第1話 酒は飲んでも飲まれるな

「はあああもーっ、晴香ってばやっとやる気になってくれたかー!」


「まあ、毎度毎度会う度にしつこくオススメされたらね」


 中学からの仲である彼女――花は社会人になった今でも付き合いが続いている数少ない友人である。緩く巻いた髪に、控えめに見えるだけの完璧なメイク。パッと見では分からないが実は重度の乙女ゲームヲタクで、普段は一般人に擬態して生活している。最近の悩みは複アカの管理だそう。


 そんな彼女に物凄く嬉しそうに押し付けられたのは、自分も持っている携帯型ゲーム機のソフト。パッケージには真ん中の女の子を囲むように数人のイケメンが描かれている。


 ノリノリの友人を横目に手を上げた。気づいた店員に生ふたつお願いします、と声をかける。


「えーとなんだっけ、あい、あい……何とか」


「『愛の学園〜イケメンたちに身も心も落ちて〜』、通称『あいがく』!」


 食い気味に、しかも早口に言われてのけぞる。面倒くさくてうんうんと頷いてそれを受け取った。


「わたしさ、確かにゲームは好きだしやるけど、アクションとかRPGとか、そういうのばっかなんだよね。乙女ゲームも全く知らないわけではないけど、正直そんなに興味なくて」


「大丈夫大丈夫、普段やらないのとかやると意外と面白いから。晴香ったら仕事仕事じゃん? ブラックだし。あんたの職場むさいおっさんばっかじゃん、どーせ恋愛なんてしてないでしょ。だからこーゆーので恋しなよ、コ・イ!」


「余計なお世話ですー。ていうか花、あんたこそ最近彼氏できたくせにまだこーゆーのやってんの」


「いやー、んでもねえ、現実の恋愛とゲームは別っていうか」


「あっそう……」


「まあまあまあ、私としてはどっちもして欲しいなーって思ってるわけですよ」


「適当なこと言って、あんたは布教したいだけのくせに」


「あは、バレたかー」


 やれやれ。まったく昔から調子がいいんだから。呆れてため息をつく。


「でねでね、あいがくの私の推しはユリウス様なんだけどね!」


 まるで堪えた様子もなく意気揚々とスマホを突き出してくる花にげんなりして、それを思いっ切り顔に出した。


「だってこのまま持って帰ったらたぶん晴香やらなくない? そのくらい私にはお見通しなんですうー」


「……」


 図星だったのでそっぽを向く。だってまだ積みゲー結構あるし、来週予約してやつも取りに行かなきゃだし。いやね、忙しい日常の合間を縫ってやってるもんで、優先順位は必要なんですよ。


「だからプレゼンしとこうかなーって。面白そうって思ったらやるでしょ?」


「まあ、たぶん、そ――」


「私の推しはユリウス様なんだけど!」


 こいつ、また同じこと言いやがった。しかも食い気味に。


「ユリウス様はこのイケメンのお方なんだけどね? とにかく顔面が良いの。イケメン揃いのあいがくの中でも屈指のイケメンっていうか。他のキャラ推しの人たちにミーハーって言われてもやっぱりユリウス様しか勝たないっていうか!」


 花がスマホに映しているのは銀髪に碧眼の、確かに整った顔立ちの青年。スチルと共に設定の載った画面を読めと押し付けてきた。

 ユリウス・シルバー。第3王子だが庶民にも親しく、将来兄たちを支えるため学園に通って学んでいるそうだ。どのイラストもあからさまに優しそうな柔和な笑顔を浮かべている。現実世界で言うならアイドル顔か。


 めちゃくちゃありがちだ。乙女ゲームをろくにしない自分でもわかる。たぶんというか絶対、王子のくせに庶民のヒロインに恋するやつだ。ついでにいうならパッケージの真ん中に書いてあったしオトしやすいやつだ。よく言えばメインヒーロー。


『困ったときは、いつでも頼っていいんだよ』

『きみのことは、僕が一番見ているからね』


「うーっ、ユリウス様尊い! まじイケボ!」


 ボイスを流して悶え始めた友人を無視する。


「あのさ、このシルバーってもしかして髪のことだったり?」


「ざっつらいと! わかりやすくていいでしょ?」


「わかりやすいけど……まあ、いいけどさ」


 情緒が無いというか、まあ、いいけどさ。


「……じゃあもしかしてゴールドもいるとか?」


「さすが晴香っ、鋭い!」


 ぱちんと手を叩かれたが嬉しくない。

 もしかしてこれ、キャラクター全員色の名前がついてたりする? もうちょっとあるだろと思わなくもないぞ。


「これ、グレイル。ユリウス様とは幼なじみで、グレイルは学園を卒業したら王立騎士団に入ることになってる、優秀な騎士なのね。けどなぜか今は不仲になってて、更にヒロインを奪い合ってバチバチするわけ。グレイルの後ろ姿を見るときの……ユリウス様のお顔がね〜! もー憂いを帯びてて!」


