第41話 裏通りの大物

 こうしてユウたちはどうにか危機を乗り越えたわけだが、飛行機能をかろうじて残した満身創痍のサンセットを、セレン・ノーノの待つキンバリー研究所へ送り返したララは、次に、風呂へ入りたがった。よごれによごれた牢での三日間は、野宿以上に許せないものがあったらしい。

 とにかくしつこく騒ぐので、わかったわかったとアレサンドロが連れてきたのが、このウィンザー第二の都市、ペルンである。

 もちろん宿は裏通りにある静かなものを選んだが、ジラルド・ラッツィンガーの一件以来、アレサンドロにはこうした、来るなら来い、という、ある意味開きなおったところがある。

 部屋は、ララと男ふたり、二部屋取った。


「ねえユウ! ご飯食べに行こ! ご飯! ……あれ?」

 湯上がりのさっぱりとした表情で、ノックもせずにドアを開けたララは首をかしげた。

 ベッドの上には裸足で寝転んだアレサンドロ。窓枠には、モチが座っている。

 だが、

「ユウは?」

 肝心のユウが見当たらない。

「あいつなら、これだろ」

 ララに背をむけたまま、アレサンドロが小指を立てた。

「うっそ!」

「嘘なもんかよ」

 アレサンドロは、ごろり、寝返りを打ち、

「まあ、女と言っても……って、ありゃ?」

 開け放たれたままのドアに、もう、ララの姿はない。

 やれやれ、と、アレサンドロは再び、窓側へ寝返りした。

「悪い冗談です、アレサンドロ」

 モチが、しかるように言った。

「別に、あながち冗談でもねえだろうぜ」

「ホウ?」

「女は女でも、メイサって土女神様さ」

「……なるほど」

「なにを祈りにいったかは知らねえが、いろいろあるんだろ、あいつなりに、思うことがよ」

 アレサンドロは長く伸びた自身の髪をつまみ、その毛先をねじりまわした。長い野宿旅で、ひどく痛んでいる。

「……あいつには、人殺しまで、させちまったしな」

「それを気に病んでいると? 私には、そうは思えません」

「だといいがな」

 アレサンドロは、ひょいと起き上がり、靴を履いた。

 財布の中身を確認し、

「ちょいと飲んでくる。おまえは?」

「ではネズミでも探しにいきましょう。……ム」

「どうした?」

「いえ、ララが、あの道へ」

 モチが翼で示したのは、誰が見てもわかる、まさに色街へ通じる路地である。その入り口ではすでに、厚化粧の女たちが盛んに男のそでを引いている。

「やれやれ。まだ、こりねえか」

 アレサンドロは頭をかいた。

「モチ、まかせた」

「ホ?」

「ネズミを追っかけながら遠巻きに見てりゃいい。なにかやらかしそうなら止めてやれ」

「しかし……」

「いや、まあ、頼む」

 具合悪そうに手を振ったアレサンドロは、そのまま、そそくさと部屋を出ていってしまった。

「……ま、いいでしょう」

 ひとり残されたモチは、つぶやいた。

「えてして大物は、ああした道にひそむものです」


 一方。

 通りに足を踏み入れたララは、思わず、鼻をつまんでいた。

 酒か、香水か、あるいはあやしげな薬をたいているのかもしれない。胸がむかつくほどのにおいが充満している。

 まだ宵の口だというのに、不必要にバストを強調した女たちと、それを値踏みする男たちで、通りには、かなりの人通りがあった。

「……よし」

 意を決し、胸のブローチを握りしめたララは、両側の娼館に目を走らせながら、おそるおそる歩きはじめた。

 しかし……。

「うぅ……」

 行けども行けども、ユウは見つからない。

 娼婦たちが、いぶかしげにこちらを見ている。

 すれ違う男たちが皆、目を細めて自分の身体を見ている。

 におい以外にも見え隠れする色街のリアルな雰囲気に、ララはいまにも、泣き出しそうになった。

 ……と、不意に。

 肩を、何者かにつかまれた。

「な、なによ……」

 振り返ると、いかにも人足らしい、不潔な三人組である。

 酒のにおいを、ぷん、とさせたその視線は、よだれをたれ流さんばかりに、ララの足肌を凝視している。

