第3話 天使
遠吠えが、高く低く、洞内に響いていく。
どれほどの時間が流れたものか。
いや、計ってみれば、それは、ほんの数分のことだったのかもしれない。
後光を背負い立つ黒い天使が、次第にその光を失いはじめた。
「あ……!」
ユウはとっさに飛び出した。
とにかく身体が動いた。
「待ってくれ!」
伸ばした指先をかすめるように光が引いていく。
ユウは、がむしゃらに追いかけた。
「待ってくれ……!」
と……もうどこにも、その姿はなかった。
ユウは冷たい岩壁を前に、ひざまずいた。
奇跡に感謝して、ではない。
ただただ、目の前の現実が信じられなかった。
まさか本当に天使だったとでもいうのか。
自分に、なにか啓示を与えるため降りてきたと?
ユウは苦笑した。まるで神話か三文小説だ。
では魔人か?
だが彼らは、人と変わらぬ姿をしていたという。
思いめぐらせるユウの目の端に、
「?」
ふと、奇妙なものがとまった。
ふれてみると木製の棒である。
明らかに人の手で加工された、棍棒のようなものが三十センチほど壁から突き出ている。
なにか、ユウの心に引っかかるものがあった。
この形、この角度。
まるで壁から『手』が生えているような……。
「あ……!」
ユウは小さく叫んだ。
そして飛びつくように、手探りで岩壁を調べまわった。
「そういうことか……!」
わかってみれば、なんのことはない。
これはただの、自然のいたずらだ。
いま、おぼろげに見えるだけでも、この場所がかつて、壁にかこまれていた空間だったらしいことはわかる。
まず、その支柱のどこか一本が崩れ、両側の梁が引きずられるように落下した。
おそらく間の壁が支えとなり、完全な崩落はまぬがれたのだろう。
だが、柱は縦の衝撃でいくつかに断たれ、梁にはひびが入った。
それが実に上手く天使の胴となり、羽となった。
あとは、背後から強い光を当ててやればいい。
逆光は鋭角的なシルエットをごまかし、神秘的な状況の演出にもなる。
演出といえば、あの腕もそうだ。
ほんの一部分立体感を持たせるだけで、天使は実に生き生きとしたものとなった。
『目の錯覚』と『思いこみ』。それが、天使の正体だったのだ。
それにしても、見事にだまされた。
ユウはあまりの馬鹿ばかしさに、笑いを噛みしめた。
それから、数分もたったころだろうか。
例の遠吠えとともに、にわかに周囲が明るくなった。
天使が、再び現れたのだ。
しかし、いまとなっては驚くことではない。タネのバレた手品だ。
だが一方で、その光はユウに新たな事実を気づかせるきっかけとなった。
そう、『向こう側は外につながっている』のだ。
遠吠えは、天使のシルエットを描く岩の裂け目を、風が吹き抜けていく音。
天使の出現と音が連動していることを考えれば、後光の正体もおのずと察しがつく。
月光だ。
風が吹けば雲が動く。
月はそのたびに見え隠れをくり返す。
その、月光がさしこむ場所。
少なくとも天井のない空間であることは間違いない。
ユウは振り返った。
急流に乗り、随分と下層まで流されてきたように思う。
このあたりは特に損傷の激しい区画で、遺物を掘り出そうにも手持ちの短剣や軽工具では、とても歯が立たないだろう。
つまり結局は一度外に出て、態勢を整えるか、上層に戻るかするしかないのだ。
外に出るためには……また川をくだるか?
考えるまでもない。
答えはひとつだ。
ユウは、『天使の腕』を両手でしっかりと握り、ひとつ息をはくと、
ゴ、トンッ……!
力まかせに引き抜いた。
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