第34話 先生

「ねえ、なんで鉄機兵団辞めたの?」

「そりゃあ、古今東西、男が身を持ち崩す理由はふたつっきゃない。女の子か、お金」

「わかった! 使いこみ!」

「あんねぇ、さすがにそれは退役じゃすまないでしょ。ていうか俺、そんなにモテなさそう?」

「少なくとも……モテそうには見えない」

「ひどい!」

 そんな他愛もない話に花を咲かせ、一行は無事、ロストンに到着。関所をくぐった。

 ここは、ウィンザー地方でも有数の田園都市である。

 ことにワインは評判で、いくつものワイナリーが帝城への献納を許可されている。

 近年は天候にも恵まれ、車窓から見える畑地や果樹園は、どこも、のどかを絵に描いたようだった。

「で? どちらまでお送りしましょうか、旦那様」

 ララからもらったキャンディ・バーをくわえ、おどけ調子にテリーが聞いた。

「おまえさんは?」

「俺? 別に。今日はもう、酒飲んで寝るだけ」

 ふうん、アレサンドロがあごをかく。

「確か、街道沿いに神殿があったな」

「ああ、風神様ね」

「そこでいい」

「あいよ。あ、この飴、美味いね。もう一本」

「だぁめ」

 ララの手が、ぴしゃり、テリーの甲を打った。

 さて、それからまた、しばらく道なりに走り……。

 風神フーンの神殿は、収穫のはじまった、ぶどう園の一角にあった。

 石造、レンガ造の多い神殿建築の中で、フーン神殿は唯一、木造が基本とされている。

 ここもその例にもれず、ひとかかえもある木柱が、反り返った切妻屋根を支えていた。

「それじゃ、頑張ってちょうだい」

 神門の前へユウたちを降ろし、テリーはキザに指を立てた。

「世話になったな」

「なぁに、これも先行投資、ってね」

「そういや、そうだったな」

 なら貸し借りなしだ、と、アレサンドロは笑う。

 土ぼこりを上げ、市街地へ向けて走りはじめたカーゴに、

「またね!」

 ララが手を振ると、テリーの腕が、同じように窓から振り返されるのが見えた。

 荷台を覆うシートの端も、まるで名残を惜しむかのように、いつまでもはためいていた。

「……あのL・Jも、銃とやらの威力も、結局見れずじまいになっちまったな」

「いいじゃない。きっとたいしたことないって。ね? ユウ」

「いちいち、くっつくな」

「い、いた、いたたたたッ!」

「!」

「……なんてね」

「行こう、アレサンドロ」

 このときユウは、アレサンドロの様子に、ふと、かすかな違和感を覚えた。

 どこか、考えこんでいるような目。

 だがそれも、まばたきするほどの一瞬のことだ。

「ああ、そうだな。行こうぜ」

 と、答えたときには、いつもと変わらぬ様子に戻っている。

 アレサンドロは挙動不審なヤマカガシの肩を叩き、カーゴが向かったのと同じ方角へ歩きはじめた。

 ユウは手を差し伸べたが、

「いや、もう、大丈夫だ」

 確かにその足取りは、随分とはっきりしてきたように思える。

「俺より、あっちを頼むぜ、彼氏さん」

 アレサンドロが指さしたのは、もちろんララだった。

「やめてくれ、あんたまで」

「ハ、まあ、とにかく頼む。怪我人がいたほうが、なにかと都合がいい」

「む……」

 振り返ると、期待しきったララが、満面の笑みで両腕を伸ばし、抱き上げられるのを待っている。

 ユウは、げっそりと肩を落とした。

「そういや、モチはどうした。随分静かだな」

 見ると、ヤマカガシの腕の中で、

「寝てる」

「ハ、豪気なこった」


 空は低くたれこめ、いまにもひと雨落ちてきそうな湿気が、先刻から肌を包んでいる。

 家々も随分増えた街道すじを小川にそって南へ切れこむと、右手に見えてきたのは、椀型の盛土の上にもうけられた、祭壇ばかりの月神殿。

 目指す場所は、その隣にあった。

 背の低い柵にかこわれた、白壁に赤瓦の平屋家屋で、芝生に覆われた庭を抜けて玄関をくぐると、そこは椅子と机だけの簡素な部屋である。

 長椅子に年寄りが三人腰かけ、油で揚げた餅菓子をつまみ、茶を飲んでいた。

「あらあ、怪我でもなすったの?」

 ユウの背にかかえられたララを見て、三人はいっせいに立ち上がった。

「あらあら、かわいそうにねぇ」

「痛い? ここの先生は、いいお医者様だからね。ほら、ちょっと、先生ぇ! 先生ぇ!」

「先生ぇ! 患者さんですよぉ!」

「わかっている、わかっている。聞こえているとも」

 五十がらみの、ひょろりと背の高い医者が、奥の部屋から苦笑まじりに現れた。

 長い黒髪をすべてうしろへ流し、頬のこけた顔は土色に焼け、目は、見えているのが疑わしいほどに細い。

 羽織っているのは、麻袋を継ぎ合わせたような、粗末なローブである。

 医者はアレサンドロとヤマカガシの姿に、一瞬驚きの表情を見せたが、

「さあ、ジェンナさん、これがいつもの薬だ。気をつけてお帰り。雨が降りそうだ」

「はいはい、先生には本当、いつもお世話になって……」

「なあに、これが私の仕事だよ。さあ、私はまだ、この患者をみなくてはいけないからね」

 そ知らぬ顔で優しく背をなで、手を振って、老婆たちを送り出した。

 そして、ひと息つくと……、

「アレサンドロ……!」

「先生」

 向き合ったふたりは、固く抱擁をかわしたのだった。

「ヤマカガシもひさしぶりだ。ああ、昔なじみがたずねてくれるというのは、なんともうれしい。さあ、なにもないが、まずは座ってくれ」

 医者は、いそいそと机に残された湯飲みを盆に乗せはじめた。

「いや先生、その前に、こいつを見てやってくれねえか」

「ああ、そうか。ふふ、私としたことが、どうも浮かれているようだな」

 はにかんだ医者はララを座らせ、どれ、と、左の足首を覆う包帯をはずした。

 すでに乾ききっている膏薬のかけらを口に含み、

「キハダか。捻挫かな?」

「間違いねえ、と思う。そいつは、水で練った」

「うむ、それでいい。見立ても、間違いはない」

「そうか、よかった」

「薬をかえよう。準備を頼む」

「わかった」

 アレサンドロは、奥の診察室へと向かった。

「さ、て……」

 ひざまずいたままの医者の目が、ユウとララへ向けられた。

「いまさらだが、君たちは?」

 問いかける柔らかな声色に警戒心など微塵もない。口もとには微笑みさえ浮かんでいる。

「あの子といる、ということは……魔人か?」

「冗ッ談!」

「では人間か。それはいい。それはいいな」

 眉尻を下げ、笑みが、さらに深くなった。

「どういうことだ? あんたは、魔人じゃないのか」

「ふふ、魔人だとも。魔人だからこそ、人間のあの子が心配でならないのだ」

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