御影の記憶

     泣かないでよ、葵くん。


  君が涙を流す姿は、いつだって綺麗で。


  俺をどうしようもない気持ちにさせる。








 葵くんを初めて見た時、俺は「天使を見た」と思ったんだ。でも実際のところ彼はこう呼ばれてた、「生徒会の悪魔」って。漫画みたいな異名で、友達から聞いて笑ってしまったのを今でも鮮明に覚えている。


 葵くんは、あの頃から少し他と違った。


 今でこそ言えることだけど、彼のことを知らない生徒はいなかった。「生徒会の悪魔」さんは、かわいらしい男の子だったからね。でも白い首筋に浮き立つ深紅のキスマークは日に日に増えていく。誰もが思ったんだ、「きっと身体を売っているんだ」と。

 それが真実か否かなど年頃の高校生には関係ない。自分も葵くんと「したい」、と思った者もいるだろう。でも彼はあくまで人前では純真だったから、さすがに校内で問題が起きるようなことはなかったんだ。


 俺は、ずっと話してみたかった。だから練習試合で俺がゴールを決めた日、俺を見つめる光のない目を見た時に決めた。「今しかない」って、そう思ったんだ。








「下野葵くん、だよね。隣のクラスの」


 彼は息を切らして走り寄った俺に心底、戸惑っていた。読んでいた本を両手で閉じた。


「そ……そう、だけど……」


「俺、御影絢斗。絢斗って呼んで」


「は……?」


 葵くん、と話を切り出そうとすると彼は両手を顔の前で交差させて制止した。


「ちょ、ちょっとタンマ。俺と何か……クラスとか! レクリエーションで同じ班になったり、とか……あった?」


 首を横に振って、話を切り出す。


「俺さ、君と仲良くなりたいんだ。よろしく」


 彼は苦虫を噛み潰したような顔をして、


「嫌」


とだけ呟いて、帰った。


 それから彼はとことん俺を避けた。体育の授業で同じコートを使った時も、学年集会で隣に座った時も、彼の光のないそれと目が合うことはなかった。

 美術室で独り、黙々と絵を描く彼に話し掛け続けたこともある。でも彼は「静かにして」と言うだけで、俺を遠ざけることも、自分が遠ざかることも、全くしなかった。


 嫌われているわけじゃない、と気が付いたのはそれからすぐのことだった。

 廊下で葵くんの手を掴んだ男子生徒が、全力で振り払われているのを見てしまった。彼は倒れ込んだその男子生徒を目の前に少しだけ躊躇って、しかしそのまま静かに階段を降りていった。

 男子生徒は、葵くんのことが好きだったという。会計の仕事でよく部活に訪れる彼を見て、いつかこの綺麗な先輩を抱きたいと思うようになったと言っていた。好きだと伝えた途端、突き放されたことに茫然としていた。



 ──共学校でもホモって概念あるんだ。



 それぐらいの認識だった。だって俺のは、ただの純粋な興味だから。彼もそれに気付いているから、あからさまに遠ざけない。


 帰り道、葵くんを見たから追いかけた。追いかけて話し掛けるつもりだった。でもいつの間にか、周りは高級住宅街。丘の上にある大きな豪邸に入っていく彼を、見つめることしかできなかった。


「何だよ、あのデカさ。高校生が帰宅するような家じゃないでしょ」


 表から入っていけるわけもなく、なんとなく裏に回る。裏口を見つけて足を踏み入れようとした時、悲鳴にも近い声が聞こえた。思わず身を屈めて窓の側の壁に張り付く。


「っあっあ、うぅ、痛」


「そうだね、いきなりだもん……ね! そりゃ、痛いよね! んっ!」


「あぁっ、あぁっ、うぁっ」


 声が鮮明に聞こえて、思わず息を呑んだ。葵くんが、セックスしているんだ。俺はを盗み聞いているんだ。



 ──でも、誰と?



 その答えは、すぐに分かった。


「葵」


「あぁっ、だぁ……にい……さん」


「ちゃんと言わないとやめちゃうよ」


「あぁっ、兄さん、す……きぃ、だから……やめないでぇっ、うぁ」






      激しく突く、音。

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