 いつもならば、ここで足のひとつでも踏みつけるところだが、この街の空気に完全に呑まれていたララは、ただおびえ、あとずさることしかできなかった。

 パッと伸びた腕が、ララの手首を握り、

「いやっ!」

 そのときだった。

「ぎゃ!」

 ララの背後から突き出された棒に鼻柱を打たれ、人足が仲間を巻きこみ盛大に倒れたのである。

「無粋なことだ」

 立っていたのは、この場に似つかわしくない、襟つきの夜会風マントを羽織った身なりのいい男である。

 歳はわかりにくいが、若くはない。一部の隙もなく固められた黒髪には、生えぎわから幾ばくか、白いすじが入っている。

 上品な口ひげも、丁寧に、手入れがされていた。

「ここをどこだと思っている。女が欲しければ、そら、あの店ででも買え」

 男は左手に持ったステッキで、近くの娼館をさした。

 もとより、それほどの考えもなく手を出していた人足たちは、怪我をしてはたまらないとばかりに逃げていった。

「あの……ありがとう」

 ララは、ほっと息をついた。

「なに、下心あってのことだ、お嬢さん」

「え?」

 にやり笑った男が、さりげなく、ララを抱き寄せる。

 顔をうずめた胸もとにただよう甘い香水の香りを、ララは不思議と、拒絶する気にならなかった。

「礼がわりに一杯。君を誘い出す理由としては十分だろう?」

 男は自ら、ハサンと名乗った。


 ところ変わって。

 面倒事から逃げたアレサンドロが、大衆酒場の片隅にいる。

 カウンター席、テーブル席、二階席、どれも人で埋まり、吹き抜けのホールはその喧騒で、ドラを打ち鳴らしたようになっている。

 アレサンドロの前には、ブレンドウイスキーとグラス。

 ウィンザーならワイン、と言われそうだが、アレサンドロにとってはジュースのようなものだ。

 安物ではあったがひさしぶりの酒を、アレサンドロはじっくり、味わいながら喉に通していた。

「や、旦那、ひさしぶり」

 突然、山と盛られたフライドポテトとソーセージが、テーブルの上にドンと乗った。

 顔を上げれば見知った男。

「テリー・ロックウッド……?」

「お、うれしいね。覚えててくれた」

「そりゃあな」

 ニコニコと、相変わらずの緊張感のない顔だ。

「ひとり? 彼氏さんは?」

「酒は、からきしでな」

「そりゃさびしいね」

 テリーは断りもなく、アレサンドロの隣に腰かけて、太いソーセージを頬張りはじめた。

 そのかたわらに、あのライフルをおさめた金属ケースを認めて、もう来たか、と、アレサンドロが思う間もなく、ポテトを口に詰めながら、テリーが言った。

「聞いてるよ。ここのバカ息子のこと」

 無論、ジラルド・ラッツィンガーのことである。

「俺たちの値段も、跳ね上がっただろうな」

「いやぁ、ダメダメ。今回のことに関しちゃ、おたくら、おとがめなしだ」

「なに?」

「ラッツィンガー将軍の、鶴のひと声でね」

 テリーの白い歯がソーセージの皮を噛み切り、汁が飛んだ。

 なんでもテリーが言うには、ジークベルト・ラッツィンガー将軍は、普段の息子のおこないがどのようなものであったか、まったく知らなかったらしい。

 それが今回の件で明るみに出ることとなり、非公式ではあるが、領民へ謝罪した。

 ジラルドの死は、病死、という形で、帝都へ報告されたということだ。

「将軍の息子が殺されたとありゃ、当然、鉄機兵団本軍が動かざるを得ない、でしょ? バカ息子のために、それはおそれ多いってんで、まあ、そういうことにね」

 ふうん、と、アレサンドロはグラスを傾けた。

「親子だってのに、冷てえもんだな」

「いやいや、公明正大と言ってもらいたいね。将軍は立派な人だよ」

「なんだ、昔の上司か?」

 テリーは首を振った。

「鉄機兵団がらみの人間なら、みんなそう言うよ。そもそも息子と言っても、妹の子ども、要するに甥っ子を無理やり養子にさせられたって感じでさ。ほら、将軍の地位とか財産ってのは、でかいから」

