第09章 『夢月れいかは確信する』
目を覚まして、枕元にあるスマホを見ると、私の寿命が残り二日になっていた。いや、正確に言えば、あと一日と数時間だった。
どうやってここまで運ばれてきたのかは思い出せないが、どうやらここは両親の寝室らしい。
周囲を見渡しても誰もいなかったので、居間へ行くと、いつもと変わらない家族の姿があった。お父さんはコーヒーを飲みながら新聞を読んでいて、お母さんは台所で食器を洗い、加奈はぼけぇっとした顔でテレビを眺めていた。
それまでテレビを見ていた加奈が、私に気づいて視線を向ける。
「あ、おはよう、お姉ちゃん。体は大丈夫?」
「うん。もう大丈夫。心配かけてごめん……」
加奈の話によれば、どうやら前園さんとゲームセンターにいる時に、私は突然眠ってしまったらしい。
やはり、私の体は限界が近いのだろう。
お父さんとお母さんも私のことを心配しているのか、じっと聞き耳を立てて私たちの会話を聞いているのがわかった。
加奈はニヤニヤと笑いながら、
「お姉ちゃん、前園さんの知り合いにコップの水をかけたんだって?」
「なっ!? ど、どうしてそれを!? というか、なんで前園さんのこと知ってるのよ!」
「昨日、お姉ちゃんを家に連れてきてくれたの、前園さんと鈴寧さんだもん」
「えー……」
鈴寧さん、そこは一人でどうにかしてほしかったです……。
加奈は楽しそうに、
「ねぇ、お父さん聞いてよ! お姉ちゃん、よそ様に水かけたんだってさ!」
「……そうか。ならそいつは、水をかけられるくらいどうしようもない奴ってことだ」
「うわぁ……。お父さん、娘に甘すぎ……」
それまで台所にいたお母さんもやってきて、椅子に腰を下ろした。
「きっと、何か理由があったのよ。ねぇ、れいか?」
「う、うん……まぁ」
ちょうど家族がそろったところで、私は言わなければいけないことを言っておくことにした。
「あー……。あのね、私、今から出かけようと思うんだけど、たぶん、もう、この家には帰らないと思う」
それまで笑顔だった三人の顔が強張り、お父さんは読んでいた新聞紙を畳んだ。
「……この家で……最期を迎えることはできないのか?」
「……うん。ごめん。私、まだやりたいことを最後までやれてないの。……でもまぁ、それはもう失敗しちゃったんだけどね」
「だったら、もういいじゃないか……」
「ううん。それはイヤ。……だって、このまま死んじゃったら、きっと私、後悔するから。……それに、みんなには私の死に顔を見てほしくないの。生きてる頃の私を覚えておいてほしいから」
「……そうか」
加奈は駆け足で私のもとまで走ってくると、胸に顔を埋(うず)めた。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
加奈は何かを言うでもなく、ただただ、上擦った声で何度も私を呼んだ。
加奈の頭を撫でてみると、子供の頃に比べてずっと大きくなっていることを知った。
それから出かける準備を整えると、私の見送りのため、家族総出で玄関に集まってくれた。
靴を履き、玄関の鍵を開けたところで、お母さんが声を震わして言った。
「れいか……。ごめんね……。ほんとに、ごめんね……。強い体に産んであげられなくて……」
『ごめんね』という、今までうんざりするほど聞かされた、お母さんの口癖。
けれど、その言葉を言わせてしまっているのは、紛れもない私自身なのだ。
「ううん。お母さんのせいじゃないよ。今までありがとう」
お母さんを抱き寄せ、ぽんぽんと背中を叩いた。
それから玄関をくぐると、改めて家族の方を振り返った。
「それじゃあ、行ってきます」
行ってらっしゃい、という家族の声と嗚咽に後ろ髪を引かれながらも、私は思う。
結局最後まで、誰も私が言ってほしかった言葉をかけてくれなかった。
私は……。
私はね、お母さん。
本当は、『ごめんね』なんかじゃなくて――
◇ ◇ ◇
電車に乗って前園さんの家まで行こうと思っていたのだけれど、その手前で車に乗った鈴寧さんがやってきて、電車は危険だから車で送ってくれるという。今の私の体調を考慮してのことだ。
言われるがまま車の助手席に乗り込んだ途端、やんわりと瞼が重くなるような眠気を感じた。今寝てしまうともう二度と目が覚めないような気がして、少しだけ怖くなった。
私が必死に、こっくりこっくりと眠気に抗っているのを見て、鈴寧さんは心配そうに言った。
「寝てていいのよ? 前園くんのところに着いたら起こしてあげるから」
「……いえ。起きていたんです」
「そう……。だったら、このまま少し話でもしましょうか」
「……助かります」
