人は、変わる―(15/21)


それから、私達は本当に生徒会役員になった。


優が会長で、私が副会長。

浅田は計算が雑な会計で、すずめは字が雑な書記。


二人は今日も今日とて職員室に呼び出され、浅田が〝正生徒会室〟のプレートにつけ替えた教室には、私と優だけしかいなかった。


生徒会になって一ヶ月。

もともと部活に入らず道場に通い続けていた私達は(浅田とすずめも通い始めていた)、師匠にグチグチ言われながらも放課後は毎日この場所に来ていた。

前生徒会から引き継いだ仕事は意外と多く、学校行事や各部活動の活動実績が記された書類と向き合う日々。


正直、ものすごくつまらない。


「……ねぇ、生徒会になって後悔してない?」


静まり返った空気に耐え切れず、つい声をかけてしまった。


「してないよ」


向かいに座る優は、手に持つ書類に視線を落としたまま、当然のように小さく微笑んだ。


……嘘つき。


「そんな楽しくなさそうな顔してるのに?」


「楽しいよ。だって、生徒会になってから、君から僕に話しかけてくれることが増えたから。まあ、仕事の話だけどね。今だって嬉しいよ」


……嘘つき。


「そういうことを言って気を紛らわせているだけでしょ。本当は生徒会長なんてやりたくなかったくせに」


鼻につくように言うと、優は手を下ろして顔を上げた。

少しだけ眉をひそめている。


「……確かに、人前で話したり、みんなから注目されたりするのは苦手だよ。だけど、苦手だからって逃げていたら成長できない。これは、自分の欠点を克服するために与えられた大切な機会なんだよ」


「詰まるところ、嫌なんでしょ」


たたみかけると、その笑みはほぼ消えた。

完全に失わないようにこらえてる。

そんなに頑張ったって、目から怒りが伝わってくるのに。


「……どうして、そんな言い方をするんだい」


対する私も、感情を押し殺していた。

顔を逸らし、声が震えないように喉の奥を潰して呟く。


「あなたが……嘘をついているから……」


空気がピンと張り詰めた。


〝嘘〟


そのワードに彼が過剰に反応することはわかっていた。

だからこそ彼の笑みは元に戻り、溜め息混じりの声も笑う。


「嘘じゃないよ。後悔なんてしてないし、今の状況で満足してる」


「それが嘘だって言ってるのよ……!」


尚も変えようとしない態度に、腹が立った。


「嫌なことを我慢して笑ってる時点で嘘だわ。あなたはいつだって嘘ばっかり。そんな無理やりな笑顔を貼りつけただけで誰かを幸せにすることができると思ってるの? できるわけないじゃない!」


正面に向き直ると、優は唇を薄く開いたまま固まっていた。

それでも、笑みが消えた顔から紡がれた言葉は、私が期待していたものとはほど遠く、酷く渇いていた。


「……君がそう感じるのなら、そうなのかもね……」


投げやりな返答。伏せる瞳。


……信じられない。


私は唇を噛んで席を立つ。


「……ばっかじゃないの……!!」


出口に向かい、扉を勢いよく開けた。


「──ちょいと待ったー!! 逃がさねぇぞ如月!」


危なくぶつかるところだった。


目の前で両手を広げている浅田。

その後ろではすずめが舌を出して無邪気に笑っている。


「ごっめーん☆ 変な空気だったから入りづらくて、立ち聞きしちゃった!」


いつもより戻りが早かったのね……。


「さあ、選べ!! 玉野と仲直りするか、オレの胸に飛び込むか!!」


「喧嘩なんてらしくないよ~。もっと平和にいこうよ~」


二人が押し迫ってきて、後ろへ数歩下がると、背後から淡々とした声がかかった。


「別に喧嘩じゃないよ。ちょっと意見が違っただけで──」


「はあぁぁぁぁぁぁぁ!? お前正気かぁ!?」


大声を上げた浅田は、私の両肩を掴んで無理やり後ろを向かせた。


「……えっ……」


そこに立っていた優は、私と目が合った瞬間、固まった。


「如月が泣いてんだぞ!! ちょっとで済むことか!!」


私は浅田の手を払って顔を背けた。


……余計なことを……。


「優司サイテー! たいして仲良くもない女子達には気持ち悪いほどニコニコするくせに、どうして百合花のことはいじめるの!? このニコニコ詐欺師!」


こぼれ落ちそうだった涙を指ですくっている間、優の視線は途切れることなく注がれた。


「……ど、どうして……」


ようやくとしぼり出された彼の声は、とてもか細かった。

こんなに動揺した優は見たことがない。

本当に何もわかってないんだ……。

いつもはなんでも見透かしたような顔してるくせに……。


「……私は……」


少し躊躇って、でも言おうと思った。

言わなきゃわからない。

たとえ彼がどんなに察しのいい人だったとしても、私自身が壁になっていれば真意は伝わらない。


「私はただ……本音を言ってほしかっただけ……。隠しごとは嘘と同じだから……。私を裏切らないって約束したくせに、私の前にいるあなたはいっつも騙し顔で……」


本当は、早く聞いてほしかった。

私はあなたのことをちゃんと見てるって、気づいてほしかった。


「そんな顔、見たくない。私の前では本当の顔を見せてほしかった。正直な気持ちを教えてほしかった。……それなのに、あなたは私にもちゃんと向き合ってくれない……。嘘なんてついてほしくなかったのに……。ようやく……信用できると思ったのに……。もう少しで……あなたのこと……好きになれると思ったのに……」


