第03章 『夢月れいかは成敗する』 - 01
朝。街中にほんのりと広がる雀の鳴き声が、私の寿命が残り五日になったことを教えてくれた。
私は駅の一角で、壁に背をつけながら、次々と改札口に吸い込まれていく人混みを注視していた。
その中で、制服姿の高校生が何人も通り過ぎていくのを見ると、平日の朝から私服でいるのがなんだかとても悪いことをしているように思えた。
もう学校に行く理由もないし、気にすることないっていうのはわかってるんだけど、どうも落ち着かないなぁ……。
スマホがぶるぶると震えて、確認すると、そこに『鈴寧さん』と表示されていた。
「もしもし」
『おはよう、れいか。今ちょうど、前園くんが家を出たわ。五分くらいでそっちに到着すると思う』
「わかりました。何から何までありがとうございます」
『別に構わないわ。あなたをサポートするのが私の仕事だもの。……でも、一つ聞いていいかしら?』
「なんですか?」
『あなたは本当に、こんなことに残りの寿命を費やしてもいいの?』
「はい。むしろ、こんなことに残りの寿命を費やせるなんて本望ですよ」
『……そう。あなたが納得しているのなら、これ以上は何も言わないわ。また何かあったら電話してちょうだい。私は気づかれないようにあなたたちを監視してるから』
「はい。よろしくお願いします」
電話を切り、ふぅと一息ついて、再び人混みに視線を戻した。
大丈夫だ。私ならうまくやれる。やってみせる。
それから鈴寧さんが言った五分が経過すると、人混みの中に、生あくびをしながら呑気に歩いてくる前園さんの姿を見つけた。
それまで背もたれにしていた壁から離れ、行き交う人の間をぶつからないように抜け、前園さんの前に躍り出した。
「おはようございます、前園さん」
前園さんは私の顔を見るや否や、げっと顔を歪めた。
「……れいか。なんでここに」
その嫌そう感丸出しの表情に、さすがの私も少しイラっとしたけれど、そんなことはおくびにも出さずに、無邪気な高校生らしくにかっと笑ってみせた。
「なんでも何もありませんよ。昨日言ったでしょう? 借りた本を返すって」
「……いや、別にこんな朝早くじゃなくても」
「いけません。何度も言ってますけど、私にはもう時間が残されていないんです。少しでも無駄を省くため、今日は朝から伺いました。……それに、前園さんが私から逃れるために、どこかへ寄り道とかされたらほんとめんどくさいですし」
前園さんはあからさまにぎくりと目を逸らすと「そんなこと考えもしなかった」と嘯いた。前園さんは思っていたよりも思考が顔に出るタイプらしい。
昨日、前園さんから半ば無理やり拝借した『思い出の刃』を鞄から取り出し、それを手渡した。
「本、ありがとうございました! とってもおもしろかったです!」
「……そうか。じゃあ、もう満足してくれたか?」
「いえ! この調子でぜひとも、ネット小説の『約束の矛先』の方も完結させてください!」
「……あぁ、そう」
前園さんは私のしつこい誘いに辟易としているのか、長いため息を隠しもしなかった。
前園さんは受け取った『思い出の刃』を、一瞥もせず、というか、まるでできるだけ見ないようにするよう、自分の鞄の中にさっと押し込んだ。
そして、前園さんは辺りを見渡すと、
「にしても、今日もここは人が多いな。嫌になるよ」
「……え? えぇ。そう、ですね」
今、あからさまに話題を変えた? でも、どうして? 私はてっきり、本の感想でも聞かれるかと思ってたんだけど……。
前園さんは私の横を通り過ぎると、
「じゃあ、俺はこれから大学に行くから」
前園さんの真意はつかめないけれど、今は無理に本の話題を掘り下げるべきじゃないか……。だったらここは、ひとまず予定通り――
「私もお供しますよ、前園さん!」
「……は? お供? どこまで?」
「もちろん! 大学まで!」
◇ ◇ ◇
前園さんが通っている幾瀬川(いくせがわ)大学は、都会からやや離れたところにあったが、私たちが乗った急行電車で行くとほんの数十分でたどり着いた。
