巻の一 vs.コミュ力モンスター
どうやら生まれつき、顔面が不自由だったらしい。
でもこの時代だとイケメンって言っても「引目かぎ鼻」なんでしょ? と思うじゃん?
人は彼を指さしてこう言った。
「鼻の穴が大きい。人が通れそうだ」
「宮中に馬を献上する儀式に、あいつを出したらどうだ。これぞまさに人馬一体!」
「それそういう意味じゃないしwww」
言いたい放題であった。
しかし彼を最も追い詰めたのは、嘲りの笑いではなく。
「鼻息が荒くてキモい」
率直に言い放たれたこの一言だった。
――息しなきゃ死んじゃうじゃないか! どうしろって言うんだよ!
これ以来、緊張すると息の仕方を忘れて、ひどく息苦しい思いをするようになった。内裏なんてパリピの巣窟に入っていけるはずもなく、年がら年中、仕事にも行かず親の邸に引きこもっていた。
父親がまた駄目だった。なかなかに彼に劣らずコミュ障の変わり者、
「笑われても堂々としておればそのうち、皆、見慣れる。お前には辛抱が足りない」
「いじめは無視していればいつか飽きてやめる」説だ。実際にはいつまでも飽きない。いつまでもイジり続ける。イジりのインフレすら起きる。この頃は娯楽が少ないので一層。きっと百年でも二百年でも馬ネタでイジられ続けただろう。
苦にして死んでも誰も同情してくれない。親は何の助けにもならない。スネはかじりまくるが。
いっそ仏門に入り法師になろうかとも何度も思ったが、坊主になると生臭物が食べられない。
――いやこれはシリアスな話。平安時代なのだ。日本仏僧の主食である味噌汁、沢庵、高野豆腐、全部ない。豆腐がギリギリあったかどうか。身分の高い僧侶は白飯ばっかり、そうでなければ雑穀粥ばっかり食ってろということになる。この時代の仏僧はハードモードだ。
とはいえいつまでも邸に引きこもって父の財産を食い潰すばかりでは落ちぶれてしまうのは明白。そのときこそいよいよ出家遁世せねばならない。父親が生きている間くらいは俗世でぐずぐずしているか。
たとえ貴族に生まれても顔がイケメンでないというただそれだけでお先真っ暗。人権など望めない時代だった。
そのままでは結婚など思いも寄らなかったはずだが。
そもそもの発端は右近の少将・藤原
ぼくの親戚なのだが、これが絵に描いたようなパリピのイケメン。光源氏か業平か。遊び歩いて浮名を流しているらしい。
それが、ふらりと邸にやって来た。
また父が「うちのヒキコモリのせがれに何とか言ってやってくれ、わたしが言っても聞きやしない」とか何とかほざいて引っ張り込んだのだろう。
どこの女に縫わせたのか色鮮やかで繕いのよい衣をまとい、雅な香を漂わせて。
――イケメンはいい匂いがするのだ! 一緒にいると息が詰まる! こんなうんざりすることがあるだろうか!
「本当に昼なのに寝ているのですね」
ずけずけと人の家に来て言う言葉がこれだ。先触れの者がやって来て「御曹司、お客さんですから起きてください」とか言ってくるのを無視して寝ていたら、こいつ、図々しく寝室にまで入ってきたのだ。親戚だからって馴れ馴れしくないか。仕方がないから起きて顔を洗っていると、
「寝てばかりで暇ではないですか? お話をしたり歌を詠んだりしませんか?」
うるせえ放っておいてくれ。平安パリピと話すことなんかねえよ。
――と言えればどんなによかったか。別に気遣われずとも無限に寝ていられるし和歌なんか詠んでられるか。
「……歌は苦手で」
と短く返すだけで精一杯だ。
「たまにはうちに遊びに来ないのですか?」
お前が嫌いだから嫌なんだよ!