「なるほどな」

「奥方をもらわない将軍も悪いんだけどね。まぁ実際、鉄機兵団じゃそういう話は結構多いかなぁ。先行投資じゃないけど、逆に、出世の見込みがありそうな子を養子にしたりさ。……あの子もそうだよ」

「あの子?」

「ララちゃん」

「あ……。それであいつ、家に戻ってもしょうがねえって……」

「賞金首じゃあ、いまごろ、縁切られてるかもね。……だからさ、旦那」

「ん?」

「あの子は、気がすむところまで連れてってあげてよ」

「……もとから、そのつもりだ」

「さっすが!」

 思い切り背を叩かれ、アレサンドロは口に含みかけた酒を吹き出してしまった。

「げほ……ついでにもうひとつ、聞かせてくれ」

「あいよ」

「ジョゼッペ・ペルデンドス、いただろ。どうなったか聞いてねえか」

「ああ。あのおじいちゃんなら、ギュンターに捕まって尋問されたよ」

 アレサンドロの眉が、ピクリと動いたが、テリーはそ知らぬ顔で話を続けた。

「保護されたときには、おびえて話もできなかったらしいけどね、一緒にいた医者が証言したみたい。あのおじいちゃんは無関係で、怪我の治療で偶然立ち寄ったおたくらが、人質に連れまわしてたんだ、って。見るに見かねたお医者さんが説得して、なんとか解放させることに成功しました、ってね。それで、一応落着」

「なにもなかったんだな?」

「まあ、無罪放免だね」

 アレサンドロは胸をなでおろした。

 そしてあらためて、ジャッカルにまかせて正解だったと、心からそう思った。

 その様子を横目でうかがったテリーは、空になった皿をながめ、

「事実はどうであれ、俺としては賞金首がひとり減って、商売上がったりだなぁ」

 ポテトの油で光っている手のひらを、アレサンドロの鼻先へ突き出した。

「なんだ?」

「情報料」

「ツケとけ」

「あんねぇ、鉄機兵団の内部情報を賞金首に流すってのは、リスクがあるわけ。信用問題よ? わかる?」

 正論である。

 ため息をついてアレサンドロは、小金貨を取り出し、手に乗せてやった。

「はい、まいど」

 テリーはその金で、うきうきと追加のサラダを買いにいった。


「それで? なんでおまえはここにいるんだ?」

 目的が自分たちでないというなら、なにを追っているのか。

 アレサンドロは少し興味を引かれた。

 あわよくば、ライフルの威力を見ておきたい気もある。

 腹つづみを打っていたテリーは、

「知りたい?」

 身を乗り出してきた。

「暗黒街の魔術師って男が、このペルンに来てるって噂でね。でかい山だよ。なんといっても五十万の首だ」

「へえ」

 五十万といえば、一般家庭五年分の食い扶持にもあたる金額だ。

 ものによってはL・Jでも買える。

 確かにでかい。

「さっき、その宿のほうに行ってみたんだけど、お留守でね。で、とりあえず腹ごしらえをしとこうと思ったわけ」

「名前は」

「シャー・ハサン・アル・ファルド」

「知らねえな。どこの国の人間だ?」

「さあ。でも有名な男だよ? 泣く子も黙る大盗賊。何年か前に一度捕まったんだけど、こりずに悪さを続けてる。ホントに知らない?」

「ああ」

 そのハサンがいま、ララと関わっているとは、さすがのふたりも思い至らなかった。

「でさ、旦那」

 いたずらな目で、テリーが言った。

「どう? 今回は俺と組んでみない?」

「と言うと?」

 アレサンドロは、あえて聞いた。

「相手は暗黒街の魔術師だ。おたくは度胸もあれば頭もいい。捕まえるのに手を貸して欲しい」

「フン」

 方便でも悪い気はしなかった。だが、それだけでビジネスは成り立たない。

「分け前は」

 テリーはしばし考え、

「七・三」

「五・五」

「いやいやいや!」

「と、までは言わねえよ。六・四でどうだ?」

「……あ」

 てはは、と、テリーは頭をかいた。

「まいったなぁ。俺、どんどん旦那が好きになってる。わかった、六・四で手を打ちましょ」

 ふたりは握手をかわした。

「期待してるよ、旦那」

「アレサンドロだ。アレサンドロ・バッジョ」

「それが本名? いい名前だね」

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