周囲にはこれといって目立った建物はないが、道を歩いている若者の数が多く、彼らはみな一様に同じ方向へ歩いていて、私と前園さんもそれに歩調を合わせた。
となりを歩く前園さんが、訝しげな目を私に向ける。
「もうすぐ着くけど……。ほんとに大学までついてくる気か?」
「もちろんです! 教室にも行きますし、講義も受けます!」
「……あぁ、そう」
嫌そうな顔をしながらも、前園さんが私を完全に追い払えないのは、私がもうすぐ死んでしまうかわいそうな女子高生だからだろう。かわいそうな女子高生の死ぬ間際の些細なお願いくらい、叶えてやりたいと誰しもが思うのだ。あぁ、麗しき寿命差別社会。
無論、前園さんがそう思うように「私、もうじき死んじゃうから、大学に行けないんです……。だからお願いです。一度でいいので大学に連れて行ってください!」と頼み込んだのは私だけど。
横を歩く前園さんは、落ち着かない様子で周囲に視線を向けている。もしかしたら彼女でもいて、私と二人きりで歩いているところを見られたくないと考えているのかもしれない。彼女がいるかどうかも鈴寧さんに聞いておいた方がよかったかも……。
それにしても、と昨日のことを思い出した。
私が前園さんに、前園さんが書いているネット小説『約束の矛先』の続きを書いてほしいと頼んだ時、前園さんはそれを頑なに断った。
あれはどうしてだろう? 単に書きたくなかったから? それとも、何か理由があって書けなくなった?
前園さんに『約束の矛先』の続きを書こうと思わせるにはどうしたらいいのか、今日はそれを知るため、こうして前園さんにぴったりとくっついて来たのだ。
本来ならば今朝、借りていた『思い出の刃』を返した際、あれやこれやと感想を言ったのち、そのことを直接たずねようと思っていたのだけれど、前園さんは『思い出の刃』の話を避けている節があった。
もしも前園さんが、何らかの理由で今現在小説が書けない状態でいるのだとすれば、そこに『思い出の刃』が絡んでいる可能性もある。であれば、そんなデリケートな問題に易々と触れてしまえば、前園さんの気分を害してしまうかもしれない。
ここは適当にご機嫌をとり、ちやほやと甘やかした後、前園さんの口から『約束の矛先』の話を引き出すのがベスト。
……それこそが、私の
「なんだよ、難しい顔して」
「……え? やだなぁ、前園さん。ずっと私の顔見てたんですか? それセクハラですよ。セクハラ」
「ひどい言いがかりだ……」
◇ ◇ ◇
大学の敷地内へ入ることは、私が思っていたよりもずっと容易だった。
門の横に警備員の人がいるにはいるが、別段生徒に気を配る様子はなく、あくびをしながらぼんやりと突っ立っているだけだった。
「前園さん、前園さん。大学ってどこもこんな感じなんですか? 身分証の確認もされずあっさり入れちゃいましたけど……」
「他がどうかは知らないけど、まぁ、うちの大学はいつもこんなもんだ」
「……ははーん。なるほど。これがジェネレーションギャップというやつですね!」
「う~ん……。なんか違う気がするけど……」
大学の敷地面積は、私の高校に比べればかなり広かったが、それでも思ったほどではなかった。そこそこの敷地にぎゅうぎゅうと建物が詰め込まれて、そのどれもが高くそびえるように建設されている。土地の有効利用と言えば聞こえはいいが、私にはそれが窮屈に感じた。
高校も大学も、私にとっては他人の青春を見せつけられる場所以外の何物でもないのだ。
「前園さんって、文学部でしたっけ?」
「あぁ。文学部は基本的に、一番奥の建物で講義を受けるんだ」
「彼女とか、友達とかはいますか?」
「……話し相手くらいなら……まぁ……一人……」
どうやら前園さんはあまり社交的な人間ではないらしい。ちなみに、私の高校のクラスメイトで、コミュニケーション能力至上主義社会の申し子みたいないつも明るくてにこにこしている子がいたのだが、その子は、一度でも会話した相手はもう友達だと自信満々に語っていた。
