他人事のような自分事

@seizansou

短編

 自分の体が階段を上っている。

 ヒールがずれて転びそうになった。反射的にバランスをとった。だが心が動くことがない。階段を上っている自分の体がどこか遠くに感じられる。

 自分の体のはずなのに、その実感がない。あたまの中がふわふわとして、自分をうしろから眺めているような感覚に包まれている。

 こういうのが先生が言っていた、「解離」とかいう精神病なんだろう。自分がこれからしようとしていることから、心が逃げているんだろうか、とか思う。

 ぼんやりと無感動に、階段を上る自分を眺めていると、自分が屋上の扉の前に辿り着いていた。

 屋上への扉には、人が立ち入らないように南京錠がかかっている。前回来た時に確認していた。その鍵はポケットの中に入っている。あらかじめ用意しておいた。

 南京錠を開けようと、機械的な動作で手を伸ばす。鍵を差し込もうと南京錠を手に取った時、気がついたら鍵が開いていた。気を抜いていたんだろうか、いつの間にあけたんだろう。

 まあ、開いているならそれでいいや、と扉に手を伸ばす。そんなことをしている自分をうしろから見て、もっと危機感を持った方がいいんじゃないかな、とか思う。けれど体は勝手に扉を開けて屋上へと向かう。やっぱりふわふわとしたままで実感が無い。

 屋上をぐるりと見わたす。どちら側がいいんだろう。視界を移動させていたら人を見つけた。人通りの少ない、裏路地に面した側の柵の向こうに、スーツ姿の男がいた。

 もう0時はとうに過ぎている。通り過ぎる車の音もまばら。星は見えない。曇っているのか、都市の光で見えなくなっているのか。そういえば夜空なんて意識したのはいつぶりだろう、とかどうでもいいことを考えていた。

 気が付くと、自分の体は柵を越えていた。同じように柵を越えていた男と距離を空けて並ぶように、ビルの淵に立っていた。

「飛び降りとか、古くさいですよ」

 覇気の無い声で、少し離れた淵に立つ男が声をかけてきた。

「人のこと言えるんですか。あなただってそうなんじゃないんですか」

 敬語を使うべきなのかどうなのか、ちょっと迷った。ちょっとぶっきらぼうだったかな、失礼だったかな、とか思ったりもした。けれど、まあ、もうどうでもいいや。

「僕はEISPってところに勤めてる岩倉っていいます」

 え、なんでいきなり自己紹介始めてるの? 自分語りでも始める気なんだろうか。めんどくさいなあ。EISP……EISP……聞いたことが無い。この辺にそんな会社あったっけ? なんとなくESPっぽい響きだな。

「あの、あなたは?」

 は? なにこの人。なんでいきなりお互いが自己紹介するの? なに? お見合いかなんかなの? とか思っている自分と、ああ礼儀として答えなきゃとか頓珍漢なことを考えている自分がいた。そして頓珍漢な自分が口を滑らせた。

「……KDXの元木です」

 あああ、個人情報が漏れてしまった、と頭のすみっこで膝を抱えている自分がいる。それと同時に、今更どうでもいいや、とか投げ出している自分もいる。

「いやあ、学生時代からつき合っていた彼女に振られまして」

 は? その程度? その程度で死のうとかしてるの? と、なんとなく腹を立てている自分がいる。でも人のことなんかどうでもいいじゃない。

 男と女で飛び降りか。

「男と女で飛び降り自殺とか、心中だとかって思われるんですかね」

 口から漏れていた。何言ってんだろう、自分。馬鹿馬鹿しい。口にしたことを後悔した。

「あ、いや僕は和風っぽい感じの子が好きなので、髪染めてるのとかはちょっと」

 は?