 推しのユリウス様とやらではないのにやけに説明に力が入ってるなと思ったら、やっぱりユリウス関連だった。友人が怖い。


 グレイル・ゴールド。名前の通りの金色の髪に、紅の瞳。このあたりも対比にしているのだろうか。彫りが深く整ってはいるが眉間に皺まで寄せた目付きが鋭く険しい顔で、騎士らしくユリウスより少し体格がいい。甲冑姿と制服姿と2つ並べられているが、制服が恐ろしく似合っていない。イラストでもこれって、このキャラどうなんだろう。そういう立ち位置なのか。


「あとは、ギルバート・クリムゾン、ルーク・コバルト、ノア・アンバー……あたりが主要攻略キャラだったかなあ」


 どうでも良さそうにまとめて紹介された。関心の差が酷い。赤、青、橙、と色鮮やかな頭と瞳をした青年たち。皆一応整った顔はしているけれど、キャラデザが明らかに金銀と扱いが違う。さすがにレッドとかブルーとかそのまま名前付けられなくて良かったな、と架空の世界の彼らに同情した。


「それで、この子が悪役令嬢エリザベート。ことあるごとにヒロインにつっかかってきて、恋路を邪魔するわけ。ほら、この縦ロールとつり目とか超ぽいでしょ? んで、その隣で縮こまってるのがヒロインのキャラね」


 腕組みをして偉そうにしている方がエリザベート・ハレイルーヌ。侯爵令嬢で好き勝手生きてきたという設定だ。自分を差し置いて主人公がちやほやされているのが納得いかず、目の敵にしている。

 そして横で怯えた顔をしているのが主人公、自分プレイヤーが操るキャラということなのだろう。自己投影のためか、茶髪茶目で容姿は2次元にしては平凡。田舎娘だったが偶然学園に入ることになり、身分の高い男たちと結ばれるというシンデレラストーリーらしい。


「たぶんもうわかったと思うけど、庶民の主人公が学園で高貴なイケメンたちと結ばれたらハッピーエンドで――」


「ねえ、このエリザベートの影に隠れてるのは? これも男キャラじゃないの?」


 黒に近い藍色の髪と目で、他のキャラと違って派手じゃない。小柄なところが少し気になるけれど、目に優しくて一番見た目的には好きだ。それなのに紹介されなかったのでパッケージを指差すと、花は嫌そうな顔をした。


「ええー、ハルクはいいよー」


「それはハルクとやらがさっきのキャラたち以下ってこと?」


「うーん、主要キャラかって話なら微妙だけど、有名かどうかってなるとハルクの方が何倍も有名かな。検索で『あいがく』って入れると予測で次に『ハルク』って出るくらいにはね」


「ふーん?」


「ちなみにそのまた次に続くのは『うざい』だけど」


「……んん?」


「ハルク・レングル、又の名を『悪役令嬢の腰巾着』……とプレイヤーたちは勝手に呼んでいる」


 これまた悪口だとぱっとわかる2つ名だな。


「ヒロインをいびる悪役令嬢の後ろについてまわって、影に隠れてこそこそするのね。一人で突っかかって来ることは絶対なくて、男のくせにエリザベートがいないと何もできない。そのせいで悪役令嬢のエリザベートよりヘイトを集めまくっているというよくわからないキャラでねー」


「はあ」


 面倒臭い奴だ。もし実在していたなら自分とは相容れないタイプだな、と思う。


「しかもなんでか知らないけど、男キャラのくせに攻略できないんだよね! こういううざいキャラって大体デレたら可愛いとかあるじゃん!? あーあ、こいつも攻略対象にしてくれればなー、ヒールでも私的には全然アリだったんだけどなー!」