ま、私はその子と会話したことすらなかったから、友達にカウントされていないのだろうけど……。
つまり、何が言いたいのかというと、友達はいるかという質問に対し、話し相手なら、なんて答えてる時点で、その人の閉鎖的な性格が見て取れるというわけだ。
けど、前園さんに彼女や友達がいないのは朗報だ。普段、他人に対して心を開かない人間ほど、一度小さなきっかけを作ってやれば簡単に篭絡できる。
……だって、そう、テレビで言ってたし……。私に友達がいないのは自分の意志であって、その気になればすぐにできるし……。前園さんとは全然違うし……。
前園さんの背中を追っていくつかの建物を横目にし、その中で一番奥にあった、ややこぢんまりとした建物の前にたどり着いた。
「このF棟が、文学部が使ってる建物だ」
「へぇ……。ここが……」
大学内の建物は全て白で統一されているが、このF棟はその表面が少し黄ばんだり黒ずんだりしており、一見して古い学舎だということが理解できた。いや、古いというか、これは……。
「なんか、ぼろっちいですね……」
「……味があっていいだろう」
「物は言いようですね。さすが小説家」
「…………」
前園さんは反論したそうな表情をしたが、はぁ、と短いため息をつき、そのままトボトボと建物の中に入っていった。
◇ ◇ ◇
「……ほんとに講義まで受ける気か?」
「当然です! そのために来たんですから!」
「……はぁ」
部屋の広さは、高校の教室よりも一回り広いくらいで、三人ずつ座れるようにいくつかの長机が用意されていた。私はその後ろの方の机の左端に陣取り、真ん中の席を空け、前園さんは右端の席に腰かけた。
「大学の講義って初めてなので、なんだかワクワクします! ちなみに今から始まるのはどんな講義ですか? 文学部というくらいだから文章の講義ですか? いえ、それともどこかの文豪の歴史とか?」
「哲学だ」
「……文学関係ないじゃないですか」
「大学にはそういう講義もたくさんあるんだよ」
前園さんはガサゴソと鞄の中を漁ると、中からびっくりするくらい分厚い本を取り出した。そのタイトルには『哲学』とだけ簡素に書かれている。
「分厚い本ですね……。前園さんはそれ、全部読んだんですか?」
「半分くらいは目を通したけど、まぁ、おもしろいものじゃないな」
「……でしょうね」
「読んでみるか?」
「……じゃあ、来週にでも読んでみますよ。ま、その頃には私、死んでますけど」
「…………」
「な、なーんてね……。あはは」
「…………」
受けると思って言ったブラックジョークでどん引きされるとそこそこ恥ずかしいのだということを、私はこの日初めて知った。
◇ ◇ ◇
「――おい。……おーい。起きろ、れいか」
「ふぁいっ!?」
驚いて目を開くと、前園さんが呆れた顔で横に立っていた。
「あれ? 前園さん? 講義は? あれ? この教室、どうして誰もいないんですか?」
「講義ならもう終わったよ。それも一限と二限、両方ともな。れいか、どれだけ起こしても起きなかったんだ。一限と二限の講義が同じ教室で助かったよ」
「……つまり、私は二時間くらい眠ってしまったということですか?」
「大学の講義は一コマ一時間半だ。つまり、お前が寝てたのは三時間だ」
「……まだ寝足りないです」
「まだ寝足りないのか……」
昨日の夜は、前園さんをどうやって懐柔するかばかり考えて、あまり眠っていなかったせいだろうか、まだ頭がぼんやりとしていた。
「とにかく、今から昼飯だけど、何か食うか?」
「おごってくれるんですかっ?」
「え? ……あ、あぁ、まぁ。いいけど」
「私、大学の食堂行ってみたいです! 学食って言うんですよね?」
「……外にコンビニもあるぞ? 駅まで行けばハンバーガーショップだって――」
「前園さん、もしかして学食でご飯食べるの嫌なんですか?」
「……まさか」
「じゃあ行きましょう! 学食!」
「…………」
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