウたちにとっては最悪と言わざるを得ない。
「バイパー、美しい暗殺者ときて、お次は戦艦か。ンンン、面白くなってきた」
「おい、笑いごとじゃねえぜ。飛んでるもんをどうやって襲う? ユウとモチにまかせんのか?」
すると、
「あ! ほ、補給です! 補給ですよ!」
メイが、突然立ち上がった。
「……あ、す、すみません、でしゃばりました……」
「いいよ。説明して」
「は、はい! セレン様!」
セレンを神と呼んで、はばからないメイは、鼻息を荒くした。
「ええと、空中戦艦の浮遊システムは、光炉で動いています。でも前進するためには、推進剤が必要なんです。移動速度にもよりますけど、トーエンから帝都までなら……」
と、指を折り、
「最低でも一回は、補給が必要なはずです!」
「ジョー。その補給場所はつかめてるのか?」
ユウが問うと、
『……トラマルだ』
場に、ため息が広がった。
いまでこそ鉄機兵団の軍事基地だが、トラマル城塞はかつての魔人砦だ。
山岳地帯にあり、容易に近づけないところから、地元の人間は難攻不落を言い表す際に、トラマル、などと言ったりする。
「もうひたすら、おまえらに楽させるかって感じ」
ララが、ぶつくさと言った。
「だが、やるしかねえ。そこしか攻め手はねえんだ。……ジョー、戦艦のトラマル到着は?」
『一週間後。補給に二日だ』
「間に合うか?」
「問題なし」
セレンが片眉を上げる。
「確か、トラマルの近くに、でかい町があったな。ジョー、そこで合流だ。砦の見取り図が手に入るようなら、それも頼む」
『承知した』
通信は、そこで切れた。
「さ、て……」
アレサンドロは向きなおり、
「こんなもんでいいか?」
「ん、すまない。全部まかせて」
ユウは頭をかいた。
本来、指揮を取るべきは誰か。
わかっているのだが、こうしたことは、どうも不慣れだ。
なさけなくも、アレサンドロがここまで段取りをつけてくれたのは、ありがたかった。
「あとは、どうやって盗むか、どこに隠すか、だな」
「ああ」
だが、それについてもまだ、これといった、いい手を思いついていない。
「盗む方法は、トラマルの下調べをしないと……なんとも言えない」
まずは城塞へ忍びこめなければ、話にならないのだ。
さらにその上、直径五メートルの巨石を運ぶ手段。逃げる段取り。アレサンドロの言うとおり、盗んだ聖石の隠し場所。
頭を悩ませるべきことは、山ほどある。
大先輩ハサンへ目をやるも、
「フフン」
小馬鹿にした笑みを返されるのみだ。
「まあ、これから、ひとつひとつ詰めていこうぜ。全員で考えりゃあ、なんとかなるさ」
そのときだった。
ピピピ、と、セレンの手もとで、電子音が鳴ったのだ。
「セレン様……!」
「うん」
顔色を変えたメイが、部屋を走り出ていく。
「なんだ?」
「鉄機兵団だよ」
「なに?」
動揺したアレサンドロの指がかすり、コーヒーカップが倒れた。
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