第06章 『前園幸助はペンを執る』 - 02

 電車を乗り継ぎ、街の中心部にやってきた頃には、辺りはすっかり夕焼け模様だった。


 オレンジ色に染まったスクランブル交差点の中を、どこか晴れやかな気持ちで歩き進めると、やや遅れたところで、れいかがこちらに向かって声を張った。


「ちょ、ちょっと、前園さん! もっとゆっくり歩いてくださいよ!」


 振り返ると、四方八方から来る人混みにもみくちゃにされながら、懸命にこちらに向かって手を伸ばしているれいかの姿があった。


 俺はその伸ばされた手を掴むと、そのままれいかを引き寄せた。


「うわっ」


 と、れいかが驚いた声を上げながら、俺の胸にどすんとぶつかった。


「交差点で迷子になる気か?」

「なっ!? ま、前園さんがさっさと行っちゃうのが悪いんでしょう!?」

「手を引いてやるから、こけるなよ」

「こけませんよ! 子供扱いしないでください!」


 交差点を抜けたところで手を離すと、れいかは今まで繋がれていた手をじっと見つめていた。


「悪い。痛かったか?」

「え? ……い、いえ、そうではなく……」

「どうした?」

「……なんでもありません」

「そうか? ならいいけど……」


 そこからものの数分で、目的のゲームセンターに到着した。


 このゲームセンターはビルの一階から三階までを占めていて、一階がメダルゲーム、二階と三階がクレーンゲームに分類されている。


 どこも照明が明るく設定されており、家族連れでも安心して遊ぶことができた。


 入り口をくぐった途端、れいかは「わぁ!」と目を輝かせて、


「これ全部ゲームなんですか! すごい!」

「ここはメダルゲームエリアだ。まだ二階と三階にはクレーンゲームがあるけど、どこにする?」

「と、とりあえずメダルゲームで! えっと……どうすればいいんですか?」

「そこにあるメダル両替機に金を入れるんだ。そしたらメダルが出てくるから、そのメダルを使って遊ぶ」

「了解しました! ……じゃあ、ちょっと待っててくださいね。鈴寧さんに電話するので」

「……ん? なんで?」

「いえ、ちょっと十万円ほど見繕ってもらおうと思いまして。いやぁ、ここにきて証明書の効果が発揮できてうれしいです!」

「ちょ、ちょっと待て!」

「え? どうかしたんですか?」

「いや……さすがに……ゲームセンターで遊ぶ金を請求するのは気が引けるというか……。しかも十万って、何時間遊ぶ気だよ……」

「でも……私今、全然お金持ってませんよ?」

「いやいや、それくらい俺が払うから」

「……前園さんが? 全部払ってくれるんですか?」

「あぁ。少しは貯金だってあるしな」

 れいかは疑わしそうな視線を俺に向けると、

「……私に恩を売ってもいいことありませんよ? どうせもうじき死ぬんですから」

「別にそんなことで恩を売ったりなんかしねぇよ……」

「……ほんとですかぁ?」


 金は出すって言ってるのに、なんでそんな目で見られなくちゃいけないんだ……。


 一人千円分のメダルを購入し、それを容器に移すと、横でわくわくしながら見ていたれいかが、「思ったより少ない!」と、俺に気をつかう素振りも見せずに嘆いていた。


 二人してメダルの容器を持ったままゲームコーナーを徘徊し、一つ一つどういうゲームかを説明しながら歩いていると、れいかは、一台のメダルゲームの前で立ち止まった。


 それはメダルを落として得点を稼ぐゲームで、かわいらしいクマのキャラクターが液晶画面の中を歩き回っていた。


「『起き上がりベアー』……。変なタイトルのゲームだな……。これにするのか?」


 れいか液晶画面をかぶりつくように見つめて、


「はい。これにしましょう」


『起き上がりベアー』の中に一枚ずつメダルを入れると、内部で前後に動いているでっぱりにメダルが押され、ジャラジャラと手前の穴へと吸い込まれていった。


 穴の手前にあるリングにメダルが通ると、液晶画面の中を悠々と歩いているクマの目の前にメダルが出現し、クマは毎回それに躓いて転び、その頭上に浮かんでいる一から九の数字がぐるぐると回り始める。