何が嫌って昔の歌物語になぞらえたたとえを使った雅な平安ハイコンテクスト話法。「昔はものを、と申しますように」とか、全人類が全員、百人一首やら万葉集やら古今和歌集やらを全部丸暗記しているのを前提とした会話。参加できないとバカだと見なされる。
こいつに限らず一事が万事その調子。このハードルの高さ。平安時代を生きるのに向いていない。マジで。
「……女房などに笑われるので……」
「笑わせておけばいいではありませんか」
お前が笑われるんじゃないんだから何とでも言えるよな!
いいよな、生まれつき顔のいいやつは。それはこいつは漢詩を
「知らない人の家じゃないんです、うちなんか気楽に来れるでしょう?」
内裏の次に嫌なのがお前んちだよ!
共通の話題なんかないくせに無理に話しかけるものだからおかしな空気になる。ああ息苦しい。そもそもこっちは顔洗っただけでまだ寝間着なんだって。早く帰ってくれ。
その挙げ句このイケメンが次に何を言い出したかというと。
「あなた、結婚しないんですか?」
できるかボケナス。厭味で言ってるのか。
「独り寝には慣れたよ」
「一生独り寝のままでいいんですか?」
うるせえお前に関係あるか。生殖なんかお前みたいなパリピがすればいいんだ。
「それは誰か紹介してくれればいいけど」
「ではわたしが紹介します」
「は?」
正直、話を逸らしたかっただけだった。それだけなのに。
道頼はぬけぬけと言い放った。
「わたしに来た縁談なのですが、中納言家の四の君、十四歳の美少女です。これをあなたにお譲りしようと」
「ゆ、譲るってそんなことできるのか?」
「わたしが譲ると言ってるからできますよ」
今から思えば何もかも出鱈目な話だった。平安京でだって結婚を譲るなんて話は普通、なかった。
「せ、先方があなたを望んでいるのにぼくなんかが顔を出したら皆、笑うんじゃ? いや怒るんじゃ? 普通絶対怒るよね? 裁判になったりするんじゃないの?」
「こう言えばいいんですよ」
〝ぼくが先に四の君を慕って密かに交際していたのに、右近の少将・道頼に縁談を持ちかけるなんて! 不実な! ――と道頼本人に抗議したら『ではそちらに権利がありますね』と言ったのでこの兵部少輔が四の君の聟です〟
「……いやいやいや、無茶苦茶じゃないか?」
そんなことできるわけないじゃん。姫の家に一言も相談しないとか。
……しかし正直に言おう。このときぼくは寝起きに降って湧いた話にちょっと唖然としていて判断能力を失っていた。このぼくが。十四歳の美少女と結婚。
結婚ってあの結婚? 清い身のまま僧になり来世に懸けるくらいしか選択肢のないぼくが? 童貞卒業イベントを?
「こうでもしないとあなた、一生独身ですよ? いいんですか?」
道頼は悪魔そのものの口調でそう言った。
「いいんですかって」
「その歳まで法師にもならずにいたのは多少なりと女性と縁を結びたいからでしょう? それほど世を疎んでいるのなら出家遁世するのが世の倣い」
「いや、この時代の仏道はハードモードで……」
そしてぼくは一瞬垣間見えた「童貞卒業」の四文字で頭がパンクしていた。生きているだけでいっぱいいっぱいだったぼくが親戚の紹介でノーリスクで結婚。
そんなうまい話があるわけないとわずかな理性が抵抗するところに、道頼は更に檜扇を鳴らして言い放った。
「女房に笑われるのがお嫌とおっしゃった。女に怯えて逃げ隠れするばかりの人生でいいんですか! あなたの一生、ここで変えなければいつまで経っても変わらない! ここで変えなければ」
――期間を限定することで人間の選択肢を狭める心理テクニック。コミュ力モンスターにはそんなこともできるのだ。
人の話など聞かなければ笑われることも騙されることもない。それがぼくの哲学のはずだった。
一生、それを貫き通すべきだったのだ。
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