ちょうど昼時ということも相まってか、窓の外にはお昼ご飯を求めて街をさまようサラリーマンやOLの姿が多かった。
そう言えば、最後にご飯食べたのっていつだっけ? 全然お腹空いてないな……。
まるで、私の体がゆっくりと、死ぬ準備をしているみたい……。
鈴寧さんがたずねる。
「あなたが使える予算はまだたくさん余っているけど、何か私にやってほしいことはある?」
「ふふ。鈴寧さんは、私に会うたびにお願い事を要求してきますね。なんだかおとぎ話に出てくる悪い魔女みたい。あとでとんでもない見返りを要求される系のやつ」
「どうして悪い魔女なのよ……。もっと他にランプの精とかあるでしょ」
「えー。鈴寧さんはどちらかというと魔女ですよ。特に見た目が」
「見た目が……。百歩譲って魔女だとしても、どうして悪い魔女なのよ」
「それは私の願望です。だって、物語の冒頭で登場した善人が、終盤で悪人だと発覚する展開っておもしろいじゃないですか」
「もし私が本当に悪い魔女だったら、その被害を被るのはあなたなのよ……」
「あはは。それは困りますね」
車が赤信号で停車すると、助手席の窓に反射した自分と目が合った。
「まぁでも、この物語の悪い魔女は、どう考えても私なんですけどね」
チッカチッカと、ウインカーの音が車内に響く。
鈴寧さんは言葉を選ぶように、コツコツとハンドルを指で叩いた。
「……さぁ。それはどうかしら?」
「どうかしらって、どういう意味ですか?」
「だって、あなたには前園くんがいるじゃない。悪い魔女のところに、王子様が現れることはないのよ」
「王子様? 前園さんがですか?」
「えぇ。だって彼といる時、れいかちゃんとっても楽しそうだもの」
その言葉に、私は同意も否定もしなかった。
ただ、罪悪感に押しつぶされそうになった。
「前園さんは、今何をしているんでしょうか」
「彼は昨日、あなたの家を出た後、一度だけ自分の自宅に帰って、またアパートに帰ったわ。そして、そこでずっと執筆作業をしているみたい」
「そうですか……」
なるほど。前園さんは、そういう答えを選んだのか……。
車が再度発進して、やがて景色は前園さんのアパートの近くになった。
「あ、そうだ。鈴寧さん」
「ん? 何?」
「少し、お願い事をしてもいいですか?」
「えぇ、もちろん。私がどんな願いでも、魔法で叶えてあげるわよ」
「おっ。悪い魔女っぽい」
私たちはお互いにクスリとほほ笑んだ。もしかしたら、友達というのは、こういうくだらないことで笑いあえる仲を言うのかもしれない。
「いくつかあるんですが……大きなお願い事は全部で三つです」
「三つ?」
「はい。まず一つは、私が死んだら、私の死体は家族には返さず、そのまま火葬場に持って行って焼いてください」
「……どうして?」
「家族には、私が生きていた頃の顔を覚えていてほしいんです」
「……わかったわ。正直、あまり気は進まないけど、私たちにはそれくらいの権限は与えられているから」
「ありがとうございます。……それと二つ目に、私の寿命が尽きる時、近くにあるはなやかパークという遊園地を貸切ってもらえませんか?」
「遊園地?」
「はい。昔から人で賑わっているところは苦手なんですけど、幼い頃、一度だけ家族で行ったことがあるんです。そこの観覧車から見える景色を、もう一度だけ見てみたいんです」
「……それだとたぶん、予算の関係で、一時間ほど貸切るのが限界だと思うけど、それでもいいかしら?」
「十分です。それと、最後のお願いなんですが――」
私の最後のお願いを聞き終えると、鈴寧さんは眉をひそめて首を傾げた。
「え、えぇ、まぁ、それくらいなら可能だけど……。それ、どういう意味があるの?」
「実はですねぇ――」
と、詳細を耳打ちすると、鈴寧さんは呆れてため息をついた。
「あなたねぇ……。ほんと、それはちょっと前園くんがかわいそうじゃない?」
「いいんですよ。これは、私を傷つけた罰なんですから」
「……まぁ、いいわ。でも、ほどほどにね」
「えぇ。ほどほどに全力でやってやりますよ」
「……あぁ、そう」
◇ ◇ ◇
前園さんのアパートの前に着くと、鈴寧さんの車を降り、一人で前園さんの部屋まで歩いた。
最初はノックをしようと思ったけど、中で執筆作業に勤しんでいるであろう前園さんの邪魔をするのも気が引けたので、扉の前でどうしようかと動きを止めた。
すると、突然に扉が開き、中から前園さんが顔を覗かせた。
「あ、前園さん……」
「なんでそこで立ち呆けてるんだよ」
「いや、その、邪魔するのもなんだったので……」
「前は勝手に合鍵作って入ってたじゃないか」
「あ、あれはただの冗談で……」
「冗談で合鍵なんか作るなよ……」
前園さんが「まぁ、入って待ってろ」と言うので、その言葉に甘えて中に入った。