「は? これ、地毛です」

 うんざりする。もう何度目だろう。親がうるさかったから、一人暮らしを始めてから黒に染めはじめていた。でも、もうずっと忙しすぎて放っておいたから、地毛の金髪が出ていた。なんで金髪の血筋なんて入ってたんだろ。何にも良いことなかった。

 PCを弄るのが小さい頃から好きだった。でもそればっかりやっていたせいで成績はよくなかった。それで頭の悪い学校に行って。まあそこでオタクっぽいグループには入れればいいやとか思ってた。でもこの髪とか、私の外見は中途半端に目立ってたみたいで、そういうグループからは避けられた。逆に全然ノリの合わないカースト上位の人らから変に誘われたりして、でもついていけないから断って。友だちいないから放課後も暇でずっとPC弄ってて。徹夜でPC弄って学校で寝て。そんなことをしてたから大学に行けるはずもなく。でも親がうるさかったからさっさと独り立ちしたくて。それで東京に出てきて今の会社に入って。世間知らずの私は入ってしばらくして、その会社がいわゆるブラック企業だったってことを知って。知ったけどどうにかする意志も起こせず。もう疲れちゃって。

 なんだろ、これ走馬灯っていうあれかな。ああ、なんかもう、全部めんどくさい。

「もう心中とか、そういうくだらないことどうでもいいです。私はもう死ぬんです」

「あ、いやそれはちょっと僕のほうがどうでもよくないというか」

 少し早口で男が言う。

 ぼんやりとしながら、なんとなく男をみる。さえない男だ。スーツはヨレヨレ、髪もボサボサ。これから死のうとしてるくせに、ヘラヘラと愛想笑いを浮かべて、へこへこしている。

「あ、あのう、こうしませんか? 今日は僕、明日はあなた、という感じで」

「は?」

 こいつ何言ってんだろう。自殺の順番とか。スケジューリングでもしてんのかよ。頭おかしいんじゃ無いの? ああ、頭おかしいから自殺しようとしてるのか。

「いや、ちょっと僕、もう遺書とか明日には見つかる場所において来ちゃったんで。身辺整理とかもやっちゃってて。ちょっと明日になると困るといいますか」

 男がへこへこしながらそう言ってくる。遺書、今から片付けて来いよ。一日ぐらいホテルで何とかなるだろうよ。思うところは色々とあった。

「その、元木さん、ですよね? は、なんで自殺を?」

「もう、仕事疲れたんです。もう全部がどうでもいい。面倒。なーんにもいいことない」

「はあ、それで?」

「は? どういうことですか?」

 何こいつ。は? なんなの?

「いやだって、仕事すればそりゃ疲れるでしょうけど、えっと、え? それだけ?」

「はあ!? そういう言い方するんなら、そっちこそたかだか女ひとりに振られただけじゃないですか!? なんですかその言い草!?」

「いやあ、はは。『自殺する人の気持ちは分からない』とか言いますけど、ほんとそうですね」

 ヘラヘラと笑っている。それをみて、すごく怒っている自分がいる。なんかまたふわふわとした感じになってきた。頭がぼんやりとする。あー、この自分、すごく怒ってるなー、とか、うしろから自分を眺めている。

「やめたら良いんじゃないですか?」

「は? 自殺? ほっといてください」

「ああいや、会社です。疲れてて、もうどうでもいいんでしょ? 僕も自殺を考えていますから、まあなんでしょう、気持ちはわかんないですけどね、こう、切羽詰まってるんだろうなあ、っていうところは分かるつもりです。そこまで思い詰めるなら、もう会社を辞めちゃったらいいんじゃないでしょうか」

 (はあ? あんたにそんなこと言われる筋合いないから!)とか、怒っている自分もいる。でも、あ、そっか、確かに、とかって納得しちゃっている自分もいる。こんなクソみたいな会社のために死ぬことなんて無いよなあ、とか。

 そう思い始めると、なんだか一気に何かが落ちた感じがした。すとん、と。何に納得したのか自分でも分かってないんだけど、ああ、そっかあ、みたいなことを思った。

 帰ろ。

「帰ります」

「お気をつけて」

「ええっと、岩倉さん、でしたっけ? あなたも振られたくらいで死ぬとか、馬鹿みたいじゃないですか? やめた方がいいですよ」

 屋上の扉に向かって歩いている途中、軽く振り返ってそう言った。

「そうですね、考えおきます」


 家について、シャワーを浴びて、ソファで膝を抱えて少しの間ぼーっとしてからベッドに潜り込んだ。眠りにつく直前に、ふと「今日自殺者が出たら、屋上は立ち入り禁止になるなあ」とか思ったりした。