最後は消え入りそうな声になった。

俯いた顔を上げられずにいると、優は詰まらせた声を漏らす。


「……今……なんて……」


「如月はオレが好きらしい」


「鉄平、虚しいからやめようよ~」


「今のはそういうことだろ!? 玉野をフってオレを選んだんだろ!?」


「鉄平じゃなくてあたしだよ!」


そんな話してないわよ……。


「べ、別にそういう意味じゃなくて……人としてっていう……」


自分から言ったのに、顔が熱くなってきた……。


「あっれれー? 二人ともほんのりさくらんぼになってな~い? どうしたのかにゃ~?」


「見合いでもしてるのか貴様らは!! オレもまぜろ!! オレの趣味はサーフィンだ!!」


「あたしは砂場で山崩し☆」


「海と山では相性最悪だな!! 帰れ!!」


「山じゃなくて公園だよ!」


「じゃあ海の砂浜でやればいいだろ!!」


「そうやって従わす男は嫌い! どっか行って!」


「ただの提案だバカヤロー!!」


浅田とすずめが勝手な世界で盛り上がるなか、優は伏せ目がちに呟く。


「まさか君が……あの時の約束を大切にしてくれていたなんて……」


「そ、そういうわけじゃ……」


「てっきり忘れられてると思ったよ……。僕のこと、ちゃんと見ててくれたんだね」


「だからそういうわけじゃ──」


ない、と言おうとして、口をつぐんだ。

言えば、自分が嘘つきになると思ったから。


――なにより、彼が嬉しそうに笑っていたから。


素直なその表情に安堵して……思った。

彼が笑顔を作るのは、人を騙したいからじゃなくて、背伸びをしたいから。

偽りのない顔だってちゃんと見せてくれる。


「…………。あなたには、言ったことを守ってほしかっただけ。信頼できる人であってほしかったから……。今の私があるのは、あなたのおかげだから……」


言いたいことを言うだけなのに、言葉を繋げるのが難しい。

言い慣れないことは言うもんじゃない。


「つまりその……尊敬できる人であってほしいって。だって、私の生き方や考え方を否定したのはあなたじゃない。だったら、私が見本にできるような生き方をして。私が認められるような人間になって」


私が正面から見つめると、彼は頷いたとも俯いたとも見えるわずかな力で首を動かした。


「……僕は……かっこ、つけたかったのかな……。無理をしてるなんて思われたくなかった。でも、僕はきっと、これからも変わらないよ。嫌でも苦手でも、前を向いていられるような人間になりたいから。早く立派な大人になりたいから。……それに、みんなに本当の自分を知ってもらいたいとは思わないんだ。君が本当の僕を知ってくれているのなら……それだけで……」


視線を返してきた彼は、やっぱり笑っていて、でもどこかからかうような色味を帯びていた。


「だから、これからも僕のことを見ていてほしい。必ず、君に信頼されるような人間になるから。――君が、安心して好きになれるような人間になるから」


「…………」


一言余計なのよ……。

ホント、攻撃的……。


「言っておくけど……別に惜しかったわけじゃないから」


「そうなの? 結構、好感触だったんだけど……。それとも嘘泣きだった?」


「殴るわよ」


握ったこぶしで彼の胸を軽く押して突き離す。


信じられない。バカなの。

調子を狂わそうとしてる。下手くそ。



「──そもそも絶壁は願い下げだ!!」


「はぁ!? みかん級はあるって言ってんじゃん!! ほら確認してみなさいよ!!」


「け、けがれるぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」


さっきからずっと叫び倒している二人を見ると、すずめが浅田の腕を掴んで自分の胸に近づけようとしているところだった。


「……あなた達、何してるの」


「鉄平が断崖絶壁とか言うから!! 違うってことを証明してやるの!!」


「やめろぉぉぉ!! オレの手が溶けるぅぅぅぅぅぅ!!」


バカね……この子には恥じらいってものがないのかしら。


「すずめ、あなたはもう少し自分を大切にしなさい」


「だって鉄平が!!」


「いいからやめなさい」


彼女の手を掴んでひね上げる。


「いだだだだ!! どゆことどゆことどゆこと!?」


手を離すと、すずめは優の後ろに隠れた。


「優司!! 百合花が暴力女になってるよ!! 変な魔法でもかけた!?」


「おかしいなぁ、優しくなる魔法をかけたんだけど」


ノるな。


「ふぅ、もう少しで死ぬところだったぜ……。如月は命の恩人だ。お前のもんなら触ってやるぞ」


「近づいたら蹴り上げるわよ」


「冗談だっつーの;; ──で、仲直りは済んだのか?」


浅田は両手を腰に当てて、私と優の顔を覗く。


……考えてみれば、優があそこまで怒りをあらわにしたのは初めてかもしれない。

意見が合わないことはたまにあったけど、すぐに退くし、強く言い返してくることなんてなかったし、いつも平和に流そうとする。


今回は、私がつつきすぎた。

彼の許容範囲を超えてしまった。


「百合花が許してくれるのなら、万事解決だよ」


「……許さないわよ、一生」


それだけ言って席に戻り、仕事を再開した。


……なんで、言えないの……。

たった一言謝るだけなのに、どうして言えないの……。

私が一番ろくでもない人間だわ……。


「一時的に許してくれるってよ。よかったな、玉野」


「もぉ~、百合花ってば素直じゃないんだから☆」


三人も席について、私は顔を隠すように書類を持ち上げた。

平静を装うことで頭がいっぱいになり、内容が入ってこない。


なんでこんなことになってしまったのか。

自ら泥沼にはまってしまったようにしか思えない。


正面に座った優は無言のまま。

何事もなかったかのように過ごすのは彼の特技。

顔は見えないけど、きっと今だって平常運転。


絶対に笑ってる。


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