 なるほど、花が怒っているのはここか。思考が完全に乙女ゲームに偏っている。


「アリなの? ユリウス様とやらは?」


「本命。大大大本命。でもとりあえず全ルートはやるでしょ? トゥルーエンドのために全ルート行く必要あったりするんだよ、わかる?」


「ごめんて。寄ってこないで」


 椅子から腰を浮かせた花を押さえつけ、ため息をつく。熱量が違いすぎて話についていけない。

 しばらくして落ち着いたらしく、彼女はこほんと咳払いをした。


「とまあ、そういうわけで、ハルクはあいがくでは悪い意味で有名というか、そこそこオーソドックスなこの乙女ゲームの中で変わってるところというか――」


「生2つでーす」


「……あー、へへ、そっか忘れてた」


 花が店員の声に顔を上げて舌を出した。ジョッキの一つをこちらに押す。


「いやーごめんごめん」


「飲みに行こって誘ってきたのあんたのくせに、そっちのけで話ばっかじゃん」


「だってー、ヲタバレしたくないから職場の人とか友達にも言ってないしー、こういうの話せる人ってネット上にしかいないんだもん! 生で話せるのってやっぱいい!」


 花は余程喉が渇いていたのか、乾杯もせずにジョッキを傾ける。


「おい」


「いやね、昔から晴香は言いふらしそうにないじゃん。口硬そう義理堅そう」


「まあ、それはどうも」


 適当に相槌を打つと、彼女は少しばかり真剣な顔をした。


「最近大変そうだから、気分転換にって思って呼んだのは本当だからね。私と同じ新卒2年目なのになんかあんた異常に忙しくない? 目のクマすごいし」


 あー、と思いながら目の下を触る。コンシーラーで結構隠してるつもりなんだけどな。それでもわかるくらいなのはやばいかもしれない。


「あー、最近は、プレゼンの資料を」


「誰の」


 普段雑で抜けてるくせに、こういうところは鋭いんだよなあ。


「……先輩のプレゼンの資料が見えて、ちょっと気になるとこあったからめっちゃくちゃ言葉選んでほんのちょびっとだけ言ったら、じゃああんたがやればってふつーに押し付けられた」


「2年目に?」


「うん。まあ言わない方が良かったのはわかってるんだけど。ちゃんと間に合わせたし、間違いなく先輩のよりは良くなってるし。新卒2年目に負けた気分になればいいよ、ってね」


「なんか晴香って、限りなくブラックに近いグレーを自分でダークブラックにしてるよね。生きづらそー」


「んー、なんか色々思うの面倒くさくて。深く考えるより先に言っちゃう」


「ホント口は災いの元を体現してるっていうかねー。まー私はそういうとこ好きだけど、無理して体壊さない程度にしてよね。あとは……愚痴があったら今から聞くし」


 花が中身が大分減ったジョッキを掲げた。


「ほら、乾杯!」


 調子が良い奴だなと思うけれど、わたしも花のそういうところが好きだ。苦笑しつつそれに応じた。



*  *  *



「う……」


 ちょっと飲みすぎた。ヒールのある靴で歩くだけで頭に響く。離合も難しそうな、歩道も無い細い道をふらふらしながら歩いていると、後ろから自転車にベルを鳴らされた。

 酔っぱらいですみませんね、と思いながら深く考えずにそれを避け、角を曲がる。


 瞬間、煌々と光るライトが自分を白く染め上げた。


「え」


 衝撃。手遅れなのは、自分が一番わかった。


 なんだこれ、呆気ないな、と最期にかろうじて思う。


 抗いようもなく、急速に意識が削れていく。がりがりと音がするように自分が無くなっていく。想像していたよりずっと簡単に、削れて、削れて、無くなっていく――





 ――くるしい。息ができない。


 喉を掻きむしると、ごぼりと口から空気が漏れて、丸くなって浮かんでいった。

 水の中にいる。それを疑問に思うより前に、必死に藻掻く。両手で淵を探り当て、体重をかけて一気に体を起こした。


「――ごほっ、ぐ、う……!?」


 喉に残った水を吐き出す。必死に喘いで、空気を取り込む。

 視界が明滅する。手が震える。

 けれど――なぜか、生きている。それも五体満足で。


 どうして。確かに自分は撥ねられたはず。

 それなのに、こうして水に体を突っ込んでいるのは一体なぜなのか。


 噎せながらふと水面に視線をやって、思わず固まる。

 整ってはいるけれど特徴の無い顔だった。不健康に青白い頬、気難しそうに顰められた眉。おかっぱ気味に切りそろえられた藍色の髪。長い前髪の合間から同じ色の瞳が控えめにのぞいている。


「え……え?」


 自分の頬に触れると、水面に映る少年も同じように頬をなぞった。


「……これ、ま、まさか、わたし……?」


 答えはもちろんどこからも返ってこない。


「なんか……『ハルク』に、そっくり……すぎない……!?」


 知らない、けれど見覚えのある少年が、怯えた顔でこちらを見つめていた。

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