 これ、抽選のたびにクマがこけるのか……。


 なんかかわいそうになってくるんだけど……。


「かわいい! 何度転んでもすぐに立ち上がるところが最高にかわいいですね!」

「え……? あ、あぁ。そうだな」


 かわいい? かわいそうじゃなくて? 近頃の女子高生の考えはよくわからんな……。


「あれ? 前園さん……」

「なんだよ」

「ジャックポットって、なんですか?」

「……は?」


 液晶画面を見てみると、金色の文字でデカデカと『ジャックポット!』という文字が表示されていて、画面の上部に設置されたギミックから、次々と大量のコインが落下してきた。


 その結果、俺たちはドル箱三つ分にもなるメダルを手に入れることとなった。


 手に余る大量のメダルを前に、れいかは小躍りして、


「やりましたね、前園さん! 大量ですよ、大量!」

「……すげぇな。メダルってこんなに出てくるんだ……」

「ふふん! 私、実はギャンブルの才能があったのかもしれませんね!」

「……かもな。でも、こんなに出してどうするんだよ……」

「……さぁ?」


 大量のメダルを前に困惑していると、近くを通りがかったゲームセンターの女性店員が声をかけてきた。


「あの、もしよろしければ会員カードをお作りなさいますか?」


 れいかは小首を傾げ、


「会員カード?」

「はい。カードをお作りいただくと、その中にメダルを保管しておいて、次回プレイしていただく際に、好きな分だけ引き落としてお使いいただくことが可能なんです」

「次回……」


 れいかはその言葉をつぶやくと、困ったように眉をひそめた。


 きっとれいかは、三日後に迫った自分の寿命のことを気にしているのだろう。


「あー……。せっかくですけど、私は結構です。……あっ、でも、前園さんがカードを作れば――」

「いいじゃないか、れいかがカードを作ってもらえよ」

「……え? 私が、ですか?」

「あぁ」

「でも、私、もう……三日しか……」

「まだ三日もあるんだ。その間にまたここに来たくなるかもしれないだろ?」

「まだ、三日……」


 れいかはそう呟くと、「ふふ」と小さく微笑んで、


「たしかにそうですね。まだ三日もありますからね」


◇  ◇  ◇


 ゲームセンターの二階へ上がると、そこにはぎっしりとクレーンゲームが並べられていた。その間を通ってめぼしい景品がないかを探していると、れいかは時折、「ほぉ」だか、「へぇ」だか、物珍しそうにクレーンゲームを覗き込んだ。


「クレーンゲームって、こんなに種類が豊富なんですね」

「何かほしいものは見つかったか? そろそろ外が暗くなってきたぞ」

「ふふん! 大丈夫ですよ、前園さん! なんたって、まだあと三日もあるですからね!」

「……三日間、毎日ここに通う気か?」

「あはは! 冗談ですよ、冗談!」


 そんな話をしていると、ふと、れいかは足を止め、一台のクレーンゲームにびったりと張り付き、中に置いてある景品を興奮気味に見下ろした。


「なっ!? こ、このぬいぐるみは、まさか!?」


 れいかの横から覗き、その景品を確認すると、それはさっきのメダルゲームに登場していた『起き上がりベアー』のぬいぐるみだった。


「人気なのか、このキャラ……」

「当然でしょう。こんなにかわいいんですから」


 れいかはそそくさと自分の財布から五百円玉を取り出し、「ここにお金を入れればいいんですよねっ!? 私の全財産で勝負です!」と、それをゲーム機に投入し、アームを操作した。