前来た時と同じ、少し埃っぽくて、本の匂いが充満する小さな部屋。その奥に置かれたパソコン画面には、執筆途中の原稿らしきファイルが開かれている。
「執筆の方は順調ですか?」
前園さんはパソコンの前に座り、
「おそらく、明日の朝までには完成する」
「そうですか……。よかったですね。また小説のラストシーンが書けるようになって」
「……一つ、はっきりさせておきたいことがある。正直に、俺の質問に答えてほしい」
「えぇ、構いませんよ。私がこれまで一度でも、前園さんに嘘をついたことがありましたか?」
そんなあからさまな嘘をついても、前園さんは鼻で笑うこともせず、確信めいた口調でたずねた。
「れいかは、『約束の矛先』が完結したら、読みたいか?」
あぁ、なるほど。
そういう質問か。
やっぱり前園さんは気づいてしまったんだな。私の、本当の目的に。
嘘をつくことは簡単だった。適当な言葉を並べて、ごまかすことだってできた。
けれど、私は正直に答えた。
「特に。それほど読みたいとは思いません」
その言葉を聞いた前園さんは「やっぱりな」と、納得したようにほくそ笑み、どこか晴れ晴れとした口調で続けた。
「……ずっと自分では、最悪のバッドエンドを迎えた『思い出の刃』が評価されたことで、何がおもしろいのかがわからなくなって、ラストシーンが書けなくなっているものだと思い込んでいた。……でも、違ったんだ。本当は、俺は、あの小説を超えるものを書ける自信がなかっただけなんだ。だから、適当に理由を作って、書けない自分でいることに甘んじていた。……けど、れいかのおかげで考えが変わった。どうせ誰も、俺の小説なんて待っていない。どうせ誰も、俺の小説に期待なんてしていない。そう思えるようになって、気が楽になった」
前園さんは言う。
「ありがとう、れいか。俺の小説を、好きでいてくれなくて」
そう答えるべきかを少し悩んで、結局、「どういたしまして」と返すと、なんだかおかしくて、私たちはぷっと小さく笑ってしまった。
それから前園さんは、どこか落ち込んだようにぽつりとこぼした。
「……この前は、悪かった」
「この前?」
「れいか、言ってただろ? ゲームセンターで倒れる直前、俺がれいかに同情してるって」
「…………」
「……あれは事実だ。
「……そうですよ。前園さんが急に優しくなったから、私、ちょっと寂しかったんですからね」
「……すまん」
「ほんとに悪いと思ってるんですか?」
「……悪いと思ってるから、俺は全力で『約束の矛先』を完結させる勇気が持てたんだ。れいかの本気に、俺も本気で答えたいと思ったから」
前園さんは一呼吸置いて言った。
「れいか……。お前の本当の目的は――」
そう、前園さんが言いかけた時、私は前園さんの唇に人差し指を置き、その言葉を止めた。
「だめですよ、前園さん。答え合わせは明日、遊園地でやりましょう」
「遊園地……?」
「はい。鈴寧さんに頼んで、一時間ほど貸し切りにしてもらえるようになったので」
「……なんで遊園地なんだ?」
「それは――」
正直に答えようと思ったけれど、前園さんが困る顔が見たかったので、ちょっぴり嘘をつくことにした。
「――デートの締めくくりは、遊園地と相場が決まっているからですよ、前園さん」
「デート……」
「えぇ。この長いようで短かった、私たちのデートの最後です。どうせですから、華やかな場所で終わりにしましょう」
前園さんはまだ何か言いたげだったけれど、「わかった」と、なんとか納得してくれた。
◇ ◇ ◇
いつの間にか、私は前園さんのベッドで眠ってしまっていたようだった。男の人の部屋で眠るというのは中々スリリングな体験だった。けれど目を覚ました時、一番に飛び込んできたのが、寝ている私には目もくれず、パソコンに向かってカチャカチャキーボードを打っている前園さんの背中だったので、ほんの少しだけやるせない気持ちになった。
どうせならこっそり私の寝顔を覗き込んでる前園さんとかが見たかったな……。からかえば面白そうだし……。
けれど、前園さんは私には見向きもせず、ただひたすらにパソコンと向き合っていた。
前園さんは、このまま最後まで小説を書ききるだろう。
書ききってしまうだろう。
……そうなれば、残念ながら私の負けだ。非の打ちどころがない、完全敗北だ。
けど、まぁ、それもいいだろう。どうせもう、本当の目的を前園さんに悟られた時点で、私に勝ちの目はなくなってしまったのだから。
それにやはり、最後に悪い魔女が敗北するのは、世の常というものだろう。
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