 翌日、課長に辞表を出した。まあ、なんやかんや罵倒を浴びたが、もうどうでもいい。はあそうですかと適当な相づちをうちつづけた。

 もう言い尽くしたのか、それとも言っても無駄だと気づいたのか、課長の罵倒がやんだ。しばらく沈黙が流れた。そこでふと、昨日のことが頭をよぎった。

「課長、ESP……じゃない、EISPって聞いたことありますか」

「ああ? 何でおめえが知ってんだよ。数年前までのうちの社名だよ。数年前にEISPからKDXに変わったんだ」

 ん? なんかおかしい。

「……EISPの岩倉さんって」

 課長の目つきが変わった。いや、元から睨まれてたし、今も睨まれているんだけど、何か雰囲気が変わった。

「調べたのか?」

「は?」

「岩倉のことだよ。俺の同期だった奴だ。何年か前にこのビルから飛び降りた。自殺だ。付き合ってた女が目の前で、あー、乱暴、されて、そんでその最中にその女が死んじまったんだとよ。その次の日にはビルの裏手に潰れたあいつの死体が転がってた。無意味に腰が低かったが、まあ、気が利く奴で、俺もなんだかんだ世話になったんだが。それがどうした。何か言いたいことでもあんのかよ」

「昨日、会ったんですけど」

「はあ? どこで」

「このビルの屋上で。昨日自殺しようと屋上にいったら、先にいました」

「はあ!? 馬鹿にしてんのか? 言ったろ、あいつは死んでるんだよ、あー、いつだったか……って待て、そうか、昨日は、ああ……くそっ。6年目だ。ちょうど6年前の昨日だ、あいつが飛び降りたのは。……お前本当に調べてないのか? 適当なこと言ってんじゃねえのか?」

「何でそんなことする必要があるんですか」

「……チッ、ああ、畜生!」

 そういって課長が机を蹴った。机がその勢いで私にぶつかりそうになるが、私も慣れたものですっと避けた。社会人ってこんなスキル必要なのかな。

 課長は腕を組んでしばらく黙り込んだ。

 肘を机に、手のひらでおでこを支える様にして、俯いたような、何かを考えているような姿勢のまま口を開いた。

「俺は岩倉とは学校から同じで付き合いもあった。今でも時々は思い出したりもする」

 はあ。それがどうかしたんだろうか。

「その岩倉が化けて出てまでお前を止めた。なんかあんだろ」

 なにがあるんですかね。私には全然わかりませんよ。

「お前のは自己都合の退職だから退職金なんて出るわけねえが、いいよ、わかった。口裏合わせろ、おれも上に掛け合ってみる。少しは金が出るかもしれねえ。だが期待はすんじゃねえぞ」

 課長に人の心らしきものが宿っていたという事実に、少なからず、あいや、大いに驚いた。なんでもっと早くからそれを発揮してくれなかったのだろうかと思ったりもしたが、まあ、今更どうでもいいや。お金も、もらえるって言うならもらっておこう。

 失礼しますとあいさつして課長の机から離れていくとき、うしろからぶつぶつと呟く課長の声が聞こえた。

「岩倉の奴、どうせ化けて出るなら俺の方に、俺に恨み言の一つでも言えってんだよ畜生……俺は」

 まあ、どうでもいい。どうでもいいのだ。口裏合わせとやらで連絡は取るだろうけれどもうどうでもいいこと、どうでもいい相手だ。どうでもいい会社だ。


 さて、これからどうしたものか。無職にまで落ちてしまったが、まあ、落ちると言ってもそもそもそんな高いところにいたわけじゃ無いか。

 収入減が無くなったけれど、気持ち的には楽になった。


 ああそうだ、何の意味があるかわかんないけど、取りあえず会社の裏路地に花でも置いていくか。

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