 だが、れいかのクレーンゲームの腕前はお世辞にもうまいとは言えず、アームは何度もクマのぬいぐるみの横で空をかいた。


「あーもー! 取れなぁい! 壊れてるんじゃないですか、これ!」

「……いや、たぶん壊れてはない」

「じゃあどうして取れないんですか!?」

「それは……」


 れいかが単に下手くそだから、と言いかけたが、興奮して荒れているれいかに八つ当たりされそうだったので言葉を呑み込んだ。


 れいかはまたも、ゲーム機に向かって吠える。


「あっ! また外れた! どうして!?」

「……俺が変わってやろうか?」

「え? もしかして前園さん、クレーンゲームの達人なんですか?」

「いや、達人ってことはないけど……」


 れいかよりはマシだ、ともつけ加えなかった。


「とにかく俺がやってやるよ。なぁに、千五百円もあれば取れるだろう」

「そこそこの投入金額じゃないですか……」


 五百円玉を投入し、ゲーム機の横に入ってクマとアームの位置を慎重に見極める。そしてようやくアームを操作するボタンを押した時、横にいたれいかがか細い声で言った。


「前園さん、今日はとても優しいですね……」

「ん? そうか?」

「……えぇ、とっても……。まるで――」


 一瞬アームから目を離してれいかの方を見ると、れいかはさっきまでの楽しげな雰囲気とは一転して、悲しそうに俯いていた。


 そして、れいかは言った。


「まるで――私に同情してるみたいに」


 その言葉に驚いて操作を誤り、アームはクマのぬいぐるみを小突いただけで終わった。


 動揺を隠しきれないまま、ゲーム機から手を引き、れいかに向き直った。


「……なんだって?」


 れいかは淡々と、悲しそうに続ける。


「……私、わかるんです。自分が同情されているかどうか……。今までずっと、そういう環境で育ってきましたから……。だから、今日、前園さんが急に優しくなった時……あぁ、そっか。前園さんもかぁ、って、すぐにわかっちゃいました」

「俺は、そんなつもりは……」

「前園さん、気づいちゃったんでしょう?」

「気づいた? 何に?」

「私の、本当の目的に」


 心臓がどきりと脈を打った。胸中を悟られないように繕おうとすればするほど、表情が強張った。


「……いや、なんのことか……ちょっと、わからないけど」


 俺は、嘘をついた。


 本当は気づいてしまった。今日、アパートでブレーカーが落ちた時に、れいかが俺に、何を望んでいるのか悟ってしまったのだ。


 けれど、れいかはそのことを隠している。いや、隠すことにこそ意味があった。


 だって、れいかの本当の目的は、俺に悟られた時点で叶うことはないのだから。


 俺がもう少し上手な嘘をついてやれていたら、もしかしたらこの先の物語は、もっと違った結末を迎えていたのかもしれない。


 けれど、れいかは俺のすべてを悟ったようにほくそ笑むと、「嘘つき」とだけ呟いた。


 俺は反論しようとした。拙い嘘で、彼女の嘘を守ろうとした。


 けれど、できなかった。


 何故なら、彼女がその場で気を失って倒れてしまったからだ。


 れいかがふっと意識をなくし、その場に崩れ落ちた時、咄嗟にれいかの頭を抱え込んだ。


「おい! れいか! 大丈夫か! おい、しっかりしろ!」


 声をかけるが、反応はない。


「れいか! おい!」


 どうしていいのかわからず、慌てふためくだけの俺のもとへ、どこから来たのか、一人の女性がやってきて、れいかの横に跪いた。


 何事かと驚いていると、女性は落ち着いた様子で自分の手をれいかの口元に持っていき、呼吸の有無を確認した。次にれいかの腕で脈を取り、瞼を押し開いて瞳孔を確認した。


 その女性は、れいかを抱えている俺に向かって、


「れいかちゃん、倒れる時にどこかぶつかったりしなかった?」

「い、いえ……」

「そう。ありがとう。あなたが庇ってくれたのね」

「あ、あの! れいかは……」

「大丈夫。問題ないわ。眠っているだけだから」

「眠っている……? あの……あなたは誰ですか?」

「鈴寧よ。れいかちゃんから聞いてない?」


 鈴寧……。たしか、れいかが言ってた優秀なサポーターとかいう……。


 鈴寧さんは混乱している俺とは違い、迅速にどこかへ電話をして諸々の準備を整えた。


「とりあえず、れいかちゃんはこのまま自宅へ送るわ」

「あ……。そ、そうですか……。あの、れいかはまだ、大丈夫なんですよね?」

「知ってるでしょ? れいかちゃんの寿命まで、まだあと三日ある。今ここで死ぬようなことはないわ」

「……そう、ですか」


 ピロピロと電子音が鳴り、鈴寧さんはスマホを耳に当てると、二言三言話してすぐに電話を切り、今度は俺に向き直った。


「前園くん、あなたこれから暇でしょう? 少しつき合ってもらうわよ」

「……はい?」


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